てっぺんかけたか(カケス男とウグイス女Ⅱ)

しっかり村

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参拾 雲中模索 

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参拾 雲中模索      
「ベンケェ殿、何ぞ聞こえた気がしたが……?」
「何も、気のせいやろ。先急ぐで」
「うん、すっかり遅れちょっでなぁ」
ベンケェと源ジィ二人だけで行われていたシッカリ山頂上への歩道整備工事は、冬眠から目覚めたヒグマ親父を加えて飛躍的に進んでいた。それでも、十日で戻るはずのお春との約束をはるかに過ぎ、シッカリの滝の崖をようやく雲の中に入るところだ。以前は斜立した柏の大木が生え、崖の途中のシンボリックなオアシスとして鳥や虫が集っていた。一年ほど前、ホケチョ達と登ったベンケェにとっても思い出深い場所だ。その樹は今、頂上のホケチョとウグイス女の家を支えている。そう思えるだけで、ずい分近づいたと感慨深い。
「ヒグマ親父が手伝うてくれて、ホンに助かっとる」
「なんもなんも、お安い御用じゃ。じゃっどん、源ジィどんは、足ん怪我はいけんじゃ?」
ヒグマ親父が大きな体を折り曲げて源ジィの足に顔を近づける。
「なんもなんも、寒いお陰で血糊が固まって血は止まっとるし、痛くも痒くもないて。動けば自然と治るんでないか」
源ジィの左足は太腿から紅く腫れあがり、笹の葉と葡萄蔓でぐるぐる巻きにされている。さらに足首には副え木が施され地面から浮いた状態だ。源ジィは二本の松葉杖を使い、器用に岩礫を拾い上げては除け、片足で慎重に前に進んでいる。
「そうじゃと良いが……。ドブロクと滝の水で応急処置はしたが、何しろ傷口が広いから侮れん。頂上に着けば不老不死の泉で何とかなるやろから、今ちっと我慢してくれな。いざとなったら、ワシなりヒグマ親父なりがおぶるから、痛うなったら、いつでも言うてや」
「そん時ゃ頼むで!」
源ジィは、崖の途中で一度滑落している。昨日の早朝のことだ。前の晩に崖の途中で野営し、朝日を拝んだ。そのあまりの眩しさに足元が疎かになったということにしている。けれど本当は、異空にも虚空にも等しく降り注ぐ太陽の光が、ヘヴン島からこちらに向かってくる小さな波飛沫を鮮明に映し出しているのを目にしたためだ。
「もしやお春が……」
そう思い、身体が前のめりになってしまった。そして落ちた。源ジィの身体は崖の鋭利な岩肌に二度三度とバウンドしながら、シッカリの滝壺へ落下した。たまたま冬眠から目覚めたばかりのヒグマ親父が水浴びしていたから良かった。体調三メートルのヒグマ親父は滝壺に仁王立ちになり、百数十メートルを血だらけで落ちてきた源ジィを、滝に衝撃を吸収させながら柔軟にキャッチした。
「源ジィ!ヒグマどん」
ベンケェは叫びながら途中まで駆け下り、そして滝壺に飛び込んだ。慎重二メートル、体重百六十キロのベンケェの高飛び込みは滝壺の水をすべて飛沫とするほどに舞い上がり、一時的に底面の柔らかい泥炭層を顕わにした。しばらくの後、源ジィを抱えて立ち尽くすヒグマ親父と、心配そうに駆け寄るベンケェの頭の上に飛沫が降り注ぎ、滝は平穏を取り戻した。
ヒグマ親父に抱えられた源ジィは、左大腿部の10センチほどの裂傷から血が滴り、足首も亀裂骨折して大きく腫れていた。ベンケェとヒグマ親父は応急処置に当たり、ひとまず源ジィをキタキツネ先生の処へ帰そうとした。しかし、源ジィは「行く」と言って聞かない。自ら流木を拾い上げ副え木し、クマザサと葡萄蔓で止血した。さらに太めの落枝を見つけると、あっという間に松葉杖を2本こさえ、力強く立ち上がったのだ。野生動物なら、傷が癒えるまで待つところだろう。しかし、源ジィにはお春との約束期限を過ぎているという焦りがあった。静養より約束への焦りが優先するのは、ドラマを生きる人間の特質だ。時に野生動物たちはそのサポーターを演じる。源ジィの逞しい意志を、誰も止めることはできない。
ベンケェに支えられ、ヒグマ親父に寄りかかりつつ、せめて足手まといにはならないように、と歩くうちに痛みも忘れ、だんだん手伝えるほどに回復してきたのは、野趣あふれる生命力に満ちたこの不思議な島の独特の空気によるものかも知れない。源ジィは、松葉杖を突きながらヘヴン島からオシリ島に引っ越すのも悪くない、と思い始めている。ホケチョもシヅカさんもいることだし、ホーだってそのうち見つかるだろう……。痛みを感じないのは、寒さが麻酔代わりになっているだけなのだが、それでも無感覚が救いとなり、徐々に回復するケースは少なくない。もちろん気付かぬうちに悪化している場合も多いが。

これから、シッカリ山の頂上付近を覆う万年雲の中に入る。そのほんの手前で、愛するお春のような声が聞こえたのだ。
~そんなはずはない~
源ジィは、そう言い聞かせた。子どもの頃も、漁師の手伝いが終わるまでずっと待っていてくれた気丈なお春だ。一週間が十日となり、さらに少し延びたところでアタフタするような女じゃない。酒でもかっ喰らって待ってるに決まってる。ワシを信じとるはずだ。だからワシも頑張って急がんと如何。我が名を呼び戻すような木霊が聞えるなんて気持ちが弱ってきている証拠だ。源ジィは、褌を締めなおす心地で前を向いた。
しかし、その眼前は真っ白だ。雲霧がいっそう深くなっている。
「ホワイトアウト、いう奴やな。稚内におった頃も、吹雪で前が見えんようなったこと何度かあったのう」
「源ジィどん、こっから先はオイがおぶっど」
「ありがたい。世話になる」
源ジィは、ヒグマ親父の背中に跨った。ゴワゴワとしているが温かい。
「ヒグマ親父よ、ワシが先導するからしっかり尾いてきてくれ。だいぶ見えづらくなったが、却って手と足の感覚が研ぎ澄まされてエエ。傾斜も緩やかになってきとるし、もうすぐ行けば、前に登ったときのザイルがあるはずじゃ。それを掴んだら、もう後は自動的にホケチョたちの居る頂上に辿り着く」
「おぉ、じゃっとや! あん時のホケチョ君のザイルじゃな。そら楽じゃ。もう着いたようなもんじゃがな」
「しかしそれが、なかなか見つからんのだ。前にも増して霧が深い。しかも異な臭いがする」
「そういえば硫黄臭が……」
「いや、硫黄臭は火山島じゃから当然なんじゃが、もそっと違う、こう何ちゅうか、カビを含んだ冷たい臭い……、もともとこの島になかった臭いじゃ。どうじゃ何処かからシューシュー聞こえんか?」
「ベンケェどんの言う通りじゃ。オイもさっきから気になっちょっとよ。源ジィどんはいけんじゃろかい?」
「そういえば、冷蔵庫の中にいるような冷え臭い……」
先頭のベンケェは、深く立ち込める雲霧をかい潜って、手探りの匍匐前進だ。その手が、大きな蛇の尾のようなものを掴んだ。
「あったで!」
それは、紛れもない「ホケチョのザイル」だった。太く長くしなやかにホケチョを守り、我らを頂上に導いたあのザイルだ。竜となり大蛇と戦い、ホケチョの棲家と、今また源ジィを始めとした我らを繋ぐ。
「やったなベンケェどん」
「おうよ!後は楽ちんじゃ。黙って俺に尾いてこい」
「ハハッ、偉そうじゃ」
安心した源ジィは、ヒグマ親父の背中で眠りに就いた。
ホケチョのザイルはほぼ直線を成して頂上を指し示しているように見えた。ベンケェは真っ白い雲霧の中を慎重に進む。源ジィをおぶったヒグマ親父が続く。ほどなくシューシューの音が近くに聞こえ始め、雲霧の密度がいっそう増した。密度が増した分、雲霧の拡散されていない地際が目立つ。覚えのあるアカエゾマツの林床だ。しかし、その何本もが上部からの落下物によって立ち折れている。そして、ベンケェにも見覚えのある、ズルコビッチがたびたび勧めた電化製品というもの、四角く白を基調とした冷たい物体が散乱し、適度に壊れてシューシュー唸りながら白いガスを噴き出していた。音に目覚めた源ジィが、鼻をヒクヒクさせながら言った。
「冷蔵庫、洗濯機、テレビ、エアコン……フロンガスじゃな」
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