永遠故に愛は流離う

未知之みちる

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溢れて零れ出したもの

( 二 )

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「俺はこの音源、嫌いじゃないよ」
 甲斐の内心を見透かすように誠が言った。
「どうして? 俺はやだ」
 理由も言わずに同意を得ようとしていたのが間違いだったのだ。しかし、だったら「嫌いじゃない」理由も知りたくなった。
 感性なんて人それぞれだし、誠が音楽に精通しているわけでもない。それにこの音源はテクニックが酷いという理由で甲斐が嫌ったわけでもなかった。
 なにかが溢れて零れ出しそうな音がする。自分の音であることは明確なのに、まるで自分らしくない。
 大切なものをそっと抱きしめて零れないように奏でるのが好きなのに。

「なにかが溢れて零れ出しそうな音」

 甲斐が考えていたこととまるで同じことを誠が言った。
「ちなみに、零れ出しそうって表現がみそ」
「零れ出したら困るから嫌なんだよ」
「怖いの?」
「そう、怖いの」
 恐れ知らずの甲斐を揶揄おうと思って吐いた問いの答えは素直過ぎて、やたらと重く誠の耳に残った。
 甲斐に怖いものがないわけではなく、怖いものがあるから彼はその前に理屈を並べるのかもしれないと思った。怖いと思っている自分を自分自身へすら隠し、人に見せない知らせない。
 怖いなどという言葉が甲斐の口から出てくるなんて、と誠は思った。聞いたのは自分、相手も自分とはいえ、驚いた。
「お前がちゃんとただの人間で良かった」
 そんな風に言ったものの、誠は内心申し訳なくなった。彼がこのCDをかけなければ、甲斐のなにかが零れてしまうことはなかったのだ。
「あのさ、どうしてみんなして俺のこと仙人みたいって言うの」
 ナルシストと共に常々疑問だったことを甲斐が口にしてみたら、誠にはそれがひどく淋しそうに聞こえた。
 甲斐だってみんなが言いたいことはわからないでもないのだ。達観しているように見えると言いたいのだろう。彼にしてみれば、理屈でなんでも整理して生きているだけだ。自分の部屋の本棚よりもきっと綺麗に整理されているとは思う。
 達観しているようだと形容されるなら構わないが、達観してると思われるのはさすがに嫌気がする。
「甲斐、細かいこと気にする男は嫌われるってゆーだろ」
「仙人と一括りにされることは全く細かくない。むしろ大雑把でしょ。括りが大き過ぎ。仙人に失礼でしょ、こんなただの人間混ぜちゃ。そもそも、なんなの俺」
 珍しく捲し立てるように話す甲斐に、誠は顔色変えずに言った。
「そんなに一気にしゃべって疲れない?」
 すると甲斐は、疲れてないと呟いた。
 疲れはしないが、少し遣る瀬無かった。
 彼は零れそうなものが零れてしまったらと考えるとひどく恐ろしい。しかし零れてしまったものはもう遅い。これ以上は嫌だからCDを強奪し帰ることにした。
「……ごめん、今度一枚なにか持ってくるね」
 半ば無理やり奪ったくせして、しおらしく誠の元を去っていった。
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