先生は、かわいくない

市來茉莉(茉莉恵)

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34.お見合い実現!?

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 夜の潮風が涼しくなった。夏の輝きがおさまって、涼しげな深い青へと移ろう海の色。
 朝晩が過ごしやすくなり、よしずの朝顔もひとつふたつしか花を開かなくなる。庭先には秋の始まりを告げる花が咲き始める。

 美湖の二階の部屋、その窓辺に見える酔芙蓉の蕾がつきはじめる。ひとつ花が開いて驚いた。朝は白い清楚な花が、夕になると妖艶な紅色に染まる。美しい花だった。

 晴紀が帰ってくるまであと三日ほど。美湖は構えている。きっと清子が『美湖先生にお見合い話があった。先生はいつか島を出て行く女性。諦めなさい』と帰ったばかりの晴紀にいうに違いない。晴紀も驚いて、また心を暗くして美湖に遠慮してしまうのではないかと構えている。

 帰ってきたらすぐに。自分のいまの気持ちを、まっすぐにまっすぐに、私から伝えなくちゃ。『かわいくない』ことをしている場合じゃない。美湖はそう決めていた。

 晴紀の帰りを待っている初秋、暑さも和らいできた午前の診療時間。
 今日も順番待ちの島民を診察していると、受付カウンターから元気な声が聞こえてきた。

「ごめんください。おじゃまいたします! 相良先生はいらっしゃいますか!」

 定期的にやってくる薬品会社の営業さんとは異なる声だったので、一緒に診察をしていてた愛美が受付へと確認へ向かう。

『診察ですか』
『いいえ。お忙しいところ申し訳ないのですが、相良先生にお会いしたくて』

 ん? 誰だろう。近所のおじいさんの胸に聴診器を当てていた美湖も集中力が切れた。おじいちゃんも気にしている。

『どちら様ですか』
 愛美の問いに彼が答える。
『小澤和哉と申します』
 その名を聞いて、美湖はぎょっとして聴診器を外した。

「先生、どないしたん?」
 診察をしていたおじいちゃんに異変を気がつかれてしまう。美湖も我に返り、聴診器をもう一度耳に付けなおした。
「いえ、なんでもありません」

 だが愛美が動揺した表情で帰ってきた。

「あの、先生……。小澤様という方が」
「き、聞こえた。奥のダイニングで待っていてくださるように伝えて」
「どなたですか」

 愛美とおじいちゃんの視線が、動揺を隠せない美湖へと直撃。

「兄の、医大時代の後輩さん」
「そうですか。わかりました。でも、……」

 兄の後輩がわざわざ妹が勤めている島までくるものなのか――と愛美が不思議そうにしている。それは目の前のおじいちゃんも。

「もしかして。先生の、別れた恋人ってやつかいね」
「違いますっ」

 この島に来た時に『別れた恋人がいた』噂は既に流れていたからなのだろう。
 しかし絶対に『見合い写真の男だ』なんて口が裂けても言えなかった。別れた恋人が会いに来たという噂が流れた方がまだ幾分か良い気がする!

 それでも美湖の動揺は収まらない。どうして、何故、断ったのに会いに来た? しかも本当に島まで来た!



◇・◇・◇



その眼鏡の男は爽やかに言った。
「福岡で学会があったんです。小倉からフェリーが出ていると知りまして、港と港を渡ってようやく島まで来られました」

 清子がお茶を出してくれている。ダイニングで待たせている間に、清子がお昼ごはんの支度に来てしまったからだった。
 清子にも見合い相手を直に見られてしまった。

「向かいの家におります、重見と申します。小澤先生。遠いところを大変でございましたね」
「いいえ。一度、僕も離島に来てみたかったんです。美湖さんが『船を乗り継いで島まで会いに来い』とおっしゃられたようなので、その通りにさせていただきました」

 父からの電話に美湖が叫んだ言葉そのままを返され、びっくりする。そしてその言葉を聞いてしまっていた清子が『あら、まあ』とくすりと笑った。

「父が……、そう伝えたのですか」
「まさか。大輔先輩からそう聞きました」

 兄貴がそのまんま伝えたのかと美湖は顔をしかめる。

「美湖先生もお座りになったら。小澤先生、お膳を置いておきますので美湖先生とゆっくり召し上がってくださいませ」
「申し訳ないです。昼時におじゃましてしまいまして」
「いいえ。私は美湖先生に雇われてお仕事で作っているだけですので。それでは私はお時間が来ましたら片づけに参ります」

 いつもは一緒に楽しく食事をするのに、今日の清子は自分の分を和哉にあげてしまい、さっと向かいの自宅へ帰ってしまった。

 本当の『お見合い』になってしまっていた。清子は、つまりのところ『お若い者同士でごゆっくりどうぞ』といわんばかりに退散していったのだ。
 彼女が望んでいたお見合いの席が出来上がってしまっている! 美湖は茫然とした。大人の彼が颯爽と出現したことにも、清子が手際よく席を整えてしまったことにも。

「おいしそうですね~。美湖さん、頂きませんか。午前の診療、お疲れ様でした。割と診察に島民が来ていて驚きました」

 美湖も諦めた。椅子を引いて彼の正面に座る。そして、腹をくくった。本人を前にきちんと本心を言おうと。

「兄にはお断りするように伝えたはずです」
 箸を持った眼鏡の彼がにっこりと笑う。
「はい。聞いておりますよ。ですが……、僕はね。昔から大輔先輩の妹さんには興味があったんですよ」
「興味、ですか?」
「大輔先輩がよく言っていました。歳が離れている妹が生意気で、負けん気が強くてかわいくない――と」
「合っています。父から兄から、周囲の同僚によく言われています」
「大輔先輩のご友人で、あなたに会われた先輩たちは『だけれど、さすが大輔の妹。美人だ』と聞いていましたからね」

 また、それかと美湖は溜め息をついた。確かに兄貴は二人とも男前で優秀で、嫁取りには困らなかったほど。美湖の女性先輩、同期、後輩も、ことごとく兄達を見ると紹介してくれと言ったぐらい。しかしあっという間に結婚したため、女性たちが群がるのもあっという間になくなった。

「一度、お会いしてみたかったんですよ。こちらはお兄さんからいただいたスナップ写真がお見合い写真でしたけれど、美人だというのは先輩方が口を揃えていたし、女医としてのキャリアもあって……。なによりも『噂どおり、かわいくない』返答をいただいてしまい、ますます興味が湧きました」

 彼はそうして始終、にっこりした笑顔のまま。あ、この男も吾妻と一緒だとすぐにわかった。にっこり愛嬌よくしているけれど、腹の底に黒いものを持っていて、きちんとコントロールしている。しかし、それは美湖から見れば『大人の男』というのに過ぎない。嫌悪はない。
 だからなのだろう。だから、美湖は晴紀のまっすぐさに惹かれてしまったのかもしれない。この日、改めてそう思えた。

「申し訳ないのですが、いま結婚は考えられません」

 少し前ならここで『男性とつきあうことはめんどくさいし、興味はない』と言い切れていたのに、いまは言えない。美湖が断るのは好きな男が出来てしまったからだから。
 しかしそれすらもこの男には知られてはいけない。家族に筒抜けになるに決まっている。早くこの島から出ていってもらいたい。

「ですから。私に会いに来てくださったのは、大変ご足労をおかけしてしまい申し訳ないのですが。父と兄が持って来たお話はなかったことにしていただけませんか」
「それも……、わかっていて会いに来ました。僕の勝手です。気にしないでください。離島医療にも興味がありましたしね」

 ただそれだけのために、こんな島までわざわざ会いに来ない。美湖だって易々その笑顔を信じようとは思っていなかった。やはり開業独立の資金が狙い? なんとか丁重に帰らせたい。その思いしか浮かばない。

 晴紀が帰ってくるまでに追い出さなくちゃ。いまのところは大人しくして……。兄貴の後輩だから無碍には出来ない、それは美湖にもわかっている。

「いやー、おいしいですね!」

 美湖も大人しく、彼と一緒に食事をすることにした。
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