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 暴走する姉義弟をなんとかなだめ、リュリュナたちは予定どおりに菜っ葉の味噌汁と焼いたイワシで麦飯を食べた。
 それだけでも幸せいっぱい、笑顔で麦飯をほおばるリュリュナを見て、ナツメグとゼトがそろって自身のイワシをリュリュナの皿に乗せようとする、という騒ぎはあったものの、おおむねいつもどおりの菓子舗のいちにちが始まった。

「ふいー。餡もあらかた無くなってきたな」

 ふかしまんじゅうのせいろを開けたゼトが、並んだ器を見てにかりと笑う。今朝、器に山盛りに仕込んだ餡はどれも、のぞき込まなければ確認できないほどに減っていた。
 開け放たれた店の玄関ごしに、台所で作業する姉義弟の姿が見える。
 ゼトの声にリュリュナが振り向いたまさにそのとき立ち上る湯気のなかから現れたのは、ふかりと艶めくまんじゅうたち。なんど見ても心おどる光景に、リュリュナは目を輝かせた。
 そのきらきらの瞳のまま、リュリュナは店の前の道に駆け出て声を張った。

「おまんじゅう! 蒸かしたてですよー! ほかほかふかふか、粒あん、こしあん、おいもの餡に、かぼちゃの餡! どれもとってもおいしいですよ!」

 言いながら、味見させてもらったそれぞれのまんじゅうを思い出すリュリュナは、ついつい声に力がこもる。それを受けて、道行くひとたちは足を止めて店に興味を持ってくれる。
 「うまそうだな」とひとりが買えば、その手のなかでぱかりと割られたまんじゅうから立ち上る湯気を見て、またひとり、またひとりと客が来る。

 さてどの餡にしよう、とおすすめを聞く客にリュリュナは応えつつ、こぶしを握ってどら焼きのうまさを語る。

「どら焼きは皮がふわっとしてるんですよ。おまんじゅうのもちふわとはまた違ったしっとりふわっとした甘めの生地に、餡が挟まれてて。おなかにたまるのはおまんじゅうのほうですけど、どら焼きはこう、心が満たされる幸せなおいしさなのです!」

 結果、ほとんどの客がまんじゅうとどら焼きの両方を買って帰る。
 おかげで、本日のナツ菓子舗はいつになく好調な売れ行きを見せていた。

「まだお昼すぎたばかりなのにねえ。いつもよりずっと早く売り切れになっちゃいそう。これも、リュリュナちゃんのおかげね」

 どら焼きの皮を焼きながら、ゼトにつられて餡の残りを確認したナツメグが言う。
 
「呼び込み上手なのと、とってもかわいいからお客さんもたくさん来てくれるのねえ」

 うふふ、と笑うナツメグの視線の先では、リュリュナが新たにやってきた客とことばを交わしている。ちんまりとした身体で一生懸命に商品の売り込みをするリュリュナが身に着けているのは、ナツメグのおさがりだ。
 白い襟付きシャツは袖を三度折って、ちょうどよかった。すそが広がったスカートはナツメグが履けばひざにかかる程度だが、リュリュナにとってはくるぶし丈だ。それらを身に着けて前掛けをしたリュリュナを見たナツメグは、無言で駆け出し異国の髪飾り、カチューシャを買ってリュリュナの頭につけた。
 リュリュナとゼトは首をかしげていたが、ナツメグは大変良い仕上がりだと、ひとりうなずいた。結果、意図せずリュリュナは異国の女中、メイドのような恰好になっていた。

 そんなリュリュナが連れてきた客に商品を手渡して見送るのを見届けて、ゼトはリュリュナに声をかけた。

「ちびっこ、もう呼び込みはいいぞ。ほとんど売れちまったからな。ちょっと遅くなったが、昼飯がわりに好きなまんじゅう食べていいぞ。好きなだけ食べろ」
「わたしたちはもう少し時間をずらしていただくから、リュリュナちゃんお先にどうぞ」
「わあ、ほんとうですか!」

 喜びにぴょこりと跳ねたリュリュナは、悩みに悩んで粒あんを選んだ。
 粒あんひとつください、と言ったリュリュナに、ゼトもナツメグもそろって全種類食べてもいい、などと言う。むしろもっと食べろ、とすすめてくる。

「そんなにたくさん食べられません!」

 そう言ったリュリュナだったが、けっきょくつぶ餡のほかにかぼちゃ餡のまんじゅうを持たされた。ふたつのまんじゅうを右と左の手にそれぞれ持ったリュリュナは、店を入ってすぐの板間のすみにちょこりと腰かけてまんじゅうをほおばる。
 あんぐり開けたくちからのぞいたちっちゃな牙が、やわらかなまんじゅうの皮にふかりと刺さる。
 そのままぱくりとくちを閉じれば、ふっくりとおいしい湯気がリュリュナの顔のまわりに広がった。

 ―――おいしいぃぃぃ!

 リュリュナが幸せいっぱいで思わず笑顔になった、そのとき。

「こんにちは」

 低く、やわらかな声が店のなかに響いた。落ち着いた、けれどよく通る声だ。

「いらっしゃいませ。あら、副長さま!」

 出迎えるナツメグの声に視線を玄関に向けたリュリュナは、そこに立っていた人物を見て目を丸くした。
 背の高い男だった。着流しに羽織を着て、ゆるく三つ編みにした墨色の髪を胸に垂らしているのがよく似合う、涼やかな男だ。
 側頭部に生えた角がなければ、リュリュナの前世でも衆目を集めただろう男の顔がサングラスで隠れていることをリュリュナは残念に思った。
 けれど、目元以外のパーツがじゅうぶんに美しく、それだけでリュリュナは「モデルさんみたい」と心のなかでつぶやく。
 副長さま、と呼ばれたその男は、ただ立っている姿すら様になる。男をぼんやりと眺めていたリュリュナは、不意にその男の顔がくるりと自分を向いたことに驚き、男の顔がふわりとほころんだのを見て固まった。

「おいしそうですね。俺も昼食がまだなので、ひとついただいてもいいですか」

 口元をほころばせた男の視線は、リュリュナの手にあるまんじゅうに向いていたらしい。
 ゼトの片手に収まるまんじゅうを両手にひとつずつ握っている。そのうえその片方に今まさにばくりと食いついている、そんな自分の状況に気が付いたリュリュナは、くちの中のまんじゅうをあわてて飲み込むべきか。それともおとなしくゆっくり味わうべきか。そんなことを考えて、男の顔をじっと見つめていた。
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