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ユンガロスの翼は大きく、力強い。また翼をもつ本人もゆったりと構えているせいか、飛ぶ姿そのものも大変に優雅に燃える。
しかし、黒い翼をもつ男に抱えられての飛行は、優雅な移動……とはいかなかった。
「こ、こ、こわかった……‼」
最後に運ばれてきたチギは、ユンガロスの腕から解放されるなりへなへなと座り込んで震えている。猫耳はぺったりと伏せられて、顔色は真っ青だ。
「ユングさんの羽根、かなり速度出るから……。クッキー食べなくて、良かったでしょ?」
チギの背をなでながら、リュリュナが苦笑する。
前世の記憶で言えば、ユンガロスの飛ぶ速度は安全運転の車くらいだろうか。そう例えるしかないほど、リュリュナたちの生活はゆったりしている。
チギが知っている一番早い乗り物は、おそらく馬車だろう。乗馬の習慣がないここでは、ユンガロスの飛行速度は飛びぬけている。
覚悟もなく体験したチギが腰を抜かすのも仕方のないことだった。
「荷物のない状態でチギくんの体重でしたら、もう少し速く飛べますよ。少々力を使いすぎたので、いますぐには無理ですが」
微笑むユンガロスに、チギは無言でふるふると頭を振っている。地に足の着かない高速移動が、よほどこたえたらしい。
高速移動がこたえたのは、運び手であったユンガロスも同様だ。
涼しい顔をしてはいるものの、ユンガロスは手近な岩に腰を下ろして動こうとしない。体力の回復に努めているのだろう。
「昔、貴族が力の誇示のために羽根を見せて歩いとったが、これほど自在に飛べるとはなあ」
ルオンが珍しく素直に感心してみせる程度には、ユンガロスの翼は珍しいものらしい。
「ほあー。じゃあ、いつも羽根を出してるヤイズミさんはすごいんですねえ」
「彼女の場合は生まれつき、羽根が生えていたようですね。白羽根には時折、力が強く出すぎて操作が難しい者が生まれるようです。仕舞えない羽根というのも、邪魔になりますからね」
イサシロで暮らしている友人の白い翼を思い出しながら言うリュリュナに、ユンガロスが苦笑する。
想像して、リュリュナは「あー」と納得した。背中に羽根があっては、寝転がるのも一苦労だろう。
「さて。休憩がまだ必要か? そろそろ陽が暮れちまったから、この坂を超えて村に行こうじゃねえか」
ルオンの呼びかけに、ユンガロスがゆっくりと立ち上がる。それを見て、チギもよろよろと起き上がった。
荷物を背負ってしゃっきり立ったリュリュナも、目の前にあるゆるい坂に視線を向ける。
左右を巨木に挟まれた道を飛んで移動したおかげで、四日の行程を半日で踏破できた。
リュリュナたちの生まれ育った村は、もう目の前だった。
「荷物運ぶひと、だれか呼んできましょうか?」
「いいえ。リュリュナさんの生まれ故郷を訪れるのですから、手土産くらい自分で持たせてください」
心配げに見上げてくるリュリュナにそう答えたユンガロスは、重たい荷物を背負い直して歩き出す。
いくらも行かないうちに坂の頂上が見えて、やがて坂の向こうに広がる村の全貌が見えて……来ない。
「……暗いですね」
「あはは。蝋燭も灯火ようの油も満足にないですからねえ。手、つなぎましょうか」
深い谷の底から斜面にかけてあるはずの村は、見事に闇に沈んで見えない。
それどころか、谷の底に降りるための道すら見つけることができない。そんなユンガロスに、リュリュナが手を差しだした。ためらうことなく乗せたユンガロスの手は、ちいさな指にぎゅうと握られる。
「チギのほうがはっきり見えてるらしくて早いですけど、あたしも道を覚えてるから案内できます。着いてきてくださいね」
チギは猫耳をしているだけあって、夜目がきくのだろう。急な斜面をひょいひょいと身軽に下りていく少年の姿が、暗闇のなかにちらちらと見える。ルオンはそのあとを追って行ったようだ。
「明るくなったら、もういちどリュリュナさんに案内してもらっても良いですか」
「もちろん!」
黒眼鏡を外せばある程度、夜目が効くことは言わないままユンガロスはリュリュナに手を引かれるままに歩いていく。ふたりでことばを交わしながらゆっくりと斜面を下りて平地についたころ、前方の暗がりから物音がした。
「だれ? チギ?」
「リュリュナ……?」
問いかけたリュリュナに答えたのは、やわらかい女性の声。
早くなったリュリュナの足取りに合わせて前に進んだユンガロスは、建物だろう大きな黒い影のそばに佇む小柄な人影に気が付いた。
「お母さん?」
リュリュナがそう言ったとき、建物から飛び出してくる人影がひとり、ふたり。
「リュリュナ!」
「姉ちゃん!」
聞こえた呼びかけに、咄嗟に背後にかばっていたリュリュナを解放して、ユンガロスは一歩下がった。
そこへ、人影が飛びでてきた建物から提灯をぶら下げて出て来たのはチギだ。
「おばちゃん、おっちゃん、ルトゥも、リュリュたちを家のなかに入れてやれよ。こんなとこじゃ顔も見えねえだろ」
「それもそうよね。ごめんなさいね、チギくん」
「ああ、すまん」
「姉ちゃん荷物、持つよ」
チギに促されてぞろぞろと移動した先では、ルオンが板間に腰かけて待っていた。ルオンの横には欠けた皿が置かれて、そのうえに不似合いな立派な蝋燭が置かれている。
「これ、おれからの土産。ちょっと暗いけど、もう自己紹介して寝るくらいだからいいだろ。じゃ、また明日な!」
「わしゃ坊主の家で厄介になるからな。お前さんらも、さっさと寝ちまえよ」
そう言って、チギとルオンはさっさと家を出て行った。
残されたのは、リュリュナとユンガロス、それからリュリュナの家族たちだ。
「リュリュナ、よく帰ってきた」
「元気にしてたの? ルオンさんと帰ってくるなんて、街でなにかあった?」
「ただいま、元気だよ! 今回は、お土産を持ってきたの」
リュリュナの肩を抱いて言う両親に、リュリュナはにこにこ笑顔で答える。
元気な返事に、部屋のすみに荷物を置きに行っていたリュリュナの弟ルトゥがそっとくちの前に指を立てた。
「お帰り、姉ちゃん。ちびたちが寝てるから」
「わわっ、そうだった」
あわててくちをふさいだリュリュナが、そろりと板間に目を向ける。
蝋燭の明かりでぼんやりと照らされた狭い部屋のなかに敷かれた布団が、ちいさくふくらんでいる。そこに、ちびたちと呼ばれた子どもが寝ているのだろう。
「ええと、そちらの方は?」
リュリュナの視線を追っていたユンガロスに、リュリュナの母親が目を向ける。
ユンガロスは背中の荷物が大きすぎて、戸口がくぐれずに立っていた。狭い家とはいえ、戸口のあたりまでは蝋燭の明かりが届かず、ユンガロスはただ黒い影となって戸口をふさいでいる。
それに気が付いたリュリュナが、慌ててユンガロスの元に駆けていって荷物を下ろすのを手伝う。ユンガロスの手を引いて蝋燭の明かりの輪に連れてくると、言った。
「こちらは、ユンガロスさん。記念すべき、我が家のはじめてのお客さまだよ!」
なぜか誇らしげに笑ったリュリュナは、えへんと胸を張る。ちっぽけな牙が、蝋燭の光にきらりと光った。
しかし、黒い翼をもつ男に抱えられての飛行は、優雅な移動……とはいかなかった。
「こ、こ、こわかった……‼」
最後に運ばれてきたチギは、ユンガロスの腕から解放されるなりへなへなと座り込んで震えている。猫耳はぺったりと伏せられて、顔色は真っ青だ。
「ユングさんの羽根、かなり速度出るから……。クッキー食べなくて、良かったでしょ?」
チギの背をなでながら、リュリュナが苦笑する。
前世の記憶で言えば、ユンガロスの飛ぶ速度は安全運転の車くらいだろうか。そう例えるしかないほど、リュリュナたちの生活はゆったりしている。
チギが知っている一番早い乗り物は、おそらく馬車だろう。乗馬の習慣がないここでは、ユンガロスの飛行速度は飛びぬけている。
覚悟もなく体験したチギが腰を抜かすのも仕方のないことだった。
「荷物のない状態でチギくんの体重でしたら、もう少し速く飛べますよ。少々力を使いすぎたので、いますぐには無理ですが」
微笑むユンガロスに、チギは無言でふるふると頭を振っている。地に足の着かない高速移動が、よほどこたえたらしい。
高速移動がこたえたのは、運び手であったユンガロスも同様だ。
涼しい顔をしてはいるものの、ユンガロスは手近な岩に腰を下ろして動こうとしない。体力の回復に努めているのだろう。
「昔、貴族が力の誇示のために羽根を見せて歩いとったが、これほど自在に飛べるとはなあ」
ルオンが珍しく素直に感心してみせる程度には、ユンガロスの翼は珍しいものらしい。
「ほあー。じゃあ、いつも羽根を出してるヤイズミさんはすごいんですねえ」
「彼女の場合は生まれつき、羽根が生えていたようですね。白羽根には時折、力が強く出すぎて操作が難しい者が生まれるようです。仕舞えない羽根というのも、邪魔になりますからね」
イサシロで暮らしている友人の白い翼を思い出しながら言うリュリュナに、ユンガロスが苦笑する。
想像して、リュリュナは「あー」と納得した。背中に羽根があっては、寝転がるのも一苦労だろう。
「さて。休憩がまだ必要か? そろそろ陽が暮れちまったから、この坂を超えて村に行こうじゃねえか」
ルオンの呼びかけに、ユンガロスがゆっくりと立ち上がる。それを見て、チギもよろよろと起き上がった。
荷物を背負ってしゃっきり立ったリュリュナも、目の前にあるゆるい坂に視線を向ける。
左右を巨木に挟まれた道を飛んで移動したおかげで、四日の行程を半日で踏破できた。
リュリュナたちの生まれ育った村は、もう目の前だった。
「荷物運ぶひと、だれか呼んできましょうか?」
「いいえ。リュリュナさんの生まれ故郷を訪れるのですから、手土産くらい自分で持たせてください」
心配げに見上げてくるリュリュナにそう答えたユンガロスは、重たい荷物を背負い直して歩き出す。
いくらも行かないうちに坂の頂上が見えて、やがて坂の向こうに広がる村の全貌が見えて……来ない。
「……暗いですね」
「あはは。蝋燭も灯火ようの油も満足にないですからねえ。手、つなぎましょうか」
深い谷の底から斜面にかけてあるはずの村は、見事に闇に沈んで見えない。
それどころか、谷の底に降りるための道すら見つけることができない。そんなユンガロスに、リュリュナが手を差しだした。ためらうことなく乗せたユンガロスの手は、ちいさな指にぎゅうと握られる。
「チギのほうがはっきり見えてるらしくて早いですけど、あたしも道を覚えてるから案内できます。着いてきてくださいね」
チギは猫耳をしているだけあって、夜目がきくのだろう。急な斜面をひょいひょいと身軽に下りていく少年の姿が、暗闇のなかにちらちらと見える。ルオンはそのあとを追って行ったようだ。
「明るくなったら、もういちどリュリュナさんに案内してもらっても良いですか」
「もちろん!」
黒眼鏡を外せばある程度、夜目が効くことは言わないままユンガロスはリュリュナに手を引かれるままに歩いていく。ふたりでことばを交わしながらゆっくりと斜面を下りて平地についたころ、前方の暗がりから物音がした。
「だれ? チギ?」
「リュリュナ……?」
問いかけたリュリュナに答えたのは、やわらかい女性の声。
早くなったリュリュナの足取りに合わせて前に進んだユンガロスは、建物だろう大きな黒い影のそばに佇む小柄な人影に気が付いた。
「お母さん?」
リュリュナがそう言ったとき、建物から飛び出してくる人影がひとり、ふたり。
「リュリュナ!」
「姉ちゃん!」
聞こえた呼びかけに、咄嗟に背後にかばっていたリュリュナを解放して、ユンガロスは一歩下がった。
そこへ、人影が飛びでてきた建物から提灯をぶら下げて出て来たのはチギだ。
「おばちゃん、おっちゃん、ルトゥも、リュリュたちを家のなかに入れてやれよ。こんなとこじゃ顔も見えねえだろ」
「それもそうよね。ごめんなさいね、チギくん」
「ああ、すまん」
「姉ちゃん荷物、持つよ」
チギに促されてぞろぞろと移動した先では、ルオンが板間に腰かけて待っていた。ルオンの横には欠けた皿が置かれて、そのうえに不似合いな立派な蝋燭が置かれている。
「これ、おれからの土産。ちょっと暗いけど、もう自己紹介して寝るくらいだからいいだろ。じゃ、また明日な!」
「わしゃ坊主の家で厄介になるからな。お前さんらも、さっさと寝ちまえよ」
そう言って、チギとルオンはさっさと家を出て行った。
残されたのは、リュリュナとユンガロス、それからリュリュナの家族たちだ。
「リュリュナ、よく帰ってきた」
「元気にしてたの? ルオンさんと帰ってくるなんて、街でなにかあった?」
「ただいま、元気だよ! 今回は、お土産を持ってきたの」
リュリュナの肩を抱いて言う両親に、リュリュナはにこにこ笑顔で答える。
元気な返事に、部屋のすみに荷物を置きに行っていたリュリュナの弟ルトゥがそっとくちの前に指を立てた。
「お帰り、姉ちゃん。ちびたちが寝てるから」
「わわっ、そうだった」
あわててくちをふさいだリュリュナが、そろりと板間に目を向ける。
蝋燭の明かりでぼんやりと照らされた狭い部屋のなかに敷かれた布団が、ちいさくふくらんでいる。そこに、ちびたちと呼ばれた子どもが寝ているのだろう。
「ええと、そちらの方は?」
リュリュナの視線を追っていたユンガロスに、リュリュナの母親が目を向ける。
ユンガロスは背中の荷物が大きすぎて、戸口がくぐれずに立っていた。狭い家とはいえ、戸口のあたりまでは蝋燭の明かりが届かず、ユンガロスはただ黒い影となって戸口をふさいでいる。
それに気が付いたリュリュナが、慌ててユンガロスの元に駆けていって荷物を下ろすのを手伝う。ユンガロスの手を引いて蝋燭の明かりの輪に連れてくると、言った。
「こちらは、ユンガロスさん。記念すべき、我が家のはじめてのお客さまだよ!」
なぜか誇らしげに笑ったリュリュナは、えへんと胸を張る。ちっぽけな牙が、蝋燭の光にきらりと光った。
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