永遠故に愛は流離う

未知之みちる

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遠くを待つ者と遠くを見つめる者

( 三 )

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 ラストオーダーが終わる時間帯に突然店のドアが開けられ勢いよく入って来たのは誰か。見なくても想像がついた。
 入って来ると同時に、「こんばんは」や「おつかれ」の代わりのように、「聞いてよ!」と言う。
 背後で聴こえた案の定の玲二の声に、神田が顔を顰めた。いつも通りの玲二の勢いに甲斐が苦笑いを浮かべる。
 神田は面倒くさいから帰ってしまおうかとも思ったが、ショットグラスにはまだ殆ど口を付けておらず、流石に甲斐に申し訳ない。ひとまず我慢することにした。
「……レイちゃん、聞かないけど一杯だけならまだいいよ」
 まるで代わりに神田が聞くからとでも聞こえそうな甲斐の言い方に、神田は逃げ出したくなった。そうして玲二がじいっと自分を見ている。ひとりで相手をするよりましかと彼は諦めた。
「甲斐に任せる」
 甲斐が注文を伺う前に玲二が言った。
 彼はこういう時間に誰かが押しかけてきて任せると言われると、必ずロングアイランドアイスティにする。相手の好みは無視、さっさと酔ってさっさと帰れよという皮肉だ。
 皮肉とは裏腹に彼はロングアイランドアイスティを作るのが好きだった。彼には拘りの配分がある。故に、この店のこのカクテルは他の店と少しだけ味わいが違う。シェイカーを振る必要がない代わりに各リキュールの配分に拘ってみた結果だ。全く甲斐らしいとみんな思う。


 甲斐がさっさと玲二のカクテルを作っている間、神田と玲二は二つ分の座席を挟んで睨めっこをしていた。
「レイちゃん、どうぞ。ていうかさ、二人ともさっきから何してるの?」
 聞いてくれなさそうな甲斐から玲二はとっくに神田へ矛先を向けていて、神田は神田で絶対に俺は聞かないと目で訴え続けている。
 珍しく頑なな視線に、玲二も話しだせなくて、けれどもやはり話したい、聞いてほしい。誰かに聞いてほしいからここに来たのだ。
 甲斐といえば、二人を放って、というよりも神田に全て押し付けて店の片付けを始めている。遂に洗わずに放置していたグラスの山に手を付けた。
 神田が玲二に話をさせないのには理由があった。彼の話の内容次第では、甲斐が一瞬で大量にグラスを割るのではないか。そんな気がして止まない。
「……かん、ひどい」
 拗ねた玲二が寂しそうにぽつりと言ったから、神田は罪悪感を覚えながら小さく甲斐を指差した。
「甲斐、なにかあったの?」
「いや、わからん」
 わからないなりに察した玲二は静かに話しはじめた。賑やかじゃなければ神田も聞いてやらないこともない。いや、何だかんだでいつだって玲二は押し切ってくる。
「ねえ、かん。俺、いつまで待てばいいの?」
 玲二の一言目のそれに、神田はため息を吐いた。察したと思ったのは勘違いかもしれない。思い切り神田は玲二を睨みつけた。
「ちゃんと聞いてよ、かん!」
 甲斐に聴こえないくらいの声量でちゃんと話しかけたつもりだった玲二が神田の反応に結局いつものトーンで文句を言った。
「かんちゃーん、ちゃんと聞いてあげて」
 洗い物をしながら甲斐が押し付けてくるから、神田は今度は苦虫を潰し、そしてバーボンを舐めた。煙草を加えて火を点けて、それから「あのさ」と玲二に投げかけた。
「別にお前だけじゃないんだよ、待っているのは」
 この言い方に玲二は拗ねると思う。けれども今、神田はこの言い方がしたかった。
 玲二は拗ねなかった。「わかってるよ……」とやたらとしおらしい声が返ってきた。
 線の細い玲二はおとなしいとひどくナイーブな印象を他人に与える。それが彼の本質だけれども、よく知らない者には理解されていない。玲二の毒舌は繊細さから生まれてきていると甲斐や神田は思う。
「一番辛いのは誰かなんてわかってるよ、俺だって。俺が一番辛いんじゃないってちゃんとわかってる」
 甲斐にはちゃんと聴こえていないことを神田は確認した。
 やたらと玲二が切なそうな顔をしている。
 玲二は情が深い。それだけに今、ひどく自分の気持ちを誰かの気持ちと重ねてしまっているように神田には見えた。
 甲斐に重ねているようで違うようにも見える。
 彼が誰に自分の思いを重ねているのか、神田にはその時よくわからなかった。わからなかったから、言葉が出てこなかった。慰める一言もなにも。
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