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花より団子?それよりも……

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 昼下がりの街道に、桜の花びらがはらはらと降ってくる。
 見上げた空は雲がかすんだうすい色をしている。枝を彩るあわい花びらが、溶けてしまいそうなやわらかな景色だった。

「わああ、まんかいっ!」

 空を見上げたリュリュナは、けぶるような視界に目を見開いて歓声をあげた。
 
「ほんとねえ。散る前に見られて良かったわあ」

 リュリュナと並んで目を細めたナツメグは、にこにこと笑っていた顔をふと暗くしてほほに手を当てため息をつく。
 ゆるりと巡らされた視線は、ここに居ない者の姿を探してそっと伏せられた。

「チギくんも来られたら良かったのに」

 昨晩もナツ菓子舗でゼトの部屋に宿泊したチギは、今朝になって呼びに来たルオンに連れられて行ってしまった。待っていた船荷の第一便が、届いたらしい。
 夜明けとともに現れたルオンが「仕事だ! 行くぞ!」と寝ぼけ眼で寝ぐせだらけのチギを連れて行ってしまったのだ。
 それきり、店を開けても商品が売り切れても戻って来ないため、仕方なしにチギ不在のまま花見の会場へと移動となった。

「仕方ないですよ、お仕事だから。チギも場所はわかってるはずだから、仕事が終わったらここに来るかもしれないですし」

 残念がるナツメグをなぐさめながら、リュリュナ自身もしょんぼりとした様子を隠さずにいた。
 眉を下げて笑ってみせるリュリュナのほほに、そっと触れた長い指はユンガロスのものだ。

「そんなに寂しそうな顔をされては、おれまで悲しくなってしまいます。おれでは、リュリュナさんを笑顔にすることはできませんか?」

 桜の花とかすんだ空という淡い色彩のなか、黒髪に黒い着物を着たユンガロスはやけに目立つ。そのうえ小柄な少女の前で膝をついているとなれば、誰しも何かあったかと思うのだろう。
 イサシロの街を出入りする通行人たちから視線を向けられて、リュリュナはおろおろすることしかできない。

「えぇと、その、そういうことじゃなくって……」
「リュリュナさんが困っておいででしょう」

 顔を赤くしたままもごもごと喋るリュリュナの前に、白髪をなびかせたヤイズミが立ちふさがるように現れた。
 淡い色彩を持つ彼女は、その美しさと相まってまるで桜の花の精だ。こちらもまた、ひと目を引く容姿をしているため、ますます通行人の視線が集まってくる。

 しかしユンガロスとヤイズミはそんなもの感じていないのか、一方は底冷えのする笑みを浮かべて、もう一方はぴりりと張り詰めた真顔で見つめ合う。

「立場もある殿方が、そのようにあからさまな態度を取られては、リュリュナさんだって反応に困りますでしょう。ユンガロスさまほどのお方なら、ご想像に難くないと思いますけれど」
「立場など、色恋沙汰のまえではなんの意味も持ちませんよ。ヤイズミ嬢もそのように澄ました顔で黙っていては、意中の相手に伝わるものも伝わりませんよ」

 刺々しい声で言うヤイズミに、ユンガロスはさらりと返す。ユンガロスが意中の相手、とくちにした後に、ヤイズミの顔がじわじわと赤くなりだした。ユンガロスの発言に続く反論もない。
 おや、とユンガロスがわずかに表情を変えたとき、少し離れた桜の木の向こうからゼトがひょっこり顔を出した。

「おーい、このあたり良さそうだぞー! 荷物持ってきてくれー」

 落ち着く場所を探しに行っていたゼトの呼び声に、リュリュナは助かったとばかりに荷物を持って「先に行ってますね!」と駆けて行く。
 そのちいさな後ろ姿を目で追ったユンガロスは、横で同じくリュリュナを見ているヤイズミに視線をやって、おやおや、と目を細めた。

「あなたの父君を説得するなら、力添えいたしましょうか?」

 顔を赤く染めたヤイズミの視線は、菓子舗の青年に向いている。そういえば、街道に出るまでのあいだもリュリュナの隣を歩きながら、ヤイズミの目はちらちらとゼトを見ていたな、とユンガロスは思い至った。

「なっ、なにをおっしゃっているのか、わかりかねます!」

 必要以上に大きな声で否定するヤイズミの態度が、ユンガロスの推測を揺るぎないものにする。
 一気に赤みを増した顔を見ていれば、一目瞭然だ。

「隠す必要などないでしょう。おれは元貴族の枠を取り払うことに賛成しています。その一環として、白羽根ほど力のある家のお嬢さんと街のいち菓子舗の青年の恋路を応援するのは、なにもおかしくないでしょう」

 副長としての顔で微笑を浮かべてみせるユンガロスに、ヤイズミはわずかに視線を泳がせるが、すぐにきりりと顔を引き締めた。

「うっ、い、いいえ、結構です! 黒羽根の方に借りを作ればあとが恐ろしいことくらい、わたくしも存じております」 
「おや、警戒されたものですね。おれは借りなどとちいさなことを言うつもりはありませんよ。なにせあなたは、大切なリュリュナさんの友人ですからね」

 にっこりと笑うユンガロスをヤイズミはじっとりと見返す。

「大切なのはリュリュナさんであって、友人(わたくし)ではないでしょう? そのような方、信用なりません!」
「リュリュナさんが大切なのは当然のことです。それはそれとして、父君に打ち明け難いと悩まれたときはいつでもどうぞ」

 警戒心を隠さず言うヤイズミに、ユンガロスはなにを今更、と言わんばかりの態度で答えた。
 呆れるべきか、感謝するべきか、決めかねたヤイズミはくちをへの字にしてぷいと顔をそらす。

「……父には、わたくしから伝えるつもりです。その、気持ちが、もうすこし固まったら、ですけれど……」

 もごもごと喋るヤイズミの長い耳は、赤く染まっていた。
 それを見やったユンガロスは、くすりと笑う。ほほえましげに細められた目にヤイズミが気づくことはなかった。

「ユンガロスさま、ヤイズミさん、ナツメグさーん! とってもきれいですよー! はやくはやくー!」

 遠くからでもわかるほどにこにこと笑ったリュリュナが、桜の下で手を振って呼んでいる。
 途端に、ゆるりと表情を溶かしたユンガロスはそちらへ向かって歩きだし、ぴたりと足を止めて振り向いた。

「いつのまにかリュリュナさんに『ヤイズミさん』と呼ばれるその抜け目なさがあれば、白羽根のご当主を説得するなど、さほど難しくはないでしょうね」

 それだけ言って、ユンガロスは荷物を抱えなおすとまたすたすたと歩いて行く。

「な、な……なんて嫌味ったらしい殿方なのでしょう!」

 別の意味で顔を赤くしたヤイズミは、ふるふると震えながらユンガロスの背中をにらみつける。

「あのような殿方にリュリュナさんを任せられるものですか……!」

 手にした風呂敷をぎりぎりと握りしめて歩き出すヤイズミの足取りは、いつもより幾分、荒々しい。
 そんなユンガロスやヤイズミをそばでひっそり見守っていたひとが、ひとり。

「うふふふふ。すっかり春ねえ」

 それぞれの姿を見送ったナツメグは、ほほに手を当ててにこにこと笑うのだった。
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