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一章 別れと出会い
12、行き過ぎた美形っていっそ暴力なのね
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ゆめが繰り返し見るのは悲しい夢だ。
両親と別れた日の夢は見るたびにゆめの心を傷つける。亡くしてしまった祖母の夢もまた、二度と会えない現実を突きつけて見るたびゆめは胸が張り裂けそうになる。
そのほかにも、祖父と手をつないで歩いた幼いころの夢。父と母がそれぞれに新しい家庭を築いて笑っている夢。ひかりの両親をはじめとした親族がゆめひとりを置いて楽しげに机を囲む夢。
ゆめが見るのはどれも悲しい夢ばかり。夢というよりも悲しい記憶の繰り返しに近く、もう見たくないと思ったことは何度もある。
見る夢を選べたら、と願うのはいつものこと。
けれどどの夢も消えてしまえとは思えない。夢は、今となっては唯一、家族と会える大切な時間でもあったからだ。
だからゆめは必死に抗う。
「わたしの家族を食べないで……!」
涙とともにこぼれた切なる願いに、ヒアイはゆめからそっと手を離した。眠気にぐらついていた身体を自身で支えられていることを確認すると、彼は行き場をなくした手で自分の髪をぐしゃりとかきあげる。
「……わかった、喰わねえ。悪かったよ。あんまりうまそうな匂いがするもんだから、つい」
決まり悪げにそっぽを向いたヒアイを見上げて、ゆめはぱちぱちと瞬きを繰り返した。
見た目こそ人形めいてひどく冷たそうに見えるヒアイだが、口を開けばただの不器用なひとなのかもと思える。
バーで感じたように悪いひとではないのだろうか、とゆめは考える。
(それとも、獏の決まりごとでもあるのかな。ひとの夢を食べるなら許可性だとか……)
ゆめ自身、ひとの感情が流れ込んでくるというおかしな能力を持ってはいるけれど、獏をはじめとした不可思議な存在に会うのははじめてだった。
彼らには彼らなりのルールがあるのかもしれない。知っていたほうが良いのか、質問することで彼を困らせてしまうだろうか、と悩んで黙り込む。
(質問いいですか、って聞いてもヒアイさんの感情はきっとわからないよね。迷惑かどうかだけでも伝わってくればいいんだけど……)
願ってヒアイの顔を見上げたところで、彼の感情はひどく薄くて読み取れない。
しゃがみこんだまま上を向くゆめに何を思ったのか。首をかしげて、ヒアイが手を差し伸べる。
「座り込んでないで立ったらどうだ。触っても夢は喰わないから」
「ありがとうござます」
力強い手に引き起こされたゆめは、ヒアイとならんで立つ。感謝を告げた流れで質問をしてもいいだろうか、とゆめが口を開きかけたとき。
「あ」
流れ込んだ感情にゆめは思わず声をあげて振り向いた。
「ヒアイさん、あのひとです!」
通行人に不審がられない程度に声を抑えながらも、ヒアイの腕をつかんで通りを指差す。
暗いビルの狭間から明るい通りはよく見えた。
道ゆくひとの数は深夜近くだというのにさして減りもせず、むしろ人々がそれぞれの意識のもと自由に動くせいで混雑具合は増しているようだ。
無秩序な騒々しさと入り混じる感情の渦のなかで、ゆめは迷わずひとりの女性を指差した。
長い黒髪をひとつに束ね、几帳面に結い上げた女性。こんな時間まで仕事をしていたのか、薄手のカーディガンを羽織った細身のひとだった。うつむき加減に歩く女性の顔は、まぶしいほどの人工灯のせいで濃い影になって、そこに浮かぶ表情をうかがわせない。
「どれだ、わからねえ」
ごちゃごちゃと混ざり合う感情のなか、彼女の抱える悲しみの感情は強くはっきりとゆめに伝わってくる。雑踏のなか、ゆめの意識には彼女だけが沈み込んでいるように映るほどだ。
けれど感情の読めないヒアイには、ゆめが指差す先に行き交うどのひとが示されているのかわからないらしく、ゆめの頭を抱えるようにして身を寄せてきた。
(近いっ。胸板がかたい! だから胸板って言うんだ……!)
急な接近に驚いておかしな発見に至りつつ、ゆめは慌てて対象の特徴を口にする。
「えっ、えっと、長袖のカーディガン着てるひとです! あの、黒髪の女性でほら、いまそこのスーツのひとたちとすれ違う!」
「ああ、あれか」
つぶやくように言ったヒアイが、ゆめからするりと離れて人ごみに入り混む。
途端に、いくつもの視線が彼に向けられた。
(魅了、眼福、羨望、嫉妬……すごい、ヒアイさんの姿だけでこんなにひとの気持ちが動くんだ)
通りに現れた美形に向けられる人々の視線の多くはさりげない。けれどその感情が顕著に塗り替えられていくのがゆめにはよくわかった。
まるでオセロのようにパタパタと変わっていく感情の中心にいるのはヒアイだ。衆目を集めるそのひとに駆け寄る勇気はなくて、ためらったゆめはビルのそばに残される。
そんなゆめにも周囲の視線にも気づかないのか、ヒアイは振り向かないまま長い脚で人ごみを抜けて女性に近寄っていった。
(すごい。人垣が割れていく。行き過ぎた美形っていっそ暴力なのね)
ヒアイが進む先では誰もが自然と道を譲る。おかげで彼は最短距離で女性の元にたどりついた。
俯き加減に歩く女性に彼がなんと声をかけたのか、ゆめのいるところまでは聞こえない。
けれどヒアイがひとりの女性めがけて真っ直ぐ歩いて行ったことで、大勢のひとびとの興味関心が彼から逸れたことはわかった。落胆は彼に見惚れた者たちが抱いた感情だろう。安堵は、彼に連れの視線を奪われた者たちの感情だろうか。
そう分析していたゆめは、彼女の悲しみに別の感情が上書きされたことにも気がついた。
(驚きそれから恐怖。そうだよね、こんな時間にいきなり知らない男のひとに話しかけられたらびっくりするし怖いよね。いくら相手がとんでもない美形でも、ねえ……)
ゆめが思ったとおり、女性は顔を伏せるとヒアイを避けて通りすぎようとする。予想外だったのは、ヒアイが手を伸ばして彼女の腕をつかんだことだった。
(嫌悪、懐疑……怒気! いけない!)
彼女の感情の変化を読み取ったゆめは、慌てて駆け出した。
人ごみの放つ有象無象の感情の波に酔う余裕もなく走って、叫ぼうとした女性とヒアイの間に割って入る。
「あのっ! 占い師なんです! あなたの夢を占わせてくれませんか!?」
両親と別れた日の夢は見るたびにゆめの心を傷つける。亡くしてしまった祖母の夢もまた、二度と会えない現実を突きつけて見るたびゆめは胸が張り裂けそうになる。
そのほかにも、祖父と手をつないで歩いた幼いころの夢。父と母がそれぞれに新しい家庭を築いて笑っている夢。ひかりの両親をはじめとした親族がゆめひとりを置いて楽しげに机を囲む夢。
ゆめが見るのはどれも悲しい夢ばかり。夢というよりも悲しい記憶の繰り返しに近く、もう見たくないと思ったことは何度もある。
見る夢を選べたら、と願うのはいつものこと。
けれどどの夢も消えてしまえとは思えない。夢は、今となっては唯一、家族と会える大切な時間でもあったからだ。
だからゆめは必死に抗う。
「わたしの家族を食べないで……!」
涙とともにこぼれた切なる願いに、ヒアイはゆめからそっと手を離した。眠気にぐらついていた身体を自身で支えられていることを確認すると、彼は行き場をなくした手で自分の髪をぐしゃりとかきあげる。
「……わかった、喰わねえ。悪かったよ。あんまりうまそうな匂いがするもんだから、つい」
決まり悪げにそっぽを向いたヒアイを見上げて、ゆめはぱちぱちと瞬きを繰り返した。
見た目こそ人形めいてひどく冷たそうに見えるヒアイだが、口を開けばただの不器用なひとなのかもと思える。
バーで感じたように悪いひとではないのだろうか、とゆめは考える。
(それとも、獏の決まりごとでもあるのかな。ひとの夢を食べるなら許可性だとか……)
ゆめ自身、ひとの感情が流れ込んでくるというおかしな能力を持ってはいるけれど、獏をはじめとした不可思議な存在に会うのははじめてだった。
彼らには彼らなりのルールがあるのかもしれない。知っていたほうが良いのか、質問することで彼を困らせてしまうだろうか、と悩んで黙り込む。
(質問いいですか、って聞いてもヒアイさんの感情はきっとわからないよね。迷惑かどうかだけでも伝わってくればいいんだけど……)
願ってヒアイの顔を見上げたところで、彼の感情はひどく薄くて読み取れない。
しゃがみこんだまま上を向くゆめに何を思ったのか。首をかしげて、ヒアイが手を差し伸べる。
「座り込んでないで立ったらどうだ。触っても夢は喰わないから」
「ありがとうござます」
力強い手に引き起こされたゆめは、ヒアイとならんで立つ。感謝を告げた流れで質問をしてもいいだろうか、とゆめが口を開きかけたとき。
「あ」
流れ込んだ感情にゆめは思わず声をあげて振り向いた。
「ヒアイさん、あのひとです!」
通行人に不審がられない程度に声を抑えながらも、ヒアイの腕をつかんで通りを指差す。
暗いビルの狭間から明るい通りはよく見えた。
道ゆくひとの数は深夜近くだというのにさして減りもせず、むしろ人々がそれぞれの意識のもと自由に動くせいで混雑具合は増しているようだ。
無秩序な騒々しさと入り混じる感情の渦のなかで、ゆめは迷わずひとりの女性を指差した。
長い黒髪をひとつに束ね、几帳面に結い上げた女性。こんな時間まで仕事をしていたのか、薄手のカーディガンを羽織った細身のひとだった。うつむき加減に歩く女性の顔は、まぶしいほどの人工灯のせいで濃い影になって、そこに浮かぶ表情をうかがわせない。
「どれだ、わからねえ」
ごちゃごちゃと混ざり合う感情のなか、彼女の抱える悲しみの感情は強くはっきりとゆめに伝わってくる。雑踏のなか、ゆめの意識には彼女だけが沈み込んでいるように映るほどだ。
けれど感情の読めないヒアイには、ゆめが指差す先に行き交うどのひとが示されているのかわからないらしく、ゆめの頭を抱えるようにして身を寄せてきた。
(近いっ。胸板がかたい! だから胸板って言うんだ……!)
急な接近に驚いておかしな発見に至りつつ、ゆめは慌てて対象の特徴を口にする。
「えっ、えっと、長袖のカーディガン着てるひとです! あの、黒髪の女性でほら、いまそこのスーツのひとたちとすれ違う!」
「ああ、あれか」
つぶやくように言ったヒアイが、ゆめからするりと離れて人ごみに入り混む。
途端に、いくつもの視線が彼に向けられた。
(魅了、眼福、羨望、嫉妬……すごい、ヒアイさんの姿だけでこんなにひとの気持ちが動くんだ)
通りに現れた美形に向けられる人々の視線の多くはさりげない。けれどその感情が顕著に塗り替えられていくのがゆめにはよくわかった。
まるでオセロのようにパタパタと変わっていく感情の中心にいるのはヒアイだ。衆目を集めるそのひとに駆け寄る勇気はなくて、ためらったゆめはビルのそばに残される。
そんなゆめにも周囲の視線にも気づかないのか、ヒアイは振り向かないまま長い脚で人ごみを抜けて女性に近寄っていった。
(すごい。人垣が割れていく。行き過ぎた美形っていっそ暴力なのね)
ヒアイが進む先では誰もが自然と道を譲る。おかげで彼は最短距離で女性の元にたどりついた。
俯き加減に歩く女性に彼がなんと声をかけたのか、ゆめのいるところまでは聞こえない。
けれどヒアイがひとりの女性めがけて真っ直ぐ歩いて行ったことで、大勢のひとびとの興味関心が彼から逸れたことはわかった。落胆は彼に見惚れた者たちが抱いた感情だろう。安堵は、彼に連れの視線を奪われた者たちの感情だろうか。
そう分析していたゆめは、彼女の悲しみに別の感情が上書きされたことにも気がついた。
(驚きそれから恐怖。そうだよね、こんな時間にいきなり知らない男のひとに話しかけられたらびっくりするし怖いよね。いくら相手がとんでもない美形でも、ねえ……)
ゆめが思ったとおり、女性は顔を伏せるとヒアイを避けて通りすぎようとする。予想外だったのは、ヒアイが手を伸ばして彼女の腕をつかんだことだった。
(嫌悪、懐疑……怒気! いけない!)
彼女の感情の変化を読み取ったゆめは、慌てて駆け出した。
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