魔女の托卵

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森のそばの村

村長のことば

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 走り出して間もなく、前方にある広場に点在するかたまりに気がついて、体の芯が握りつぶされていくような、たまらない苦しさに襲われながらリッテルは走った。

「ねえ」

 一番手前に倒れていた若い男に声をかけるけれど、彼が体の下敷きにしているこぼれた内臓を目にしてリッテルはきゅっと唇をかみしめた。

「起きてよ」

 そこから数歩はなれたところで頭を抱えてうずくまるひとの背に声をかけたリッテルは、その背をゆすろうと手を伸ばしかけて、止めた。
 頭が無かったからだ。抱えているのではなくて、そのひとの頭は首から切り飛ばされて、あったはずの場所からいくらか離れたところに転がっていた。

「……どこにいるの?」

 広場には、ぽつりぽつりと人が倒れていた。祭りをするときに村人総出で踊る場所があるくらいには広い場所だ。その広場のあちらこちらで息絶えた人びとに会うたび、リッテルの胸はぎゅうぎゅうと締め付けられるように痛む。
 ライゼの言った老人はどこなのか。生き残ったのは誰なのか。もはや生き残りがいるということばさえもライゼのでまかせであり、リッテルを弄ぶための嘘であったのではないか。
 そんなことを考えはじめた矢先に広場のはしで、リッテルの耳がかすかな音を拾った。

「うぅぅ……」

 足を止めて耳をすましてみれば、血なまぐさい風に乗ってうめき声のようなものが聞こえる。その音を探して村の外へと続く道に出たところで、リッテルは地面に倒れた老人の背中を見つけた。

「村長さま!」

 その老人は、これまでに見つけた村の人びととそう変わらない着古した衣服を身につけてはいたけれど、リッテルにはうしろ姿だけでわかった。村の古老のひとり、村長だった。
 駆け寄ったリッテルには老人とはいえ、おとなの体を抱き起すのは難しかった。どうにか体をひっくり返して、村長の頭をひざに乗せる。胸から腹にかけて怪我をしているのだろうか。乱雑に巻き付けられた布の表面にも赤いものが染み出してきているのが見えて、リッテルはその傷の深さに唇をかんだ。
 それでも、震える手でほほやひたいに着いた泥と血の入り混じったものをぬぐってやれば、村長が閉じていた目をうっすらと開けた。

「村長さま、リッテルです! 助けてください。父さんと母さんが、村のみんなが、大変なんです!」

「おぉ……」

 リッテルの呼びかけに、村長は深いため息のような喘鳴まじりの声を出す。

「おぉぉ……誰ぞ、逃れたか……」

 つぶやくようにそう言った村長だったが、その目はどことも知れぬあたりをぼんやりと見つめていて、顔をのぞきこんだリッテルの視線とは絡まない。
 そのことに気づく余裕もなく、リッテルはようやく見つけた生きているおとなにすがりつく。

「はい、リッテルです。村はずれの森のリッテルです。村長さま、どうしたらいいですか。みんな倒れていて、たくさん血が出てるひとばかりで、だれも返事してくれなくて。あたしどうしたらいいのか……」

 必死に現状を伝えるリッテルのことばをさえぎって、村長がひび割れたかすれ声をあげた。

「みや、この」

「村長さま?」

 おどろき見つめるリッテルにかまわず、村長はうめくように続ける。

「み、やこ、の……しん、かん、に……」

 とぎれとぎれに紡いでいたことばが途切れて、怖いくらいの静けさが訪れる。
 かすかな声も聞き逃すまいと耳をすませていたリッテルは、それでもしばらくの間じっと待っていた。けれど、それきりうめき声どころかわずかな呼吸もひろえない。

 それでもリッテルは待っていた。わずかに開かれたままの村長のくちびるが、ふたたび動き出すのを黙って見つめながら待っていた。

 しかし、ふとリッテルは地面に赤い水たまりができていることに気がついた。座り込んだリッテルのひざに、足に、じわじわと染みてくるその赤色の冷たさに気がついてしまった。
 気がついていたけれど、理解したくないとリッテルの心が叫んでいた。

「村長さま、村長さま。起きてください。どうしたらいいのか教えてください」

 己の心にしたがって、村長の体のしたに広がる赤色の水たまりから目をそらしてリッテルは声をあげる。

「村長さま、だれも教えてくれないんです。あたし、どうしたらいいんですか。だれも返事してくれないんです。ねえ、起きて。目を覚まして、教えてよ。あたし、どうしたら。どうしたらいいの。だれか……だれか、こたえてよぉ!」

 物言わぬ頭がリッテルの足にずっしりとのしかかる。その重みにすがるように、村長の体のぬくもりを逃すまいとするように、リッテルは村長の頭を抱え込んで泣きじゃくる。
 動くもののない広場に泣き声だけが響きわたっていた。いつかは祭りや行商でにぎわい、ついさきほどまで人びとがおだやかに暮らしていた村の広場。
 悲しみに満ちた声が響くその広場に、ぺたん、と間の抜けた音が届いた。

 ぺたん、ぺたん、ぺたん。

 血で汚れた広場に不似合いな音を立てながらやってきたのはライゼだ。ライゼは血と土にまみれた足でぺたぺたと地を踏みながらやってきて、リッテルの前で足を止めると村長を見下ろした。

「あー、だめだった? 間に合わなかった?」

 こてん、と首を横にたおして軽い調子でライゼが問えば、リッテルはひぐっとのどを鳴らして嗚咽をのみ込んだ。

「なんなの、あなた! どうしてこんなこと……!」

 顔を上げないままくぐもった声でリッテルが叫ぶ。

「ん? ライゼだよ」

 首を横にたおしたまま不思議そうにライゼが名乗れば、リッテルは勢いよく顔をあげた。そして、泣きはらした目でライゼをにらみつける。

「ちがう! 名前なんて聞いてないっ」

「んん? 呼ぶには名前、知らなくちゃ。ライゼはそのためにきみを探していたんだ。たくさん探したんだよ。そして、ようやく見つけた。がんばったね、ライゼ。えらかったね」

 おだやかな笑顔を浮かべたライゼがひざまづいて、リッテルを見つめる。
 その顔には慈愛すら感じられて、そう感じてしまった自分にリッテルはぞっとした。青年を怒鳴りつけた勢いはすぐさま消え失せる。

「い、いや。来ないで。あたし、あたしは……都に行くの」

 弱々しく言って首を振るリッテルの頭に浮かんでいたのは、村長が残したことば。「都の神官に」かすれた声で村長はそう言っていた。

 都に行けば教会があると、大人から聞いたことがあった。そこは祈りをささげる者ならば、誰にでも開かれた場所。人びとの願いを聞き、ときには恐ろしい呪いをはらってくれる神官たちがいる場所だと、大人たちは言っていた。
 そこの神官に助けを求めるよう、村長は伝えたかったのだとリッテルは考えた。

(そう、そうすればきっと何とかなる。だって、村長さまがそう言ったんだから)

 村長のことばにすがってライゼを拒絶するリッテルに、ライゼはすこしだけ不機嫌そうな顔をする。

「ふうん? 都に行くの。行きたいなら止めないけど、ライゼはあそこ好きじゃない。そうだよね、当然さ」

「な、なに言ってるの。あんたがどう思っても関係ない。あたしは行くの。もう決めたんだから」

 ライゼの、殺人鬼の機嫌を損ねたことが怖くてリッテルの声は震えたけれど、リッテルの胸には恐怖といっしょにわずかな希望もまた、同時に存在していた。ライゼがこのまま都行きを嫌がって、リッテルの元から消え去るのではないかという希望だ。

 まだ体温を残している村長の亡骸にすがりながら、リッテルはライゼが背を向けて去っていくのを待っていた。
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