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契約成立
俺は、あまりの衝撃に、しばらく口をあんぐりと開けたまま、動くことすらできなかった。
目の前で完璧なアイドルスマイルを浮かべている美少年と、ついさっきまでよれよれのTシャツで俺の作った生姜焼き丼を三杯もおかわりしていた「もさもさ」の青年が、どうしても同一人物だと結びつかない。脳が理解を拒否している。
橘圭吾。
その名前を知らない高校生は、うちの学校にはいないだろう。
超人気アイドルグループ『Next Dimension』の絶対的センター。入学してたった数ヶ月で、その完璧なルックスと爽やかなファンサービスで学園の王子様として君臨し、女子生徒はもちろん、一部の男子生徒からも憧れの的となっている、まさに雲の上の存在。
そんな彼が、なぜ。
生活能力ゼロのポンコツで、俺の雇い主…?
「…え、あ、…は、はぁ…」
喉からかろうじて絞り出したのは、意味をなさない空気の塊だけだった。パニックで頭が真っ白になる。
「ご理解いただけたようで、何よりです。これからよろしくお願いしますね、桜井“先輩”」
圭吾…いや、橘は、悪びれる様子もなく、あくまで王子様の笑みを崩さない。その態度が、余計に現実感を奪っていく。
「い、いや、よろしくお願いしますって…無理です!」
俺は、ほとんど悲鳴に近い声で叫んでいた。
「む、むりむりむり! だって、あんた…橘圭吾だろ!? 国民的アイドルが住む家の家政婦なんて、俺みたいな一般人に務まるわけがない! 何かあったらどうするんだよ! スキャンダルとか! 週刊誌とか!」
週刊誌の名前まで口走って、ぶんぶんと首を横に振る。日給一万六千円は喉から手が出るほど魅力的だ。だけど、それとこれとは話が別だ。リスクが天元突破している。
俺の必死の訴えに、しかし、橘は表情一つ変えなかった。それどころか、すっと真顔に戻ると、どこか寂しげな瞳で俺を見つめてきた。
「…先輩の料理、美味しかったから」
「へ?」
「俺、ああいうご飯、ほとんど食べたことなくて。母さんが作ってくれたのなんて、小さい頃のパンケーキくらいしか覚えてない」
ぽつり、ぽつりと紡がれる言葉は、アイドルのそれではなく、年相応の一人の少年の響きを持っていた。
「だから、桜井先輩のご飯を食べて、なんか…すごく安心したんです。ここが、自分の家に思えた。だから、先輩がいいんです。先輩じゃないと、嫌です」
まっすぐな瞳が、俺を射抜く。
その瞳には、嘘や計算の色は見えなかった。ただ、心の底からの渇望のようなものが、静かに揺らめいている。
「それに…先輩なら、秘密を守ってくれると思ったから」
「……!」
「口が堅いのが、取り柄なんですよね? 面接のときに、そう言ってました」
それは、ほとんど殺し文句に近かった。
親の手料理を知らずに育った、寂しがり屋のアイドル。
そんな背景を突きつけられて、断れる人間がいるだろうか。いや、少なくとも、世話焼きで頼られると断れない性格の俺には、不可能だった。
それに、と俺は思う。
弟の拓海の顔が浮かぶ。母さんの疲れた笑顔が浮かぶ。
俺がこのバイトを断れば、桜井家はまた元の苦しい生活に逆戻りだ。拓海を塾に行かせることも、俺が大学へ行くことも、夢のままで終わってしまう。
(やるしかない、のか…)
リスクは計り知れない。だけど、リターンもまた、俺たちの未来を変えるほどに大きい。
何より、目の前で「先輩がいい」なんて、子犬みたいな目で言われたら、もう頷く以外の選択肢は、俺の中には残っていなかった。
「……わかり、ました」
観念してそう告げると、橘は、ぱあっと顔を輝かせた。さっきまでのアイドルスマイルとは違う、心からの嬉しそうな笑顔だった。その無防備な表情に、俺の心臓が少しだけ、ドキリと音を立てた。
「本当ですか!? よかった…」
「ただし! 条件があります」
「条件、ですか?」
「絶対に、俺に迷惑はかけないでください。俺はただの家政婦で、あんたは雇い主。それだけ。それ以上の関係にはならない。いいですね?」
これは、自分自身に言い聞かせるための釘刺しでもあった。この規格外の美少年と、同じ屋根の下で暮らすのだ。勘違いなんて、絶対にあってはならない。
俺の言葉に、橘は少しだけ不満そうな顔をしたが、すぐにこくりと頷いた。
「…分かりました。約束します」
こうして。
俺、桜井智也の、超人気アイドル・橘圭吾の住み込み家政婦としての、秘密の契約が成立したのだった。
目の前で完璧なアイドルスマイルを浮かべている美少年と、ついさっきまでよれよれのTシャツで俺の作った生姜焼き丼を三杯もおかわりしていた「もさもさ」の青年が、どうしても同一人物だと結びつかない。脳が理解を拒否している。
橘圭吾。
その名前を知らない高校生は、うちの学校にはいないだろう。
超人気アイドルグループ『Next Dimension』の絶対的センター。入学してたった数ヶ月で、その完璧なルックスと爽やかなファンサービスで学園の王子様として君臨し、女子生徒はもちろん、一部の男子生徒からも憧れの的となっている、まさに雲の上の存在。
そんな彼が、なぜ。
生活能力ゼロのポンコツで、俺の雇い主…?
「…え、あ、…は、はぁ…」
喉からかろうじて絞り出したのは、意味をなさない空気の塊だけだった。パニックで頭が真っ白になる。
「ご理解いただけたようで、何よりです。これからよろしくお願いしますね、桜井“先輩”」
圭吾…いや、橘は、悪びれる様子もなく、あくまで王子様の笑みを崩さない。その態度が、余計に現実感を奪っていく。
「い、いや、よろしくお願いしますって…無理です!」
俺は、ほとんど悲鳴に近い声で叫んでいた。
「む、むりむりむり! だって、あんた…橘圭吾だろ!? 国民的アイドルが住む家の家政婦なんて、俺みたいな一般人に務まるわけがない! 何かあったらどうするんだよ! スキャンダルとか! 週刊誌とか!」
週刊誌の名前まで口走って、ぶんぶんと首を横に振る。日給一万六千円は喉から手が出るほど魅力的だ。だけど、それとこれとは話が別だ。リスクが天元突破している。
俺の必死の訴えに、しかし、橘は表情一つ変えなかった。それどころか、すっと真顔に戻ると、どこか寂しげな瞳で俺を見つめてきた。
「…先輩の料理、美味しかったから」
「へ?」
「俺、ああいうご飯、ほとんど食べたことなくて。母さんが作ってくれたのなんて、小さい頃のパンケーキくらいしか覚えてない」
ぽつり、ぽつりと紡がれる言葉は、アイドルのそれではなく、年相応の一人の少年の響きを持っていた。
「だから、桜井先輩のご飯を食べて、なんか…すごく安心したんです。ここが、自分の家に思えた。だから、先輩がいいんです。先輩じゃないと、嫌です」
まっすぐな瞳が、俺を射抜く。
その瞳には、嘘や計算の色は見えなかった。ただ、心の底からの渇望のようなものが、静かに揺らめいている。
「それに…先輩なら、秘密を守ってくれると思ったから」
「……!」
「口が堅いのが、取り柄なんですよね? 面接のときに、そう言ってました」
それは、ほとんど殺し文句に近かった。
親の手料理を知らずに育った、寂しがり屋のアイドル。
そんな背景を突きつけられて、断れる人間がいるだろうか。いや、少なくとも、世話焼きで頼られると断れない性格の俺には、不可能だった。
それに、と俺は思う。
弟の拓海の顔が浮かぶ。母さんの疲れた笑顔が浮かぶ。
俺がこのバイトを断れば、桜井家はまた元の苦しい生活に逆戻りだ。拓海を塾に行かせることも、俺が大学へ行くことも、夢のままで終わってしまう。
(やるしかない、のか…)
リスクは計り知れない。だけど、リターンもまた、俺たちの未来を変えるほどに大きい。
何より、目の前で「先輩がいい」なんて、子犬みたいな目で言われたら、もう頷く以外の選択肢は、俺の中には残っていなかった。
「……わかり、ました」
観念してそう告げると、橘は、ぱあっと顔を輝かせた。さっきまでのアイドルスマイルとは違う、心からの嬉しそうな笑顔だった。その無防備な表情に、俺の心臓が少しだけ、ドキリと音を立てた。
「本当ですか!? よかった…」
「ただし! 条件があります」
「条件、ですか?」
「絶対に、俺に迷惑はかけないでください。俺はただの家政婦で、あんたは雇い主。それだけ。それ以上の関係にはならない。いいですね?」
これは、自分自身に言い聞かせるための釘刺しでもあった。この規格外の美少年と、同じ屋根の下で暮らすのだ。勘違いなんて、絶対にあってはならない。
俺の言葉に、橘は少しだけ不満そうな顔をしたが、すぐにこくりと頷いた。
「…分かりました。約束します」
こうして。
俺、桜井智也の、超人気アイドル・橘圭吾の住み込み家政婦としての、秘密の契約が成立したのだった。
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