永遠故に愛は流離う

未知之みちる

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巡る季節が訪れた時に必要なもの

( 六 )

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「姉さんでも悩むことってあるんだ」
 ある日突然、脈略もなく奏が言った。 
 一瞬天音は面を食らったが、奏に弱みを握られた悔しい気分になりながら言い返した。
「悩まない人間なんていない」
「あたしはあたしだからって高笑いする人間に言われても信憑性ない」
 ばっさりとそう言い切った奏に天音は顔を顰めた。天音の意地はあっさりと打倒された。
 奏は自分の理想を天音に押し付けるつもりはない。
きっと最初は理想を抱いていた。けれども天音という姉はどこまでも素顔を突き通す。そこに理想を求めるのは馬鹿げていると直ぐに気付いた。
 しかし理想を抱いたままの自分もいることはとは違いないなく、そんな自分を今更否定する気はない。
「姉さんてさ、複雑なものが好き過ぎて飽きれる」
 天音はきょとんとした。
 無自覚というのはまるで怖い。彼女は無意識に自分へ嘘を吐く。
 まるで無自覚な彼女はやはり綺麗だと奏は思うが、助けてと言わない彼女を助けるつもりはない。いつだかの歪んだ顔で突き放した自分を天音も歪んだ顔で突き放した。それで構わない。
「考えることって楽しいじゃない?」
 悩ましい顔付きで目を輝かせる天音の矛盾を間抜けだなと思いながら奏は彼女を茶化した。
「だから勉強がお友達」
「じゃあどうして?」
「なにが?」
「奏はいつもなにかに悩んでる。抱えきれないくらい悩んでいるのに人に言わない」
「言って解決することは、俺だってちゃんと人に相談してる」
 奏がそう言うと、天音は眉を顰めてじっと彼を見つめた。
 解決できない苦しみを抱えている彼は、きっと自分と違って甘えるということを知っている。
 天音は少し羨ましくなってしまった。


「天音はね、甘え方を知らないから時々馬鹿みたく悩むのよ」
 リビングでアイスコーヒーを啜っていた天音と奏は突然頭上から降り注いだ花純の声にひどく驚いた。気配を消していつのまにか居るのは本当にやめてほしい。
 最早当たり前の日常の一場面に二人して溜息を吐いた。
「ねえ、その甘えるってさ、意識的にやることなの?」
 まるで真理を突いた奏の一言に天音は愕然として、花純が高笑いを浴びせ、そうして言った。
「甘えたいのに甘えてはいけないと思う相手だから意識するんだわ」
 あたしにはなんでもお見通しなのよとばかりに花純が意地悪な笑みを天音に向けた。
 天音の隣に腰を下ろした花純が天音のアイスコーヒーを奪って残りを一気に飲み干してしまう。
 天音は文句を言いたくても言葉がない。
代わりに、奏に文句を吐いた。
「もう奏と手繋いであげない」
 こんな恥ずかしいことをどうしてよりにもよって花純の前でばらすのか。奏は天音を睨みつけたけれど、怒る体力が無駄な気がしてやり過ごした。花純がにやにやと自分を見ていて、ばつが悪いにも程がある。
「世の中甘え方を知ってる人間の方が得をするように出来てるのよー。あたしみたいに」
 得意げにそう言った花純に、奏も天音も流石に言わずにはいられない。
「父さんが甘やかし上手なだけでしょ」
「お父さんはお母さんのこと甘やかし過ぎよ」
 詳しくは何も知らないが、どうしてこの夫婦は遠回りしてくっついたのだろうかと時々不思議に思う。しかし、そうでなかったら今の自分たちは居ない。同じことを思ったと気付いた天音と奏は顔を見合わせると呆れ半分に笑った。
「本当に変な親」
 奏がそう呟くと花純が最もだとばかりに言った。
「その変な親たちから生まれたあんた達も充分変よ。安心なさい」
 まるで自分が腹を痛めて二人ともを産んだかのような言い方をした花純は人としてどうかと思うところも沢山あるけれども、素晴らしい母である。
 自分が言った「悩まない人間などいない」という言葉を天音は反芻した。花純はきっと誰よりも悩みながら自分を育てたに違いない。
「お母さんて本当すごい」
 そう呟くと、自分のちっぽけな悩みごとに笑ってしまった。




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