マルタン王国の魔女祭

カナリア55

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マルタン王国

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 目を丸くしたエリスに見つめられ、フェリックスは頭を掻きながら言う。

「ほら、練習の時はフリをしただけだろう? 『ここで、大司教様が誓いの口づけを、と言ったらしてくださいね』『わかりましたー』ってな感じで」
「ええ」
「だからさ、事前に練習をしておいた方がいいと思って……ほら、初めての口づけが本番っていうのは不安があるから。エリスもそうだろう?」
「わたしは別に、練習しなくても……」
「えっ? あっ、そっか、エリスは皇太子の婚約者だったから……そっかそっか……うん……」

 誤魔化すように笑うが、まったく誤魔化すことができていない。
 がっくりと肩を落とすフェリックスにエリスは戸惑い、少し考え、

「……え? ええっ? いえっ? 違いますよ!? フェリックス様! わたくし、口づけしたことなんてありませんよ!? そうではなくて」

 フェリックスに請われ、敬語を使わないようにして久しいのに、慌てすぎて昔の言い方になってしまった事に気づき、エリスは一つ、深呼吸をしてから言った。

「……そうではなくて……フェルに任せて、わたしは目を閉じて待っていればいいと思っていたから。それで、練習しなくても、と思っただけなの」
「あ! そっか、うん。いやぁ、そうだと思ったよ」

 決してそうではなかったけれど、そんな言葉を堂々と口にし、フェリックスは晴れやかな笑顔で言った。

「えーと、それじゃあ、お互い初めてって事で、本番で失敗しないように練習しておきたいから……練習します!」
「はい!」

 フェリックスにつられ、エリスもシャキッと姿勢を正し、返事をした。

「えーと、距離はこれくらいでいいのかな」
「たぶん……」

 向かい合い、適当と思われるところまで距離を詰める。

「で、大司教様が『誓いの口づけを』と言ったら……」
「わたし、ベールを被っているから」
「そうだそうだ、まずはベールを上げて……」

 今は無いが、ベールを捲り上げる動作をする。

「わたしは、ちょっと顔を上げて目を瞑っていればいいのよね?」
「そうだな、うん」

 その返事を聞くなり、エリスはギューッと固く目を閉じて上を向いた。
 恥ずかしくて目を開けていられないという事だとわかり、フェリックスは『なんて可愛いんだ』とその顔を見ていたが、

『って、いつまでも見ているわけにいかない! 早く口づけしないと! えっ? で、どうすりゃいいんだ? えーと? 口づけだから……唇? そうだよ! 唇と唇を合わせるんだ』

 唇を少し突き出し、ソロソロと顔を近づけるが……思ったほど近づかない。

『えっ? まだ? まだなのか? 顔がこんなに近づいてるのにどうして唇がくっつかないんだ?』

「あの、フェル? キャッ!」
「うわっ! なになに?」

 顔が今にもくっついてしまいそうな状態の時にいきなり目を開けて驚き、そのままひっくり返りそうなほど背を反らしたエリスの腰を、慌てて支えた。

「どうかしたのか!?」
「どうかって……待っても待っても何も起きないから、どうかしたのかと思って目を開けたらフェルの顔があってびっくりして……」
「あー悪い、もう一回最初から! 今度はすぐするから」
「わ、わかりました」

 仕切り直し、再び向き合う。

「大司教が言う。ベールを上げる」
「はい、目を閉じます」

 今度は二人、軍の訓練のようにしてみる。

『恐る恐るじゃ駄目だ! ガッ、と行かないと!』

 戦場で、突撃の合図を出すときのように覚悟を決め、フェリックスは顔を近づけた。
 ほんの少し、唇の表面が触れ合い、はじかれたようにフェリックスは姿勢を戻してしまった。

「うわっ! 失敗した! 早く離れすぎた!」
「だ、大丈夫よ! ちゃんとわかったわ、その……」

 頬を赤くし、エリスは唇にそっと指先をあてた。

「唇が、ちゃんと触れたのが……」
「で、でもさ、これじゃあちょっと……もう一度、いいか?」
「え、ええ……」

 目を閉じ、口づけしやすいようにもう一度顔を上げたエリスの頬に、フェリックスは手を添えた。
 少し驚いたようにピクッと反応したエリスだったが、目を閉じたまま、その姿勢を保った。

 さっきより長く、しっかりと唇が重ねられた後、離れ、頬にあてられていた手も離されたので、全てフェリックスに任せていたエリスはきつく閉じていた目をそっと開けたが、

「あっ……」

 離れたと思っていたフェリックスの顔が、触れそうなくらい近くにあった。

「やだ、びっくりしちゃうじゃない」
 
 照れて困ったように首を傾げたエリスが愛おしくて、我慢しきれずにフェリックスはギュッと抱きしめた。

「フェル? あの……」
「……エリスを苦しめた皇太子も妹も本当に憎いけど……あいつらが愚かだったおかげでエリスと今こうしていられるという事には、感謝しないとな」

 耳元で、囁かれる言葉。

「フフ、そうね。わたしもそう思うわ」

 フェリックスの大きな背中をさすりながら、エリスは笑った。

「何もなかったら、わたし達は出会うはずがなかったんですものね」
「ああ。それに、少しずれていたら、俺達は戦場で剣を合わせていたかもしれない。そしたら俺は、今頃この世にいないかもしれないな」
「何言っているの? フェルの方がわたしより強いわ」
「でもさ、きっと俺、エリスに見とれてしまって斬られてたんじゃないかって……」
「そんなわけないでしょう。そもそも戦場で剣を合わせた時に、顔なんて見てないわ。……本当に、運が良かったわ。奇跡のような事なのね、今こうしていられるのは」
 
 アレクシがシャルロットに心を奪われなければ。シャルロットが皇太子妃、皇后の座を手に入れようとしなければ。エリスが剣術を学んでいなければ……。

 フェリックスが城に呼び戻されなければ。兄王が女騎士を見ようと前線に出なければ。兄王に、逃げた皇太子の追跡を命じられなければ……。

「……心から、感謝するわ……」
「神に?」
「もちろん、神にもだけれど……辛い思いをしながらも、剣を握り懸命に稽古し続けた自分に。生き残れるだけの、力をつけた自分に」

 その言葉に、フェリックスは同意した。

「そうだな、俺もだ。辛い思いをしたけれど、逃げ出さずに王子として努力してきて良かったよ。その褒美だな、これは。最高の、褒美だ!」

 二人は幸運を喜び、大切なお互いをしっかりと抱きしめた。
 互いの体温と呼吸を感じ、もう永遠に離れたくないと思い、フェリックスがちゃんと自室に戻ったか確かめに来たローラに『明後日の結婚式が終わってからにして下さい!』と叱られるまで、二人はお互いを抱きしめていた。

 
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