恋の温度とキスの蜜

未知之みちる

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第十七話

(五)

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「あれ? 壮君どうしているの?」
 着替えて玄関にやって来た雫がぽかんと壮を見ている。
「慌てて着替えてそうだから、待ってればいいかなあと思って」
 そう言うと、壮君はエスパーだ! と騒いだ。
「はいはい、そんなわけないでしょ。うちくるの? どーするの」
「行きなさいよ」
 間髪入れずに透子が口を挟んだ。
「むしろ、草太も雫もうるさくて面倒くさいからあんまりうちでいちゃいちゃしないでよ」
「お母さん、ひどい! それにいちゃいちゃってなに!」
 始まったかと壮はため息を吐いた。雫がこうなったのは確実に透子のせいだろうと思う。
取り敢えず、自分のせいではないと思いたい。
 眺めていて面白いことこの上ないし、一応自分は巻き込まれてはいない。話題が自分のことなのは今更だ。
 壮は珍しくこのじゃれ合いをしばらく眺めていた。
「透子さーん、もう良い?」
 だんだん自分たちが哀れになってきて、壮は止めた。
「はいはい、バカップルはさっさとお行きなさーい」
 そんな捨て台詞をいただきながら壮と雫は相田家を後にした。


「俺着替えてくるからそこでちょっと待ってて」
 そう言うと、壮は雫を玄関に残して部屋へ引っ込んでいった。
 さっきまで散々壮を待ちぼうけさせていたくせに、今日は待ちぼうけばかりだと雫は思った。
 上がりかまちの段差に腰を下ろし、膝に肘を置いて頬杖をついて考えてみる。
 本当は待っていたかったあの時も、夏休みも、卒業式の後の今日も、全部待ちぼうけ。
 壮はもっと待ったのかなと思うと切なくなった。
「……なに考えてるの?」
 しゃがみ込んで壮が雫の耳元で言った。考え事をしていた雫は驚いてびくりとした。びっくりし過ぎて目に涙が浮かんでいる。悪戯しようというつもりでなかったから、壮の方がびっくりだ。
「ご、ごめん! わざとじゃないんだ!」
 思わず言い訳して靴を履き、雫が立ち上がるのを待つが立ち上がってこない。見遣ると、上目遣いで壮を睨んでいる。
「壮君のこと、考えてたの!」
 そんな風に言われるとなんだか気恥ずかしい。壮はほらとぶっきら棒に手を差し出した。
「どこ行くの?」
「あそこの公園」
「お散歩?」
「お散歩、とはちょっと違うかな」
 壮がそう返すと雫はふーんと言った。
「……良い思い出がない」
 恨めしそうに壮を見上げた後、ぐっと手を取って漸く立ち上がった。
「……悪かったよ、色々」
「どれを悪かったと思ってるのかわからない!」
「あー、もう。どれもこれも全部悪かったよ!」
 玄関を出ながら、でも、と雫が言った。
「あたしも悪い子だから」
 そう呟いた。
「雫はちゃんと良い子だよ」
 そう言ってやると、雫は少し戸惑っているようだったがにこりと笑ったから、壮は手を離して頭を撫でてあげた。
 照れくさくてさっさと歩きだした壮の後ろを雫が追いかけていく。
 小さい頃と逆だな、と雫は思った。
 壮が追いかけてくるから雫は逃げる。逃げるから壮が余計に追いかける。壮君のバカ! と言ってえんえんと泣いて、最後は笑顔にしてくれる壮のことは嫌いじゃなくて好きだった。
 居なくなってしまう時、胸がいっぱいになって、それがどういう意味か今ならよくわかる。
 夏休み、あの時も胸がいっぱいだった。好きな気持ちが全身から溢れそうなほど壮が大事だと思った。
 そんなことを思いながら、自分よりもずいぶん大きな背中を見つめて追いかける。
 壮がちらりと後ろを見遣ると、ものすごく嬉しそうな顔で雫が後を付いてきていた。思わず、笑いが込み上げる。
「壮くーん、どうしたの?」
 なんでもないと壮は答えた。すると雫は早足で壮の隣に来て手を絡めてきた。
「どうしたの?」
「こういう気分になったの!」
「あ、そ」
 適当に返すと、壮君てばひどい! と文句を言われた。


 公園に着くと、まだ子供達が遊んでいる時間帯で、手を繋いでいたふたりを見るなり近所の下の子たちが寄って来た。
「壮にいちゃん、やーっと雫ねえちゃんと両思いになったんだー!」
 にやにやと今更それを言われて、ふたりはぐうの音も出ない。
「つか、デート? デートだデート!」
 そんな風に男の子たちが騒ぎ立てる。 
 その横で女の子がきらきらした目で自分たちを見ている。
 眩しい。なんだか眩しいと、壮だけでなく流石に雫も思った。
「おい、見せもんじゃねーんだよ、俺らは」
 壮がやれやれとそう言うと、見世物だと囃し立てられる。散々囃し立ててから、子供達は家に帰るために去って行った。邪魔しちゃ悪いよなーと言いながら。
 自分のことはこの際棚にあげるが、この近所のガキって本当にみんなませてるなと壮は思う。小二にもなって、雫は俺のお嫁になるんだ! と言い張っている草太の方がまるで普通に見える。
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