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フェリックス・マルタン
皇帝の紫 2
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使用人達が一生懸命、打ち付けた板を外している。
そして、恐縮して頭を下げる領主のダル・ノーザン。
「本当に、申し訳ございません。私は、国王陛下を欺こうとしておりました」
「いや、気にしなくていい。むしろその、エリスに対する忠誠心は称賛に値するものだ」
「お許し頂けるとは……ありがとうございます」
「陛下、わたくしからも感謝申し上げます」
エリスも、深く頭を下げる。
人前ではちょっと他人行儀になるのが寂しいけど、まあ、まだ正式に結婚してないからしょうがないか。
「扉が開きましたので、ご案内致します」
領主について、建物の中に入る。
「ここで、染物の研究と試作をしておりました」
煉瓦造り、平屋建てのその建物の中は、広い空間になっていた。
中央には大きな釜や洗い場等があり、端の方にはテーブルや椅子が置いてある。
「……独特な匂いがするな」
生臭いのと、薬品のような匂いが混ざった空気が充満している。
「さようでございますね。今窓を開けますので」
厚いカーテンと窓を開けると新鮮な空気が入ってきて、それと同時に、木で作られた干し台にかけられていた布が、日の光に輝いた。
「……これが『皇帝の紫』か……」
深い青でもなく、暗い赤でもない色。
花や果実でこれに近い色は見かけるが、それを布に定着する事はできない幻の色。
「……すごいな……」
思わずため息が出てしまう美しさだ。
この布自体に、厄災や魔を退ける力が宿っているようにさえ思える。
「なるほど、『皇帝の紫』と呼ばれるのも納得の、素晴らしさだ」
「それが……実はまだ、納得のいく色ではないのです」
領主が、頭を掻きながら言った。
「まだ色が薄くて……重ねて染めてゆくと色は濃くなるのですが、それと同時に濁りが出て来てしまい、黒っぽくなってしまうのです」
「大昔の戴冠式の際に皇帝が身に着けた『皇帝の紫』で作られた正装が資料館に展示してありまして、わたくしは何度も見た事があるのですが、くすみのない澄んだ深い色だったのです」
「そうか……いや、充分、美しいと思うが……」
そう言いつつ領主を見てみると、困ったような笑顔だ。
きっと俺と同意見だけど、エリスが納得しないって事なんだろうな。
まあ、本物見ちゃうとそうなのかもしれないけど。
「なにか、製法について書き記した物とかは?」
「一応、見つけたことは見つけたのですが、細かい事は書いていなくて。試行錯誤しながらここまでたどり着きましたが、恐らく、最後の仕上げ、とでもいうような一番肝心なところが記されていないと思われます。その部分だけは、書き記さず当主だけが知る秘密だったのではないかと……」
「なるほど……」
『皇帝の紫』と呼ばれ、とんでもない金額で取引される染物だ。そういう扱いなのも納得できる。それにしても、
「エリスはよく、ここまでたどり着けたな。だってこの事について記された書物は見つからなかったんだろう?」
「ええ。それで、ちょっと視点を変えてみようと思いまして」
「視点を変える?」
「この『皇帝の紫』を使った衣装が最後に作られた頃に国に何が起きたかを調べてみたのです。一番大きな出来事は、遷都でした。遷都の理由は、数年前に起きた洪水での被害です。その洪水で、首都周辺の領地でも色々な被害がありました。土砂崩れや、水没、それによって染料となるものが採れなくなり『皇帝の紫』は作ることができなくなったのではないかと考えたのです」
「へぇ……」
「次に、その大洪水の前と後で、繁栄度が変わった所を調べてみました。『皇帝の紫』を作れなくなったせいで、帝国からの扱いが変わったのでは、と思いまして。そうしたところ、いくつか気になる領地が出てきまして、そこについて詳しく調べました」
「うん」
「大昔の事なので、なかなか詳しい事がわからなかったのですが、ある時偶然、夜会でノーザン卿とお会いし、直接話を伺う事ができたのです。そして、キスサスには珍しい巻貝が生息していると知りました」
「巻貝?」
領主を見ると『はい』と頷いた。
「他の生き物は棲めない、温泉水が入り込んでいる池に棲んでいる貝です。食べる事もできるのですが、煮るとなんだか煮汁が赤黒くなって見た目が悪いので、あまり好まれていないんですよ。そのせいで、池にうじゃうじゃいて」
「わたくしは、その貝が染料なのではないかと思ったのです。洪水で池の水質が変わったとか、土砂に埋もれた等の理由で貝が死んでしまい、その後数年は試行錯誤してみたけれども、結局『皇帝の紫』を作ることはできなくなり、帝国はキスサスを切り捨て、遷都したのではないかと」
「なるほど……でも、実は貝は全滅していなくて、長い年月をかけて復活したけど、その頃にはもう『皇帝の紫』について知る人はいなくなっていた、って事か」
「ええ。そういう可能性があると思い、ノーザン卿に色々調べて頂いて」
「先祖の残した日記などを調べているうちに、染物について書かれている物を見つけました」
「……すごいな……」
本当に、すごい。
俺なら、ここまで辿り着けなかったと思う。
「ところでノーザン卿、一つ試して頂きたい事があるんです。染めた絹を洗う際、温泉水を使ってみてもらいたいのです」
「温泉水ですか? 確かに、これまでは普通の水を使っておりました。早速、試してみます」
「お願いします。一日も早く、納得の色が出るように……」
熱っぽく話すエリスに、俺は少し、複雑な気持ちだった。
そして、恐縮して頭を下げる領主のダル・ノーザン。
「本当に、申し訳ございません。私は、国王陛下を欺こうとしておりました」
「いや、気にしなくていい。むしろその、エリスに対する忠誠心は称賛に値するものだ」
「お許し頂けるとは……ありがとうございます」
「陛下、わたくしからも感謝申し上げます」
エリスも、深く頭を下げる。
人前ではちょっと他人行儀になるのが寂しいけど、まあ、まだ正式に結婚してないからしょうがないか。
「扉が開きましたので、ご案内致します」
領主について、建物の中に入る。
「ここで、染物の研究と試作をしておりました」
煉瓦造り、平屋建てのその建物の中は、広い空間になっていた。
中央には大きな釜や洗い場等があり、端の方にはテーブルや椅子が置いてある。
「……独特な匂いがするな」
生臭いのと、薬品のような匂いが混ざった空気が充満している。
「さようでございますね。今窓を開けますので」
厚いカーテンと窓を開けると新鮮な空気が入ってきて、それと同時に、木で作られた干し台にかけられていた布が、日の光に輝いた。
「……これが『皇帝の紫』か……」
深い青でもなく、暗い赤でもない色。
花や果実でこれに近い色は見かけるが、それを布に定着する事はできない幻の色。
「……すごいな……」
思わずため息が出てしまう美しさだ。
この布自体に、厄災や魔を退ける力が宿っているようにさえ思える。
「なるほど、『皇帝の紫』と呼ばれるのも納得の、素晴らしさだ」
「それが……実はまだ、納得のいく色ではないのです」
領主が、頭を掻きながら言った。
「まだ色が薄くて……重ねて染めてゆくと色は濃くなるのですが、それと同時に濁りが出て来てしまい、黒っぽくなってしまうのです」
「大昔の戴冠式の際に皇帝が身に着けた『皇帝の紫』で作られた正装が資料館に展示してありまして、わたくしは何度も見た事があるのですが、くすみのない澄んだ深い色だったのです」
「そうか……いや、充分、美しいと思うが……」
そう言いつつ領主を見てみると、困ったような笑顔だ。
きっと俺と同意見だけど、エリスが納得しないって事なんだろうな。
まあ、本物見ちゃうとそうなのかもしれないけど。
「なにか、製法について書き記した物とかは?」
「一応、見つけたことは見つけたのですが、細かい事は書いていなくて。試行錯誤しながらここまでたどり着きましたが、恐らく、最後の仕上げ、とでもいうような一番肝心なところが記されていないと思われます。その部分だけは、書き記さず当主だけが知る秘密だったのではないかと……」
「なるほど……」
『皇帝の紫』と呼ばれ、とんでもない金額で取引される染物だ。そういう扱いなのも納得できる。それにしても、
「エリスはよく、ここまでたどり着けたな。だってこの事について記された書物は見つからなかったんだろう?」
「ええ。それで、ちょっと視点を変えてみようと思いまして」
「視点を変える?」
「この『皇帝の紫』を使った衣装が最後に作られた頃に国に何が起きたかを調べてみたのです。一番大きな出来事は、遷都でした。遷都の理由は、数年前に起きた洪水での被害です。その洪水で、首都周辺の領地でも色々な被害がありました。土砂崩れや、水没、それによって染料となるものが採れなくなり『皇帝の紫』は作ることができなくなったのではないかと考えたのです」
「へぇ……」
「次に、その大洪水の前と後で、繁栄度が変わった所を調べてみました。『皇帝の紫』を作れなくなったせいで、帝国からの扱いが変わったのでは、と思いまして。そうしたところ、いくつか気になる領地が出てきまして、そこについて詳しく調べました」
「うん」
「大昔の事なので、なかなか詳しい事がわからなかったのですが、ある時偶然、夜会でノーザン卿とお会いし、直接話を伺う事ができたのです。そして、キスサスには珍しい巻貝が生息していると知りました」
「巻貝?」
領主を見ると『はい』と頷いた。
「他の生き物は棲めない、温泉水が入り込んでいる池に棲んでいる貝です。食べる事もできるのですが、煮るとなんだか煮汁が赤黒くなって見た目が悪いので、あまり好まれていないんですよ。そのせいで、池にうじゃうじゃいて」
「わたくしは、その貝が染料なのではないかと思ったのです。洪水で池の水質が変わったとか、土砂に埋もれた等の理由で貝が死んでしまい、その後数年は試行錯誤してみたけれども、結局『皇帝の紫』を作ることはできなくなり、帝国はキスサスを切り捨て、遷都したのではないかと」
「なるほど……でも、実は貝は全滅していなくて、長い年月をかけて復活したけど、その頃にはもう『皇帝の紫』について知る人はいなくなっていた、って事か」
「ええ。そういう可能性があると思い、ノーザン卿に色々調べて頂いて」
「先祖の残した日記などを調べているうちに、染物について書かれている物を見つけました」
「……すごいな……」
本当に、すごい。
俺なら、ここまで辿り着けなかったと思う。
「ところでノーザン卿、一つ試して頂きたい事があるんです。染めた絹を洗う際、温泉水を使ってみてもらいたいのです」
「温泉水ですか? 確かに、これまでは普通の水を使っておりました。早速、試してみます」
「お願いします。一日も早く、納得の色が出るように……」
熱っぽく話すエリスに、俺は少し、複雑な気持ちだった。
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