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「あ、あああ、待ってくれ! まさか。まさか、我らの財産を没収するなどと言わぬよな?」
「なぜ没収されないと思うのです」

 腰を抜かしたまま、はいずってすがりつく赤ら顔の男に、ユンガロスはさも不思議そうに首をかしげた。

「わっ、我らの高貴な身を、血筋を途絶えさせるなどあってはならないことであろ⁉︎ 力ある黒羽根の若君なら、自明の理じゃろ!」

 狐顔の男が甲高い声で言えば、首をかしげたままユンガロスは背中の羽を広げた。ユンガロスの屋号そのものの黒い羽がばさりと音をたて、かがり火をゆらりと揺らす。
 橙色の炎に照らし出された青白い狐顔が色良い答えを期待して見つめるなか、ユンガロスは興味なさげに羽を閉じた。

「あなたがたがおっしゃるところの高貴な血筋を、途絶えさせること。それこそが貴族制度の廃止の理由だと、理解することさえできませんか」

 ふう、とユンガロスが息をつくと同時に、背中でたたまれていた羽が霧散した。かがり火の明かりのなか、黒い羽を形作っていた力のかけらが幻のように宙を舞って消えていく。
 思わず目で追うリュリュナの姿にほほを緩めたユンガロスは、男たちがまだわかっていなさそうな顔で見あげてくる視線を感じて、深く深くため息をついた。

「たしかに、力はないよりあった方が良い。けれど、過ぎた力は必要ありません。大切なひとを守れるだけの力があれば、じゅうぶんです」

 言って、ユンガロスは隣に立っていたリュリュナをぎゅうと抱きしめる。

「わわっ!」

 身長差のせいで頭を抱え込まれたリュリュナは、前が見えなくて慌てて声をあげた。驚きながらも腕の中から逃げ出そうとはしないリュリュナに、ユンガロスが嬉しそうに目を細める。

「そんなっ! そなたにはもっと相応しい、白羽根の姫がおるだろう!」
「美しく、力あるあの姫こそ、そなたに似合う。そうであろ!」

 男たちがわめくのを聞いて、リュリュナは想像した。黒髪で長身美男子のユンガロスと、艶のある白髪を持つすらりとした美女のユンガロスが並ぶ姿。
 対になるに相応しい色合いとほどよい身長差を持つふたりが笑いあうのは、さぞ美しい光景だろう。
 そう思って、リュリュナの胸がつきりと痛む。

 ーーー顔が隠れていてよかった。

 しょんぼりしてしまう顔を見られたくなくてリュリュナは、顔にかかるユンガロスの着物の袖を抱きしめた。

「頼まれもしないのに未婚の男女を添わせようとするのは、老人の悪癖ですよ。俺が好きなのは……」
「わたくしが好いているのは……」
「「リュリュナさんです」」
 
 ユンガロスのことばにかぶせて、誰かの声がする。
 聞き覚えのある声だ、と袖のしたから顔を出したリュリュナは、目の前に舞い降りた白髪の美少女に目を丸くした。

「リュリュナさん、お怪我は⁉︎」

 声と同時に降ってきたのは、白い羽をはためかせたヤイズミだった。
 いつもきりりと引き締まった顔をしているヤイズミが、白髪を乱し泣きそうな顔でリュリュナを引き寄せる。

「お嬢さまっ!」

 ヤイズミの胸に抱きしめられて目を白黒させているリュリュナの背中に、すがるような声がぶつかった。声を向けられたヤイズミは、ひとしきりリュリュナに怪我がないか触ってたしたしかめてから、声のほうに顔を向けた。

「ヤイズミ、お嬢さま……」

 地面に両ひざをついて正座したフチは、ヤイズミのひとみに射抜かれてびくりと顔をうつむかせた。
 暗い地面をじっと見つめくちびるを噛み締めたフチは、こらえきれずに声をあげた。

「お嬢さまは! お嬢さまは、それで良いのですか。お家に相応しい立派な殿方を、諦めてしまわれるのですか!」
「……なにか勘違いしているようだけれど」

 いちどリュリュナを解放したヤイズミは、リュリュナの肩にそっと手を乗せてくちを開く。冷ややかな声とはうらはらに、肩に添えられた手はひどく優しい。

「わたくしは、まわりに似合いだと言われてユンガロスさまとお会いしただけです。ただ、流されるだけのつまらない人間でした」
「そんな! そんなことはっ」
「いいえ。つまらない人間なのです。あなたが、フチがいつもわたくしを褒め称えてくれるから、あなたたちの上に立つのに相応しい振る舞いをしようと、努めていただけ」
「そんな……」

 呆然とつぶやいたフチのひざ先に、ぽつりと雫が落ちる。

「そんな……わたし、わたしの理想のお嬢さまは……」

 ぽつ、ぽつと落ちる粒は、ヤイズミの心を責めるように数を増やしていく。その重みに耐えかねてヤイズミがくちを開くより早く、動いたのは腕のなかのひとだった。

「あなたの理想って、どんなひと?」

 ちいさな緑の頭をこてりとかしげ、リュリュナが尋ねた。唐突で場の空気にそぐわない純粋な疑問をぶつけられ、おどろいたフチは思わず答えた。

「すてきなお姫さま……そう、美しくて、凛としてらして、お傍に仕えることが誇らしいような、そんなお姫さま」
「たしかに、ヤイズミさまは美人だもんね。背筋がぴしっとしてて、指先まですらっときれいで、役に立てたら幸せな気持ちになると思う」

 夢見るように言うフチのことばに、リュリュナはうんうん、とうなずいた。フチが挙げた点をひとつひとつヤイズミに当てはめて、肯定していく。

「そう、そうなのよ。お嬢さまはほんとうに素晴らしい姫さまで。お家は立派だし、人柄も素晴らしくて、下々にまでおやさし過ぎるところが気にかかるけれど、ほんとうに、理想のお姫さまよ」

 リュリュナの肯定を得て、フチの弁が勢いを増す。こぼれていた涙のあとも拭かないままに上げられた顔は、目元が腫れてはいたが明るかった。抑えきれないヤイズミへの思慕で、輝いていた。
 ちいさな、けれど頼もしいリュリュナの背中越しにフチの思いを垣間見たヤイズミは、その重さに胸がきしむ。重みに耐えかねたヤイズミが視線をそらしかけた、そのとき。

「ヤイズミさまは確かにすてきな方だけど、あなたの理想を叶えるために居るお姫さまじゃあ、ないと思うよ」

 そう言ったリュリュナの声は、いたって普通だった。
 責めるようでもなく、諭すようでもなく、ただ、何でもない事実を述べているだけ。
 けれどその事実は、フチの顔から光を消すのに十分だった。

「……どうして? だって、お嬢さまなのよ? 白羽根の姫君なのよ? 世が世なら、お生まれになるのがあと数十年早ければ、イサシロの城主の奥方にだってなれた方なのよ?」
「そうじゃ。白羽根にはそれだけの力がある! その力をみすみす薄れさせるのは、もったいない!」
「いまからでも遅うないはずじゃ。黒羽根の若君とふたり手を取れば、イサシロ城を再建して、この街の貴族に力を取り戻すこととて叶うじゃろ!」

 フチのつぶやきに、赤ら顔の男がおおきくうなずいた。二人の発言に力を得て、狐顔の男が甲高い声をあげる。

「まったく、まだ凝りませんか……」

 自体を静観していたユンガロスがため息をついたとき、じゃりんっ! 金属の鎖がひときわ大きな音を立てた。
 
「ぐぉるうぅっ‼」

 戒められた牙のすき間から怒気のこもったうなり声を吐き出して、異形が暴れる。
 鎖が肉に食い込むのも構わずがちゃん、がちゃんと異形は激しく暴れまわり、その拍子に鎖を縫い留めている杭がじわりと動いた。
 異形の獣が暴れるたび、杭はじわりじわりと地から引き抜かれていく。
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