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【3】名もなき朝のアカウント《篠田の日課、いいね》

3.ハコの唄チャンネル

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 秀星先輩が逝去してからの一年、篠田もがむしゃらに働いた。
 泣いている暇などない。落ち込んで失敗などするものか。あの人がそばにいたら、優しい目がいきなり鋭くなって、あの澄んだ声で叱責されるのだ。
『篠田君。僕たちのいまの心は、対価をくださるお客様には関係ないですよ。泣くなら後にしてください』
 きっちりやってやるよ。メートル・ドテル! 譲ってくれたんだからな!
 それにしてもと、篠田は時間が経ってから、徐々に腹立たしくなってくる。

写真で死ぬってなんだよ? 毎日のポイントで吹雪の中で撮影ってなんだよ? 凍死ってなんだよ? 普通わかるだろ? 吹雪の中にずっといたら低体温症になるとか、予測つくだろ? 吹雪でなくても撮れるだろ? 俺がやっとやっとの思いで念願のメートル・ドテルになれたのだって、あんたが譲ってくれたからだろ? その譲った理由が北海道で写真を撮りたいで、そこで死ぬなんて?

 ほんっとに俺をバカにしているのかって怒鳴りたい。

 もう怒りをぶつける相手もいないが、時折、北星秀のアカウントを開いては、篠田はスマートフォンに向かって『ばっかやろう!!!』と叫んでいた。

 そういえば。このアカウントはどうなるんだ?
 それも気になって、結局、朝になると確認していることがある。
 それも徐々に回数が減っていく。でもいつ消えるのかと、心配になることもある。きっといつかは消えてしまうのだろう……。それまではこうして開いて確認していくのだろう……。

 さらに篠田は、秀星の死後、もうひとつ気にしていることがある。

 仕事を終え、自宅に帰宅してから入浴を済ませ、冷えたビールを片手にパソコンデスクに座る。ネットを楽しむのだが、十日に一度、アクセスするサイトがある。

「どれどれ~。今日もアップしているかな~?」

 大沼にある先輩が勤めていたレストランだった。
 あの社長があんまりにも褒めていたので、気にしてサイトを確認するようになってしまったのだ。
 そこには聞いたとおりに、秀星先輩が撮影しただろう、美しいフレンチ料理の写真がいくつもアップされていたのだ。
 先輩が遺した写真だけでも楽しめたのに。去年のある時から、新しい料理の写真がアップされるようになった。
 誰かが先輩がやっていたことを無くさずに引き継いだようだった。
 先輩ほどの腕前ではないが、綺麗に撮影されたシェフのその日の料理は、メートル・ドテルにとっても目の保養で、素晴らしい勉強になるものばかりだった。

「彼女も頑張っていそうだな……」

 胸にのしかかる哀しみは、きっと大沼のシェフとお嬢さんの父娘のほうがずっしりと苦しい重みになっているはずだった。
 なのにこうして営業を続け、怠らない日々の丁寧な料理に、一皿を大事に扱う紹介。あちらのレストランで、お父さんシェフと、先輩が遺したセルヴーズちゃんが頑張っているのに、給仕長でプロの俺がグダグダしていられるかという元気をもらっていた。

 だが。大沼の父娘はどうやって……。気を張って乗り越えようとしているのだろうか。

 そう思った時。篠田はふっと首を振る。
 同じだ。きっと秀星さんが、あの父娘のそばにも色あせずに寄り添っている。
 そういう人だったのだ。静かなふりして、あの人は絶やさずにいた情熱の火種を、ここぞと言うときに燃やしきって消えていったのだ。きっと。
 彼の情熱に対する真摯な姿勢が遺されていたのだと篠田は思う。




 大沼のシェフが『特別縁故者』として写真データの権利を引き継いだという話を聞いた一ヶ月後ぐらい。神戸に春の風が吹き始めたころだった。

 たまに確認していた北星秀のアカウントをその日も開くと、いちばん最後にアップしていた写真の『いいね』が増えていた。10ほどだった。

 まあそんなこともある……かも?
 不思議に思っていると、翌朝にはいいねが『100』、フォロワーが『50』に増えていて仰天した。なにかおかしい!?

 思いついたことがひとつ。
 この写真データを引き継いだ大沼の彼女が、自分のアカウントを持っていて先輩の写真を紹介して、ここに誘導しているのかもしれない!?
 出勤するまえに、急いでパソコンを立ち上げて、大沼レストランのWEBサイトにアクセスしてみたが、そこはフレンチのことだけのいつもの紹介しか見つけられなかった。

 彼女のアカウント。どこかにあるのだろうか。
 通勤中の電車のなかで、SNSの検索窓に『北海道 大沼 公園 写真』と入れてみたら――。

【 大沼の湖畔で唄うチャンネル ハコ 】

 というのがヒットした。その『ハコ』のアカウント画面を開き、プロフィールを確認し――。

※こちらのアカウントは、追悼アカウント『北星秀』の代理管理人も務めています。⇒ 北星秀の写真アカウントはこちら 《@――――》

「え? はあ!? 代理!? ハコのフォロワー……8000!?」

 思わず声が出て、あたりの人々の視線が突き刺さっていることに気がつく。

 それから数日、先輩のアカウントを毎日開くのだが、日に日にアクセスが増え、いいねが跳ね上がり、コメントがつき、引用RTでどんどん拡散されていることを知る。

『ハコ』のアカウントのTL(タイムライン)には、彼女が唄ったその日の動画へ誘導する案内のつぶやきの他に、先輩の写真も毎日、彼女のコメント付きで紹介されていたのだ。

『雪解け前の白鳥セバットにいる白鳥たちです。北星はとても穏やかで静かな人でした。ですが、仕事には厳しい方で、対価をくださるお客様、食材や生産者への敬意を忘れない方でした。自然のひとつひとつにも敬意を払っていたのだと思います。この白鳥が飛び立つ前に、別れを惜しんでいたのかもしれません』

 思わず……、篠田は通勤電車のなかで、目元を拭ってしまった。

 彼女のところに。まだ先輩がいた。
 俺が知っている先輩が……、まだそこにいる……。
 どうしようもなく出てくる涙をハンカチで抑えることしかできなかった。


 その『ハコ』ちゃんが、動画で『唄チャンネル』を運営していて、毎朝、秀星先輩が亡くなった場所で、一年も唄い続けていたことを知る。
 東京で歌手の夢破れ、実家に帰ってきた女の子だと先輩が言っていたことを篠田は思い出す――。まちがいない。『ハコ』は大沼のシェフの娘だと篠田にはわかった。

 それから篠田の日課が戻って来た。ハコがアップする『北星秀の写真』に、いいねをするようになった。
 彼女の唄を聴いて、先輩の写真にまた『いいね』をする。
 写真ひとつひとつには既に数千のいいねが集まっていて、篠田が『いいね』をしても、ハコは秀星の後輩が紛れているなど気にする暇もないことだろう。それでも篠田は『いいね』を続ける。ハコをそっと黙って見守るようになっていた。
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