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第26話 怨霊退散ってどうすれば?
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洋上には大海魔の信じがたい姿があった。
魚より、島が動き出したのを見るような、ばかばかしささえ感じる。
こちらにどこまで気づいているかがわからず、とりあえず刺激しないようある程度の距離をとり、メグたちの船は一定速度で進んだ。
海上に浮かぶ巨体にはさっきの空飛ぶガッキーに通じるヒレや突起がある。まさかとは思うが、怪物もここまでくると常識は通じそうにない。慌てて逃げてボディプレスを食らったら取り返しがつかない。時機をみて姿を消すことにし、全員が海の監視をはじめた。
「おとぎ話の国に来たみたい」メグが魚の感想を述べるとお福が言った。「おとぎ話でも真実味は必要です。あれでは、酷すぎて悪夢の国の住人のようです」
だが子供のころ、魚の図譜を愛読していただけに、恐怖感と一緒に好奇心が押し寄せてきて、メグは大海魔をじっくりと観察してしまった。
全体に赤系の色をして、鱗のついた魚には違いない。顔はオオカミウオの厳つい顔をさらに凸凹させたような所もあるが、基本的には先ほどのガッキー同様、立派なヒレを持つ魚を超巨大化しさらに横に太らせた感じだ。クジラやイルカを思わせる哺乳類っぽい部分はなく、絵物語によく出てくる巨大な海魔のように、タコやイカもどきでもない。あくまで特大の魚という風情だった。
(すごい顔。寒いところの魚を混ぜ合わせたってところかな。顔が大きいのに全体が短く見えるのは、水の中に隠れているせい?)
倉健は派手な背びれと尾びれを悠々と動かし進んでいく。側面にフジツボのように異物がびっしりついているなと見たら例の化けクラゲだった。
「なーんだ。あんたが運んできたの」お蘭も気づいたらしく、鼻にシワを寄せて毒づいた。そのとたん、水面すれすれに出ていた目玉がぐるっと周り、メグたちの船の方角を向いてとまった。「うえっ」
いちいち大仰な動きは、生物より特大の機械のような印象すら受ける。
「こっち、見えているのかな」そうつぶやくメグに、
(おそらく、目はろくにつかいものにならず、匂いや音、気配によって餌や敵をとらえているのだと思います)とクボが返事をくれた。
「だから、余計に荒っぽいのでしょうね」と言ったのは孔雪だ。
お福は孔雪と合図をしあい、付かず離れずだった巨大魚との距離を、ゆっくりゆっくり開きはじめた。
船がそろそろと方向を変える間、思いついたように孔雪は、ひとり海原に伏兵を探す黒狐に近づき、「北方のめちゃくちゃ寒い地域では」と、話しかけた。
「海にぷかぷか氷の山が浮いているって前に言ってたでしょ。こんな感じかな」
「ずいぶん前にしたヨタ話をよく覚えてるな」呆れたように黒狐は応じた。「大きさだけなら、この魔物よりすごいのがあるだろう。でも氷は睨んだりしない」
「冷ややかに黙ってるもん」と孔雪は自分の冗談に自分でニッと笑った、
鋼の少女・孔雪も黒狐にだけは年相応の顔を見せたりする。今がその時のようだ。微笑ましくてメグは背中でこっそり二人の会話を聞いた。
「でも狐はいたんでしょ。真っ白だったのよね」
「ああ。あれは冬毛なんだな。もこもこしててあまり動かなかった」
白い狐は遙か極北にいると聞いた。すると黒狐はそんな地に行ったことがあるのだろうか。基本的にホラは吹かない男なのを知るだけに、少々驚かされた。
「一度でいいから見たいけど、冬場のあの地はお勧めしないって言ってたね」
「ああ。寒期だと生きるだけで大仕事だよ。ここが暖かい海でよかった。寒い国だと大海魔なんて、とても相手しかねる」
「ここだって相手しかねますよ。さっきからあいつの急所を刺す方法を考えてるのでしょ。やめておきなさい。お福さまなら必ず上手く撒いてくださるわ」
「そうだね」黒狐は肩をすくめた。「ただ、嫌な予感がするんだ。何かな」
二人の会話を聞いて、メグは我が身の無力さが情けなくて仕方なかった。
一行はそれぞれ、懸命に未姫を守ろうとしてくれている。誰ひとり、彼女を捨てて逃げようなどと考えもしない。黒狐など大海魔にまで喧嘩を売るつもりだ。
焦る気持ちを抑えつつ、メグは自分が役に立ちそうな案を探した。なま暖かい潮風を頬に感じた。
-------- そうだ。大海魔の心を探ってみたらどうかな。
思いついて、彼女は占いの時のように感覚を研ぎ澄ませた。そして船べりに進み、巨大魚に手を差し伸べるように意識を集中し、その心を探ろうとした。
倉健は、人やほかの妖物のように心に壁をつくってはいない。なので次第に微かだが意識の波動が伝わってきた。それは見た目と異なり、とても繊細に思えた。しかし間違いなく大海魔のものだ。
前にも、呪によって生み出された妖獣の心に触れたことはあった。だが倉健はそれとは違い、貪欲さや命令への使命感には乏しい。伝わってくるのはひたすら、「混乱」だった。
メグは目を閉じ、さらに巨体の奥深くにあるものを読み取ろうとした。
-------- なんだろう。すごくもどかしそう。イライラ焦ってる?
少なくとも、ゆったり泳ぐ姿とは不釣り合いなほど、繊細な意識の流れが感じ取れた。クボによると、術師が特大の妖魔獣を作る場合、湖水族に代表される小ぶりで知能の高い生物を核に合成を繰り返すという。するとこの大海魔にも、小さく傷つきやすい中心核が存在するのかもしれない。
美しかった茜色の空はすっかり灰色になっていた。雲がさらに不安を呼んだ。
「お」黒狐が声を上げた。「あの化け物、舟を取り込むつもりか。器用なやつ」
いつのまにか、倉健の近くに例の司令船がやってきて横付けした。巨大な海魔は自ら水面に沈み、馬代わりの妖獣ごと司令船を自らの頭上に載せると、また大波を撒き散らして浮上した。
大海魔の頭部には大きなくぼみがあり、船はそこにすっぽり嵌った。とたんにサンゴを連想させる赤くて細いゴツゴツした触手状のものが一斉に湧き出し、蔓のように船の周囲に絡んだ。二匹の妖獣も絡めとられてしまった。
「あんなの、あり?」お蘭と美歌が顔を見合わせている。
(恥ずかしながら、わたしもはじめて見ました)クボが答えた。
「では、ちょいとお仕事をば」黒狐が刀に紐をかけ腕に通している。
「なにをするつもりですか」メグが聞くと、「司令船がくっ付いたのは、こちらを襲う準備と思われます。とりあえず目玉か脳みそ、あるいは司令船を斬り刻んでやります。近い箇所に集まってくれたので作業は楽、的は選び放題」
メグはすうっと息をすい、黒狐に命じた。
「その場に待機なさい。まずわたくしが試したいことがあります」
黒狐がメグを見つめた。珍しく、うろたえる気配がある。
「メグ様」ただならぬ主人の気配に、お福が呼び掛けた。
ふたたび船尾に立ったメグは、迫りつつある巨大な魚に対峙した。距離はあと一息というところ、半ば水面に体を浮かせた大海魔がじわじわと迫りつつある。
メグはじっと海魔を見つめた。巨大な目は、元から悪いのか保護膜で覆われているのか知らないが、白濁して見える。
メグが未の守り手に触れようとしたその時、破裂音が続いた。
化けイカとの勝負に辛勝した装甲哨戒艇が、砲撃を加えはじめたのだ。砲弾は数発が大海魔の胴を直撃し、堅そうな鱗と肉片が飛び散った。
波を蹴立てて進む哨戒艇に、「こりゃ見直した。やつらがこんなに頼もしいなんて」と、お蘭が喜んでいる。
倉健は変わらず半身を水面に露出したまま泳いでいたが、砲が繰り返し咆哮し、ついに頭部に乗った司令船の近くに着弾した。すると突然、海面に渦が巻き起こり、波が船体を叩いた。
倉健がぐっと魚体を海に沈めた。哨戒艇と直接やりあうつもりだろう。
これ幸いと、メグたちの船が離脱をはかったが、黒狐とお蘭がほぼ同時に海を振り向きにらむ。怪しい気配を察したのだ。
風にのって変な音がする。最初は吹き荒む風かと思ったら、
「人の声……まさかね」メグはお福と顔を見合わせた。哭き声に聞こえたのだ。「よし。なにか確かめてやろう」と、ふたたび望遠鏡を構える。
ここがああああああああ
あのよだああああああああ
海の上を、信じがたい速さのなにかが滑るように進んでいる。海蛇だ。
望遠鏡を握りしめたメグが、困ったように黒狐たちを見た。
「いかがなされましたか」
「首」メグは狼狽えつつ懸命に説明した。「首が変なの、枝分かれしてる」
「新手ですか」孔雪がやってきて、メグと望遠鏡を交代した。
「まだ倉健のほうが親しみを覚えます。あれはちょっと…」横からメグが言うと、
「……同感です」と孔雪は認めた。「あまり友達になりたくないかも」
「え、どれどれ、どんなのですか」さらに望遠鏡を交代した美歌が、
「うわああん、ごめんなさい」と、急に海に謝りはじめた。「さっきは気持ち悪いとか言いすぎちゃった。前言訂正します。元の姿に戻って、お願い」
水面すれすれを、うねりながら大きな海蛇は進んでくる。前回以上の速さだ。相違点はもう一つある。頭だ。黒いざんばら髪の青白い顔が二つ、こちらを睨んでいる。妖しい生物どころか、姿は完全に妖怪である。
「はあ」望遠鏡をメグに返し、お福がため息のような声をもらした。
「昔むかし、『段兵衛海峡の人蛇』という船の怪談をよく聞きましたよ。夜中に一人、甲板にいると上半身が人、下半身が海蛇の化け物がきて海に引き込まれると。まさかこの歳になって見るとは。あれは一体、どこから来ましたか」
「おそらく、死にかけの妖術師ミゲルと死にかけの海蛇の妖魔が海中で出会って、くっついたようです」黒狐が申し訳なさそうに解説した。
「わあっ、運命の出会いね。きっと赤い糸で繋がってたんだ」せっかくのお蘭の冗談に、だれも笑わなかった。
「呪具を失い、ほかを変身させられなくなったら、おのれを使ったということでしょう。思ったよりしつこい術師です」そういいつつ、手早く二刀を確かめた黒狐に「どうします」とメグが聞いた。
「私の責任です。けりをつけてきます。皆さんは倉健から逃げるのに集中を。私を置いて行ってください。碧海の港でお会いしましょう」「そんな」
(小舟の操作はわたしが)との思念が響いた。クボが進み出てきた。
「首筋の宝珠を取り去るまで、あいつに近づいちゃだめよ」
メグの言葉にクボは、(この身を縛った呪具はすでに失われました。影響はあっても些少と思います。以前のような頭痛も不快感もありません。それより)
毛に覆われたクボの顔が、悪戯っぽい表情を浮かべているように見えた。
(これを皆さんへの恩返しなどと申しません。ですが、あの妖術師に積年の怒りを伝えるよい機会に思えます。ぜひお許しを)
海上を滑る海蛇ミゲルの周囲には、見るからに妖しい黒雲が湧いていた。
雨に続き雷まで鳴り出し、すさまじい妖気が取り巻いているようだ。不気味にうねる二本の頭に加え、どうみても生首みたいなのがいくつも宙に浮かび、伴走している。海蛇は、いまやすっかり怨霊になってしまっていた。
「首だらけじゃない」お蘭が呆れ声を発した。「けど、あんなブサイクに変化するとは伊達男の名がすたるよな。狐くん、本当にあんなの相手にするの?ほとんど怨霊だし雷まで鳴ってる。考え直しなよ」
クボの小型帆船に乗り込みながら黒狐は、「なんとかなるさ」と気楽そうに言った。「雷雲は見せかけ、雨は海水を巻き上げているだけ。首はどうせ借り物。怨霊になって呪いの圧は高まったろうが、本物の霊力が使えるようになったわけじゃない。お化け屋敷の出し物と変わりないよ」
メグの不安げな顔に気づいた黒狐は、帆を広げた小型船から親指を立てて合図してみせた。そして、どこか晴ればれした口調で、
「先日、美良野の方様が雲を呼ばれたのを拝見し、今さらながら術師の格、あるいは嘘について考えました」と呼びかけた。
「天すら嬉しげに寄り添う姉君の霊力に比べ、豪胆斎とその弟子どもの術は、ただの力技と目眩し。しょせんは匹夫の技に過ぎません。刀槍を振り回すだけのわれら剣術使いと立っている地平は等しい。なんぞ倒せぬことがありましょうか」
孔雪も船尾に来て黙って見送った。表情は平静だが頬は真っ赤だった。
「それに私は一人ではない。クボ女史と二刀という三人の強い味方がいます。お聞きでしょうがこの二刀は疑り深く、術師の詐術などすぐ見破ります」
「すごい仲間たちを信じるというのね。なら、わたくしもそうします」
「はい。ありがとうございます。ではまた、のちほど」
黒狐の腰あたりから、我らをすごいとお認めになった、さすが高貴な方は違う、とささやき合う声がしたが、メグの耳に届かないまま小舟は出て行った。
そおこおかあああああああ
海蛇ミゲルはさらに派手に雄叫びをあげ、ついにはメグたちの船の前面を塞ぐように雷を鳴らした。元が妖術使いだけに、船の隠密機能でも消しきれない航跡や風の乱れを敏感に察知し、行手を遮ろうとする。ただ、
くらけええんん、挟撃だあああああ。ともにまじょひめをば、まかいへおとそうぞおおおおおおおおおおお
などと懸命に呼びかけるのに、肝心の巨大海魔はミゲルなど眼中になく、さっきから装甲哨戒艇と牽制しあっている。
「あっさり無視。ミゲルなど飼い主と思ってないのかね」
気の毒そうな黒狐に、(背景に手柄争いがあるのかも)とクボが伝えた。
(豪胆斎の有力弟子たちは信じられないほど仲が悪く、足の引っ張り合いも珍しくありません。倉健の専任術師は筆頭弟子、源葉庵のもとから派遣されたはず。変貌したミゲルとの合流を拒んでも、特に不思議ではない)
「そのくだらない人間関係は、大師匠の腹黒さを反映してるのかな」
(豪胆斎本人は、くせは強くとも若い兵に親切だったりします。ですが高弟たちの憎しみ合いはすさまじく、隙あらば相手を陥れようとする。ミゲルがああなって一番喜ぶのは、おそらく源葉庵でしょう)
「あら、まあ。でもそれって昔からだったの?」
(豪胆斎の後継者と目され、後輩や兵たちの面倒見も良かった高弟、霧の忠吾の死からひどくなったようです。歯止めがなくなった)
「戻って孔雪嬢に教えてやれば、大喜びしそうな話だなあ」
すべて、まかいにおとしてやるうううう
メグたちの妖精艇に立ちはだかるように体を躍らせ、呪いの言葉を発する海蛇ミゲルに小舟から黒狐が声をかけた。
「それは難しいと思うな。仲間にまで嫌われるあんたに何ができる」
きいさまああああああああ
声の終わらないうちに、透明の触手状のものが一斉に黒狐に襲い掛かった。
砲撃を避け、いったん波間に隠れた大海魔は、哨戒艇の船底をかすめるように浮上した。そして揺れる船に回り込み、ばかでかい口で咥えようとさえした。
角度が悪く砲が当たらないと判断した哨戒艇は、激しい波にも負けず爆雷投下に切り替えた。次々と立ち昇る水柱とともに肉片が海に飛び散り、水面が赤く染まった。舷側にしがみつく兵たちから歓声が起こった。
ところが、倉健の額のあたりから緑色の粘液が哨戒艇に降り注いだ。煙が上がり、悲鳴が聞こえた。爆雷投下にあたった水兵が文字通り溶けたのだ。
横を通過しながら大海魔は哨戒艇を尾で一撃した。傷ついた船体に倉健はもう一度戻って体当たりする。念入りな攻撃に船尾が大きく破損した。
沈没こそしなかったが、哨戒艇はあちこちが浸水し煙を上げ、もはやろくに動けない。大砲も沈黙してしまった。
海魔はゆっくり頭をめぐらすと、おもむろにメグたちの船を追いはじめた。
襲いかかるミゲルの触手を黒狐の刀が薙いだ。だが切断面からすかさず植物の蔓みたいのが生え、より激しくうごめいた。ミゲルが首をのけぞらせ、こう笑した。美しかった顔はもはや崩れ、口は犬のように飛び出している。長い黒髪だけが前と同じだが、乱れるだけ乱れている。
船を反転させ、黒狐への反撃を遮ろうとしたクボにミゲルが目をつけた。
くうぼおおおおおおおおおお
悶える二つの頭を、宙に浮かんだ亡霊の首が取り巻き、黒狐たちを威嚇する。
「ほんとに首だらけだ」黒狐はとっさに船尾に移動し、クボを庇うように二刀を十字に重ねて構えた。すると浮遊していた亡者の首が左右の刃に噛み付いた。
もらったああああああああ
亡者の首が巨大な髑髏へと膨れ上がり黒狐の刀を押さえ込む。みるみるうちに数十の髑髏が刀に取り付いた。勝ち誇ったようにミゲルの首が黒狐を見た。電撃のような思念が彼を襲った。
(じきにお前の大事な姫も自ら滅びる。強すぎる力に弱すぎる心。そのツケだ。安心しろ、心臓の止まる前に僕が存分に魂を食ってやる。あ、身体もいただく)
クボはミゲルをにらみつけた。(こいつ、姫君になにか術を)
(はは。なに、術というより知略。思い通りに駒が動く快感といったらない)
「大海魔がきます。黒狐の回収を一旦諦め、全力で離脱します」お福の声がした。
「最後の爆雷でえーす。これ、大きいから効くよ」とお蘭が手で壺を示した。
「撒く油はまだたっぷりとあります」美歌が言って、甲板にまとめた油樽を指した。孔雪は望遠鏡を目にあてて黒狐たちを追っている。
「まちなさい」メグは揺れる船の上をゆっくりと船尾へと歩いた。
「……?」
「鐘に、頼んでみます」
「えっ」
「私たちを守れと、頼んでみます」
お福は真剣な顔でメグを見つめた。「メグ様、御身に危険が迫っては意味がありません。まずはここを離れましょう。狐めもそれを願うはず。あれはひどい見た目ながらたいした男。あの勇敢な湖水族もついています。いっとき離れ離れになってもかならず、生きて戻ってくるでしょう」
「ええ。でも一度だけやってみるわ」無理に微笑み、メグはふたたび船尾ぎりぎりに立った。
今や海上には強い風が吹いている。だが風の音も、激しく逆巻く波の音も気にはならない。とにかく、命がけで戦う家臣たちを助けたかった。
メグは勇気を奮い起こし、確実に距離を詰めてくる大海魔を見つめた。お福には啖呵を切ったものの、実のところ、どう祈ればいいのかわからない。
-------- 鐘になにをどう祈ろう。海を荒らす乱暴者を制してと願うべきか……。
考え続けるメグの胸に、自分でも理解しにくい哀れみの感情が沸き起こった。眼前の大海魔はたしかに迫力たっぷりの恐ろしげな姿だ。しかし頭には傷が開き、海水に洗われても血が流れ続けている。右のヒレも大きく欠けた。
(海魔に同情してどうするの)
そう思ったが、やつだって術師に無理やり従わされているだけ、との気持ちが消えない。メグは乱れる心を鎮めようと深呼吸した。空気はなま暖かい。
ひとびとを救いたいし、できれば大海魔も開放したい。いくつものことを同時に、大胆に達成したいと願うのは自分の欲張りだとは知っている。求めることを整理し優先順位をつけよう。
まず、なにより仲間たちの命を失いたくない。これが一番。それには目の前の大海魔を退ける必要がある。しかし守り手は本来、祈りを補佐する神具のはず。かなり無理筋の願いにも思える。荒技を実現するにはどうしたらいい?
メグは焦りつつも必死に考えた。あたまのどこかで閃いた。
-------- 伝承が事実なら、鐘は不適格と判断した持ち主の命を奪うことがある。でも逆に、私がこの命をささげたら、もしかして……無理な頼みでも……。
魚より、島が動き出したのを見るような、ばかばかしささえ感じる。
こちらにどこまで気づいているかがわからず、とりあえず刺激しないようある程度の距離をとり、メグたちの船は一定速度で進んだ。
海上に浮かぶ巨体にはさっきの空飛ぶガッキーに通じるヒレや突起がある。まさかとは思うが、怪物もここまでくると常識は通じそうにない。慌てて逃げてボディプレスを食らったら取り返しがつかない。時機をみて姿を消すことにし、全員が海の監視をはじめた。
「おとぎ話の国に来たみたい」メグが魚の感想を述べるとお福が言った。「おとぎ話でも真実味は必要です。あれでは、酷すぎて悪夢の国の住人のようです」
だが子供のころ、魚の図譜を愛読していただけに、恐怖感と一緒に好奇心が押し寄せてきて、メグは大海魔をじっくりと観察してしまった。
全体に赤系の色をして、鱗のついた魚には違いない。顔はオオカミウオの厳つい顔をさらに凸凹させたような所もあるが、基本的には先ほどのガッキー同様、立派なヒレを持つ魚を超巨大化しさらに横に太らせた感じだ。クジラやイルカを思わせる哺乳類っぽい部分はなく、絵物語によく出てくる巨大な海魔のように、タコやイカもどきでもない。あくまで特大の魚という風情だった。
(すごい顔。寒いところの魚を混ぜ合わせたってところかな。顔が大きいのに全体が短く見えるのは、水の中に隠れているせい?)
倉健は派手な背びれと尾びれを悠々と動かし進んでいく。側面にフジツボのように異物がびっしりついているなと見たら例の化けクラゲだった。
「なーんだ。あんたが運んできたの」お蘭も気づいたらしく、鼻にシワを寄せて毒づいた。そのとたん、水面すれすれに出ていた目玉がぐるっと周り、メグたちの船の方角を向いてとまった。「うえっ」
いちいち大仰な動きは、生物より特大の機械のような印象すら受ける。
「こっち、見えているのかな」そうつぶやくメグに、
(おそらく、目はろくにつかいものにならず、匂いや音、気配によって餌や敵をとらえているのだと思います)とクボが返事をくれた。
「だから、余計に荒っぽいのでしょうね」と言ったのは孔雪だ。
お福は孔雪と合図をしあい、付かず離れずだった巨大魚との距離を、ゆっくりゆっくり開きはじめた。
船がそろそろと方向を変える間、思いついたように孔雪は、ひとり海原に伏兵を探す黒狐に近づき、「北方のめちゃくちゃ寒い地域では」と、話しかけた。
「海にぷかぷか氷の山が浮いているって前に言ってたでしょ。こんな感じかな」
「ずいぶん前にしたヨタ話をよく覚えてるな」呆れたように黒狐は応じた。「大きさだけなら、この魔物よりすごいのがあるだろう。でも氷は睨んだりしない」
「冷ややかに黙ってるもん」と孔雪は自分の冗談に自分でニッと笑った、
鋼の少女・孔雪も黒狐にだけは年相応の顔を見せたりする。今がその時のようだ。微笑ましくてメグは背中でこっそり二人の会話を聞いた。
「でも狐はいたんでしょ。真っ白だったのよね」
「ああ。あれは冬毛なんだな。もこもこしててあまり動かなかった」
白い狐は遙か極北にいると聞いた。すると黒狐はそんな地に行ったことがあるのだろうか。基本的にホラは吹かない男なのを知るだけに、少々驚かされた。
「一度でいいから見たいけど、冬場のあの地はお勧めしないって言ってたね」
「ああ。寒期だと生きるだけで大仕事だよ。ここが暖かい海でよかった。寒い国だと大海魔なんて、とても相手しかねる」
「ここだって相手しかねますよ。さっきからあいつの急所を刺す方法を考えてるのでしょ。やめておきなさい。お福さまなら必ず上手く撒いてくださるわ」
「そうだね」黒狐は肩をすくめた。「ただ、嫌な予感がするんだ。何かな」
二人の会話を聞いて、メグは我が身の無力さが情けなくて仕方なかった。
一行はそれぞれ、懸命に未姫を守ろうとしてくれている。誰ひとり、彼女を捨てて逃げようなどと考えもしない。黒狐など大海魔にまで喧嘩を売るつもりだ。
焦る気持ちを抑えつつ、メグは自分が役に立ちそうな案を探した。なま暖かい潮風を頬に感じた。
-------- そうだ。大海魔の心を探ってみたらどうかな。
思いついて、彼女は占いの時のように感覚を研ぎ澄ませた。そして船べりに進み、巨大魚に手を差し伸べるように意識を集中し、その心を探ろうとした。
倉健は、人やほかの妖物のように心に壁をつくってはいない。なので次第に微かだが意識の波動が伝わってきた。それは見た目と異なり、とても繊細に思えた。しかし間違いなく大海魔のものだ。
前にも、呪によって生み出された妖獣の心に触れたことはあった。だが倉健はそれとは違い、貪欲さや命令への使命感には乏しい。伝わってくるのはひたすら、「混乱」だった。
メグは目を閉じ、さらに巨体の奥深くにあるものを読み取ろうとした。
-------- なんだろう。すごくもどかしそう。イライラ焦ってる?
少なくとも、ゆったり泳ぐ姿とは不釣り合いなほど、繊細な意識の流れが感じ取れた。クボによると、術師が特大の妖魔獣を作る場合、湖水族に代表される小ぶりで知能の高い生物を核に合成を繰り返すという。するとこの大海魔にも、小さく傷つきやすい中心核が存在するのかもしれない。
美しかった茜色の空はすっかり灰色になっていた。雲がさらに不安を呼んだ。
「お」黒狐が声を上げた。「あの化け物、舟を取り込むつもりか。器用なやつ」
いつのまにか、倉健の近くに例の司令船がやってきて横付けした。巨大な海魔は自ら水面に沈み、馬代わりの妖獣ごと司令船を自らの頭上に載せると、また大波を撒き散らして浮上した。
大海魔の頭部には大きなくぼみがあり、船はそこにすっぽり嵌った。とたんにサンゴを連想させる赤くて細いゴツゴツした触手状のものが一斉に湧き出し、蔓のように船の周囲に絡んだ。二匹の妖獣も絡めとられてしまった。
「あんなの、あり?」お蘭と美歌が顔を見合わせている。
(恥ずかしながら、わたしもはじめて見ました)クボが答えた。
「では、ちょいとお仕事をば」黒狐が刀に紐をかけ腕に通している。
「なにをするつもりですか」メグが聞くと、「司令船がくっ付いたのは、こちらを襲う準備と思われます。とりあえず目玉か脳みそ、あるいは司令船を斬り刻んでやります。近い箇所に集まってくれたので作業は楽、的は選び放題」
メグはすうっと息をすい、黒狐に命じた。
「その場に待機なさい。まずわたくしが試したいことがあります」
黒狐がメグを見つめた。珍しく、うろたえる気配がある。
「メグ様」ただならぬ主人の気配に、お福が呼び掛けた。
ふたたび船尾に立ったメグは、迫りつつある巨大な魚に対峙した。距離はあと一息というところ、半ば水面に体を浮かせた大海魔がじわじわと迫りつつある。
メグはじっと海魔を見つめた。巨大な目は、元から悪いのか保護膜で覆われているのか知らないが、白濁して見える。
メグが未の守り手に触れようとしたその時、破裂音が続いた。
化けイカとの勝負に辛勝した装甲哨戒艇が、砲撃を加えはじめたのだ。砲弾は数発が大海魔の胴を直撃し、堅そうな鱗と肉片が飛び散った。
波を蹴立てて進む哨戒艇に、「こりゃ見直した。やつらがこんなに頼もしいなんて」と、お蘭が喜んでいる。
倉健は変わらず半身を水面に露出したまま泳いでいたが、砲が繰り返し咆哮し、ついに頭部に乗った司令船の近くに着弾した。すると突然、海面に渦が巻き起こり、波が船体を叩いた。
倉健がぐっと魚体を海に沈めた。哨戒艇と直接やりあうつもりだろう。
これ幸いと、メグたちの船が離脱をはかったが、黒狐とお蘭がほぼ同時に海を振り向きにらむ。怪しい気配を察したのだ。
風にのって変な音がする。最初は吹き荒む風かと思ったら、
「人の声……まさかね」メグはお福と顔を見合わせた。哭き声に聞こえたのだ。「よし。なにか確かめてやろう」と、ふたたび望遠鏡を構える。
ここがああああああああ
あのよだああああああああ
海の上を、信じがたい速さのなにかが滑るように進んでいる。海蛇だ。
望遠鏡を握りしめたメグが、困ったように黒狐たちを見た。
「いかがなされましたか」
「首」メグは狼狽えつつ懸命に説明した。「首が変なの、枝分かれしてる」
「新手ですか」孔雪がやってきて、メグと望遠鏡を交代した。
「まだ倉健のほうが親しみを覚えます。あれはちょっと…」横からメグが言うと、
「……同感です」と孔雪は認めた。「あまり友達になりたくないかも」
「え、どれどれ、どんなのですか」さらに望遠鏡を交代した美歌が、
「うわああん、ごめんなさい」と、急に海に謝りはじめた。「さっきは気持ち悪いとか言いすぎちゃった。前言訂正します。元の姿に戻って、お願い」
水面すれすれを、うねりながら大きな海蛇は進んでくる。前回以上の速さだ。相違点はもう一つある。頭だ。黒いざんばら髪の青白い顔が二つ、こちらを睨んでいる。妖しい生物どころか、姿は完全に妖怪である。
「はあ」望遠鏡をメグに返し、お福がため息のような声をもらした。
「昔むかし、『段兵衛海峡の人蛇』という船の怪談をよく聞きましたよ。夜中に一人、甲板にいると上半身が人、下半身が海蛇の化け物がきて海に引き込まれると。まさかこの歳になって見るとは。あれは一体、どこから来ましたか」
「おそらく、死にかけの妖術師ミゲルと死にかけの海蛇の妖魔が海中で出会って、くっついたようです」黒狐が申し訳なさそうに解説した。
「わあっ、運命の出会いね。きっと赤い糸で繋がってたんだ」せっかくのお蘭の冗談に、だれも笑わなかった。
「呪具を失い、ほかを変身させられなくなったら、おのれを使ったということでしょう。思ったよりしつこい術師です」そういいつつ、手早く二刀を確かめた黒狐に「どうします」とメグが聞いた。
「私の責任です。けりをつけてきます。皆さんは倉健から逃げるのに集中を。私を置いて行ってください。碧海の港でお会いしましょう」「そんな」
(小舟の操作はわたしが)との思念が響いた。クボが進み出てきた。
「首筋の宝珠を取り去るまで、あいつに近づいちゃだめよ」
メグの言葉にクボは、(この身を縛った呪具はすでに失われました。影響はあっても些少と思います。以前のような頭痛も不快感もありません。それより)
毛に覆われたクボの顔が、悪戯っぽい表情を浮かべているように見えた。
(これを皆さんへの恩返しなどと申しません。ですが、あの妖術師に積年の怒りを伝えるよい機会に思えます。ぜひお許しを)
海上を滑る海蛇ミゲルの周囲には、見るからに妖しい黒雲が湧いていた。
雨に続き雷まで鳴り出し、すさまじい妖気が取り巻いているようだ。不気味にうねる二本の頭に加え、どうみても生首みたいなのがいくつも宙に浮かび、伴走している。海蛇は、いまやすっかり怨霊になってしまっていた。
「首だらけじゃない」お蘭が呆れ声を発した。「けど、あんなブサイクに変化するとは伊達男の名がすたるよな。狐くん、本当にあんなの相手にするの?ほとんど怨霊だし雷まで鳴ってる。考え直しなよ」
クボの小型帆船に乗り込みながら黒狐は、「なんとかなるさ」と気楽そうに言った。「雷雲は見せかけ、雨は海水を巻き上げているだけ。首はどうせ借り物。怨霊になって呪いの圧は高まったろうが、本物の霊力が使えるようになったわけじゃない。お化け屋敷の出し物と変わりないよ」
メグの不安げな顔に気づいた黒狐は、帆を広げた小型船から親指を立てて合図してみせた。そして、どこか晴ればれした口調で、
「先日、美良野の方様が雲を呼ばれたのを拝見し、今さらながら術師の格、あるいは嘘について考えました」と呼びかけた。
「天すら嬉しげに寄り添う姉君の霊力に比べ、豪胆斎とその弟子どもの術は、ただの力技と目眩し。しょせんは匹夫の技に過ぎません。刀槍を振り回すだけのわれら剣術使いと立っている地平は等しい。なんぞ倒せぬことがありましょうか」
孔雪も船尾に来て黙って見送った。表情は平静だが頬は真っ赤だった。
「それに私は一人ではない。クボ女史と二刀という三人の強い味方がいます。お聞きでしょうがこの二刀は疑り深く、術師の詐術などすぐ見破ります」
「すごい仲間たちを信じるというのね。なら、わたくしもそうします」
「はい。ありがとうございます。ではまた、のちほど」
黒狐の腰あたりから、我らをすごいとお認めになった、さすが高貴な方は違う、とささやき合う声がしたが、メグの耳に届かないまま小舟は出て行った。
そおこおかあああああああ
海蛇ミゲルはさらに派手に雄叫びをあげ、ついにはメグたちの船の前面を塞ぐように雷を鳴らした。元が妖術使いだけに、船の隠密機能でも消しきれない航跡や風の乱れを敏感に察知し、行手を遮ろうとする。ただ、
くらけええんん、挟撃だあああああ。ともにまじょひめをば、まかいへおとそうぞおおおおおおおおおおお
などと懸命に呼びかけるのに、肝心の巨大海魔はミゲルなど眼中になく、さっきから装甲哨戒艇と牽制しあっている。
「あっさり無視。ミゲルなど飼い主と思ってないのかね」
気の毒そうな黒狐に、(背景に手柄争いがあるのかも)とクボが伝えた。
(豪胆斎の有力弟子たちは信じられないほど仲が悪く、足の引っ張り合いも珍しくありません。倉健の専任術師は筆頭弟子、源葉庵のもとから派遣されたはず。変貌したミゲルとの合流を拒んでも、特に不思議ではない)
「そのくだらない人間関係は、大師匠の腹黒さを反映してるのかな」
(豪胆斎本人は、くせは強くとも若い兵に親切だったりします。ですが高弟たちの憎しみ合いはすさまじく、隙あらば相手を陥れようとする。ミゲルがああなって一番喜ぶのは、おそらく源葉庵でしょう)
「あら、まあ。でもそれって昔からだったの?」
(豪胆斎の後継者と目され、後輩や兵たちの面倒見も良かった高弟、霧の忠吾の死からひどくなったようです。歯止めがなくなった)
「戻って孔雪嬢に教えてやれば、大喜びしそうな話だなあ」
すべて、まかいにおとしてやるうううう
メグたちの妖精艇に立ちはだかるように体を躍らせ、呪いの言葉を発する海蛇ミゲルに小舟から黒狐が声をかけた。
「それは難しいと思うな。仲間にまで嫌われるあんたに何ができる」
きいさまああああああああ
声の終わらないうちに、透明の触手状のものが一斉に黒狐に襲い掛かった。
砲撃を避け、いったん波間に隠れた大海魔は、哨戒艇の船底をかすめるように浮上した。そして揺れる船に回り込み、ばかでかい口で咥えようとさえした。
角度が悪く砲が当たらないと判断した哨戒艇は、激しい波にも負けず爆雷投下に切り替えた。次々と立ち昇る水柱とともに肉片が海に飛び散り、水面が赤く染まった。舷側にしがみつく兵たちから歓声が起こった。
ところが、倉健の額のあたりから緑色の粘液が哨戒艇に降り注いだ。煙が上がり、悲鳴が聞こえた。爆雷投下にあたった水兵が文字通り溶けたのだ。
横を通過しながら大海魔は哨戒艇を尾で一撃した。傷ついた船体に倉健はもう一度戻って体当たりする。念入りな攻撃に船尾が大きく破損した。
沈没こそしなかったが、哨戒艇はあちこちが浸水し煙を上げ、もはやろくに動けない。大砲も沈黙してしまった。
海魔はゆっくり頭をめぐらすと、おもむろにメグたちの船を追いはじめた。
襲いかかるミゲルの触手を黒狐の刀が薙いだ。だが切断面からすかさず植物の蔓みたいのが生え、より激しくうごめいた。ミゲルが首をのけぞらせ、こう笑した。美しかった顔はもはや崩れ、口は犬のように飛び出している。長い黒髪だけが前と同じだが、乱れるだけ乱れている。
船を反転させ、黒狐への反撃を遮ろうとしたクボにミゲルが目をつけた。
くうぼおおおおおおおおおお
悶える二つの頭を、宙に浮かんだ亡霊の首が取り巻き、黒狐たちを威嚇する。
「ほんとに首だらけだ」黒狐はとっさに船尾に移動し、クボを庇うように二刀を十字に重ねて構えた。すると浮遊していた亡者の首が左右の刃に噛み付いた。
もらったああああああああ
亡者の首が巨大な髑髏へと膨れ上がり黒狐の刀を押さえ込む。みるみるうちに数十の髑髏が刀に取り付いた。勝ち誇ったようにミゲルの首が黒狐を見た。電撃のような思念が彼を襲った。
(じきにお前の大事な姫も自ら滅びる。強すぎる力に弱すぎる心。そのツケだ。安心しろ、心臓の止まる前に僕が存分に魂を食ってやる。あ、身体もいただく)
クボはミゲルをにらみつけた。(こいつ、姫君になにか術を)
(はは。なに、術というより知略。思い通りに駒が動く快感といったらない)
「大海魔がきます。黒狐の回収を一旦諦め、全力で離脱します」お福の声がした。
「最後の爆雷でえーす。これ、大きいから効くよ」とお蘭が手で壺を示した。
「撒く油はまだたっぷりとあります」美歌が言って、甲板にまとめた油樽を指した。孔雪は望遠鏡を目にあてて黒狐たちを追っている。
「まちなさい」メグは揺れる船の上をゆっくりと船尾へと歩いた。
「……?」
「鐘に、頼んでみます」
「えっ」
「私たちを守れと、頼んでみます」
お福は真剣な顔でメグを見つめた。「メグ様、御身に危険が迫っては意味がありません。まずはここを離れましょう。狐めもそれを願うはず。あれはひどい見た目ながらたいした男。あの勇敢な湖水族もついています。いっとき離れ離れになってもかならず、生きて戻ってくるでしょう」
「ええ。でも一度だけやってみるわ」無理に微笑み、メグはふたたび船尾ぎりぎりに立った。
今や海上には強い風が吹いている。だが風の音も、激しく逆巻く波の音も気にはならない。とにかく、命がけで戦う家臣たちを助けたかった。
メグは勇気を奮い起こし、確実に距離を詰めてくる大海魔を見つめた。お福には啖呵を切ったものの、実のところ、どう祈ればいいのかわからない。
-------- 鐘になにをどう祈ろう。海を荒らす乱暴者を制してと願うべきか……。
考え続けるメグの胸に、自分でも理解しにくい哀れみの感情が沸き起こった。眼前の大海魔はたしかに迫力たっぷりの恐ろしげな姿だ。しかし頭には傷が開き、海水に洗われても血が流れ続けている。右のヒレも大きく欠けた。
(海魔に同情してどうするの)
そう思ったが、やつだって術師に無理やり従わされているだけ、との気持ちが消えない。メグは乱れる心を鎮めようと深呼吸した。空気はなま暖かい。
ひとびとを救いたいし、できれば大海魔も開放したい。いくつものことを同時に、大胆に達成したいと願うのは自分の欲張りだとは知っている。求めることを整理し優先順位をつけよう。
まず、なにより仲間たちの命を失いたくない。これが一番。それには目の前の大海魔を退ける必要がある。しかし守り手は本来、祈りを補佐する神具のはず。かなり無理筋の願いにも思える。荒技を実現するにはどうしたらいい?
メグは焦りつつも必死に考えた。あたまのどこかで閃いた。
-------- 伝承が事実なら、鐘は不適格と判断した持ち主の命を奪うことがある。でも逆に、私がこの命をささげたら、もしかして……無理な頼みでも……。
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