恋の温度とキスの蜜

未知之みちる

文字の大きさ
上 下
66 / 96
第十二話

(四)

しおりを挟む
 大人になりたくなんてなかった。けれどなってしまった。知ってしまった。自分がそういう時、大人になってしまうことも知った。正に今、そうあったように。
 あの感覚は嫌なものではなく気持ちのよいものであったのは確かだった。


「でも……あたし」
 少し泣きそうな声で雫は言った。言いたいことは充もなんとなく悟れた。
「そんなもんだよ。相手が余程嫌な奴じゃなけりゃ、結局はさ」
「あたし……嫌だ」
 魔が差しそうになった充が思わず悪いと謝ったら、雫は首を振った。
「充君、謝らないでよ。きっと、あたしが悪いの」
 子供くさいくせに、雫がやたらとその時だけ大人っぽい言い回しをした。
 本当に色々と大人になっていく順番を間違えさせられてしまったんだ。そんなところまで破天荒になる必要はない。
「好きな奴でも別に出来た?」
「ううん、そういうのじゃないの……でも一緒にいると安心する人はいるよ。充君と少しだけ似てるの」
 その誰かに恋をしてるのではないか。しかし充は言わない方が良い気がした。
「あたし、嫌だ。その人優しいから、さよならした人と違って……わがまま聞いてくれるけど、キスしたりもっと他のこともしてほしくなっちゃうの。いつもごちゃごちゃする」
 取り敢えず、その誰かは雫のことが好きで大切なんだろう。自分と違って生真面目なのだろう。
 他のこともしてほしいと思ってしまうと言った雫に、やっぱり今しといた方がよかったのかもしれないとも思わなくはなかった。きっと、どうしてその相手とそういうことをしたくなるのか気付ける。
 それにしても、さっきから雫は自分を卑下するようなことばかり言う。
「あんまさ、自分のこと、悪いとかずるいとか思わない方がいいぜ。お前っていつも誰かに気遣ったりしてんじゃん? 甘えたりわがまま言っちゃったりするのって自分らしくいられてるってことだと思う」
 充にそう言われると、胸の突っかかりが少しだけ消えた。
 やっぱり少しだけ壮みたいだなと思った。
 雫は充が自分よりも大人であることがわかった。大人だなあと時々感じる壮も、子供っぽい自分と比べるととても大人なのだと感じた。少し大人になってきたはずの自分よりずっとずっと大人だ。
「ねえ、充君。充君はどうしてあんなことあたしにしたくなったの?」
 悪いのは自分だとわかっている。けれども雫は聞いてみた。
「あんな顔と反応されたら我慢出来なくなる」
 自分の反応も充の反応も単純過ぎる。単純過ぎて逆によく理解できず、雫は自分の感覚に不安になった。
「お前、気をつけた方が良いよ」
 充がそう言うと雫は首を傾げた。
「ちびっこいしガキくさいようでもさ、時々すげえ女の顔してる」
「女の顔?」
「大人びてるってこと。俺が言うのもなんだけど、そういう対象に普通に入るよ。ホントそんなことをお前なんかにする気なんてないんだ。俺の理性を敬え」
「うん……」
「で? そのもっとしてほしくなっちゃう相手って何歳だよ?」
「三年生」
 雫がそう言うと、充がため息を吐いた。
「そいつさ、絶対いろいろ我慢してんぜ」
「どうして?」
「聞いてると、そいつ、お前のこと好きだろ。 違うか?」
 雫は俯きながら言った。
「……うん。何回か言われた。けど最近は言わない」
「一緒に居るってことはさ、まだお前のこと想ってんじゃね?」
「そうかなあ」
 哀しそうな顔で雫が言ったから、やっぱり雫はその誰かのことが好きなんだろうと充は確信した。
「お前のこと、大事なんだよ。だから色々我慢すんだよ」
「そういうもの? ねえ、あたし、傷付けてないかな? 」
 わがままを言ってしまうことに対しても。壮とふたりきりで居ると、どうしてもそんな風に甘えてしまう。
「そんなのわかるかよ、俺に」
「そうだよね……好きだって言ってくれる度にあたし悲しくなるの。どうしてかわからないけど」
 そしてまた頭の中がごちゃごちゃするのだ。心の中はごちゃごちゃし過ぎて、もうよくわからない。
「お前、そいつに好きだって言われると辛いの? なんで辛いのか考えた方がいいよ。時々言うお前のわかんないわかんないて、考えるのから逃げてんじゃね? 取り敢えず今日のことは俺、反省してる。お前も反省しろよ。帰るぞー」
 よいしょと腰を持ち上げた充は立ち上がらない雫に気付くと、向かいに屈み込んで至近距離で目を合わせてみた。
 先程のような顔をしない雫はやっぱりその誰かに夢中なのだろう。
 その誰かが恋しそうな瞳を湛えていた。切なそうに。
しおりを挟む

処理中です...