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二度目も黄身がつぶれてしまった。けれど殻は入らなくて、ヤイズミも満足気だ。
「殻をとりのぞいて、軽く卵をといたら砂糖と牛乳をいれて混ぜます」
殻を取り除くのはナツメグが担当し、リュリュナの指示に従ってゼトがヤイズミに菜箸を渡したり、鍋に材料を入れたりと協力してすぐにあいすくりんの原液ができた。
「ここからは、どんどん冷やしてひたすら混ぜます」
「では、冷やすのはわたくしが」
「じゃあ、混ぜるのはおれに任せろ!」
ヤイズミが原液の入った銅鍋に手を添えると、ゼトが菜箸を三膳ほどつかんで意気揚々とかき混ぜ始める。
リュリュナは楽し気なふたりの後ろからのぞきこみ「一気に凍らないように、気を付けてください。一部だけかちかちにならないように、底からまぜてくださいね」とくちを出す。
そこへ、使い終えた道具を洗っていたナツメグが、手をふきながら戻ってくる。
ひょい、と鍋のなかをのぞいて楽しみね、と笑ったナツメグは、ふと思い出したように手を合わせた。
「そうだわ。ちょっと聞いておきたかったのですけれど。ヤイズミさまは、ユンガロスさまの婚約者なのですか?」
にこっと微笑みながら放たれた問いに、リュリュナはぱちくりと瞬きをする。それからことばの意味がじわじわ脳に浸透してくると、驚きあわててナツメグに詰め寄った。
「ななな、ナツメグさん、急になんの話をはじめたんですか!」
「いや、たしかにそこは確認しておいたほうがいい」
「ええええ! ゼトさんまで!」
混ぜる手を止めないままにうなずくゼトは、いたって真面目な顔だ。
この姉義弟(きょうだい)はしばしば暴走しがちなことを思い出して、困ったリュリュナはヤイズミに視線を向けた。
銅鍋に添えた手はそのままに、じわりじわりと冷気を与えているのだろう。鍋のなかでかき混ぜられるアイスクリンの原液を見つめるヤイズミは、わずかに眉を寄せている。
そこに不快の感情を読み取って、リュリュナはあわてて声をかけた。
「ほら、ヤイズミさまもそんなこと聞かれたら、迷惑ですよ。ね!」
「……わからないわ」
ぽつりと返ってきた答えに、リュリュナは首をかしげた。リュリュナの横では、ナツメグもまた「あら」とほほに手をあてている。
かき混ぜる手の動きをゆるり、と遅くしたゼトもそろって三人が視線を向けるなか、すこしずつもったりとしてきたアイスクリンをじっと見ながらヤイズミはくちを開いた。
「お似合いだ、とみなが言うのは知っています。強い力を持つ白羽根と並び立つのは黒羽根のユンガロスさまだけだと言われて、育ってきました。幾度かお会いして、ともに過ごしたこともあります」
けれど、とヤイズミの声は力をなくす。
「けれど……あの方といる時を不快には感じなくとも、心地よいと、ずっとお傍に居たいとは思えなくて。かと言って、実家を継ぐほどの力量が己にあるとも思えません。黒羽根のかたといるよりも、白羽根の屋敷で過ごすよりもこの店のほうがよほど、居心地がよいと、感じてしまって。こんな心持ちで結婚など考えもつかなくて……」
ヤイズミがぎゅう、と鍋に添えた手に力を込めると、触れた箇所から白い霜が鍋を覆い、ぱきぱきと音を立ててアイスクリンが固まっていく。
ゆるく動かしていた菜箸までも凍り付かされかけて、ゼトはあわてて菜箸を回す手をはやめた。
「おわ! 姫さん、ちょっと力込めすぎだぜ! かちかちになっちまう」
「いやだわ、制御が甘くなっておりました。お恥ずかしい」
ゼトの声で我に返ったヤイズミが、めずらしく慌てた様子で銅鍋から手を離した。その手をすかさずゼトが握って、自分の目の前にかざす。
「うん、しもやけとかは無さそうだな。ちょいとひんやりはしてるが、問題ないか」
白魚のような指をしげしげと眺めたゼトは、安心したようにつぶやきながら自分の指の腹でヤイズミの手をなでた。氷のように冷たくなることもなく、なめらかな手触りを伝えてくるその手を確かめてにかっと笑ったゼトの前で、ヤイズミの顔に朱が射した。
みるみる赤くなっていくヤイズミを見て、ゼトはふたたび自分の手元に目を落とした。
ゼトの節くれだった指に握りしめられた、ヤイズミの細い指。浅黒いゼトの手のなかにあって、いっそう白さが際立つ繊細な手に気が付いて、ゼトはあわてて手を開いた。
とたんに、ヤイズミの手は白魚のように逃げ出し彼女の胸元に収まった。
「うっわっ、す、すんません! つい、うっかり! いや、その、こんなに冷やして姫さんの手が凍ってないか、心配になっただけでっ」
しどろもどろと言い訳をするゼトと、ほほを染めてうつむくヤイズミを眺めて、ナツメグがにまりと笑う。
手を止めてしまったゼトに代わってアイスクリンをかき混ぜていたリュリュナは、その顔を目撃してびくりと肩をゆらした。
「ということは、婚約はまだなさってないのですね。そして、お家を継ぐおつもりもなく、悩んでいらっしゃる」
「え、ええ」
笑顔で確認するように言うナツメグに、ヤイズミはためらいながらもうなずいた。そのほほはまだ、いくぶん赤い。
ヤイズミがうなずくのを見てますます笑顔を深めたナツメグは、手を胸の前であわせておおきくうなずいた。
「でしたらどうぞ、悩みを吐き出したいときには、ナツ菓子舗にいらしてください。ヤイズミさまに必要なのは、きっと悩みを相談できるご友人だと思うのです」
「友人……」
名案だ、と言わんばかりの表情で告げるナツメグのことばをヤイズミは呆然とつぶやいた。つぶやきながら、ヤイズミがゆるりと視線を向けたのはリュリュナだ。
リュリュナを映すヤイズミのひとみは、澄んだ青色をしているけれど、いまはその青にどこか熱がこもっているようだった。
熱心に見つめられてきょとり、と首をかしげたリュリュナに、ヤイズミがずいと近寄った。
「あなた、リュリュナさん。あの、良かったら、よろしかったらですけれど。わたくしの……友人、になって、くださいません?」
「ひえっ?」
間近から見下ろされながら言われて、リュリュナは驚いた。
驚いたけれど向けられる視線のまっすぐさと、かすかにふるえているヤイズミのとがった耳を見て、にぱっと笑う。抱えるようにしていた銅鍋を台に置いて、リュリュナはヤイズミの手を取った。
「よろこんで! あたしもこの街にお友だちいないから、うれしいです!」
リュリュナが言えば、ヤイズミの顔がぱあっと花開くように明るくなった。微笑むように目を細めたのは、彼女なりの精いっぱいの笑顔なのだろう。
手をにぎりあい花を飛ばしそうな勢いで笑い合うふたりを見て、ナツメグとゼトもうれしそうに笑う。
「姫さん、うれしそうだなあ」
「そうねえ、良かったわあ。リュリュナちゃんのお友だちができて、遊びに来てもらえばゼトくんもうれしいでしょう?」
「んなっ、なに言い出すんだよ、ナツ姉!」
「あらあ、ゼトくんもヤイズミさまにお会いするの楽しみにしてるかと思ったんだけど、違ったかしらあ」
「うっ、うれしくない、わけじゃねえけど。言い方が! なんか、ひっかかるぜ!」
うふふふふ、と笑ったナツメグはゼトを置いて、リュリュナとヤイズミのそばに立った。
小声でやりとりしていた姉義弟の話が聞こえていなかったふたりは、そろってきょとりと不思議そうな顔をナツメグに向ける。
「みんな仲良しになれてうれしいわね、って話していただけ。ゼトくんたら、照れちゃって」
ナツメグが言えば、リュリュナは「そうですね、仲良しです!」と笑い、ヤイズミはうれしそうにほほを染めた。
日暮れの近づくナツ菓子舗のなかは、わいわいとにぎやかな笑顔に満ちていた。
「殻をとりのぞいて、軽く卵をといたら砂糖と牛乳をいれて混ぜます」
殻を取り除くのはナツメグが担当し、リュリュナの指示に従ってゼトがヤイズミに菜箸を渡したり、鍋に材料を入れたりと協力してすぐにあいすくりんの原液ができた。
「ここからは、どんどん冷やしてひたすら混ぜます」
「では、冷やすのはわたくしが」
「じゃあ、混ぜるのはおれに任せろ!」
ヤイズミが原液の入った銅鍋に手を添えると、ゼトが菜箸を三膳ほどつかんで意気揚々とかき混ぜ始める。
リュリュナは楽し気なふたりの後ろからのぞきこみ「一気に凍らないように、気を付けてください。一部だけかちかちにならないように、底からまぜてくださいね」とくちを出す。
そこへ、使い終えた道具を洗っていたナツメグが、手をふきながら戻ってくる。
ひょい、と鍋のなかをのぞいて楽しみね、と笑ったナツメグは、ふと思い出したように手を合わせた。
「そうだわ。ちょっと聞いておきたかったのですけれど。ヤイズミさまは、ユンガロスさまの婚約者なのですか?」
にこっと微笑みながら放たれた問いに、リュリュナはぱちくりと瞬きをする。それからことばの意味がじわじわ脳に浸透してくると、驚きあわててナツメグに詰め寄った。
「ななな、ナツメグさん、急になんの話をはじめたんですか!」
「いや、たしかにそこは確認しておいたほうがいい」
「ええええ! ゼトさんまで!」
混ぜる手を止めないままにうなずくゼトは、いたって真面目な顔だ。
この姉義弟(きょうだい)はしばしば暴走しがちなことを思い出して、困ったリュリュナはヤイズミに視線を向けた。
銅鍋に添えた手はそのままに、じわりじわりと冷気を与えているのだろう。鍋のなかでかき混ぜられるアイスクリンの原液を見つめるヤイズミは、わずかに眉を寄せている。
そこに不快の感情を読み取って、リュリュナはあわてて声をかけた。
「ほら、ヤイズミさまもそんなこと聞かれたら、迷惑ですよ。ね!」
「……わからないわ」
ぽつりと返ってきた答えに、リュリュナは首をかしげた。リュリュナの横では、ナツメグもまた「あら」とほほに手をあてている。
かき混ぜる手の動きをゆるり、と遅くしたゼトもそろって三人が視線を向けるなか、すこしずつもったりとしてきたアイスクリンをじっと見ながらヤイズミはくちを開いた。
「お似合いだ、とみなが言うのは知っています。強い力を持つ白羽根と並び立つのは黒羽根のユンガロスさまだけだと言われて、育ってきました。幾度かお会いして、ともに過ごしたこともあります」
けれど、とヤイズミの声は力をなくす。
「けれど……あの方といる時を不快には感じなくとも、心地よいと、ずっとお傍に居たいとは思えなくて。かと言って、実家を継ぐほどの力量が己にあるとも思えません。黒羽根のかたといるよりも、白羽根の屋敷で過ごすよりもこの店のほうがよほど、居心地がよいと、感じてしまって。こんな心持ちで結婚など考えもつかなくて……」
ヤイズミがぎゅう、と鍋に添えた手に力を込めると、触れた箇所から白い霜が鍋を覆い、ぱきぱきと音を立ててアイスクリンが固まっていく。
ゆるく動かしていた菜箸までも凍り付かされかけて、ゼトはあわてて菜箸を回す手をはやめた。
「おわ! 姫さん、ちょっと力込めすぎだぜ! かちかちになっちまう」
「いやだわ、制御が甘くなっておりました。お恥ずかしい」
ゼトの声で我に返ったヤイズミが、めずらしく慌てた様子で銅鍋から手を離した。その手をすかさずゼトが握って、自分の目の前にかざす。
「うん、しもやけとかは無さそうだな。ちょいとひんやりはしてるが、問題ないか」
白魚のような指をしげしげと眺めたゼトは、安心したようにつぶやきながら自分の指の腹でヤイズミの手をなでた。氷のように冷たくなることもなく、なめらかな手触りを伝えてくるその手を確かめてにかっと笑ったゼトの前で、ヤイズミの顔に朱が射した。
みるみる赤くなっていくヤイズミを見て、ゼトはふたたび自分の手元に目を落とした。
ゼトの節くれだった指に握りしめられた、ヤイズミの細い指。浅黒いゼトの手のなかにあって、いっそう白さが際立つ繊細な手に気が付いて、ゼトはあわてて手を開いた。
とたんに、ヤイズミの手は白魚のように逃げ出し彼女の胸元に収まった。
「うっわっ、す、すんません! つい、うっかり! いや、その、こんなに冷やして姫さんの手が凍ってないか、心配になっただけでっ」
しどろもどろと言い訳をするゼトと、ほほを染めてうつむくヤイズミを眺めて、ナツメグがにまりと笑う。
手を止めてしまったゼトに代わってアイスクリンをかき混ぜていたリュリュナは、その顔を目撃してびくりと肩をゆらした。
「ということは、婚約はまだなさってないのですね。そして、お家を継ぐおつもりもなく、悩んでいらっしゃる」
「え、ええ」
笑顔で確認するように言うナツメグに、ヤイズミはためらいながらもうなずいた。そのほほはまだ、いくぶん赤い。
ヤイズミがうなずくのを見てますます笑顔を深めたナツメグは、手を胸の前であわせておおきくうなずいた。
「でしたらどうぞ、悩みを吐き出したいときには、ナツ菓子舗にいらしてください。ヤイズミさまに必要なのは、きっと悩みを相談できるご友人だと思うのです」
「友人……」
名案だ、と言わんばかりの表情で告げるナツメグのことばをヤイズミは呆然とつぶやいた。つぶやきながら、ヤイズミがゆるりと視線を向けたのはリュリュナだ。
リュリュナを映すヤイズミのひとみは、澄んだ青色をしているけれど、いまはその青にどこか熱がこもっているようだった。
熱心に見つめられてきょとり、と首をかしげたリュリュナに、ヤイズミがずいと近寄った。
「あなた、リュリュナさん。あの、良かったら、よろしかったらですけれど。わたくしの……友人、になって、くださいません?」
「ひえっ?」
間近から見下ろされながら言われて、リュリュナは驚いた。
驚いたけれど向けられる視線のまっすぐさと、かすかにふるえているヤイズミのとがった耳を見て、にぱっと笑う。抱えるようにしていた銅鍋を台に置いて、リュリュナはヤイズミの手を取った。
「よろこんで! あたしもこの街にお友だちいないから、うれしいです!」
リュリュナが言えば、ヤイズミの顔がぱあっと花開くように明るくなった。微笑むように目を細めたのは、彼女なりの精いっぱいの笑顔なのだろう。
手をにぎりあい花を飛ばしそうな勢いで笑い合うふたりを見て、ナツメグとゼトもうれしそうに笑う。
「姫さん、うれしそうだなあ」
「そうねえ、良かったわあ。リュリュナちゃんのお友だちができて、遊びに来てもらえばゼトくんもうれしいでしょう?」
「んなっ、なに言い出すんだよ、ナツ姉!」
「あらあ、ゼトくんもヤイズミさまにお会いするの楽しみにしてるかと思ったんだけど、違ったかしらあ」
「うっ、うれしくない、わけじゃねえけど。言い方が! なんか、ひっかかるぜ!」
うふふふふ、と笑ったナツメグはゼトを置いて、リュリュナとヤイズミのそばに立った。
小声でやりとりしていた姉義弟の話が聞こえていなかったふたりは、そろってきょとりと不思議そうな顔をナツメグに向ける。
「みんな仲良しになれてうれしいわね、って話していただけ。ゼトくんたら、照れちゃって」
ナツメグが言えば、リュリュナは「そうですね、仲良しです!」と笑い、ヤイズミはうれしそうにほほを染めた。
日暮れの近づくナツ菓子舗のなかは、わいわいとにぎやかな笑顔に満ちていた。
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