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翌日、のどかな村の朝はおよそ一年ぶりのにぎわいを見せていた。
常であれば畑仕事に精を出すひとたちは、手に手に荷物を抱えて山の斜面を登っていく。きつい斜面を登るひとびとの顔は、荷物を抱えてなお笑顔であふれていた。
そのあとを、炊事洗濯を済ませたひとたちがいそいそと追うように登っていく。
年老いた者に手を貸し、歩けない幼児や赤子を背負って斜面を登る彼らの足取りはひどくゆっくりだが、そこに苦痛の色はない。遅くとも、楽しげなようすで村人たちは進んでいく。
ひとびとが目指すのは、村長の家よりさらにうえ。斜面を登りきった先だった。
「これはまた……見事な桜ですね」
脚の悪い老人を背負って一団の最後尾を歩いてきたユンガロスは、たどりついた斜面のうえで一本の木を見上げていた。
てっぺんまで視界におさめようと思えば首が痛くなるほどに見上げねばならない桜の木は、縦よりも横に大きい。ずんと太い幹を持つ桜は、枝垂れた枝のしたに集う村人たちを抱き込むかのように、枝を四方に広げていた。
人びとの声でにぎわう桜の巨木は朝のつゆにしめり、黒々とたたずんでいる。
「すごいですよね。満開になるともっとすごいんですよ」
ユンガロスのとなりで木を見上げたリュリュナは、そう言いつつも五分咲きの桜にほほをゆるめていた。
五分咲きとはいえ、淡い桃色をした可憐な花をつけた枝がいくすじも垂れている様は、じゅうぶんに美しい。
昨日、桜の咲き具合を見に登った村長は「思ってたより早く咲いてるなあ、このあいだ見たときはまだまだかと思ってたんだが」と首をかしげながら戻ってきて「それじゃあ明日、祭りだな!」と盛り上がる村人たちに押し切られたのだった。
いま、桜の木の下では村人たちが総動員して敷物を広げ、料理を並べ、飲み物を置いてまわっている。
全員で協力したおかげで、あっという間に桜を囲む宴席ができあがる。
手に手に酒や茶の入った木の椀を持った村人たちは、そろって村長に熱い視線を送っていた。
桜を背に立った村長は、てんでに筵(むしろ)に座る村人たちの前でくちを開く。
「えー、今年はリュリュナとチギというふたりの若者が、出稼ぎに街へ降りるという大きな出来事があった。そして、ふたりは街へ出てからひと月少々でありながら、さっそく村のために多くの物資を届けてくれた。また、ふたりと縁の出来た街の方がたが善意の土産物が」
「話が長いぞー」
「わかりやすくまとめてー」
かしこまって話しだした村長のことばをさえぎり、野次が飛ぶ。座っている村人たちのあいだでどっと笑いが起こり、場の雰囲気は一気にゆるんだ。
「あー、そうだなあ。お客さまがいるからって、変に肩肘はるこたねえな。えー、なんだ。そんじゃまあ」
村長までも空いた手で頭をかいて、明るく笑う。
「リュリュナもチギも、ありがとう! たくさんの土産をくださったお客さまにもありがとうございます! それから、リュリュナたちに土産を持たせてくれた街のひとにも、ありがとう!」
「「「ありがとう!」」」
村長が片手に持った木の椀を高く掲げるのにあわせて、村人たちも自身の椀を空に掲げた。
たくさんの感謝の声がひとつのかたまりになって、桜のしたに大きく響く。
そのあまりのにぎやかさと気軽さに、ユンガロスはあっけにとられて周囲につられて椀を揺らした。
はじめの音頭を取ってしまえば、あとはもう飲んで食べての大騒ぎだ。ぼろぼろの筵(むしろ)のうえは、楽しむことこそ大切だと言わんばかりに笑顔一色に染まる。
「リュリュナの働いてるお店のひとへのお礼は、どうしたらいいかなあ」
乾杯用に配られたリュリュナの買ってきた酒を傾けながらつぶやくのは、リュリュナの父親だ。
ずんぐりとした背中を丸めてうなる姿に、リュリュナはゼトからの言われたことを思い出した。
「ええとね。お土産を持たせてくれたひとは、村で作ってるそばの実を食べてみたいんだって。街では白米ばかりだから、珍しいみたい」
「おお! そうなのか。それなら、わたしらの家にあるそばを持っていっておくれ。ひと袋、いやふた袋くらいなら待てるかい?」
お礼の品が手元にあるもので賄えるとわかって、リュリュナの父は明るい声をあげた。
「うーん、姉義弟(きょうだい)ふたりだから、あんまりたくさん持って行ってもきっと困らせちゃうかなあ」
「そうかあ。でも、あまりに少ないのもなあ。ほかに何かあったかなあ」
うんうんとうなる親子に、ユンガロスだった。
「ゼトくんはそばだけでいいと言っていましたよ。彼の人柄からして、ほかの品物を添えても受け取らないのでは」
「じゃあ、そばをひと袋だけですか?」
それでいいのだろうか、と顔に書いてあるリュリュナに問われて、ユンガロスは迷いなくうなずいた。
「リュリュナさんのご実家が無理なく出せるだけの量でないと、きっとゼトくんは自ら米袋を背負ってでもお返ししに来ますよ」
「あー……たしかに」
リュリュナが出会って間もないころのゼトを思い出して同意すれば、リュリュナの父は眉をハの字にする。
「そうなのかい? 無理なくっていうと、袋半分がぎりぎりかなあ」
困り顔をしたリュリュナの父に、そばにいた村の男が気がついて声をあげた。
「なんだい、お返しの話なら村のみんなで決めなくちゃ!」
「そうだよ。梅干しやらなにやら、村のみんなに配ってくれたじゃないか。だったらお返したって村のみんなでするべきさ」
「そばのひと袋くらい、各家から少しずつ集めれば集めればなんとでもなるさ」
「そうだ、そうだ。それより今は、いい酒があるんだから気持ちよく飲もう! 黒髪のお客さまがくださった酒、うまいぞう!」
ひとりの男が声をかけたのをきっかけに、周りにいた村人たちが次々にリュリュナの父にことばを投げる。
おかげですっかり憂いが晴れたのだろう、リュリュナの父は「みんな、ありがとう」と笑顔を見せて、空の椀を手にいそいそと酒瓶のほうへと移動していった。
見れば、ルオンも酒を飲むひとの輪に入っている。周囲の村人たちから「今年も良い買い物ができた」と感謝されては、ふんと鼻を鳴らして椀を傾ける。
「あー、やはりいい酒はうまいな。うまいせいで飲みすぎちまう。顔が暑くってしようがねえや」
誰になにを言われるでもなく、その顔の赤さを酒のせいだと声に出すルオンに、村人たちはくすくすと笑っていた。
そんなルオンの姿を笑っていたチギの周りにも、ひとことお礼を言おうと村人が集まってくる。
「チギ坊も、立派になったもんだなあ。おっちゃん荷馬車なんて乗ったこともないなあ」
「ほんとだよ。昔はリュリュナちゃんの後ついて回ってたがきんちょが、今では馬車を操って旅暮らしだってんだから、たいしたもんだ」
「チギくんにあやかれるように、うちの子の頭なでとくれよ」
あれよあれよと言う間に、チギの周りは子どもを抱えた親で埋まっていく。
「お、おれが撫でたところで何があるわけじゃねえし! でも、なんだ。撫でるくらいでいいなら、いくらでも来いよ!」
チギはおとなに絡まれて感謝され、照れながらもうれしそうに笑っている。頭のうえの猫耳が、機嫌良さげにぴくぴくと動いている。
桜のしたの宴は、はじまったばかりだった。
常であれば畑仕事に精を出すひとたちは、手に手に荷物を抱えて山の斜面を登っていく。きつい斜面を登るひとびとの顔は、荷物を抱えてなお笑顔であふれていた。
そのあとを、炊事洗濯を済ませたひとたちがいそいそと追うように登っていく。
年老いた者に手を貸し、歩けない幼児や赤子を背負って斜面を登る彼らの足取りはひどくゆっくりだが、そこに苦痛の色はない。遅くとも、楽しげなようすで村人たちは進んでいく。
ひとびとが目指すのは、村長の家よりさらにうえ。斜面を登りきった先だった。
「これはまた……見事な桜ですね」
脚の悪い老人を背負って一団の最後尾を歩いてきたユンガロスは、たどりついた斜面のうえで一本の木を見上げていた。
てっぺんまで視界におさめようと思えば首が痛くなるほどに見上げねばならない桜の木は、縦よりも横に大きい。ずんと太い幹を持つ桜は、枝垂れた枝のしたに集う村人たちを抱き込むかのように、枝を四方に広げていた。
人びとの声でにぎわう桜の巨木は朝のつゆにしめり、黒々とたたずんでいる。
「すごいですよね。満開になるともっとすごいんですよ」
ユンガロスのとなりで木を見上げたリュリュナは、そう言いつつも五分咲きの桜にほほをゆるめていた。
五分咲きとはいえ、淡い桃色をした可憐な花をつけた枝がいくすじも垂れている様は、じゅうぶんに美しい。
昨日、桜の咲き具合を見に登った村長は「思ってたより早く咲いてるなあ、このあいだ見たときはまだまだかと思ってたんだが」と首をかしげながら戻ってきて「それじゃあ明日、祭りだな!」と盛り上がる村人たちに押し切られたのだった。
いま、桜の木の下では村人たちが総動員して敷物を広げ、料理を並べ、飲み物を置いてまわっている。
全員で協力したおかげで、あっという間に桜を囲む宴席ができあがる。
手に手に酒や茶の入った木の椀を持った村人たちは、そろって村長に熱い視線を送っていた。
桜を背に立った村長は、てんでに筵(むしろ)に座る村人たちの前でくちを開く。
「えー、今年はリュリュナとチギというふたりの若者が、出稼ぎに街へ降りるという大きな出来事があった。そして、ふたりは街へ出てからひと月少々でありながら、さっそく村のために多くの物資を届けてくれた。また、ふたりと縁の出来た街の方がたが善意の土産物が」
「話が長いぞー」
「わかりやすくまとめてー」
かしこまって話しだした村長のことばをさえぎり、野次が飛ぶ。座っている村人たちのあいだでどっと笑いが起こり、場の雰囲気は一気にゆるんだ。
「あー、そうだなあ。お客さまがいるからって、変に肩肘はるこたねえな。えー、なんだ。そんじゃまあ」
村長までも空いた手で頭をかいて、明るく笑う。
「リュリュナもチギも、ありがとう! たくさんの土産をくださったお客さまにもありがとうございます! それから、リュリュナたちに土産を持たせてくれた街のひとにも、ありがとう!」
「「「ありがとう!」」」
村長が片手に持った木の椀を高く掲げるのにあわせて、村人たちも自身の椀を空に掲げた。
たくさんの感謝の声がひとつのかたまりになって、桜のしたに大きく響く。
そのあまりのにぎやかさと気軽さに、ユンガロスはあっけにとられて周囲につられて椀を揺らした。
はじめの音頭を取ってしまえば、あとはもう飲んで食べての大騒ぎだ。ぼろぼろの筵(むしろ)のうえは、楽しむことこそ大切だと言わんばかりに笑顔一色に染まる。
「リュリュナの働いてるお店のひとへのお礼は、どうしたらいいかなあ」
乾杯用に配られたリュリュナの買ってきた酒を傾けながらつぶやくのは、リュリュナの父親だ。
ずんぐりとした背中を丸めてうなる姿に、リュリュナはゼトからの言われたことを思い出した。
「ええとね。お土産を持たせてくれたひとは、村で作ってるそばの実を食べてみたいんだって。街では白米ばかりだから、珍しいみたい」
「おお! そうなのか。それなら、わたしらの家にあるそばを持っていっておくれ。ひと袋、いやふた袋くらいなら待てるかい?」
お礼の品が手元にあるもので賄えるとわかって、リュリュナの父は明るい声をあげた。
「うーん、姉義弟(きょうだい)ふたりだから、あんまりたくさん持って行ってもきっと困らせちゃうかなあ」
「そうかあ。でも、あまりに少ないのもなあ。ほかに何かあったかなあ」
うんうんとうなる親子に、ユンガロスだった。
「ゼトくんはそばだけでいいと言っていましたよ。彼の人柄からして、ほかの品物を添えても受け取らないのでは」
「じゃあ、そばをひと袋だけですか?」
それでいいのだろうか、と顔に書いてあるリュリュナに問われて、ユンガロスは迷いなくうなずいた。
「リュリュナさんのご実家が無理なく出せるだけの量でないと、きっとゼトくんは自ら米袋を背負ってでもお返ししに来ますよ」
「あー……たしかに」
リュリュナが出会って間もないころのゼトを思い出して同意すれば、リュリュナの父は眉をハの字にする。
「そうなのかい? 無理なくっていうと、袋半分がぎりぎりかなあ」
困り顔をしたリュリュナの父に、そばにいた村の男が気がついて声をあげた。
「なんだい、お返しの話なら村のみんなで決めなくちゃ!」
「そうだよ。梅干しやらなにやら、村のみんなに配ってくれたじゃないか。だったらお返したって村のみんなでするべきさ」
「そばのひと袋くらい、各家から少しずつ集めれば集めればなんとでもなるさ」
「そうだ、そうだ。それより今は、いい酒があるんだから気持ちよく飲もう! 黒髪のお客さまがくださった酒、うまいぞう!」
ひとりの男が声をかけたのをきっかけに、周りにいた村人たちが次々にリュリュナの父にことばを投げる。
おかげですっかり憂いが晴れたのだろう、リュリュナの父は「みんな、ありがとう」と笑顔を見せて、空の椀を手にいそいそと酒瓶のほうへと移動していった。
見れば、ルオンも酒を飲むひとの輪に入っている。周囲の村人たちから「今年も良い買い物ができた」と感謝されては、ふんと鼻を鳴らして椀を傾ける。
「あー、やはりいい酒はうまいな。うまいせいで飲みすぎちまう。顔が暑くってしようがねえや」
誰になにを言われるでもなく、その顔の赤さを酒のせいだと声に出すルオンに、村人たちはくすくすと笑っていた。
そんなルオンの姿を笑っていたチギの周りにも、ひとことお礼を言おうと村人が集まってくる。
「チギ坊も、立派になったもんだなあ。おっちゃん荷馬車なんて乗ったこともないなあ」
「ほんとだよ。昔はリュリュナちゃんの後ついて回ってたがきんちょが、今では馬車を操って旅暮らしだってんだから、たいしたもんだ」
「チギくんにあやかれるように、うちの子の頭なでとくれよ」
あれよあれよと言う間に、チギの周りは子どもを抱えた親で埋まっていく。
「お、おれが撫でたところで何があるわけじゃねえし! でも、なんだ。撫でるくらいでいいなら、いくらでも来いよ!」
チギはおとなに絡まれて感謝され、照れながらもうれしそうに笑っている。頭のうえの猫耳が、機嫌良さげにぴくぴくと動いている。
桜のしたの宴は、はじまったばかりだった。
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