龍魂の約束

一歌ツベル

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Prologue

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「こっちだ、来なさい」

 厳しい口調の兵士がリゼの手を引いた。いつの間に馬車を降ろされたのか、年老いたローブの男が前を歩いていて、リゼは孤児院のボロを着たままよく分からない建物を歩かされていた。

「ここは、どこ」

 ぽつりと溢すと、若い兵士は驚いたように目を見開き、それから厳しい顔つきで「喋るな」と言った。

「ヒッ」
「っ、この……!」

 思わず怯えた声が出てしまった。兵士はそれにすごくイラついたようで、それからリゼに向けて大きく手を振りかぶった。

「やめんか」

 ぴた、と兵士の動きが止まる。目を瞑って衝撃が済むのを待っていたリゼは、殴られないと気がつく前に腕を乱暴に引かれた。

「子どもはすぐ死ぬぞ」
「はっ。……申し訳ございません」

 存外先導の老人に従順らしいこの若兵は、それからは気配がないみたいに歩いた。老人は一度リゼに視線をやると、ほのかに目元を緩めて語りかけてきた。

「起きたんだねお嬢ちゃん。ここは王城……偉い人の暮らす建物だよ」

(王城……王様。戦争が好きな……)

 天上人が過ごす王城を進む。きっとどこもかしこも丁寧に作られたに違いない、なんて誤魔化すように考えた。兵士の腕は、全力でかかれば振り払えてしまいそうだとも思った。しかしそんなことをすれば間違いなく殺される。リゼは大人しく導きに従った。

 泣きたくなるほどに寂しくて不安な胸の中を、孤児院の仲間たちがあたたかに笑うのを想像して何度も誤魔化した。1番大切な、リゼにとってかけがえのない家族だった。家族というには、普通より少し数は多いかもしれないけど……貧しくても、いつも優しい院長もみんなも大好きだった。

「いいかい。これから先では、人と喋ってはいけない。大人しくしていれば、さっきのような余計な目にも遭わない」

 老人がそう言うと、兵士はバツが悪そうな眼差しをこちらに寄越してきた。リゼはコクリと頷いた。頷くしかない。怖くても、もう後戻りはできないのだろうから。

『リゼ、約束だ』

 頭にこだまするのは、1番の仲間の声。馬車から投げ捨てられる、目を閉じた力無い姿。今、目の前に聳え立つのは、リゼには価値もわからないような豪華な扉。それから、少しだけ優しさの滲む老人の忠告。

「いい子だ。……君の無事を願って」
「……」

 ギィと軋む音一つもせず扉が開いてゆく。その先には、薄暗くて、壁や隅も見えないような広い部屋があった。




★.。:・・.。:*・★.。:・・.。:*・★.。:・・.。:*・★





 薄暗い部屋に着いたリゼは、すぐに変な椅子に座らされた。怪しげな黒いローブの魔法使いたちが周りを囲って、全員で、杖を高く掲げて――。

「あ、あ、うわあああああ゛!」

 途端、体のどこかが熱を持って、心臓ではないそれがドクドク脈打って暴れ始めた。訳のわからない感覚に悲鳴をあげる。けれど誰もそれを気にしない。

「おお、これは……!」
「間違いない、『先祖返り』の印だ……!」
「もう一度だ!前のように長くはかけられない。1年のうちには成功させるぞ……!」

 周囲で上がる声になんて構っていられるはずもない。そうして、繰り返し繰り返し、リゼが悲鳴も上げられなくなった頃にそれは終わった。体のどこにも痛みは残っていないのに、リゼは涙が止められず嗚咽した。それから優しさのカケラも感じられない黒いローブたちに連れられて、小さな部屋に閉じ込められた。

「君は素晴らしい兵器になるのだよ、領土を広げるこの国のために!光栄に思うんだ」

 去り際に恍惚と語った男は、なんだか国の発展と魔法に精神が囚われているかのようだった。泣き腫らした目でそれを見つめた。リゼはこれから兵器にされるらしい。よく分からないが、この実験の末、戦争にでも駆り出されてしまうのだろう。

 近くには似たような子どもの気配もしたが、一人きりの部屋で、与えられたしょっぱいスープとパンを齧った。部屋に隙間風も、凍えるほどの寒さもない。それに孤児院のものよりもしっかりしたボロのベッドがあって、それでも、体の震えは止まらなかった。


 ――それからリゼは、同じような実験をもう100回ほど繰り返した。

 日が昇ったのかさえわからない上に、眠りについた回数も数えていないから、もしかしたらもっと経っているかもしれない。とにかくそんなうちに、あの体内の熱も、恐ろしかった感覚にも、もう何も感じなくなっていた。部屋の薄暗いのにも、スープの味付けにも慣れてしまった。喜びも悲しみも感じない中で、ただ言われるがままにあの椅子(硬さと手触りから、多分磨かれた石でできていると気がついた)に座り魔法を浴びせられる日々。痛いことはないと気がついてから、リゼは呼ばれるだけでもう、誰に手を引かれるでもなく席に着くようになった。

『大人しくしていれば』

 この建物で唯一、リゼにわずかな情をかけてくれたあの老人の言葉に間違いはなかった。寒さで凍死する心配も、食べ物がなくて餓死する心配も今のところはない。それに、あの変な儀式のせいなのか、リゼは此処でこれまで一度も病にかかっていない。

 悪くないか、とは思わない。ただ、孤児院のみんなを思い出すことも減った。――そんなある日に突然、城が1度大きく揺れた。

 リゼはいつもの通り石の椅子に座っていた。あまりに大きな揺れだったので、驚きで一瞬だけ、その瞳に感情の光が灯った。
 
 続いて黒いローブの誰かが悲鳴を上げる。腰を抜かした誰かが杖を落とすと、足元で光っていた魔法陣がぐにゃりと歪んだ。

「っおい!詠唱を続けろ!でないと――」

 男の言葉を聞き終える前に、魔法陣と同じように、リゼの視界が奇妙に歪んだ。ぐらりと体が揺れる。そのまま床に転がり落ちたが、誰もリゼを起こさない。ただ慌てたような男たちの足元を最後に、リゼの意識はプツリと途切れた。





 ――次に目を覚ました時、薄暗い石壁は崩れ落ち瓦礫になっていた。

 所々から火が出ている。このまま寝こけていたら、リゼは確実に死んでいた。だけど幸運なことに目が覚めた¥ので、裸足のまま、リゼはとにかく火から逃げた。

 時々見慣れた黒いローブが、その中身ごと燃え盛っているのとすれ違った。向こうは動かないから、すれ違うとは言わないのかもしれない。もう動く心もそんなに残っていなかったので、何の気なしにかけてゆく。足は少し痛いかもしれない。でも、もう外に着くから……。

(やわらかい。石じゃ、ない)

 まだ火の手の回っていない草はらを、もう一度夢中になってかけた。足の裏の久しぶりの感覚に涙がポロリと溢れて、途端に嗚咽で呼吸が苦しくなってきた。

(私、泣いてるの……?)

 頑張って走ってきたから、もう、お城が崩れるのには巻き込まれないだろう。息の苦しさにしゃがみ込めば、そのまま、糸が切れたように体ごと崩れ落ちた。何も履いていなかった足にいくつも血が滲んでいた気がしたが、息が上がって体が熱くて、そちらに気がいってか少しも痛みを感じない。

「……い、おい……だ!……の子が!救…班……!」

 次第に瞼が重くなって、周囲の音も遠のいていく。少し前と同じように、誰かの足元を最後に視界が閉ざされた。ただ、さっきと違うのは――誰かがリゼを抱え上げてくれたこと。それから、その手つきが優しかったことだ。








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