泣かない犬と泣き虫のカズオ

しっかり村

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泣かない犬と泣き虫のカズオ

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カズオは泣き虫だ。怒られたらすぐ泣く。注意されただけでも泣くし、いちいち感動して涙を流してしまう。
「フランダースの犬」を観た後はテレビの前から動けなかった。「ああ無情」の本を読んだときも、ずっと泣いていた。
父はそんなカズオに剣道を習わせようとした。泣き虫で心優しいだけでは、生きていくのが大変だと思ったからだ。せめて自分の身体を守るためのワザを身に付けさせようとした。そのためには防具の上から竹刀でたたく剣道がいちばん合っていると思ったのだ。
もちろん、カズオにそんな父の考えはわからない。いっしょに剣道の道場へ下見に行ったときには、てっきり父が剣道を始めるのだと思っていた。

「明日から学校終わったら、自分で来るんだぞ。練習は五時半から七時半だ。だいじょうぶ、やさしい先生だから」と父に言われて驚いた。もう月謝も払ったし、防具や竹刀も手配したという。そこまで準備されて「いやだ。できない」とは言えなかった。父なりに考えがあるのだろうとだけ思った。でもどう考えても、大きな声を出してぶつかり合い、竹刀でたたき合うことはできそうになかった。

翌日の夕方になると、母が「行ってらっしゃい。頑張っといで」と送り出してくれた。道場が近づくにつれ、「めん~」とか「こてぇ~」とか、大きな声が聞こえてくる。月謝を払って剣道の先生に頭を下げていた父の姿が浮かぶ。窓からこっそりのぞくと、暑苦しい格好をした大きな人たちがぶつかり合って竹刀でたたき合っている。
カズオは道場の窓の下で後ろ向きにしゃがみ込んでしばらく考えた。

~やっぱり無理だ~
 
そう思ったカズオは、剣道の練習に行った振りをして、時間をつぶすことにした。おあつらえ向きなのは公園のトイレの中か、仕事の終わった工事現場の中だ。ほぼ誰も来ないから隠れるには持ってこいだ。どちらも照明付きの大きな時計があるから帰る時間も分かる。時計の針がだいたい七時四十分を指すと、カズオは家へ帰るようにした。 

その日は雪が降った。

「行ってきます」というカズオを心配そうに母は見送った。「大丈夫だよ。気温も高いし、2時間くらいじゃあんまし積もんないから」

いつも通りに、人の来ないような屋根のあるところで時間をつぶせば良いと思っていた。ところが公園の公衆トイレは、雪をやりすごそうとする人であふれかえっていた。仕方なく工事現場へ向かった。工事現場の人たちも雪やどりをしている。みんないなくなるまで待たなければならない。待っている間にも雪は降り続いて、カズオの頭や肩に積もった。

ようやく工事の人たちが帰った。工事現場へ入ると、雪のせいでやたらと明るい。すぐに人目につきそうだった。だから工事現場の奥へと入っていった。プレハブの小屋の脇に座ったけれど、ひさしはないので完全に雪をよけることはできない。でも壁に寄り掛かると少しは温かい。

何となく気配を感じたので足元に目をやった。先客がいた。犬だ。やせた柴犬だ。雪を被ったままお座りをして、カズオのことをじっと見ている。雪の夜のひとりぼっちのやせた犬、というそれだけのことで涙が出て来た。かわいそうに思ってしまったのだ。

犬は黙ったままカズオをじっと見る。そしてカズオのほっぺたをつたう涙をなめた。雪は降り続いているけれどカズオのほっぺたは乾いた。犬の気持ちがカズオの心にしみた。また涙が出そうになった。涙がこぼれたら、きっとまた犬になめられてしまう。カズオは必死で我慢した。

そろそろ剣道の終わる時間だ。雪はけっこう降っているけれど、歩いて帰れないほどではない。カズオは立ち上がった。それに合わせるように犬も身体を起こした。そして全身をプルプルッとふるわせて雪を払った。

「じゃあね」と犬にあいさつをして歩き始めた。すると犬はカズオの後をついてきた。「だめだよ。ついてきちゃ」そう言って小走りになると、犬も必死でかけ出す。左の後ろ足が変なふうに曲がっている。犬はその足を使わずに、3本足で上手に雪の上を走った。
カズオが立ち止まると、犬も立ち止まった。

犬は首輪も着けていない。やせているし後ろ足が変なふうに曲がっている。皮膚がタポタポにたわんでいるところを見ると若くもなさそうだ。
迷い犬だろうか? いや、捨てられたのかもしれない。だとしたら何てかわいそうなんだ。何もこんな雪の夜に捨てることもないでしょうに。あんまりだ。 

カズオは泣いた。おいおい泣いた。ずっと降り続いている雪はカズオの泣き声を呑みこんだ。犬はじっと見ている。

「お前は寂しくないの? 悲しくないのかい。こんな雪の夜にひとりぼっちで」
カズオがたずねても、犬は黙って見つめるだけだ。

「何とか言いなよ。ワンとかキャンとかさ。ウ~ッでも好いからさ」
カズオは犬の耳をそっと引っ張ってみた。
犬はされるがままにじっとカズオを見ている。
今度はだぶついた皮膚をちょっとつねってみた。
それにはさすがに嫌な顔をした。でも何も言わない。

「どうして何も言わないんだ」

犬は黙ったままカズオを見つめている。

連れて帰ろうかと思った。でも父は犬嫌いだ。正確に言うと犬嫌いということになっている。「本当は犬好きの優しい人なのよ」と母は言っていた。
父が子供の頃、家の事情でかわいがっていた犬を保健所に預けてしまったのだという。子供だった父は大泣きしたそうだ。その犬がどうなったかは聞いていない。父はそのことが悔しくて悲しくて、ずっと泣いてばかりいたらしい。そしてそれから犬を飼うことができなくなったという。

泣き虫の父だったけれども、母と出会ってからはあまり泣かなくなったらしい。
「男は守るものができると強くなるんだ」と言っていた。
「でも、カズオが産まれたときには大泣きしていたわよ」母が言うと
「うれし涙ならいくら流してもいいんだ」と笑った。

そんな父も、子供のときの犬への申し訳ない気持ちを変えていくことはできなかったのだ。だからずっと犬は飼えない。この犬を連れて帰っても、きっと反対される。でもこのまま放っておくことはできない。
カズオは泣かないこの犬に対して、申し訳ないという気持ちを持ちたくなかった。父の子供の頃と同じことをしてはいけないと思った。

だから一緒にいることにした。

カズオは犬にピッタリ寄り添った。犬は驚いたように座り込んだ。相変わらず黙ったままだ。そして尻尾をゆっくりと左右に振った。うれしそうに見える。雪はずっと降り続いている。どんどん降っている。ずんずんと積もってきた。もう夜も遅いはずなのに雪で明るい。でも音は何もしない。怖いくらいに静かだ。だんだん寒くなってきた。泣きたいくらいに寒い。でもカズオは我慢した。この犬を守らなければならないからだ。
「男の子は何かを守ろうとするたびに強くなるのよ。父さんがそうだったんだから」と母が言っていた。

カズオは泣かない。もちろん犬も泣かない。雪の降り続く中、静かに夜がふけていく。だんだん眠くなってきた。カズオはひざを抱えてうずくまった。犬はピッタリと身体を寄せて来た。少し温かく感じる。犬はカズオのひざの上にあごを乗せた。そして目を閉じた。カズオも目を閉じた。


目が覚めたら、病院のベッドに仰向けになっていた。犬はいない。父と母と、剣道の先生、そして看護士さんとたぶんお医者さんがいた。

「良かった」

「寒かったろう」

「今日の練習は休みだったんだ。こっちの連絡が遅れてしまって、すまない」と剣道の先生が言った。

「あなたが出てすぐに連絡があったのよ」

「どのみち剣道の練習に行ってたわけじゃなかったみたいだな」父が言った。

「でも良かったわよ。早いうちに見つかって。無事で何よりよ」母は困ったような泣きそうな顔をしている。父はもう、ほっぺたに泣いた跡がある。

「犬が教えてくれたんだ」

「犬?犬が・・・」

「ああ、ちょうど工事現場を通りかかったときさ、犬の声が聞こえたんだ」

「何て?」

「短くて太い声だった。バフバフって、ね。必死でしぼりだしているような声だった。父さんたちが気付くまで、間をおきながらその声は続いたんだ」

「ああ、泣いたんだ。良かった。それでその犬は?」

カズオの問いかけに、父は首を横に振った。母は下を向いた。剣道の先生も看護師さんもお医者さんも、みんなうつむいている。

「いつもあそこでサボっていたのか」父が力なく言った。

「うん、あそこだけじゃないけど」

「そうか」

「ねぇ、父さん」

「何だ?」

「ぼくは剣道に向いていないと思う。だからもう道場へは通わないことにしたい」

「そうか……、わかった」

カズオは泣いた。
わんわん泣いた。
犬の分も泣いた。
父も泣いた。


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