恋の温度とキスの蜜

未知之みちる

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第十話

(一)

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 その晩、雫は全然寝付けなかった。翔とのことがまだくすぶっているのに、頭の中には壮がいた。翔の感覚がまだ残っているのに、心の中を占めていたのはやはり壮で、壮としたキスの心地好さの安心感が占める。
 今までで一番優しかった翔のキスよりも、壮のキスの方がやっぱり優しい。
 そんな壮にわがままを言った自分をひたすら責めた。
 壮が言った「したい」の意味がなにを示していたのか考えると、きっとおかしな目で壮を見つめてしまっていただろう。そんな自分が嫌だった。
 壮がいつだってなにかを我慢していることは流石にわかっている。それを知りながら甘えた自分も嫌いだ。
 きっと壮まで傷付けてしまった。
 感情的でないにしろ、わがままで片付けてほしくないと言った壮の気持ちを考えたら、自己嫌悪しか生まれない。
 もうダメかもしれない。なにもかもがダメになってしまったかもしれない。全部自分のせいなのに、悲しくて仕方がない。
 頭の中がごちゃごちゃし過ぎて整理がつかなくなってきた。枕に顔を押し付けると、雫はぐすりと泣いた。


 翌朝、いつもの場所に翔はいない。当たり前を当たり前じゃなくした自分に後悔してもなにも変わらないし、誰もが苦しいままにいなくちゃいけなくなる。
 とぼとぼと寝不足のまま初めてひとりで歩く通学路の景色がいつもと違う。翔の横で笑って、翔の手の温もりを感じながら歩いていた道はいつだって素敵に映っていた。
 今日、自分は笑っていられるだろうか。
 無理をしてでも笑っていないと誰も報われない。頑張らなければと自分に言い聞かせる。
 そんな無理を今までも無意識にしていたことなど雫はわかっていない。本当はもう無理をしなくてもよかった。
「おはよう、雫」
 ぽんと頭を撫でて壮が追い越していった。
 壮はいつも通りだ。昨日の壮も含めて壮はいつも通りだと思ったら、自分が腹立たしくなった。
 時々難しいことを言う壮をきちんと自分は理解しようとしていなかった。けれども、わからないものはわからない。
 わがままで甘えん坊な自分をそろそろ卒業しなくてはならない。
 ひとつ、少しだけ大人になったのだから、考えていかなければいけないとは思う。
 ただ、その方法がなにか、どうしても雫はわからなかった。


 校門で浩に会った。
「おはよう、浩君」
 首を傾げた後、浩が微笑んだから雫もなんとなく微笑むことが出来た。
「おはよう。相田ちゃんひとりで来たの?」
「うん」
「そう」
 それだけで浩はなにがあったのかわかってしまったが、余計な詮索《せんさく》をするつもりない。それが彼の在りたい形だった。
 自分の気持ちは誰にも打ち明けないと決めている。とっくに鍵を閉めてある。だから元気がないように見える雫の頭をふんわり撫でる。
 雫は浩のお陰でいつもの笑顔でたわいない会話をしながら教室に入り、いつもと変わらない笑顔を作り続けた。きっと三人にはバレていると思うけれども、そうするしかない。さりげない気遣いが嬉しくてほんのちょびっとだけ笑顔でいるのが楽になった。
 ただ、勇利には効かなかった。顔を合わすなり慄いた。
 遂に別れたのかと思いつつ、落ち込んでいるだろう雫がいつもの振る舞いを見せる姿が勇利は怖い。せめて自分が絡まれないことを祈るばかりだ。
「相田ちゃんは今日も可愛いわねー」
 小百合が言うと、えへへと雫がはにかんだ。
 雫が無理をしているのはわかっているけれど、雫はそうしていたいだろうから、小百合も雫がそうしていられるようにしてあげる。
 なんだか最近、相田ちゃん事件簿に付けられない事件が多いなと光助は思う。
 どうなにがあってそうなったのかは知らないけれど、付き合いが長い分、光助も雫がどうしようもなく無理をしているのはわかる。そして少しだけ雰囲気も違う。
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