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すっかり満たされた腹をさすって、チギは両手を合わせて頭を下げる。
「ごちそうさまでした!」
「お粗末さまでした。ほんとうに足りたのかしら? なにか、食後に摘まむ甘いものでも作ったほうがいいかしら……」
「そうだな。飯と汁と青菜だけじゃ足りないだろう。ささっと作れるものをなにか用意するか」
にこにこと笑ったナツメグがほほに手をあてて言えば、ゼトがさっそくと腰を浮かした。
そんなゼトをリュリュナは慌てて引き留める。
「じゅうぶんです、じゅうぶんです! チギだって、もうお腹いっぱいでしょう? 四杯もおかわりしたんだから!」
「ああ。まあ、まだ入るけど」
きっとにらむようにリュリュナが視線を向ければ、チギはにぱっと笑う。
どれだけ食べる気か、と目を剥くリュリュナをよそに、チギはきっちりと座り直すとナツメグとゼトに向き直った。
「じゅうぶん、いただきました。白米は香りがよくてうまかったです。味噌汁も青菜もいい塩加減で、ついついおかわりしちまいました。ほんとうに、ありがとうございました」
「あらあら、ご丁寧に。こちらこそ、いい食べっぷりを見せてもらったわあ」
あらためて頭をさげるチギに、ナツメグも笑顔でぺこりと頭をさげた。
ああ、とうなずいたゼトはひょいと手を伸ばして、チギの髪の毛をわしゃわしゃとかきまぜる。
「行商人見習いしてるんだってか? 遠慮しすぎないで礼儀正しいってのは、はじめての場所でも受け入れられやすいからな。そのまま、がんばれよ」
頭をなでながら贈られた激励に、チギは照れ臭そうに笑った。照れてはいるが、猫耳をへたりと垂れさせてゼトの手を受け入れているあたり、嫌ではないのだろう。
しばらくされるがままになでられていたチギは、ゼトの手が引っ込むのを待ってくちを開いた。
「リュリュナのことも、ありがとうございます。拾ってくれたのがおふたりみたいな良いひとでよかった。こいつ、ひとりにしておくと危なっかしいところがあるから」
「えっ、なにそれ。チギに言われたくないよ!」
食事をしながらリュリュナがナツ菓子舗で働くことになった顛末を聞いたチギは、ふたたび頭を下げた。そこに、年上ぶって心配していた風のことばがまじったことに、リュリュナは素早く反応する。
ほんの少し早く生まれたことと前世の記憶のぶん、自分のほうが年上だと思っているリュリュナだが、チギからの視線は生ぬるい。
ナツメグとゼトまでも、チギのことばにおおきく頷くのを見て、リュリュナは衝撃に目を見開いた。
「そうねえ。こんなかわいい子がひとりでうろうろしていたら、何が起こるかわからないもの。偶然でも、うちのお店に入ってきてくれて本当に良かったわあ」
「まあ、縁があったってことなんだろうな。チギも行商でイサシロに来たときには、うちの店に顔出せよ。そうだ、お前の師匠にもあいさつしときてえな」
ナツメグは頷きついでにうふふと笑う。彼女が本当にうれしそうに笑うものだから、リュリュナもくすぐったいような照れ臭いような、幸せな気持ちになった。お兄さんぶるチギにむっとした気持ちもかき消される。
ナツメグの横でゼトがにっと笑えば、リュリュナもチギもつられたように笑い、ナツ菓子舗の板間におだやかな空気が広がる。
かと思えば、チギがはっとした顔で固まった。頭の猫耳もぴんっと張りつめる。
「あっ、やべっ! じいさんに連絡してなかった!」
ゼトのひとことで、チギは行き先をルオンに知らせずにすっかりくつろいでいたことを思い出した。
リュリュナも、慌てるチギを見てようやく行商の老人の所在に思い至る。
「そういえば、ルオンさんはどうしたの? イサシロまではいっしょに来たんでしょう?」
「積み荷を置きついでに宿を取ってくるって言うから。おれは先に雑貨屋に向かったんだ。そしたら、リュリュナはいないし店はひと月前に閉店したっていうしで、あわてて探しまわって……」
「わわ! じゃあ、ルオンさんも雑貨屋さんのほうに行ってるのかな。迷子になってないかな?」
チギの話を聞いて、リュリュナはあわあわと立ち上がった。「早く探しにいかなきゃ」といまにも駆け出しそうなリュリュナを引き留めたのは、ゼトの声だった。
「長いこと行商人してるんだったら、迷子にゃならねえだろう。それよりも、お前らがうろうろしてすれ違うほうが面倒だ」
落ち着いたようすで言うゼトに、ナツメグが続ける。
「そうねえ。そのおじいさんがどこに宿を取ったのか、わからないんでしょう? チギくんみたいに巡邏に聞いてここに来るかもしれないし、もうしばらく待ってみても良いんじゃない?」
年長者ふたりになだめられて、リュリュナとチギは顔を見合わせた。
リュリュナとチギにしてみればイサシロはずいぶん大きくて、人の多い街だ。けれど長年、行商人として各地の街を行き来してきたであろうルオンからすれば、慣れた街のひとつかもしれない。
そう思うと、あせっていたふたりの気持ちも静まってきた。
「たしかに、いつもの宿だって言ってたな」
「そうだよね。イサシロの街のこと、ルオンさんからたくさん聞いたもんね。あたしの仕事先を探してくれるくらいには、街のこと詳しいはずだし」
ルオンと別れたときのことを思い出しながら言うチギの耳は、安堵からへしょりとわずかに伏せられた。立ち上がって駆け出そうとしていたリュリュナも、力が抜けて板間にこしかける。
ほっとしたふたりは、いそいそと先ほどまで座っていた場所に座り直し、おとなしくルオンを待つことにした。
「そういえば、こっちはもう桜が咲いてるんだな。山のなかの街道沿いの木が、もう散り始めてたぞ」
「ええ! 気づいてなかった!」
腰を落ち着けたチギがもたらした情報に、リュリュナは目を丸くした。
あらまあ、とほほに手を当てたのはナツメグだ。
「そろそろ、そんな季節よねえ。リュリュナちゃんが来たのは、山の雪がなくなるころだったものね。山奥の村だと、花が咲くのはこのあたりより遅いのかしら」
「そうですね。海が近いのもあるだろうけど、この街は温かいから。おれらの村じゃあ、もう半月くらい先かな」
チギが答えれば、ゼトが「しまったな」とあごをさする。
「ばたばた忙しくしてたから、花見に行ってないな。桜もちがおすすめの店もあるし、花見団子もうまいとこを教えてなかった」
「まあまあ! だったら、みんなでお花見に行きましょう! チギくんのお師匠さんが来たら、いっしょにお誘いして」
そう言ったナツメグの声を聞いていたわけではないのだろうが。
「失礼するぞっ!」
ひとこと言うが早いか、がらりと開け放たれた木戸の向こうには、老人の姿。
眉間にしわを寄せたルオンが立っていた。
「ごちそうさまでした!」
「お粗末さまでした。ほんとうに足りたのかしら? なにか、食後に摘まむ甘いものでも作ったほうがいいかしら……」
「そうだな。飯と汁と青菜だけじゃ足りないだろう。ささっと作れるものをなにか用意するか」
にこにこと笑ったナツメグがほほに手をあてて言えば、ゼトがさっそくと腰を浮かした。
そんなゼトをリュリュナは慌てて引き留める。
「じゅうぶんです、じゅうぶんです! チギだって、もうお腹いっぱいでしょう? 四杯もおかわりしたんだから!」
「ああ。まあ、まだ入るけど」
きっとにらむようにリュリュナが視線を向ければ、チギはにぱっと笑う。
どれだけ食べる気か、と目を剥くリュリュナをよそに、チギはきっちりと座り直すとナツメグとゼトに向き直った。
「じゅうぶん、いただきました。白米は香りがよくてうまかったです。味噌汁も青菜もいい塩加減で、ついついおかわりしちまいました。ほんとうに、ありがとうございました」
「あらあら、ご丁寧に。こちらこそ、いい食べっぷりを見せてもらったわあ」
あらためて頭をさげるチギに、ナツメグも笑顔でぺこりと頭をさげた。
ああ、とうなずいたゼトはひょいと手を伸ばして、チギの髪の毛をわしゃわしゃとかきまぜる。
「行商人見習いしてるんだってか? 遠慮しすぎないで礼儀正しいってのは、はじめての場所でも受け入れられやすいからな。そのまま、がんばれよ」
頭をなでながら贈られた激励に、チギは照れ臭そうに笑った。照れてはいるが、猫耳をへたりと垂れさせてゼトの手を受け入れているあたり、嫌ではないのだろう。
しばらくされるがままになでられていたチギは、ゼトの手が引っ込むのを待ってくちを開いた。
「リュリュナのことも、ありがとうございます。拾ってくれたのがおふたりみたいな良いひとでよかった。こいつ、ひとりにしておくと危なっかしいところがあるから」
「えっ、なにそれ。チギに言われたくないよ!」
食事をしながらリュリュナがナツ菓子舗で働くことになった顛末を聞いたチギは、ふたたび頭を下げた。そこに、年上ぶって心配していた風のことばがまじったことに、リュリュナは素早く反応する。
ほんの少し早く生まれたことと前世の記憶のぶん、自分のほうが年上だと思っているリュリュナだが、チギからの視線は生ぬるい。
ナツメグとゼトまでも、チギのことばにおおきく頷くのを見て、リュリュナは衝撃に目を見開いた。
「そうねえ。こんなかわいい子がひとりでうろうろしていたら、何が起こるかわからないもの。偶然でも、うちのお店に入ってきてくれて本当に良かったわあ」
「まあ、縁があったってことなんだろうな。チギも行商でイサシロに来たときには、うちの店に顔出せよ。そうだ、お前の師匠にもあいさつしときてえな」
ナツメグは頷きついでにうふふと笑う。彼女が本当にうれしそうに笑うものだから、リュリュナもくすぐったいような照れ臭いような、幸せな気持ちになった。お兄さんぶるチギにむっとした気持ちもかき消される。
ナツメグの横でゼトがにっと笑えば、リュリュナもチギもつられたように笑い、ナツ菓子舗の板間におだやかな空気が広がる。
かと思えば、チギがはっとした顔で固まった。頭の猫耳もぴんっと張りつめる。
「あっ、やべっ! じいさんに連絡してなかった!」
ゼトのひとことで、チギは行き先をルオンに知らせずにすっかりくつろいでいたことを思い出した。
リュリュナも、慌てるチギを見てようやく行商の老人の所在に思い至る。
「そういえば、ルオンさんはどうしたの? イサシロまではいっしょに来たんでしょう?」
「積み荷を置きついでに宿を取ってくるって言うから。おれは先に雑貨屋に向かったんだ。そしたら、リュリュナはいないし店はひと月前に閉店したっていうしで、あわてて探しまわって……」
「わわ! じゃあ、ルオンさんも雑貨屋さんのほうに行ってるのかな。迷子になってないかな?」
チギの話を聞いて、リュリュナはあわあわと立ち上がった。「早く探しにいかなきゃ」といまにも駆け出しそうなリュリュナを引き留めたのは、ゼトの声だった。
「長いこと行商人してるんだったら、迷子にゃならねえだろう。それよりも、お前らがうろうろしてすれ違うほうが面倒だ」
落ち着いたようすで言うゼトに、ナツメグが続ける。
「そうねえ。そのおじいさんがどこに宿を取ったのか、わからないんでしょう? チギくんみたいに巡邏に聞いてここに来るかもしれないし、もうしばらく待ってみても良いんじゃない?」
年長者ふたりになだめられて、リュリュナとチギは顔を見合わせた。
リュリュナとチギにしてみればイサシロはずいぶん大きくて、人の多い街だ。けれど長年、行商人として各地の街を行き来してきたであろうルオンからすれば、慣れた街のひとつかもしれない。
そう思うと、あせっていたふたりの気持ちも静まってきた。
「たしかに、いつもの宿だって言ってたな」
「そうだよね。イサシロの街のこと、ルオンさんからたくさん聞いたもんね。あたしの仕事先を探してくれるくらいには、街のこと詳しいはずだし」
ルオンと別れたときのことを思い出しながら言うチギの耳は、安堵からへしょりとわずかに伏せられた。立ち上がって駆け出そうとしていたリュリュナも、力が抜けて板間にこしかける。
ほっとしたふたりは、いそいそと先ほどまで座っていた場所に座り直し、おとなしくルオンを待つことにした。
「そういえば、こっちはもう桜が咲いてるんだな。山のなかの街道沿いの木が、もう散り始めてたぞ」
「ええ! 気づいてなかった!」
腰を落ち着けたチギがもたらした情報に、リュリュナは目を丸くした。
あらまあ、とほほに手を当てたのはナツメグだ。
「そろそろ、そんな季節よねえ。リュリュナちゃんが来たのは、山の雪がなくなるころだったものね。山奥の村だと、花が咲くのはこのあたりより遅いのかしら」
「そうですね。海が近いのもあるだろうけど、この街は温かいから。おれらの村じゃあ、もう半月くらい先かな」
チギが答えれば、ゼトが「しまったな」とあごをさする。
「ばたばた忙しくしてたから、花見に行ってないな。桜もちがおすすめの店もあるし、花見団子もうまいとこを教えてなかった」
「まあまあ! だったら、みんなでお花見に行きましょう! チギくんのお師匠さんが来たら、いっしょにお誘いして」
そう言ったナツメグの声を聞いていたわけではないのだろうが。
「失礼するぞっ!」
ひとこと言うが早いか、がらりと開け放たれた木戸の向こうには、老人の姿。
眉間にしわを寄せたルオンが立っていた。
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