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 大量の売れ残りが出たことで、昼も夕方もそして翌日の朝もたっぷりのまんじゅうとどら焼きを食べたリュリュナは、満腹で翌朝を迎えた。
 寝る前も満腹だったが、起きても腹がすこしも減っていなかった。
 村ではいつも食後一時間もすれば空腹を抱えていた生活が、嘘のようだ。

 ―――うそみたいじゃなくて、村のみんなにもこんな暮らしを本当にしてもらうんだから。

 ナツメグとゼトから差し出されるまんじゅうを食べながらそう決意したのは昨夜のことだったが、さっそく朝から、リュリュナはその決意を縮小させていた。

「ほら、食え。きのうの残りだが、蒸かしなおしたからうまいぞ」
「残っていたどら焼きの生地にお野菜刻んで入れて、お鍋でゆっくり火をいれてみたの。おもしろいでしょう、食べてみてちょうだい」

 少なめの仕込みを終わらせた途端、ナツメグとゼトがリュリュナを取り囲んだ。
 そして、もっと食べろもっと食べろと言う姉義弟の手から逃れることもできなかったリュリュナは、両手にまんじゅうと、どら焼き生地の野菜ケーキを持つはめになった。

「それ食べたら、くっきぃも食っていいからな」
「そうよ、きのうの売れ残りのくっきぃがたくさんあるから、いつでもつまんでね」

 笑顔で告げてくるゼトとナツメグは、とにかくリュリュナにたくさん食べさせようと、ふたりしてはりきっている。

 ―――これは、村には白米が無いって言ったときと同じ反応……。

 ほほをいっぱいに膨らせてむぐむぐとくちを動かすリュリュナは、しゃべれない代わりに心のなかでそっと考えていた。
 この姉義弟は、どうやらリュリュナの村での食事事情を聞くたびに、リュリュナに食べ物を与えようとしてくるらしい。
 そう学んだリュリュナは、黙ってひたすらくちを動かして、開店の時間を待った。

 そうして開店したところで、きのうの今日で客が戻ってくるわけもない。
 きのうと同じく、元からの常連客がちらほらとやってきては商品を買っていく。きのうよりも仕込みの量を減らしたおかげで、昼過ぎには半分ほどが売れていった。
 しかし。

「クッキーだけ、売れませんね……」

 リュリュナが見下ろした番重には、ほかの仕込みと同じく量を減らして焼いたクッキーが、並んでいた。
 まんじゅうやどら焼きがすこしずつ売れていくなか、クッキーだけはほとんど減っていなかった。

 ひとつも売れていないわけでない。
 ごろつきたちがやってくる前にクッキーを買っていた客が「また食べたくなって」と言って、来てくれたのだ。なかには、行列の先頭でリュリュナが転ばされるのを目撃し、ごろつきたちが来たときにノルを呼びに行ってくれた若い客もいた。

「こんなにおいしいんだから、今にあんな噂なくなるよ」

 気づかわし気にそう言ってくれた客たちは、きっとまた来ると約束して帰って行った。
 客に支えられているのだ、と強く感じてうれしくなるリュリュナだったが、それでも、売れ残ったクッキーを見るのは辛い。

「……明日からは、しばらく焼かないほうがいいかしら」

 しょげかえるリュリュナを見かねたナツメグがつぶやいたのに、リュリュナは否定する気力がなかった。

「それとも、ひとりの買える数を増やします……? たくさん買って知り合いに配ろうか、って言ってくれたお客さんもいましたし、ノルさんが来てくれたら、またたくさんほしいって言ってくれるかも……」

 気弱になるナツメグとリュリュナに、ゼトが活を入れる。

「買いにくる客がいるのに、菓子がなくってなにが菓子屋だ。それに、自分たちで決めた規則も守れねえで、どうやって店が守れるってんだ。来てくれてる客がいるんだ、おれたちが耐えて続けなくてどうする!」

 力強いゼトのことばを受けて、ナツメグとリュリュナがくじけそうな心を奮い立たせようとした、そのとき。

「へへっ、耐えられるだけの力があるのかよ」
「客のいねえ店なんざ、そりゃただの戸口を開けっぱなした家と変わらねえよ」

 げらげらと下品な笑い声をあげながら店に入ってきたのは、魚顔の男と四角い顔の男だった。

「おまえら、今日は何しに来た」

 ずい、と男たちの正面に立ったゼトが問いかければ、男たちはにやにやと笑う。

「おやあ? この店は客によって態度を変えねえんじゃなかったっけ? おれたちゃ、ちょいと店に寄っただけなのによお」
「そうそう。どんな商品があるのかのぞいてみるか、と立ち寄っただけなのによ、ひでえ店だなあ」
「……くそっ」

 嫌みたらしく言う男たちに、ゼトは思わず悪態をついた。すると、耳ざとくそれを聞きつけた男たちがさらにいやらしい笑みを深くする。

「くそ、だってよ。なんだ、店員のしつけもなってねえなあ」
「おいおい、ありゃ店員じゃねえよ。しつけする側の奴が客をにらみつけてんだよ、おおこわいこわい」

 言い合って、男たちはさも楽しそうにげらげらと笑い声をあげた。
 店を傷つけるようなことをするわけでも、店員に手を出すわけでもない。商品を選んでいるだけの客だ、と言われてしまえば、守護隊だけでなくゼトも手を出せなくて、歯噛みすることしかできない。

 男たちはそれをわかっているのだろう。
 悔しそうなゼトの顔を見てにたりと吊り上げたくちから、さらなる嫌味を吐き出そうとした、その瞬間。
 かつん、固い音を響かせて、戸口に立つものが居た。

「店に害をなすものを客とは呼びません」

 静かな、けれど凛と通る声が聞こえて、店のなかにいたものは皆、店の戸口に目を向けた。
 
「げえっ、白羽根の……!?」

 四角い顔の男が思わず悲鳴のようにつぶやいたとおり、そこに立っていたのは白い羽根と白い長髪が美しい、白羽根のヤイズミだった。

 戸口近くにごろつきたちがその清廉な姿に思わず後ずされば、ヤイズミはそのぶんするりと歩を進めて店へと入ってくる。
 楚々としたしぐさで敷居をまたいだヤイズミは、ゆるりと首をまわしてゼト、リュリュナそしてナツメグを視界に入れた。
 そして、視界に入れた三人が自分を見返していることを確認してから、ヤイズミは言う。
 
「己に非がないならば、胸を張りなさい。あなたたちがあなたたちの作ったものを信じなくて、誰が信じますか!」
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