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第1章
第27話:自分の居場所
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厳かな焔木本家の奥座敷――。
磨かれた床、障子越しに差し込む柔らかな光、その中に二人だけがいた。
「海人、お前も一族に復帰したのだ。今日から本家で共に過ごすとよい。それとも自分の家に戻ることを望むか?」
焔木宗真の声は、低く、理知に満ちていた。
怒りも苛立ちもない。ただ、静かな口調だった。
だが、海人は即座に首を横に振った。
「その必要はありません。俺は“あの場所”に戻ります。六年いた幽閉場所に――」
宗真の目が細くなる。
「……冗談のつもりか?」
「冗談であんな場所で六年も生きられませんよ。あそこは妙に落ち着くんでね」
一瞬、空気がぴたりと凍った。
宗真の表情は崩れない。ただ、瞳の奥に、ごくわずかに翳りが走る。
「……本家を避けるのは理解できる。だが、育った家まで拒むつもりか?」
海人はまっすぐにその視線を受け止める。
目を逸らすことも、戸惑いも見せず、静かに、まるで他人事のように言葉を返す。
海人は視線をそらさず、静かに答える。
「六年間、俺を閉じ込めておいて今さら戻れと言われても――そこに帰属意識なんてあるわけがないでしょう。俺にはもう焔木に戻る場所は必要ない」
「それは、実父・厳山への拒絶も含まれるのか?」
海人のまなざしが鋭くなる。
「……あの人は、一度も会いに来なかった。たとえ立場があっても、方法がなかったとは思えない。結局は“家”を守るために、息子を切り捨てただけでしょう」
「ならば、好きにするがいい。だが“焔木海人”という名を背負う限り、焔木はお前を放ってはおけん。その覚悟は、忘れるな」
海人は苦笑した。
「覚悟はとっくにできてます。だから、俺は幽閉されてたあの場所に戻ります。皮肉なもんで……あそこが一番落ち着くんです。六年もいたら、さすがに愛着も湧きますよ」
そう言い残すと、海人は部屋をあとにした。
その背を、宗真は無言で見送った。
宗真は一人、静かに廊下を歩いていた。足音は畳の上で吸われ、まるで心を映すかのように重たい。
向かった先は、本家の一角にある書院。
そこは焔木厳山の私室だった。
襖を開けると、書棚に囲まれた静謐な空間の中で、一人の男が筆を走らせていた。
その背は、以前よりもわずかに小さく、だが姿勢には芯があった。
「……厳山」
宗真の呼びかけに、男は筆を置き、ゆっくりと振り返る。
焔木厳山。一族随一の剣士と謳われ、今もなおその名は強い影響力を持つ。
「どうでしたか、海人は」
宗真は一呼吸置き、簡潔に応えた。
「見違えるほど、強くなっていた。お前が思っている以上にな。そして自由に身になった今でも幽閉場所への帰還を希望した」
厳山の眉がわずかに動く。
「そうですか……」
「止めなくてなかったのか?」
宗真が問うと、厳山はゆっくりと目を閉じた。
「……止めて無駄でしょう。私はあいつに、何もしてやれなかった」
「それでも父親だろう」
「父親としての義務を捨てたのは、私だ。幽閉を止めることもできた。……いや、“しなかった”と言うべきだ」
厳山の声には、揺るぎない自己批判の色がにじむ。
「だが、あいつは生きて帰ってきた。しかも、ただ生き延びただけじゃない。何かを掴んで帰ってきた。ならば、それを支えるのが今の私の役目かもしれん」
宗真は、そんな厳山の背を見つめながら言った。
「お前が直接、話すべきじゃないのか? まだ遅くはない」
厳山は首を横に振る。
「……いや、あいつが本当に心から必要としてくるまで、私はこのままでいい。今、私が言葉をかけても、海人には届くまい」
宗真は沈黙のまま頷き、そして歩みを止める。
「だが厳山。あいつは、いずれ本家を揺るがす存在になるかもしれん。……あの眼を見ればわかる。場合によっては敵に回る可能性もある」
「その時は私が責任を持って海人を斬るまで」
厳山はそう言い切り、再び筆を手に取った。
(……どこまでも不器用な男だ)
宗真はその背に、静かな覚悟を見た。
そして胸の奥で、ひとつの予感が形を取る。
――焔木海人。あの少年の歩む道は、やがて焔木一族を根底から変えていく。
そのとき、宗真もまた、当主としての覚悟を問われるだろう。
磨かれた床、障子越しに差し込む柔らかな光、その中に二人だけがいた。
「海人、お前も一族に復帰したのだ。今日から本家で共に過ごすとよい。それとも自分の家に戻ることを望むか?」
焔木宗真の声は、低く、理知に満ちていた。
怒りも苛立ちもない。ただ、静かな口調だった。
だが、海人は即座に首を横に振った。
「その必要はありません。俺は“あの場所”に戻ります。六年いた幽閉場所に――」
宗真の目が細くなる。
「……冗談のつもりか?」
「冗談であんな場所で六年も生きられませんよ。あそこは妙に落ち着くんでね」
一瞬、空気がぴたりと凍った。
宗真の表情は崩れない。ただ、瞳の奥に、ごくわずかに翳りが走る。
「……本家を避けるのは理解できる。だが、育った家まで拒むつもりか?」
海人はまっすぐにその視線を受け止める。
目を逸らすことも、戸惑いも見せず、静かに、まるで他人事のように言葉を返す。
海人は視線をそらさず、静かに答える。
「六年間、俺を閉じ込めておいて今さら戻れと言われても――そこに帰属意識なんてあるわけがないでしょう。俺にはもう焔木に戻る場所は必要ない」
「それは、実父・厳山への拒絶も含まれるのか?」
海人のまなざしが鋭くなる。
「……あの人は、一度も会いに来なかった。たとえ立場があっても、方法がなかったとは思えない。結局は“家”を守るために、息子を切り捨てただけでしょう」
「ならば、好きにするがいい。だが“焔木海人”という名を背負う限り、焔木はお前を放ってはおけん。その覚悟は、忘れるな」
海人は苦笑した。
「覚悟はとっくにできてます。だから、俺は幽閉されてたあの場所に戻ります。皮肉なもんで……あそこが一番落ち着くんです。六年もいたら、さすがに愛着も湧きますよ」
そう言い残すと、海人は部屋をあとにした。
その背を、宗真は無言で見送った。
宗真は一人、静かに廊下を歩いていた。足音は畳の上で吸われ、まるで心を映すかのように重たい。
向かった先は、本家の一角にある書院。
そこは焔木厳山の私室だった。
襖を開けると、書棚に囲まれた静謐な空間の中で、一人の男が筆を走らせていた。
その背は、以前よりもわずかに小さく、だが姿勢には芯があった。
「……厳山」
宗真の呼びかけに、男は筆を置き、ゆっくりと振り返る。
焔木厳山。一族随一の剣士と謳われ、今もなおその名は強い影響力を持つ。
「どうでしたか、海人は」
宗真は一呼吸置き、簡潔に応えた。
「見違えるほど、強くなっていた。お前が思っている以上にな。そして自由に身になった今でも幽閉場所への帰還を希望した」
厳山の眉がわずかに動く。
「そうですか……」
「止めなくてなかったのか?」
宗真が問うと、厳山はゆっくりと目を閉じた。
「……止めて無駄でしょう。私はあいつに、何もしてやれなかった」
「それでも父親だろう」
「父親としての義務を捨てたのは、私だ。幽閉を止めることもできた。……いや、“しなかった”と言うべきだ」
厳山の声には、揺るぎない自己批判の色がにじむ。
「だが、あいつは生きて帰ってきた。しかも、ただ生き延びただけじゃない。何かを掴んで帰ってきた。ならば、それを支えるのが今の私の役目かもしれん」
宗真は、そんな厳山の背を見つめながら言った。
「お前が直接、話すべきじゃないのか? まだ遅くはない」
厳山は首を横に振る。
「……いや、あいつが本当に心から必要としてくるまで、私はこのままでいい。今、私が言葉をかけても、海人には届くまい」
宗真は沈黙のまま頷き、そして歩みを止める。
「だが厳山。あいつは、いずれ本家を揺るがす存在になるかもしれん。……あの眼を見ればわかる。場合によっては敵に回る可能性もある」
「その時は私が責任を持って海人を斬るまで」
厳山はそう言い切り、再び筆を手に取った。
(……どこまでも不器用な男だ)
宗真はその背に、静かな覚悟を見た。
そして胸の奥で、ひとつの予感が形を取る。
――焔木海人。あの少年の歩む道は、やがて焔木一族を根底から変えていく。
そのとき、宗真もまた、当主としての覚悟を問われるだろう。
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