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足元を見つめていた顔を上げたゼトは、驚きに目をみはる男をまっすぐに見た。
「おれは、あんたを信じる」
率直な意思を伝えられて、男のほうが戸惑った。
その戸惑いを感じたのか、わずかに首をかしげたユンガロスがゼトに問う。
「彼を信じる根拠はありますか?」
「ない」
答えは簡潔だった。
おだやかさをまとっていたユンガロスの目がすっと細くなり、冷ややかな光を帯びてゼトを射抜く。それでも、ゼトはひるむことなくユンガロスを見返して言う。
「根拠はないが、リュリュナがこいつらを信じるって決めたんだ。だから、おれも信じる」
きっぱりとした口調で言い切るゼトに、四角い顔の男は、思わず涙をにじませた。そして、この菓子舗に悪さをしたことを改めて悔いながらも、この菓子舗のひとびとに出会えたことに感謝をした。
ゼトと男を見つめ、しばし目を閉じたユンガロスはひとつ息をつく。
ふたたび開いたひとみには強い光を宿して、室内にいる人びとを見回して、うなずいた。
「良いでしょう。おれも信じます。ただ、それだけの情報で守護隊は動かせません」
「そんなっ」
「現状では、十五歳の少女が数時間帰宅しない。城跡に向かう姿を見たものがいる。それだけのことです。おれは副長として隊員の命を預かる身ですから、私情で命令は出せないのです」
「だったらリュリュナは!」
うなずき、信じると言ったユンガロスのことばに、ナツメグが悲鳴のような声をあげる。それにも冷静に応えるユンガロスに、ゼトが焦りを押さえるのをやめて吠えた。
「ですが……」
四角い顔の男までもが詰め寄ろうとするのにユンガロスが何事かを続けようとしたとき。
「もうし」
細い声がしたかと思えば、とんとんとん、と矢継ぎ早に木戸が叩かれる。
話の腰を折られたユンガロスがくちをつぐむと、ゼトは抑えきれない苛立ちを木戸の外のだれかに向けて、舌打ちしつつ木戸に歩み寄った。
「だれだ、いま取り込みちゅうだ!」
いらいらと言いながらゼトが開けた戸の向こうで、夕闇に白い髪がさらりと流れた。
藍色に染まる空気のなか、戸口の向こうにたたずむそのひとだけが淡く光を放っているように、白く浮かび上がって見えた。
「え、あ、白羽根の姫さん……?」
思わぬ人物に会ってぽかん、とくちを開けるゼトの前で、ヤイズミがきりりと眉を吊り上げた。
彼女の後ろにはふたりの男が控えている。そのひとりの男が持つ提灯の明かりを背負ったヤイズミは、整った顔にすごみを増している。強いひとみに気圧されて思わず後ずさったゼトを追い詰めるように、ヤイズミはずい、と一歩を踏み出した。
「巡邏のかたに聞きました。リュリュナさんが行方不明ですって?」
ヤイズミのことばに、ユンガロスが眉を寄せた。サングラス越しの視線をちろりと向けられた提灯を持つ男が、びくりと肩をふるわせる。
ユンガロスににらまれた巡邏の男が情報を外部に漏らしたことについて小言を言われるより早く、室内にいた四角い顔の男が声をあげた。
「トドノ! 無事伝えられたんだな!」
「ああ。危うかったが、たまたま居合わせた白羽根のお嬢さんに助けられてな」
そう言ってヤイズミの後ろから姿を見せたのは、四角い顔の男の相棒である魚顔の男、トドノだった。
再開を喜ぶ男たちと白い羽根の美しいヤイズミを見回して、ゼトが首をかしげる。
「なんだって、姫さんがこの男といっしょにうちに来るんだ?」
「用があって巡邏の詰め所に向かいましたら、リュリュナさんのことを訴えていらっしゃるところに居合わせました。お話をうかがって、居てもたってもいられなくなりましたので、ごいっしょさせていただいたのです」
ヤイズミが答えれば、巡邏の男は顔を青くしながらもこくこくとうなずいている。さきほどから黙っているユンガロスに、叱責されることを恐れて怯えているのだろう。
けれど一般人を引きつれてきてしまった巡邏の男に構う間はなかった。
「あっ、そうだ、あの女!」
ヤイズミとゼトが話すのを見ていた四角い顔の男が、声を上げた。
「ちっこい嬢ちゃんといっしょにいた女。見覚えがあると思ったら、白羽根のお嬢さんといっしょにいた女だ!」
「……フチが?」
胸につっかえていた疑問がとれた、と晴れやかな声で言う男と反対に、ヤイズミは眉間にしわを寄せた。
そんなヤイズミをじっと見て、トドノもおおきくうなずいた。
「ああ、そうだ。そう言われてみれば、あの女はあんたの後ろに立ってた女だ」
「フチはたしかに、昼ごろから姿が見えません。その相談に巡邏へ赴いたのですから。けれど、それではリュリュナさんの行方不明に当家の侍女が関わっているというの……?」
男たちからもたらされた情報に、ヤイズミは白い顔をいっそう白くさせた。事実を伝えながらもうろたえるようにつぶやく彼女の肩を、思わずゼトが支える。そのとなりで顔を青ざめさせたナツメグは理解が追い付かないのか、「そんな……」とこぼしてよろよろと板間に座り込んだ。
取り乱す人びとのなか、ひとりだけ態度を崩さない男がいた。
「もうじき日が暮れます。動くならば、早いほうがいい」
そう言ったユンガロスに、ヤイズミを支えたままゼトが眉を寄せた。
「けど守護隊は動かせない、って。さっきあんたが」
「守護隊を動かすには、女性ふたりの居所がわからない程度では弱いのは認めましょう。動けたとして女性たちが目撃された箇所の見回り程度です。ですから、おれが行きます」
「は?」
あくまで守護隊は動かせない、というユンガロスが続けた発言に、間抜けた声をあげたのはゼトだけではなかった。
四角い顔の男とトドノ、それに巡邏の男も同じくぽかんとくちを開けていた。ナツメグも目を丸くしているなか、ユンガロスは身にまとっていた黒い羽織をするりと脱いだ。
「守護隊は動かせませんが、おれが個人的な用事で人探しをするぶんには、問題ありません」
そう言って、店から出て行くユンガロスにトドノが声をあげた。
「えっ、でも、ちっちゃい嬢ちゃんが入ってった城門のまわりは、見張りがいっぱい立ってたんだぜ」
「そうだ。それにひとりで行くって、あんたがいくら守護隊の副長でも、危ないんじゃないのか」
ひとりで行ってどうなる、と戸惑うトドノに続いて、ゼトが引き留めるようなことばをかけるが、ユンガロスは足を止めない。
それどころか、肩身がせまそうに立っていた巡邏の男に羽織を預けて、通りに立った。
すっかり陽が落ちて、ひと気のなくなった暗い通りに立ったユンガロスは、黒い髪と黒い着流しのせいで闇に溶け込んでしまいそうだ。
そばに立つ巡邏の男の持つ提灯の明かりを受けて、かろうじて暗がりに輪郭を浮かび上がらせたユンガロスが、肩越しに振り返る。
「見張りなど、知ったことではありません。おれが行って危ないようなところにリュリュナさんをひとり、置いておけるわけがない!」
うなるような声で言ったユンガロスの背中で、闇がざわりとうごめく。
いや、闇ではない。闇色をした翼が、彼の着流しの背中を突き破って広がっていた。
「おれが行きます。おれならば、闇にまぎれて護衛を飛び越えられます」
「おれは、あんたを信じる」
率直な意思を伝えられて、男のほうが戸惑った。
その戸惑いを感じたのか、わずかに首をかしげたユンガロスがゼトに問う。
「彼を信じる根拠はありますか?」
「ない」
答えは簡潔だった。
おだやかさをまとっていたユンガロスの目がすっと細くなり、冷ややかな光を帯びてゼトを射抜く。それでも、ゼトはひるむことなくユンガロスを見返して言う。
「根拠はないが、リュリュナがこいつらを信じるって決めたんだ。だから、おれも信じる」
きっぱりとした口調で言い切るゼトに、四角い顔の男は、思わず涙をにじませた。そして、この菓子舗に悪さをしたことを改めて悔いながらも、この菓子舗のひとびとに出会えたことに感謝をした。
ゼトと男を見つめ、しばし目を閉じたユンガロスはひとつ息をつく。
ふたたび開いたひとみには強い光を宿して、室内にいる人びとを見回して、うなずいた。
「良いでしょう。おれも信じます。ただ、それだけの情報で守護隊は動かせません」
「そんなっ」
「現状では、十五歳の少女が数時間帰宅しない。城跡に向かう姿を見たものがいる。それだけのことです。おれは副長として隊員の命を預かる身ですから、私情で命令は出せないのです」
「だったらリュリュナは!」
うなずき、信じると言ったユンガロスのことばに、ナツメグが悲鳴のような声をあげる。それにも冷静に応えるユンガロスに、ゼトが焦りを押さえるのをやめて吠えた。
「ですが……」
四角い顔の男までもが詰め寄ろうとするのにユンガロスが何事かを続けようとしたとき。
「もうし」
細い声がしたかと思えば、とんとんとん、と矢継ぎ早に木戸が叩かれる。
話の腰を折られたユンガロスがくちをつぐむと、ゼトは抑えきれない苛立ちを木戸の外のだれかに向けて、舌打ちしつつ木戸に歩み寄った。
「だれだ、いま取り込みちゅうだ!」
いらいらと言いながらゼトが開けた戸の向こうで、夕闇に白い髪がさらりと流れた。
藍色に染まる空気のなか、戸口の向こうにたたずむそのひとだけが淡く光を放っているように、白く浮かび上がって見えた。
「え、あ、白羽根の姫さん……?」
思わぬ人物に会ってぽかん、とくちを開けるゼトの前で、ヤイズミがきりりと眉を吊り上げた。
彼女の後ろにはふたりの男が控えている。そのひとりの男が持つ提灯の明かりを背負ったヤイズミは、整った顔にすごみを増している。強いひとみに気圧されて思わず後ずさったゼトを追い詰めるように、ヤイズミはずい、と一歩を踏み出した。
「巡邏のかたに聞きました。リュリュナさんが行方不明ですって?」
ヤイズミのことばに、ユンガロスが眉を寄せた。サングラス越しの視線をちろりと向けられた提灯を持つ男が、びくりと肩をふるわせる。
ユンガロスににらまれた巡邏の男が情報を外部に漏らしたことについて小言を言われるより早く、室内にいた四角い顔の男が声をあげた。
「トドノ! 無事伝えられたんだな!」
「ああ。危うかったが、たまたま居合わせた白羽根のお嬢さんに助けられてな」
そう言ってヤイズミの後ろから姿を見せたのは、四角い顔の男の相棒である魚顔の男、トドノだった。
再開を喜ぶ男たちと白い羽根の美しいヤイズミを見回して、ゼトが首をかしげる。
「なんだって、姫さんがこの男といっしょにうちに来るんだ?」
「用があって巡邏の詰め所に向かいましたら、リュリュナさんのことを訴えていらっしゃるところに居合わせました。お話をうかがって、居てもたってもいられなくなりましたので、ごいっしょさせていただいたのです」
ヤイズミが答えれば、巡邏の男は顔を青くしながらもこくこくとうなずいている。さきほどから黙っているユンガロスに、叱責されることを恐れて怯えているのだろう。
けれど一般人を引きつれてきてしまった巡邏の男に構う間はなかった。
「あっ、そうだ、あの女!」
ヤイズミとゼトが話すのを見ていた四角い顔の男が、声を上げた。
「ちっこい嬢ちゃんといっしょにいた女。見覚えがあると思ったら、白羽根のお嬢さんといっしょにいた女だ!」
「……フチが?」
胸につっかえていた疑問がとれた、と晴れやかな声で言う男と反対に、ヤイズミは眉間にしわを寄せた。
そんなヤイズミをじっと見て、トドノもおおきくうなずいた。
「ああ、そうだ。そう言われてみれば、あの女はあんたの後ろに立ってた女だ」
「フチはたしかに、昼ごろから姿が見えません。その相談に巡邏へ赴いたのですから。けれど、それではリュリュナさんの行方不明に当家の侍女が関わっているというの……?」
男たちからもたらされた情報に、ヤイズミは白い顔をいっそう白くさせた。事実を伝えながらもうろたえるようにつぶやく彼女の肩を、思わずゼトが支える。そのとなりで顔を青ざめさせたナツメグは理解が追い付かないのか、「そんな……」とこぼしてよろよろと板間に座り込んだ。
取り乱す人びとのなか、ひとりだけ態度を崩さない男がいた。
「もうじき日が暮れます。動くならば、早いほうがいい」
そう言ったユンガロスに、ヤイズミを支えたままゼトが眉を寄せた。
「けど守護隊は動かせない、って。さっきあんたが」
「守護隊を動かすには、女性ふたりの居所がわからない程度では弱いのは認めましょう。動けたとして女性たちが目撃された箇所の見回り程度です。ですから、おれが行きます」
「は?」
あくまで守護隊は動かせない、というユンガロスが続けた発言に、間抜けた声をあげたのはゼトだけではなかった。
四角い顔の男とトドノ、それに巡邏の男も同じくぽかんとくちを開けていた。ナツメグも目を丸くしているなか、ユンガロスは身にまとっていた黒い羽織をするりと脱いだ。
「守護隊は動かせませんが、おれが個人的な用事で人探しをするぶんには、問題ありません」
そう言って、店から出て行くユンガロスにトドノが声をあげた。
「えっ、でも、ちっちゃい嬢ちゃんが入ってった城門のまわりは、見張りがいっぱい立ってたんだぜ」
「そうだ。それにひとりで行くって、あんたがいくら守護隊の副長でも、危ないんじゃないのか」
ひとりで行ってどうなる、と戸惑うトドノに続いて、ゼトが引き留めるようなことばをかけるが、ユンガロスは足を止めない。
それどころか、肩身がせまそうに立っていた巡邏の男に羽織を預けて、通りに立った。
すっかり陽が落ちて、ひと気のなくなった暗い通りに立ったユンガロスは、黒い髪と黒い着流しのせいで闇に溶け込んでしまいそうだ。
そばに立つ巡邏の男の持つ提灯の明かりを受けて、かろうじて暗がりに輪郭を浮かび上がらせたユンガロスが、肩越しに振り返る。
「見張りなど、知ったことではありません。おれが行って危ないようなところにリュリュナさんをひとり、置いておけるわけがない!」
うなるような声で言ったユンガロスの背中で、闇がざわりとうごめく。
いや、闇ではない。闇色をした翼が、彼の着流しの背中を突き破って広がっていた。
「おれが行きます。おれならば、闇にまぎれて護衛を飛び越えられます」
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