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疲弊したアイドルくんへの雑炊
ある日のこと。
学校の帰りに、また女子たちが圭吾の噂話をしているのを耳にした。
「橘くんって、本当にすごいよね。いつもキラキラしてて、疲れた顔とか見たことないもん」
「わかる!悩みとかなさそうだよねー。完璧すぎて、同じ人間とは思えない!」
完璧、か。
俺は、その言葉を心の中で反芻する。
彼女たちは知らない。
彼が、家に帰ってきた時、どんなに疲れた顔をしているか。
ソファに倒れ込むようにして、「先輩…疲れました…」と、か細い声で呟くことを。
一人でテレビを見ている時、ふと見せる横顔が、ぞっとするほど寂しげな色を浮かべていることを。
俺だけが、知っている。
彼の完璧な仮面の下にある、脆くて、人間らしい素顔を。
その事実は、俺の胸に、ちくりとした優越感と、それ以上に大きな庇護欲を芽生えさせていた。
放っておけない。
俺が、この手のかかる王子様の面倒を見てやらなければ。
そんな気持ちが、日に日に大きくなっていくのを、俺は自覚していた。
その夜、圭吾はいつもよりずっと遅くに、仕事を終えて帰ってきた。時刻は、もうすぐてっぺんを回ろうとしている。
「…ただいま、です…」
リビングのドアを開けて入ってきた彼は、今にも倒れてしまいそうなほど、ぐったりと疲れ切っていた。顔色も悪い。
「おかえり。遅かったな。大丈夫か?」
「はい…なんとか。すみません、夕飯、もういらないです。食欲なくて…」
そう言って、力なくソファに身体を沈める。
いつもなら、「お腹すきました!」と真っ先に食卓につく彼が、食欲がないと言うなんて、よほどのことだ。
「…そうか。じゃあ、シャワー浴びて早く寝ろよ。着替え、出しといてやるから」
「…ありがとう、ございます」
ふらふらとした足取りでバスルームへ向かう背中を見送りながら、俺はキッチンに立った。
食欲がないなら、無理に食べさせる必要はない。だけど、このまま何も食べずに寝かせてしまうのは、なんだか落ち着かなかった。
俺は、鍋に昆布と鰹節で丁寧に出汁を取り、少量のご飯と、溶き卵を流し入れた。塩と少しの醤油で味を調え、刻んだネギを散らす。
身体が温まって、胃に優しい、卵雑炊。
俺が風邪をひいた時に、母さんがいつも作ってくれたものだ。
圭吾がシャワーから上がってくる頃、ちょうど雑炊が完成した。
「橘。これだけでも、少し食べとけ」
ローテーブルに、湯気の立つ土鍋を置く。
圭吾は、バスローブ姿のまま、ぽかんとした顔でそれを見ていた。
「…これ…」
「雑炊。食欲なくても、これくらいなら入るだろ。身体も温まる」
「…………」
圭吾は何も言わず、ただ、じっと土鍋を見つめている。その大きな瞳が、ゆっくりと潤んでいくのが見えた。
「…あったかい…」
レンゲで一口分をすくい、ふーふーと冷ましてから、ゆっくりと口に運ぶ。そして、ぽつりと呟いた。
「…すごく、優しい味がします。なんだか、お母さんの味みたいです。…食べたこと、ないですけど」
その言葉に、俺は胸を締め付けられた。
圭吾は、ゆっくりと、一口一口を確かめるように、雑炊を食べ進めていく。やがて、空になった土鍋を見て、ふわりと、花が咲くように笑った。
それは、いつものアイドルスマイルでも、俺に甘える時の子供っぽい笑顔でもない。
心の底から、何かが満たされたような、穏やかで、幸せそうな笑顔だった。
「先輩」
「ん?」
「俺、先輩がこの家に来てくれて、本当に、よかったです」
まっすぐな瞳で、そう言った。
その瞬間、俺の心臓が、これまでで一番大きな音を立てて、ドクン、と跳ねた。
顔に、一気に熱が集まる。
ただの、世話の焼ける雇い主。
手のかかる、弟みたいな後輩。
そう思っていたはずなのに。
彼のその笑顔に、その言葉に、どうしようもなく、心が揺さぶられている。
これは、ただの庇護欲だろうか。
それとも――。
俺は、自分の胸に芽生え始めた、この新しい感情の名前を知らないふりをして、ただ、照れ隠しに「そ、そうかよ。さっさと髪乾かして寝ろ!」と、ぶっきらぼうに返すことしかできなかった。
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