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47.今治の汽船会社
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今治駅に到着。そのまま吾妻から教えてもらっていた晴紀の伯父が経営する『汽船会社』へ、父と向かう。
タクシーで会社前に辿り着いて、父と唖然とした。
古い鉄筋の小さなビルに『野間汽船』とあり、とても目立たない佇まいだったからだ。
「もっと大きな会社を想像していたなあ」
「でも、ハル君は五十人程度ですべてを回してるて言っていたもの」
ビルの入口の壁に掲げている石看板には『野間汽船』のほかに『ノマ船員派遣』ともある。従兄が経営している会社もここにあるようだった。
受付などあるはずもなく、ただ父と一緒に階段を上がって二階の事務室まで。開け放してある事務室のドアから、忙しそうに働いている事務員が見える。
「ごめんください」
父が声をかけると、男性事務員が振り返る。
「相良と申します。慶太郎さんいらっしゃいますか」
「あー、副社長ですか。お待ちくださいね」
従兄さん、副社長なんだと美湖はさらに緊張した。
事務所の入口で待っていると、三階へ行く階段から人が降りてきた。
「相良さんですね。お待ちしておりました、いらっしゃいませ」
眼鏡をかけているスーツ姿の男性だった。
父と一緒に一礼をすると、彼から挨拶をしてくれる。
「晴紀の従兄、野間慶太郎です」
不精ヒゲでワイルドな顔立ちだけれど、きちんと品格あるスーツ姿の男性だった。年齢はおそらく相良家長兄の大輔ほどか。
既に威厳に満ちていたため、美湖だけでなく父も気圧されていた。
「相良です。美湖の父でございます。本日はお忙しいところ、突然の訪問を受け入れてくださってありがとうございます」
「娘の美湖です。島の診療所では、叔母様の清子さんと、従弟の晴紀君に大変お世話になっております」
美湖も今日は厳かに楚々と挨拶をした。しかし、今日はこのきちんとおとなしめ黒スーツで正解だったと思うほど、従兄さんは見るからに意欲に満ちたビジネスマンと言ったところだった。東京にいても遜色ない男ぶり。
「晴紀からよく聞かされています。気の強い女医さんと」
従兄さんとどんな話をしているのよ――と美湖は思いながらも、それならとりつくろうこともないかとそのひとことで力が抜ける。
「間違っておりません。父からもそう言われますから」
「いえ、かえって美湖先生のような方がいらしてくださって。清子叔母が元気になったとお聞きして感謝しております。子供の頃から清子叔母には大事にしてもらっていましたので……。一度、先生にお会いしたいとおもっていたところです」
『三階が私の副社長室になっておりますからどうぞ』と、階段の上へと促される。
三階は社長室と副社長室になっていた。その一室に入ると、彼の雑然としたデスクと、ちょっとした応接のテーブルとソファーが片隅に。窓からは来島海峡大橋が見えた。
それだけで、父が微笑んだ。
「いいところですね。いやー、あのような大きな橋をみると、やはり瀬戸内海の風情ですね」
「そうですね。ここ二十年ほど前ですけれどね、橋ができたら、たまたまうちのビルで見えるようになりました」
大きな海峡大橋よりこの会社のほうが古く歴史があると聞こえ、美湖と父は揃ってその偉大さを感じてしまった。しかし慶太郎はごく自然に微笑んでいる。生まれた時から自然にこの世界を持って育ってきた人間の品が滲み出ていた。
「すみません。事務員にお茶を入れさせたいところなのですが、大事な話をするため、本日のお客様にはお茶出しはしなくていいと伝えています。私が準備していた麦茶で申し訳ないです。そちらのソファーにどうぞ」
彼の部屋に小さな冷蔵庫があり、そこからレトロなガラス製のクーラーポットで作られている麦茶を、ガラス茶器に注いで準備してくれる。
小さな会社、気取らない接待。窓からは瀬戸内の風と大橋。ほがらかな雰囲気に、父も美湖も徐々にほぐれてきてしまう。
それでもこの会社で百隻あまりの大型船を大海原に送り出しているのだなあと不思議な感覚だった。
お茶を置いてくれたのでひといきつきつつ、遠慮なく頂くと、それまでおおらかな雰囲気だった慶太郎が真顔になって、なにやらいろいろとデスクから茶封筒を持ち出したりして忙しくなった。
やがて、美湖と父の目の前に、不精ヒゲで眼鏡をかけた彼が座った。
「三年前の事件のことをお聞きしたいとのことでしたね」
余計な前置きなしに入ってきた。だがこちらもそれが聞きたくてここまできた。父が『さようです』と答えると、神妙は面持ちで笑みを見せなくなった慶太郎が二枚の写真をテーブルに置いて父と美湖に見せた。
白い制服姿の若い青年数名が写っている写真だった。
「亡くなった男性です。晴紀とおなじ広島の商船系高専の後輩であって、就職した海運会社でもおなじでした。たまにおなじ船に乗り合わせることがあったようですね」
初めて……。晴紀のそばで命を絶った男の顔を見て、美湖の中からわけのわからない感情が盛り上がるのがわかった。
ひと目みて、その顔つきと目つきで『底意地悪い』雰囲気を感じたからだった。父はなにを感じているがわからないが、ひと目見ただけだった。
さらにもう一枚は清楚でかわいらしい黒髪の長い女性。
「この亡くなった男性の婚約者と言われていた女性です」
慶太郎が美湖を見た。
「晴紀からお聞きですよね。この女性が少なからずとも、晴紀に想いを寄せていたことは」
美湖は素直に頷く。そして慶太郎は父も見たが、父も晴紀から美湖同様の説明を聞いていたのか同じく頷いた。
だが、慶太郎の言い方がひっかかった。『婚約者だった』という言い方ではなかった。
『婚約者と言われていた』。まるで婚約者ではないような言い方ではないか?
タクシーで会社前に辿り着いて、父と唖然とした。
古い鉄筋の小さなビルに『野間汽船』とあり、とても目立たない佇まいだったからだ。
「もっと大きな会社を想像していたなあ」
「でも、ハル君は五十人程度ですべてを回してるて言っていたもの」
ビルの入口の壁に掲げている石看板には『野間汽船』のほかに『ノマ船員派遣』ともある。従兄が経営している会社もここにあるようだった。
受付などあるはずもなく、ただ父と一緒に階段を上がって二階の事務室まで。開け放してある事務室のドアから、忙しそうに働いている事務員が見える。
「ごめんください」
父が声をかけると、男性事務員が振り返る。
「相良と申します。慶太郎さんいらっしゃいますか」
「あー、副社長ですか。お待ちくださいね」
従兄さん、副社長なんだと美湖はさらに緊張した。
事務所の入口で待っていると、三階へ行く階段から人が降りてきた。
「相良さんですね。お待ちしておりました、いらっしゃいませ」
眼鏡をかけているスーツ姿の男性だった。
父と一緒に一礼をすると、彼から挨拶をしてくれる。
「晴紀の従兄、野間慶太郎です」
不精ヒゲでワイルドな顔立ちだけれど、きちんと品格あるスーツ姿の男性だった。年齢はおそらく相良家長兄の大輔ほどか。
既に威厳に満ちていたため、美湖だけでなく父も気圧されていた。
「相良です。美湖の父でございます。本日はお忙しいところ、突然の訪問を受け入れてくださってありがとうございます」
「娘の美湖です。島の診療所では、叔母様の清子さんと、従弟の晴紀君に大変お世話になっております」
美湖も今日は厳かに楚々と挨拶をした。しかし、今日はこのきちんとおとなしめ黒スーツで正解だったと思うほど、従兄さんは見るからに意欲に満ちたビジネスマンと言ったところだった。東京にいても遜色ない男ぶり。
「晴紀からよく聞かされています。気の強い女医さんと」
従兄さんとどんな話をしているのよ――と美湖は思いながらも、それならとりつくろうこともないかとそのひとことで力が抜ける。
「間違っておりません。父からもそう言われますから」
「いえ、かえって美湖先生のような方がいらしてくださって。清子叔母が元気になったとお聞きして感謝しております。子供の頃から清子叔母には大事にしてもらっていましたので……。一度、先生にお会いしたいとおもっていたところです」
『三階が私の副社長室になっておりますからどうぞ』と、階段の上へと促される。
三階は社長室と副社長室になっていた。その一室に入ると、彼の雑然としたデスクと、ちょっとした応接のテーブルとソファーが片隅に。窓からは来島海峡大橋が見えた。
それだけで、父が微笑んだ。
「いいところですね。いやー、あのような大きな橋をみると、やはり瀬戸内海の風情ですね」
「そうですね。ここ二十年ほど前ですけれどね、橋ができたら、たまたまうちのビルで見えるようになりました」
大きな海峡大橋よりこの会社のほうが古く歴史があると聞こえ、美湖と父は揃ってその偉大さを感じてしまった。しかし慶太郎はごく自然に微笑んでいる。生まれた時から自然にこの世界を持って育ってきた人間の品が滲み出ていた。
「すみません。事務員にお茶を入れさせたいところなのですが、大事な話をするため、本日のお客様にはお茶出しはしなくていいと伝えています。私が準備していた麦茶で申し訳ないです。そちらのソファーにどうぞ」
彼の部屋に小さな冷蔵庫があり、そこからレトロなガラス製のクーラーポットで作られている麦茶を、ガラス茶器に注いで準備してくれる。
小さな会社、気取らない接待。窓からは瀬戸内の風と大橋。ほがらかな雰囲気に、父も美湖も徐々にほぐれてきてしまう。
それでもこの会社で百隻あまりの大型船を大海原に送り出しているのだなあと不思議な感覚だった。
お茶を置いてくれたのでひといきつきつつ、遠慮なく頂くと、それまでおおらかな雰囲気だった慶太郎が真顔になって、なにやらいろいろとデスクから茶封筒を持ち出したりして忙しくなった。
やがて、美湖と父の目の前に、不精ヒゲで眼鏡をかけた彼が座った。
「三年前の事件のことをお聞きしたいとのことでしたね」
余計な前置きなしに入ってきた。だがこちらもそれが聞きたくてここまできた。父が『さようです』と答えると、神妙は面持ちで笑みを見せなくなった慶太郎が二枚の写真をテーブルに置いて父と美湖に見せた。
白い制服姿の若い青年数名が写っている写真だった。
「亡くなった男性です。晴紀とおなじ広島の商船系高専の後輩であって、就職した海運会社でもおなじでした。たまにおなじ船に乗り合わせることがあったようですね」
初めて……。晴紀のそばで命を絶った男の顔を見て、美湖の中からわけのわからない感情が盛り上がるのがわかった。
ひと目みて、その顔つきと目つきで『底意地悪い』雰囲気を感じたからだった。父はなにを感じているがわからないが、ひと目見ただけだった。
さらにもう一枚は清楚でかわいらしい黒髪の長い女性。
「この亡くなった男性の婚約者と言われていた女性です」
慶太郎が美湖を見た。
「晴紀からお聞きですよね。この女性が少なからずとも、晴紀に想いを寄せていたことは」
美湖は素直に頷く。そして慶太郎は父も見たが、父も晴紀から美湖同様の説明を聞いていたのか同じく頷いた。
だが、慶太郎の言い方がひっかかった。『婚約者だった』という言い方ではなかった。
『婚約者と言われていた』。まるで婚約者ではないような言い方ではないか?
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