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「ついに……結婚式ですね」

 緊張した面持ちでリュリュナがつぶやく。
 本日は晴れの日とあって、いつもは質素な装いのリュリュナもめかし込んでいる。

「ええ。リュリュナさん、よくお似合いですよ」

 ユンガロスは満足そうに笑って、リュリュナの髪飾りをそっとなでた。
 彼女の緑髪を彩る金の髪飾りは、ユンガロスが贈ったものだ。同じく贈ろうと思っていたのに本人の強い希望で貸し服となってしまった振り袖に合わせて、選んだのだった。

「大振りの花飾りにしようか、最後まで悩みましたが。繊細な金鎖があなたの翡翠色の髪によく映えますね。まるで草木に降りた夜露が、朝陽にきらめいてきるかのようです」
「えへへ。ありがとうございます。あ、出てきましたよ!」

 ふにゃんと笑ったリュリュナは、開かれたふすまの向こうから姿を現した花嫁に声をはずませた。
 白い絹糸で豪奢な刺繍が施された白無垢に身を包むのは、ヤイズミだ。
 そして、うつむき加減に楚々と進んだ彼女のとなりには、黒の羽織袴をまとったゼトがいる。

 本日は、ゼトとヤイズミの結婚式。
 白羽根のお屋敷じゅうのふすまを取り払って、広くなった座敷にたくさんの招待客が並んでいた。

 結婚式の日取りを告げられたのはほんの数日前。ようやく、謎の光による騒動が落ち着いてきたころだった。

 少しずつ戻ってきた客を相手に、ナツメグとリュリュナが仕込みの量をそろそろ増やしはじめようか、と相談していたとき。
 不意に帰宅したゼトが、顔を赤くしながら言ったのだ。

「結婚することになった。姫さんと」

 それからは、あっという間だった。ゼトがもぎ取って来たという準備期間の七日間で、あちらこちらに知らせを出し店も開きつつ、身支度をどうしようと悩んだところへ現れたのがユンガロスだ。
 
「白羽根の当主から聞きました。ゼトくんの着物は当主の紋付羽織袴があるそうなので、女性陣の衣装はおれが手配させていただこうかと」

 にこやかにリュリュナの手を取ったユンガロスは、あれもこれもと買い込もうとするものだから、それを阻止するのが一番大変だったように感じるリュリュナだった。

「おやおや、白羽根の当主はすでに泣いておられる」

 ユンガロスのつぶやきに視線を前に戻せば、ヤイズミの手を引いて来た男、ヤイズミの父が泣きながら地団駄を踏んでいる。

「ううぅ、ヤイズミ、きれいだよ……こんなにきれいにしたのも、全部その男のためだなんて……父さまは、父さまは!」

 泣きながらヤイズミの手を離さない父に、ヤイズミは切なげに涙を浮かべ、招待客からは生ぬるい視線が送られる。

「往生際の悪いこと」

 じたばたする当主を一言で切って捨てたのは、ヤイズミによく似た面差しの黒髪美人。誰が見ても、ヤイズミの母とわかるひとだった。

「ご自身で早う結婚しろ、とおっしゃったのでしょう。嫌ならば、はじめから認めなければよろしいものを」
「あんなに、あんなに素直に頭を下げられちゃあ、どうしようもないじゃないかあ!」
「ならば、素直にお認めなさいまし。恰好悪うございます」

 ぴしゃりと言われて、ヤイズミの父はしぶしぶ、非常に嫌そうに、名残惜しそうに花嫁の手を離した。
 ゆるゆると引っ込むその手を掴んだのは、花婿ゼトだ。

「義父上(ちちうえ)。これから末永く、よろしくお願いします」
「う、うわああん! ヤイズミを幸せにしないと、許さないんだからなーーー‼︎」

 とうとう涙腺を決壊させて恥も外聞もなく泣き出した新婦の父を、新郎がなぐさめる。新郎の親族席では、ナツメグがうふふと笑い、急遽海から戻ったナツメグの夫にしてゼトの兄がはははと笑っている。
 そうして、にぎやかに結婚式がはじまった。

「……おれたちはまだまだ未熟なので、みんなに助けてもらうこともたくさんあると思います。どうか、これからもよろしくお願いします。本日はお集まりいただきありがとうございました」
 
 粛々と式は進み、最後に新郎ゼトが挨拶をする。新郎新婦、両家の家族がそろって招待客に頭を下げ、数秒後。
 ぱっと顔をあげたゼトが、にっと笑って声を張る。

「堅苦しいのはここまでだ。あとは、好きに飲み食いして騒いでくれ。料理は白羽根の屋敷の料理人、自慢の品と、おれと姫さんが作ったものもある。ナツ菓子舗のうまい菓子もあるから、どんどん食べてくれ!」

 ゼトの声を合図に、屋敷の者たちが手に手に料理の乗った皿を抱えて座敷に入ってくる。それと同時に、ヤイズミはお色直しへと席を立った。
 招待客らが喜びの歓声をあげるなか、ひときわ大きな声で喜んだのはノルだった。

「おおー! 食べるっす、食べるっす! 次の給料日までのぶん、食いだめするっすよー!」
「……恥ずかしい。席替えたい」

 皿を運ぶ者を手招きするノルの横で、ソルが顔を覆ってつぶやいている。
 
「まったく、ノルはいつになったら落ち着きを覚えるのでしょうね」
「あはは。今日くらいはいいじゃないですか。あ、ケーキ出てきましたよ! ナツ菓子舗のみんなで作った、ウェディングケーキなんですよ!」

 ため息をつくユンガロスに笑っていたリュリュナは、先導するように入ってきた色打掛姿のヤイズミに目を奪われ、そして最後に運び込まれた大皿が新郎新婦の元へ運び込まれるのを見て声をあげた。

 結婚式に特別な菓子を、ということでウェディングケーキを提案したのはもちろんリュリュナだ。
 搾りたての生乳があればなあ、と呟いたところ、白羽根の縁者が酪農家の元まで同行して生乳を冷やしながら運搬してくれた。そのおかげで、煮沸せずに飲める生乳が手に入り、クリームを分離することができたのだ。

 さすがに式の最中にケーキ入刀とはいかなかったが、会食のはじまりに切ろうとゼトが言ってくれたため、しっかりと皆の注目を浴びている。
 真っ白なクリームに集められるだけの果物を集めて飾ったケーキを見るのは、誰もがはじめてだった。
 
 招待客も白羽根の家の者たちも誰もが大きくてきれいなケーキに目を奪われるなか、ユンガロスはリュリュナの横顔を見つめてつぶやく。

「リュリュナさんのその知識は、どこから来ているのでしょう」
「ふえ?」

 きょとん、としたリュリュナが振り向くと、真面目な顔のユンガロスと視線があった。

「以前から、気になってはいたのです。あなたは未知の知識をいくつも持っている。発想力に優れていると考えるには確信を持って行動しているようですし、独自の単語まで伴っているのが不思議です」
「あの……ええと……」

 まさか祝いの場で言い出されると思ってもいなかったリュリュナは、おおいに慌てた。そしてあわあわしながら必死に考えた結果、告げる。

「……前世の、あたしが生まれる前に生きてたころの記憶があるって言ったら、笑いますか?」

 恐る恐る問いかけたリュリュナがユンガロスのようすをうかがうと、黒眼鏡の向こうでぱちりとまばたきする目とぶつかった。
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