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32.お父さんは怒っている
しおりを挟む「先生、ご実家から速達でなにか届きましたよ」
翌日、診療時間中にそれが届き、愛美から受け取った。
「なんだろうねえ、もう、めんどくさいなあ」
中身をわかっていて、でも素知らぬふりをする。
「ちゃんと今日の内に封を開けてあげてくださいね。ハル兄に言われたんですよ。先生はめんどくさがりやだから、よく見ておいてくれって」
あいつ、余計なことを幼馴染みに頼んだな――と美湖はちょっとむくれた。しかし当たっている。しかし、本当はいますぐ開けたい。抑えて抑えて、午前診療を終了。
愛美が昼休み帰宅、美湖もキッチンへ向かうと清子がいつもどおりに昼食を作ってくれている。
「清子さん、ちょっと部屋に行きますね。すぐに戻ってきまーす」
いつもすぐ席に着く美湖が二階のプライベートルームへと上がっていったので、清子が少し訝しそうだった。
二階の部屋、ドアを閉め、美湖は部屋のデスクの上でさっそく大きな茶封筒の封を切る。いかにもいかにもな写真冊子と釣書が入っていた。
まず写真、そして釣書! それを見て、美湖は額を抱えてうなだれる。
「に、兄ちゃんの……後輩、かな」
釣書の経歴が兄と同じ医大で、兄が最初に勤めていた大学病院、専門も同じ。歳は兄より三つ下、美湖より四つ上。三十代後半、未婚。結婚歴なし。
さらに美湖は唸る。眼鏡をかけた頭が良さそうなスマートな雰囲気の男性は、別れた彼に似ていた。
「兄貴め。似ていれば次も気に入ると思ったのか。違う! もう!」
写真を思わず机に叩きつける。
すぐにスマートフォンを取りだし、滅多にやりとりをしない長兄、大輔にメッセージアプリで文句を送りつける。
【 届いた。兄ちゃんの後輩? 絶対に絶対に見合いしない。お写真は送り返します。 】
送信してやった。
『美湖先生? 大丈夫ですか』
清子の声がドアの向こう、階段の下から聞こえてきて、美湖はなんとか平静を取り戻そうと、窓の向こうに見える残暑の瀬戸内海を眺めて深呼吸をする。
「絶対に会わない」
意気込んで、昼食へと一階ダイニングに降りた。
「どうかされたの、美湖先生」
「いいえ。大事な書類が来たのでまず確認をしました」
「まあ、そうでしたの」
愛美は実家から届いた封書と知ってしまったが、清子は知らないからそう誤魔化した。
「いただきます。本日もおいしそうですね」
「私もご一緒させていただきますね」
冷たい静岡茶を傍らに、今日もふたり一緒に昼食を取る。
清子と『いま晴紀はどこにいるのかしら。昨夜は高松沖にいたみたい』、『昨夜は瀬戸大橋の画像を送ってきていましたね』、『晴紀が船に乗っていて写真を送ってくるのは久しぶりよ』と、つい晴紀についての会話にばかりなる。晴紀も美湖だけに送らず、母親にもちゃんと送っている。きっと彼女に送って母には届かないなんてことがないように、逆もまた然り。そう思ってどちらの女性も自分を待っている人として気遣っているのが伝わってくる。
そうして清子と楽しい会話をしていると、そばに置いていたスマートフォンが震えた。
また表示が長兄の大輔だった。一度、無視をした。
「あら。先生、取らなくてよろしいの」
「はい。後で折り返しの連絡をします。仕事ではないので」
「では。ご実家? お友達? ちゃんと出てあげてください」
間を置かず、再度スマートフォンが震える。清子の手前、実家からの連絡を無碍にしている姿を知られたくなく、美湖はついに電話に出てしまう。
「はい……」
『美湖、お父さんだ』
うわ、兄貴の電話を使って接触してきた! 業を煮やした父がもだもだしている兄を押し切った強行だと美湖は仰天する。
『見たのか。写真と釣書』
「見た。興味ない」
『兄ちゃんの後輩だから、一度会ってくれないか』
そう来たか。兄の面子を潰すなということらしい。父親の面子など娘は平気で踏みつぶすが、同じ兄妹の立場が弱い兄の面子を潰したらどうなるかわかっているな――という作戦か。
「忙しいから会えない。わかってるくせに」
『土曜日曜、神戸でも広島でも、なんなら松山でもいい。おまえが会いやすいところへ彼から出向いてくれると、そこまで言ってくれているんだぞ』
知るか。こっちは会いたいわけじゃない。しかも『なんなら松山でもいい』とはなんだ。わざわざそこまで行ってやる的な言い方も気にくわない。
『そこまで縛られる仕事でもなかろう。吾妻先生がいるんだろう。日曜ぐらい島から出してもらいなさい。父さんも兄ちゃんも一緒に行く』
ここまでは、美湖も嫌々ながらもなんとかやんわり断ろうと思っていた。だが次に父が言ったことは許せなかった。
『おまえのためなんだぞ。島の診療所なんか大変だろう。いつまでも続けられるものでもないだろう。昨夜も遅い時間に急患がでておまえ一人で対処していたそうではないか。一人体勢なんて無茶にもほどがある。そんなところへ行かされてしまって……。どうだ、彼と一緒に開業してみては。父さんと兄ちゃんも手伝ってやる』
カチンと来た。いろいろなところでカチンと!
「なに。お父さんは私のこと、島の診療所もきちんとやるころができない医者だって言っているの!? それになに。私と結婚したら、兄ちゃんの後輩は開業と独立が出来る条件がついているんだ、私じゃなくて開業目的でしょ! そんな男、信じられない!」
清子がびっくりして固まっているのに気がついて、美湖も『しまった』と思ったが遅い。そして口も止まらない。
「会いたいなら、神戸とか松山とか簡単なこと言っていないで、ちゃーんと船を乗り継いで島まで会いに来いとそいつに言っておいて!!」
通話終了をタップして切断。父の声はもう聞こえない。
「み、美湖先生……」
はあ、やっちゃった、やっちゃった。お父さんに言っちゃった。これはヤバイ。数倍になって返ってくるかも!
しかし末っ子の美湖はいつだってこんなかんじ。父に生意気に歯向かって、そして静かな父の怒りにノックアウトさせられる。今回もきっと。
「お父様だったの? もう一度、お電話したほうがいいわよ。それに……美湖先生、もしかして……ご実家からお見合いのお話が?」
「私は! 望んでいないんです! 私は――!」
ハル君がいるから。好きだから。今は彼と一緒にいたいから。そう言いたい。でも、彼の母親の清子にはまだ正面切って言えない。
美湖が言い淀んでいると、急に……。いつもは柔和でかわいらしい清子の表情がすうっと引き締まった。
「美湖先生、そちらに座っていただけますか」
その顔は、母の顔だった。そして奥様の顔。家を守ってきたお嫁さんの顔。そういう清子が本気になった時の顔。
「はい……」
美湖も大人しく椅子に座った。
「美湖先生。晴紀のことを気にして、あのようにお父様に言い返してしまったのですか」
怖い、清子の顔も怖い。父と同じ、親の顔だった。
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