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【4】名もなき朝の私《さよなら、先生》
19.秀星が繋いでいく
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頼まれたお茶を持って戻って来たら、社長さんが涙に濡れているので蒼が驚いている。
「もう、困ったね。アルパチさんには。ハコちゃんには、お父さんみたいになっちゃうんだから」
「うるさい。もうアルパチはバレたから、他の名前を使ってる」
葉子も、蒼も『ええ!?』と一緒に驚く。
『ええ!? そうなんですか!? またリクエストしてくださっているんですか!?』
その文面を見た社長が、葉子から目を逸らした。
矢嶋社長が『アルパチ』というネームで、ハコの唄チャンネルに熱心にリクエストをしてくれていたと知ったのは、佐野元春の『約束の橋』を選んで唄ったあと、しばらくしてだった。
社長に口止めされていたから蒼は『アルパチさんの正体は言わない』という約束を守っていたのだが、約束の橋を唄ってそのあとすぐの矢嶋社長の訪問の時に『ハコちゃん、嬉しかったよ。ありがとう!』と急に言い出したので、なんのことだろうかと驚いたことがある。その時に矢嶋社長が『アルパチさん』だとわかり、それで蒼が大声で驚いていたのかと、あの時の様子の訳をやっと知ったのだった。
嬉しさのあまりに『アルパチさん』だと正体がばれた矢嶋社長は、それからはその名で現れることはなかった。
「もう、社長ったら。ちゃんとご自分でお名前を考えられたってことなんですね」
「今度はリクエスト拾ってくれても、ハコちゃんには、ありがとうと言わないことに決めているんだ。でも、楽しみにしているんだ。あ、唄だけじゃなく。というか、篠田、おまえ、ほんっとに声でかいな。うるさい。それからな。もっとフレンチの紹介コーナーも増やしてくれよ。けっこう評判いいじゃないか。ハコパパシェフコーナーとか、ちょっと羨ましいぞ」
そうなのだ。葉子が唄えない穴を埋めるためのダラシーノ企画コーナーで、ついに父が登場してしまったのだ。
『なんと! ハコちゃんパパが登場です! 当店のシェフでございますよ! でも顔出しNGで、手元だけの撮影、そしてインタビューです!』
『よう、じゃなくて、ハコがお世話になっております。父親のハコパパです』
父が父親と言いながらハコパパとぎこちなく自己紹介した時も、コメント欄が大賑わいだった。葉子もびっくりしながらも、母と笑って視聴していた。
『本日のお料理でーす。シェフは地元の食材を活かすというポリシーを持っています。このあたりの牧場、農場、果樹園、酪農家、養鶏所、漁港などなど、こまめに訪問して生産者とのネットワークも構築しているんです。その素材探しには、北星もよく同行していたとのことで、おふたりでおでかけしていたんですよね』
『そうです。そうすることで、北星は生産者の心もお客様に届ける、料理に素材に敬意を払うというものを大事にしていたね。食材探しのドライブでは、彼も必ずカメラを持って、あちこちの風景を撮影していたよ。その一部も写真集には掲載されるので、見てください』
父の一皿が美しく仕上がっていく動画の再生数も思った以上に記録してくれた。
*写真集を買う前に、どのような思いがあって、北星さんが写真活動をしていたか、また、特別縁故者になったお父さんが北星さんとどのような暮らしをされていたのかわかって良かったです――
そんなコメントも見られた。
矢嶋社長もそれを閲覧されていたようで『あー、うちもなにか、店独自の動画チャンネルを開設しようかな!!』と、最近は営業部に企画をさせているらしい。
「では、葉子さん。お気を付けて。またいらしてくださいね。私もまた大沼に伺います。フレンチ十和田のファンですから、楽しみにしています」
『お待ちしております』
手話付きのお辞儀をして、初めての神戸のレストランを後にする。
「篠田は明日の会議に出てくるように」
「はい。それでは、また明日。失礼いたします」
社長室を出て行く時の彼等のやりとりに、葉子の心が硬くなる。
明日、決まっちゃうのかな。蒼が大沼から神戸に帰るのか、継続するのか。葉子に新しい指導役が来るのかもしれない。
きっと矢嶋社長もわかっている。篠田と葉子は距離が近づきすぎた。男と女の匂いを感じ取っていることだろう。それでは仕事にはならないと、シビアな社長なら判断しそうだと葉子は思っている。
港町・神戸の夜をふたりで歩く。
声が出ない葉子と歩くとき、蒼は常に肩を抱いて離れないようにしてくれている。
「明日はいよいよ小豆島だな。は~、たのしみっ」
歩きスマホは出来ないので、葉子は微笑みと手話で『私も・たのしみ』と返した。
「えーっと。いまのうちに告げておきます。やっぱり一部屋しか取れませんでした……ごめん。ちいさな宿だから数部屋しかなくて。でも、あのシェフの宿に連れて行くこと譲れなくて――」
『いいよって言ったじゃん』という意味の手話を返した。
「な、なんもしないし!」
『難しく考えないで』
葉子はここで思い切って――。
『あなたが、好き』
手話で伝えてみた。
彼が立ち止まる。片方だけ抱き寄せていた肩を、今度は両肩、抱いてくれる。いつの間にか、彼の腕の中、胸に抱きしめられている。
「俺もだよ。知らないだろ。神戸にいるときからずっとだ」
会う前から? 驚いて……、葉子は彼の胸の中からそっと見上げた。
「頑張っている葉子を、ずっと見ていた。元気をもらっていた。葉子は、先輩が俺に遺してくれた『応援』で『頑張っていく希望』だった」
涙が出てきた。
おなじだよ。あなたは、秀星さんが遺してくれた大事な人
手話で。伝わったかな?
蒼がただただ抱きしめているだけになったので、葉子には確信ができなかった。
あの人が撮ったルミナリエの街で。
あの人が繋いでくれた人といるよ――。
もうすぐ、わたしたち、離れてしまうかもしれないけれど。
大丈夫、だよね?
「もう、困ったね。アルパチさんには。ハコちゃんには、お父さんみたいになっちゃうんだから」
「うるさい。もうアルパチはバレたから、他の名前を使ってる」
葉子も、蒼も『ええ!?』と一緒に驚く。
『ええ!? そうなんですか!? またリクエストしてくださっているんですか!?』
その文面を見た社長が、葉子から目を逸らした。
矢嶋社長が『アルパチ』というネームで、ハコの唄チャンネルに熱心にリクエストをしてくれていたと知ったのは、佐野元春の『約束の橋』を選んで唄ったあと、しばらくしてだった。
社長に口止めされていたから蒼は『アルパチさんの正体は言わない』という約束を守っていたのだが、約束の橋を唄ってそのあとすぐの矢嶋社長の訪問の時に『ハコちゃん、嬉しかったよ。ありがとう!』と急に言い出したので、なんのことだろうかと驚いたことがある。その時に矢嶋社長が『アルパチさん』だとわかり、それで蒼が大声で驚いていたのかと、あの時の様子の訳をやっと知ったのだった。
嬉しさのあまりに『アルパチさん』だと正体がばれた矢嶋社長は、それからはその名で現れることはなかった。
「もう、社長ったら。ちゃんとご自分でお名前を考えられたってことなんですね」
「今度はリクエスト拾ってくれても、ハコちゃんには、ありがとうと言わないことに決めているんだ。でも、楽しみにしているんだ。あ、唄だけじゃなく。というか、篠田、おまえ、ほんっとに声でかいな。うるさい。それからな。もっとフレンチの紹介コーナーも増やしてくれよ。けっこう評判いいじゃないか。ハコパパシェフコーナーとか、ちょっと羨ましいぞ」
そうなのだ。葉子が唄えない穴を埋めるためのダラシーノ企画コーナーで、ついに父が登場してしまったのだ。
『なんと! ハコちゃんパパが登場です! 当店のシェフでございますよ! でも顔出しNGで、手元だけの撮影、そしてインタビューです!』
『よう、じゃなくて、ハコがお世話になっております。父親のハコパパです』
父が父親と言いながらハコパパとぎこちなく自己紹介した時も、コメント欄が大賑わいだった。葉子もびっくりしながらも、母と笑って視聴していた。
『本日のお料理でーす。シェフは地元の食材を活かすというポリシーを持っています。このあたりの牧場、農場、果樹園、酪農家、養鶏所、漁港などなど、こまめに訪問して生産者とのネットワークも構築しているんです。その素材探しには、北星もよく同行していたとのことで、おふたりでおでかけしていたんですよね』
『そうです。そうすることで、北星は生産者の心もお客様に届ける、料理に素材に敬意を払うというものを大事にしていたね。食材探しのドライブでは、彼も必ずカメラを持って、あちこちの風景を撮影していたよ。その一部も写真集には掲載されるので、見てください』
父の一皿が美しく仕上がっていく動画の再生数も思った以上に記録してくれた。
*写真集を買う前に、どのような思いがあって、北星さんが写真活動をしていたか、また、特別縁故者になったお父さんが北星さんとどのような暮らしをされていたのかわかって良かったです――
そんなコメントも見られた。
矢嶋社長もそれを閲覧されていたようで『あー、うちもなにか、店独自の動画チャンネルを開設しようかな!!』と、最近は営業部に企画をさせているらしい。
「では、葉子さん。お気を付けて。またいらしてくださいね。私もまた大沼に伺います。フレンチ十和田のファンですから、楽しみにしています」
『お待ちしております』
手話付きのお辞儀をして、初めての神戸のレストランを後にする。
「篠田は明日の会議に出てくるように」
「はい。それでは、また明日。失礼いたします」
社長室を出て行く時の彼等のやりとりに、葉子の心が硬くなる。
明日、決まっちゃうのかな。蒼が大沼から神戸に帰るのか、継続するのか。葉子に新しい指導役が来るのかもしれない。
きっと矢嶋社長もわかっている。篠田と葉子は距離が近づきすぎた。男と女の匂いを感じ取っていることだろう。それでは仕事にはならないと、シビアな社長なら判断しそうだと葉子は思っている。
港町・神戸の夜をふたりで歩く。
声が出ない葉子と歩くとき、蒼は常に肩を抱いて離れないようにしてくれている。
「明日はいよいよ小豆島だな。は~、たのしみっ」
歩きスマホは出来ないので、葉子は微笑みと手話で『私も・たのしみ』と返した。
「えーっと。いまのうちに告げておきます。やっぱり一部屋しか取れませんでした……ごめん。ちいさな宿だから数部屋しかなくて。でも、あのシェフの宿に連れて行くこと譲れなくて――」
『いいよって言ったじゃん』という意味の手話を返した。
「な、なんもしないし!」
『難しく考えないで』
葉子はここで思い切って――。
『あなたが、好き』
手話で伝えてみた。
彼が立ち止まる。片方だけ抱き寄せていた肩を、今度は両肩、抱いてくれる。いつの間にか、彼の腕の中、胸に抱きしめられている。
「俺もだよ。知らないだろ。神戸にいるときからずっとだ」
会う前から? 驚いて……、葉子は彼の胸の中からそっと見上げた。
「頑張っている葉子を、ずっと見ていた。元気をもらっていた。葉子は、先輩が俺に遺してくれた『応援』で『頑張っていく希望』だった」
涙が出てきた。
おなじだよ。あなたは、秀星さんが遺してくれた大事な人
手話で。伝わったかな?
蒼がただただ抱きしめているだけになったので、葉子には確信ができなかった。
あの人が撮ったルミナリエの街で。
あの人が繋いでくれた人といるよ――。
もうすぐ、わたしたち、離れてしまうかもしれないけれど。
大丈夫、だよね?
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