桜は君の無邪気な笑顔を思い出させるけれど、君は今も僕を覚えていますか?

星村桃摩

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第5話〜初めての……〜

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 その夜。

 遠くに聞こえる風の音を聞きながら、床の中で私は怪我をした指先を見つめていた。湊尹の言葉のひとつひとつ。仕草のひとつひとつを意味もなく何度も思い返していた。

 僧侶の湊尹。
 
自分とはまったく違う生き方をしている人。普通なら出逢うはずもなかった。

「ーーふう……」

 私は寝返りを打って天井を見上げた。

 この胸の高鳴りを私はどう理解したらいいんだろう……。

 ほんの少ししか話していないのに、誰かを特別に想うことなんてあるんだろうか?
 私は頭を抱えた。

「バカみたい……」

 もしもこれが「恋」というものだとしても、決して叶うはずがないのに。
 それに私には恋をする資格もない。

 そう遠くない未来に私は東宮(とうぐう)の元に嫁ぐことになるらしい。いつか都を治める帝に即位する人だ。

 私がこの寺に身を隠されている理由はそこにある。反対勢力の派閥がこの縁談を潰す意気込みなのだ。
 つまり私の暗殺計画。

『顔も知らない男の為に命を狙われるなんてバカげてる!』

 そう父に反抗した日……。
 私は初めて強く頬を打たれた。

『恐れ多くも東宮様になんたる言いぐさだ!東宮妃として入内させる為に今まで大事に育ててきたのだ。全ては一族繁栄の為。私の娘なら役割を果たせ!』

「…………」

 私はあの時打たれた右の頬にそっと触れた。今にも痛みが甦るようだった。

 昔から出世には執着心を持っていた父だが、私を愛してくれていると思っていた。
だから父の言葉は衝撃だった。

『私は出世の道具なの?』

 問いただす私の手を握り母はこう答えた。

『東宮様の正妻の座を勝ち取れば大殿様の出世は間違いないのです。良いですか桜。一族の繁栄はそなたにかかっているのです』

 私は絶望した。

 これ以上何を求めるの?
 今までだって十分幸せだったじゃない……。

 両親が私利私欲に満ちた汚い生き物に見えた。私はただ皆と笑い合って生きていければそれでいいのに……!

 そこで気付いた。

 私には、信用出来る人がいるのだろうか、と――。

 優しい笑顔を浮かべて私に接する親戚筋の人たち。
 父が催す宴にやってくる若い公達(きんだち)たちは御簾ごしに楽しい話を聞かせてくれるけれど、今思えば私が入内する可能性がある事をみんな知っていたのかもしれない。

 だとしたら、出世の為に私の機嫌をとっていたのだろうか――……?

 思えば思うほど疑心暗鬼は深まり、気付けば私は誰にも心を開けないようになっていた。

 けれど。

 なぜか湊尹の笑顔は信じられた。

 湊尹は私の機嫌とりなどしなかった。張り付けたような笑顔を見せたりもしなかった。眉を寄せたり、呆れたり……そんな自然な表情を見せてくれた――。

だから、私は……

「……湊尹」

 彼の名を口に出してみる。

「……!」

 頬が染まるのを感じる。
 ドキン、ドキンと私の鼓動は速度を上げた。

 こんな想い、今さらどうしたらいいの?

私は途方にくれて衣を頭から被った。







 結局一睡もしないまま朝を迎えた。
 伊織が起こしにくるより早い時刻に一人部屋の外に出てみた。冷たい風は袿を一枚羽織っただけの私には少し寒かったけれど、今はそれで良かった。

 この寺に来て二ヶ月。何の答えも出ないまま時間だけが過ぎていく。色々な考えが廻った。両親に従う事も、ここから逃げ出して一人生きることも、……死ぬことも。

 けれどその心は固まる度にまた形を変えてしまう。結局私は思うだけで行動に移せない甘えた人間なんだと痛感した。

「その上今さら恋なんてね。ホント甘えた人間」

 つぶやいて私は自分を軽蔑して笑った。

 けれどそれを人生の選択肢に加える事はない。私には選べないし、選びようもない。
 
 三日前に戻れるのなら、私はあの日あの場所にはいかない。

 恋なんて知らない方がずっと幸せだと思うから。
 
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