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北の魔王編
冒険組合
しおりを挟む「リゼちゃーん!こっち、こっちだよ!」
受付のおばちゃんが呼ぶ声がした。リゼは身長の割に大ぶりな剣を背に、そちらに向かって歩いてゆく。ガヤガヤ賑わう木造の建物。――隣国のあの城から逃げ出したリゼの、次なる居場所となった冒険組合である。
あれから5年の月日が流れ、リゼは現在、14歳の体を手にしている。なぜこんな奇妙な言い方をするかというと――
『な、なんだってお嬢ちゃん。もう一度、もう一度聞くが――』
救出された先の病院で、歳の確認のために生まれ年を聞かれた時だった。リゼがぼんやり答えれば、町医者らしいおじさんが目を剥いて聞き返してきたので、今度ははっきりと告げたのだ。……後から聞いた話だと、あんまりにもリゼが本気の顔をしていたから子どもの冗談だとも思えなかったらしい。
『いいかい、それが本当ならね、お嬢ちゃんは今年で……108になるよ。本当に間違いはないかい?』
ひゃ、ひゃくはち……?と戸惑ったリゼは、その日の日付を聞いて、それから医者と同じように驚いて言葉を失った。リゼが孤児院に帰れなくなったあの日から、ざっと100年近くの時が流れていたのである。
「はいこれ、前回の依頼の報酬ね。……それから、これはおばちゃんから」
彼女は麻袋とサンドイッチの入った籠をリゼに渡して、にっこりと笑った。「若いのに偉いわね」なんて、リゼがもうほとんどかけられなくなった言葉を、この人はいつもくれる。ありがとう、と微笑みを返したリゼは、組合の雑談スペースに腰掛けて昼食を摂った。話しかけてくる者こそいないが、遠巻きに、ひそりと噂されているのには気づいている。
リゼの首には、金色の冒険者証がかかっている。弱冠15歳にも満たない少女にはあまりに不釣り合いなその証は、ここの冒険者として最高ランクを意味するものである。街や組合によりけりだが、大抵、冒険者にはランクがあり、それに準じた依頼を受けられるようになっている。ここはそれほど細かい位分けを行っておらず、ノーマル、ブロンズ、シルバー、それから、リゼの属するゴールド。数で言えばノーマルが半分以上を占めているが、こうやって普段から組合に姿を現したり居座ったりするほとんどは、"証持ち"と呼ばれるブロンズ以上の冒険者だ。
「おうリゼ、昼飯か?」
「……ジュード」
顔に傷のある大男が、遠巻きにされていたリゼの背をぽんと叩いた。口の中のものを嚥下してから返事をすれば、ジュードは人好きのする笑みを浮かべた。
「お前の分も買ってきたんだが……一足遅かったかな」
「ああ……わざわざすまない」
すっかり周りの大人たちの言葉が染みついたリゼは、ジュード曰く「堅苦しいなぁ男かよ」という言葉遣いらしい。確かに、受付の女性や他の冒険者たちだって、もう少し柔らかい言葉を使っているような気がする。なおす気は無い。この方がナメられないので。
「すまないって……食えるか?それおばちゃんからだろ、結構量あるやつ」
「問題ない」
昨日食べ損ねたから……と言うとやかましいことを知っているので、リゼはそこで口をつぐんでおいた。
「ならいいけど……。おい、また無理してねぇだろうな?」
「……してない」
「本当かぁ?まあ、戦闘に関しちゃ俺も心配しちゃいないが……」
そう言って骨つきのスモークチキンにかじりついたジュードの首にも、同じく、金色の冒険者証が揺れている。この男は、リゼにとっていわゆる先輩、というやつで、冒険者になりたての頃から世話になって……と言うより、そもそもあの病院まで運んでくれたのが彼だったのだ。
だからジュードは、彼だけはこの組合でリゼの秘密を知っていることになる。本当は100年の子どもだということも、あのクーデターの際に転がっていた訳ありということも。
「あ、おい。聞いたぞ。来月王都に派遣、だってか?」
「護衛と聞いている。なぜ私なのかは教えられていないが……」
「まあな。組長には、俺じゃダメなのかと聞いたんだが、」
「女の方が都合が良いのかもしれない。ジュードの顔は怖いし」
「っおい、どういう意味だよ!」
「……とにかく、ご馳走様」
リゼは受け取った肉を袋ごと、背負っていた革のリュックにしまった。匂いがつくぞ、なんて呆れ顔のジュードに、少しだけ舌を出し、ベぇっと睨め付けてやった。色々と心配してくれるのはありがたいが、口うるさいのはあまり好きじゃない。
リゼがそうして出口に向けて歩き出したのに、「気をつけて行ってこいよ」と声がかかる。視線をやると、怒っているのか妙な顔をしたジュードがこちらを見ていたので、なんとなく手を上げて応えておいた。――さあ、仕事だ。
★.。:・・.。:*・★.。:・・.。:*・★.。:・・.。:*★
「幼女趣味か?ジュード」
「ちげえよふざけんな!あいつは妹みたいなもんで……」
ギルドに残されたジュードが、照れながら手を振り返したのに揶揄いがかけられる。チッ、と舌打ちしたくなるのを我慢して返事をすれば、昼間から酒を囲んでいる連中から笑い声が上がる。
リゼは言葉遣いこそ堅いが、さっきみたいな豊かな顔を見せる時もある。森でぶっ倒れていてガリガリだった、6つも歳下の少女に今更恋慕なんてするはずもないが――その性格とのギャップで……たまになんとも言えない気持ちになる時がある。まさに今のように。
『はぁ?108だぁ?』
かつて隣国で仕事をしていた時にあった、大きな内戦。その際に転がっていたリゼを連れ帰ってきてから、ジュードは仕事に戻ることもせず、なんとなくここで冒険者として暮らし始めた。それで彼女を預けた医者がおかしなことを言うので話を聞きに行けば、目を覚ましたそいつは100年前の子どもであると分かったらしい。
なんの冗談かと食ってかかったが、少し慌てた医者は、言動や語った記憶から間違いないと言った。納得できなかったジュードは、少し考えた後、ベッドまで早足で寄っていって財布の中身をぶちまけてリゼに見せた。パンを買ってこい、と言うジュードに首を傾げていた少女は、じゃらじゃらと一枚の硬貨を探し出すとジュードを見つめた。
『銀貨しかないのに?』
……お釣りが重くなっちゃう、と続けたリゼに目を丸くしたジュードは、そこで初めて、医者へ疑った詫びをした。リゼが手にしたイル硬貨は、ジュードが父からもらい記念に持っていたものだ。実際に使われていたのは、その父や、隣の老医師でさえ生まれる前だった。
『なんでそんなことが……あの城で、なんかあったのか』
『言いたくないわけじゃないけれど……説明できることは、何もありません』
(そういやあの時、目ぇ死んでたなぁ……)
きらりと丸い、ピンクがかった乳白色から一瞬で光が消えたあの時。今でもリゼは表情が乏しいだなんだと言われてはいるが、あれと比べたら随分マシになった方だ。言葉遣いこそ、可愛げがなくなってしまったが……。
「どうだかなあ。あの歳にしちゃ発育も良いし」
「ああ、綺麗な顔して――っ、じょ、冗談だよ、冗談!」
「……」
誰かがヒィッと怯えた声を漏らした。騎士の持つような真っ直ぐな銀色が突きつけられた冒険者は、慌てて降参のポーズをとる。
「そうか。俺も冗談だ」
ジュードはそううすらと笑っては見せたが、一瞬で機嫌を悪くしたと誰もが分かった。彼はそんな周囲の畏怖を気にもしていないように自然に剣をしまうと、小さく鼻を鳴らして組合を後にした。
「……やっぱゴールドはおっかねえなあ」
「いや。ジュードは気の良いやつだが、あの子のことだけはダメなんだ。気をつけな」
災難だったな、と注がれた酒を口に含んだ男は項垂れた。まだ、首にかかった剣の風圧が生々しく残っている。ブロンズをぶら下げた男は、馬に蹴られて死ぬのはごめんだと心の中で呟いた。背にかいた嫌な汗が、じっとりと気持ち悪かった。
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