桜は君の無邪気な笑顔を思い出させるけれど、君は今も僕を覚えていますか?

星村桃摩

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第26話〜遥かな時を越えて〜

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私の頬をとめどなく涙が伝った。
湊尹を失った桜姫としての人生は、いつか必ず再会できることを心の拠り所にして必死に生き抜いた。

 けれど今、あなたがいないこの人生をまた生き抜くことができるのだろうか。
 
私にあるのは、この桜の下でまた逢おうという約束だけ……。

「お願い。湊尹ーー」
 
あの雨の日のように私を迎えに来て。あの頃のように私のそばに居て……。

「湊尹……」

  夕闇に追い立てられるように辺りは気温を下げ、暗くなっていく。
 風にたなびく桜のざわめきだけが私の耳に優しく響く。









「数年前から一人の青年が頻繁に桜の元へ訪れるようになってねえ……」

 住職は語る。

「いつもただ静かに桜を見上げているんだ。気になったのでいつか声を掛けてみた事があるんだよ」

「……その人はなんて?」

 里奈が住職に問う。他の二人も真剣に耳を傾けていた。住職は目を閉じ、ゆっくりと想いを馳せた。

「―ー……その青年はね、こう言ったんだよ」

『約束をしているんです』

「誰と?と私は聞いた」

 すると……と住職は切ない笑みを溢した。
 大人びた感じの良い青年は優しい瞳を桜に向けて言ったのだ。

『……大事な人とです』

「彼は多くは語らないけれど、 たまに話すようになってね。私も僧侶のはしくれだから、彼が僧侶として修行を積んだ経験があることくらいはすぐ気づいた。まだ若いのに不思議だったよ。でもーー」

 住職はうつむく。

「急に思い出してねえ。ずっと昔、この寺で起きた謀反。そして身分違いの恋をした貴族の姫と僧侶の悲恋を。僧侶は姫を守るために死んでしまったんだよ」

「……!!」

 三人はハッと息を飲んだ。

「私は早速寺に残る文献を調べた。謀反が起きたのは春……。ちょうど今のように桜が咲く季節だった」

「それは、まさか舞桜ちゃんが繰り返し見る桜の夢ーー…?」

「ほう。あの子もそのような夢を見ていたのかい?」

 里奈は戸惑うように小さく返事を返した。

「はい……。桜が舞い散る夜、とても大切な人と別れる夢を見るって」

 その時、春が切なげに囁いた。

「もしも、たった1つ願いが叶うなら……あの桜の木の下でもう一度私と逢っていただけますか――……?」

「ーーそれは?」

 住職が目を見開いた。春は顔を上げて住職を見つめた。

「夢の中で彼が舞桜ちゃんに望んだ願いです」

「ーーなんと……」

  住職はそれきり沈黙した。
 千年の時を経て求め合う二人の想いに、全員が切なく胸を打たれていた。








 ジャリ……

 私の背後で砂利を踏む音がした。

「!」
 
  心臓が跳ね上がるほど驚き、私は咄嗟に振り返った。

 先ほど曲がってきた角に人影が見える。
 背の高い青年が歩を止めて私を見つめている。

「……!」

 柔らかそうな黒髪。端正な顔立ちの青年に私は一瞬にして目を奪われた。
 時間が止まったような錯覚に陥る。私は指先さえ動かすことが出来なかった。


――…フワフワと……


 静かに桜の花びらが舞い落ちる――。
 その美しい光景だけが、麻痺した私の瞳に時間の流れを教えてくれていた。

「―ー……湊…尹……?」

 瞬きも忘れ、私は彼に問いかけた。
 声が掠れてしまう。

 この気配。
 間違える筈がない……。

 千年の時が急速に舞い戻る感覚が津波のように押し寄せる。

 彼の唇が微かに震えた。

 今、目の前に立つ青年は間違いなく「彼」だった――。

 私たちはどちらからともなく歩み寄り、お互いを見つめた。瞬きする間も惜しいほどに。私を見下ろす彼の眼差しはあの頃と何ひとつ変わらない。私の瞳からは涙が溢れて止まらなかった。

 そっと彼の震える指先が私の涙を拭った。

「……桜……姫……」

 呟いた彼の声。
 懐かしい声色に、私は胸を締め付けられた。

「……もう姫じゃないよ……」

 私は彼の手を取り、頬を寄せた。
 
 湊尹を失ってからどれだけあなたに逢いたかったか……!どんなに泣いても、どんなに懇願してもあなたに逢えなかった日々。
 
 溢れる熱い想いが涙に溶けて流れ落ちる。

「湊尹……湊尹……っ!」

 私は何度も何度も彼の名を呼んだ。
 いくら呼んでも呼び足りなくて、私はとうとう彼の胸に飛び込んだ。
 謀反の夜、私の腕の中で死んでしまったあなたが今生きている。
 
 暖かい……。
 胸の鼓動が聴こえる……。

「湊尹……、あの日あなたを死なせてしまってごめんなさい……!ごめんなさい……。ずっと、ずっと伝えたかった。私、わたし……っ」

 湊尹は泣きじゃくる私を優しく抱きしめて静かに聞いてくれている。

「あなたが守ってくれた分、頑張って生きたよ……!」

 湊尹の瞳から涙がこぼれ落ちた。

「ーーよく頑張りましたね」

 彼は大事な物を扱うように私を包み込む。
 私はやっと帰れた彼の胸の中で目を閉じた。
 
 私たちを阻むものは、もう何もない。
 
もう誰の目も気にしなくていいんだよね……?

「遅くなってごめんね……湊尹」
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