未姫(ひつじひめ)の困惑  

布留洋一朗

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第5話 野郎はみんな、嘘つきだ!

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「実は、我が一族からの知らせとは別に、磯野どのの元にも知らせが届いております。まず疑いはないでしょう」眉間に憂いをただよわせた市之進は語った。悩ましげな顔だと美貌も三割増しだ、とメグは感心しつつ彼の顔を黙って見ていた。
「もう間も無く、館の外にいる家臣もすべて戻ります。そこで」
 皆が一堂に集まり、これからの戦いの術策を一本化するべきだと彼はいう。「むろん、わが胸の内は徹底抗戦ではありますが、赤い影の進行如何によっては、われわれがしんがりを努め、その間に姫に鐘とともに落ちていただくことも考えるべきかと。ま、すべてはこのあとの合議にて決めたいと思います」
 メグは話の中身より、お守りについて市之進が「鐘」と呼んだのに注意を向けた。彼がそう呼んだのははじめて聞いたからだ。
 女たちの気持ちには関心がないのか、同情も励ましもなく、話し終えた市之進は憂いに満ちた表情のまま、雑談もなく祈祷室から退出した。

 相手が国内有数の名門の一員だけに、メグも部屋の外まで見送った。すると、廊下に控えた数名の女の中に侍女でない者が混じっていた。神域に近づく女性が着るフード付きの外套に、さらに顔立ちが見えにくいよう髪を下ろし頭を垂れているが、それでも大きな蝶が羽を休めているかのような優雅さを感じる。
(あらっ、美歌さん)
 メグが気づいたことを向こうも理解したが、ソフイ・美歌は素早く顔をあげ、目配せした。黙っていてくれ、ということだろう。市之進の印象に残りたくないという意味だろうとメグは解して、目を伏せて通り過ぎた。

 メグが部屋に戻ってきて、お福に手伝わせて入浴と着替えの準備をしていると、「姫さま」と孔雪に連れられて美歌が顔を出した。
「さっきはお気遣いいただきまして」
「いいえ、こちらこそ」
 お福がちらっと見て、そのまま湯の準備に行ってしまった。人物評価に余裕のない彼女らしい行動である。美歌のような身分を気にしないタイプが苦手であるとともに、前に難儀していたところを彼女の機転で救われた経験があり、むげに追い払ったりもできない。

 だがメグからすれば、美歌は魅力があって信用に足る人物だった。孔雪の保証付きでもある。
 公式にはソフィ・美歌はメグの臣下ではなく、守将の曙川にも把握されていない。当人は黒鷺館芸能顧問などといって喜んでいるが、現時点での表向きの職業は、鷺の巣一の高級店の所属とはいえ、酌婦である。
 以前は都にいて、最高クラスの遊女「月花」であったそうで、未姫というメグの称号を聞くと、「まあ奇遇。あたくしは枕姫にございました」などと言って微笑んだ。のちにお蘭が苦心しつつ彼女の前職についてレクチャーしてくれたが、メグだって色と欲と偽善で煮しめた宮廷社会に籍のある一人、おおよその内容はわかっている。
 実は、美歌は都にいた際に孔雪の兄や従兄弟と面識があり、孔雪自身も彼女を直接に知っていた。間違いなく斯界の第一人者であったという美歌は、思うところあって普通より早くその座を捨て、各地を旅して歩いたのち前々から興味のあった鷺の巣にたどりついた。気ままに飲食店の接客を手伝ったりしていたある日、館を目指しやってきたばかりのメグ一行と出会い、すぐに打ち解けた。

 とはいえ、いくら田舎でも本来は一国の王女とやすやすと会える身分ではない。なぜそんな人物が館の奥まで出入りしているかといえば、美歌は現在、メグのための諜報活動に従事しているからだ。鷺の巣および他の宿場町に流布する情報や各種の噂、雰囲気を素早く正確に伝えてきてくれる。
 美歌に再会してすぐ、彼女の度胸と頭の回転の速さを知る孔雪はこの役目を依頼したのだが、考えるとよほどの不信を当初から曙川たちに抱いていたようだ。

「さっき帰られた色男さんと関係あるのですが」美歌はメグと孔雪に口を開いた。「さきほど、そろそろ日の落ちる時間に幸町の店にいましたら、あの色男といつものお付きの男、もう一人のいかつい家来とが個室に陣取り、反対側に薄気味悪い商人風の男が座ってひそひそと話していました。笑顔なし、飲み物はお茶のみ。気になっていたところに、ちょうど猟師のじいちゃんが獲った鳥を担いできたから、気味悪い男の人相を伝え、尾行してもらいました。そうしたら」
「ふむふむ、そうしたら」メグが身を乗り出すと美歌はちょっと自慢げに、
「つい先ほど知らせがありました。男は無駄にややこしい道を使って船着場へ行き、乗合船を降りたあと隠してあった小舟に乗って山際に向かったそうです。そっちには木こりの小屋はあっても、宿や人の暮らす家はありません」

「優秀ねえ、そのじいちゃん」
「姫様に褒められたと知ったら喜びます。それが、じいちゃんによると、気味の悪い男は、ふだん館に出入りするお侍ではありえないほど周囲に目を配っていたとか。じいちゃんは山一番の獣追い名人だし、途中で会った仲間の協力があったから追跡できたけど、そうでなければ無理だったそうです。あそこまで尾行に神経質なのは、異様だって」
「ここから推察しますと」孔雪が言った。
「不気味な男はおそらく赤い影の先遣隊。市之進さま及び桐丸さまは、赤い影とその後ろにいる内藤とつながっている、または今日つながった。これは黒狐も同じ意見です。赤い影のような連中は直接刀をふるうより、むしろ先に目的地に入り込み、味方を作り手引きさせるのが常道だそうです。彼の者は今、直接に様子を探りにいっております」
「赤い影ってすごいのよね。これじゃ、前門の狼後門の虎を地で行ってる感じ」
「ま、やり手なのは疑いなくとも」孔雪は冷静だった。「想定の範囲ではあります。内藤なら使うだろうと思っていました。雇い主の秘密を守るし、市之進や桐丸をなびかせるにはうってつけですから」

「やっぱり、そうかー。洞山と通じたのね」メグは吐息とともに声を漏らした。
 違和感を覚えるばかりの二人だったが、それでも裏切りをあからさまに示されると、気持ちのいいものではない。
「でも、市之進さまは自ら赤い影について口にされましたよ」とお蘭が言った。
「我々も気づいていると見ていたか、あるいは我々に赤い影の怖さをあらかじめ浸透させておけと指示されたか。いずれにせよ市之進の手下どものささやかな目眩しに過ぎません」孔雪はすかさず断じた。
 姫の婚約者候補をすっかり呼び捨てにしているのを聞き、美歌が笑っている。
「それで、わたくしはどうすれば」
「まず、急いで湯浴みとお着替え。その後、館に残る者たちが集まることになりますが、その前にひとつお力を貸していただきたいことがあります」
「なんです」
「『邪魔な荷物掃除』に特技を、お役立てください」

 
 館の守将、曙川が広間に立って状況を説明しているのをメグは黙って聞いていた。ちゃんと豪胆斎が接近中の情報は入手したようで、それについて語り出すと、男たちにどよめきがおこった。
 しかし、メグの側近たちが集めた情報に付け加えるものは何もなく、むしろ多くの点が不確かだった。相手の面貌をしっかり確認したわけでもなく、曙川の情報源は、黒狐の使った鳥耳よりかなり腕が落ちるようだ。
 それだけメグ情報チームが優秀なわけだが、父たちがどうしてこんな人物を黒鷺館の守将にして放置していたのか、いろいろと考えてしまった。

 広間に集まっているのは、およそ三十人ほど。最小限の見張り以外は全員がここにいる。ほぼ同数の地元の人間が黒鷺館の内外に働いていたのは、わずかずつだが金を渡し、すでに退館させた。 
 残っているのは藤の国からメグに付いてきた直臣と、沢木、磯野の臣たちである。いちおう全員が戦支度をしているし、顔つきも緊張している。
 メグの護衛である曙川の部下たちは十人がいた。残りは見張りに出ている、(見張り、少なすぎない?)と思ったが、黙っていた。
 沢木勢と磯野勢は合わせて二十人というところ、ふたりの王子と似た年頃の若い男ばかりだ。女性のうち残っているのは、メグをいれてもわずか五人。お福とお蘭、孔雪そして美歌である。

 かちゃかちゃと音をさせ、黒狐が台車を押して器をたくさん運んできた。メグの手配した固めの杯だとの説明を受け、護衛たちはすぐに興味をなくした。
 準備をにこやかに手伝っているのは美歌だった。衣装こそ地味だが雛にはまれな美女の登場に、男たちの視線が訝しげに揺れ動いた。
 それにも気づかず、かなり悲観的な見方を表明していた曙川が、突然くるりと横にいたメグの方を向いて二歩、三歩と近づいた。そして、
「この曙川、一命をかけて、ご意見をいたします」
 (ん、一命をとしてお守りしますじゃないの?)
 メグが考えたとたん、
「相手はかの堀内豪胆斎。逆らえば万にひとつも生き残る目はございませぬ。それならば、いっそこちらから手を上げ、姫様の」
 そのとたん悲鳴が上がった。曙川その人の口からである。

 彼の首筋と腰回りに磯野桐丸自身とその護衛が三人ほどとりつき、体格だけはいい曙川を引き倒して首を絞め、意識を失わせた。その間、曙川自身の部下はぽかんとしたままだ。
 目の前の出来事に驚くより、孔雪と黒狐の反応が気になってそっちを見た。すると孔雪は片眉がぴくりと上がったがそれだけ。黒狐の方は、(情けない)とでも言いたげに首を小さく左右に振った。ただし、誰を情けながっているかはわからない。メグも二人が平気そうなのを見て、懸命に黙っていた。

「姫の御前でありますゆえ、この裏切り者を処分するのはあとにします」そう桐丸が宣言すると、今度は市之進が前に進み出てきた。
「姫、我らは豪胆斎ごとき、恐れはしません。徹底して戦う所存」
 二人の若殿の臣たちは同じ目つきでメグを見た。「憑かれたような」という表現がメグの頭をよぎった。
 いくらなんでも、このまま黙っていると、勝手に守将を強制排除したのを肯定したと思われる。一言ぐらいは言っておこうと、
「その前に……」メグが狐憑きみたいな顔の男たちに口を開きかけた時、
「はーい、ではここで固めの杯を」艶やかに美歌がいい、黒狐と手分けして男たちに容器を渡して回った。「姫様のもうひとつの母国である、双樹の伝統にございまーす。もう、ほんの一瞬で済みますから、見張りの方々も呼んであげてくださいねー」
「心を一つにする儀式でございます。ぜひ全員のご参加を」黒狐もわざとらしいしゃがれ声をあげた。市之進と桐丸は互いの顔を見たが、すぐに力強くうなずき、
「了解した」と家臣たちに杯をとらせた。曙川の部下たちも真似をした。

 メグとお福、お蘭の前には孔雪がやってきて、「お気に沿わないでしょうが、とりあえず奴らを是認してください」と、ささやくと持ったお盆から金属製の碗を渡した。
 そして、「よろしいですか。これ『だけ』をお飲みください」と強調して下がった。固めの杯にしては大きな気もするが、意味があるのだろう。
 メグは孔雪に従った。

 全員に回ったところで、孔雪の目配せに合わせてメグがうなずき、広間にいた者たちは一斉に杯を飲み干した。
 メグの杯に注いであったのは、元気づけの薬用酒だった。しかし、男たちが飲んだのは、もっと色もにおいも濃い。
 あらかじめ、杯は投げ捨てるなと言ってあったのにかかわらず、わざわざ床に投げつけて割る者がいて、整理整頓好きのお蘭が不快そうな顔をした。
「われら、生きるも死ぬも、一緒にござる」市之進が叫び、男たちが深くうなずいた。
(悪いけど、あなたたちとは一蓮托生はしたくないなあ)
 などとメグが考えていると、市之進がするすると近づいてきた。
 それに合わせるように桐丸もまた出てきた。互いをライバル視しているというより、裏で息があっているように見える。
「姫。心を一つにしたところで、拙者に妙案がございます。十面埋伏の術というものです」
「まあ、それはいったい?」
「先ほどの曙川殿ではございませぬが、豪胆斎を決して軽んじてはいけませぬ。まず徹底して抵抗の気概を見せねばなりませぬ。それにはまず、おそれおおい願いながら、姫に鐘を使って奴の動きをとめる術をお願いしたい」

「じ、術?」 是認しろと言っても限度がある。メグは言い返した。
「そんな便利な術、わたくしは存じません。突然なにを申されるのやら」
「いえ」桐丸が言った「未の鐘を手に、やつらに見える場所で祈っていただくだけでいいのです。姫を傷つけたくはないのは向こうも同じ。急には襲ってはきません。その隙に、我らは館の守りのうち、東の裏口だけを開きます」
「そこに、豪胆斎をおびき寄せると」
「いえ、あれを入れるわけではござらぬ」市之進も桐丸も仲良く首を振った。

「たしかに東の裏口には急峻な坂があり、重装の敵を防ぎます。ですが登り降りさえできれば越えるのは不可能ではない。となると、例の赤い影が進入してきてしまうのではありませぬか。それに、その案は十面埋伏とは少し、違うような」お福が進み出て聞いた。
 すると桐丸は、なにもいわずにただ、うっすらと笑った。市之進がまた前に出て、ライバルのはずの男の代わりに言った。
「我らが生き延び、乱れた国を立て直し、さらに我らにふさわしい地位を得るにはこれが最も賢明な策。おそれながら姫には少し狭い場所でご不自由をおかけしますが、なあに」彼はさらに口の端をキュッと上げた。まるで絵草紙に出てくる悪鬼のようだった。「目が覚めれば、すぐに前より、もっとよい立場をいらっしゃるのに気づかれるでしょう」
 市之進に桐丸、そして彼らの側近である若侍たちがいつのまにかメグを取り巻き、そろって薄気味悪い笑顔を浮かべた。
「そろそろ、鐘と術をご披露いただければありがたい」と、市之進が言った。

 --------  こいつら、やっぱりわたしを売りわたすつもりなんだ。
 いまさらとはいえ、重い衝撃のようなものがメグの身体に走った。
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