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【後日談2】トロワ・メートル
8.ご隠居さんのお願い
しおりを挟む手早くできた肴と、ウィスキーで飲む準備を整え、二人でリビングへと向かう。
秀星が来た時の話を父がちょうどしているところで、邪魔にならないように、蒼と共にそっと父と母と甲斐氏のまえへと小皿や箸、グラスにコースターなどを配膳していく。
父と母と会話が弾んでいた甲斐氏が、蒼と葉子がそっとテーブルから退いた時に、こちらを見た。
「婿としても合格のようだな。篠田」
「はは。言うと思いました。ここでママさんにさせていたら怒鳴られていたかなって」
ふつう、ここは母と葉子が男たちが食べるものを準備する立場になりそうなものなのに。やっぱりこの方たちは根っからの『サービスマン』なんだなと葉子には思えた。
だから母が嬉しそうに甲斐氏に告げる。
「気が利きすぎるお婿さんで、ほんとうに申し訳なくって。でもとても気が楽で助かっているんです」
「ますます合格でしょう。結婚をすると聞いて、やっとかと思いました。すぐにからかってしまいますけれどね、篠田は秀星が言っていたように、常に意識が高くて真剣すぎて。勉強熱心な男なんです。熱くなりすぎて生意気になるんですけど、明るさふりまいて、人一倍気がつくんです。人に素っ気ないところがあった秀星には、それが心地よかったんでしょうね。篠田が甘えているふりして、あれは秀星が甘えていたと思いますよ。よくつるんでいましたからね」
そのとおりなのか、蒼が『あはは。若いときのこと言われると、はずかしっ』と照れている。
「最後に、少しは思ってくれていた――。思っても引き返せなかった。私は秀星の写真を見てそう思いました。ハコさん、いえ葉子さんや十和田シェフが寄稿したコメントも拝読いたしました。秀星なら、あなたたちの愛を知っていたはずなのです。それでもなお……。でも、必ずあなたたちをそばに思って、最期の撮影場所にいたはずです」
遺作が表紙になっている『エゴイスト』の写真集を、甲斐氏がテーブルに置いてそう呟く。
父がまた、その写真を見下ろして、苦悶の表情を刻んでいるのを葉子は見る。白いコックコート姿のまま、ひざの上でぎゅっと拳を握っているのも見てしまった。
「そう、信じているのですが……。やはり帰ってきてほしかったです。いまもそれは、私の中で揺るがない想いです。見送る気持ちはあれど、彼が満足して逝ったと納得しても。この想いは消えません」
父の隣にいた母がまた目元を拭っている。
葉子もだった。父も母も、葉子も、いつだって、その想いに触れてしまうと、あっという間に涙が溢れてくる。
だから葉子の隣にいる蒼も、沈痛の面持ちで、葉子の肩をそっと抱き寄せてくれる。
「それは。私もおなじです。私は……、矢嶋さんが秀星の死去を知り、こちら大沼での弔問を終えた後に連絡をいただきました。私もしばらくはショックで、数日はどうしてなのかを繰り返しておりました。矢嶋さんともときどき連絡を取りましてね。大沼を行き来しているうちに、矢嶋さんが知ったことも教えてくれるようになりました。やがて、葉子さんの動画活動を知り、年寄りながらインターネットにアクセスして、時折拝見しておりました。しかもそこに篠田がいる。最後にハコさんの活動が写真集に辿り着いた時には、もう、私も胸いっぱいで。写真集を手に入れて、あなたたちの秀星への想いを綴った文章を読んでからは、いてもたってもいられなくなって来てしまいました」
そんな甲斐氏の気持ちを知って、蒼も笑顔になる。
「俺と一緒ですね。俺もいてもたってもいられなくなって、大沼に来たんです。秀星さんのことを知りたかったのもあるけれど、あの秀星さんが居着いたのはどうしてなのか。大沼のレストランのことを知りたくて知りたくて。手伝いたくて、支えたくて――。こんな気持ちになるのは、初めてでした」
笑顔だった蒼の表情が、すっと影を落とした。
「神戸の大手のレストランでメートル・ドテルになれて満足だったはずなのに。それ以上の気持ちを抱く日に、自分も戸惑っていましたから……」
そこに蒼がどれだけこの大沼のレストランで働きたかったかを、改めて葉子は感じている。
「秀星を包み込んだ愛がここにはあったのでしょう。それを知りたいと思ったのは、篠田、おまえだけじゃないよ」
「まさかの師匠が来るとは思いませんでしたが、やっぱり感じましたか? こちらのシェフとハコちゃん、深雪さん、そうそう、遠くのオホーツクにいる義弟の昴君も、秀星さんを大事にしてくれていたんですよ」
「その愛を、私も知りたいと思いましてね」
だから甲斐氏も写真集を見て掻き立てられ、九州は大分から、北海道の大沼に来てしまったということらしい。と、葉子は思っていたのだが、蒼と甲斐氏が大沼に来た話を交わし合っていたそこで、甲斐氏が持っていた鞄から、ひとつの書類のようなものを手にして、父がいる目の前へとテーブルに置いた。
「十和田シェフ、お願いいたします。私も、ここ『フレンチ十和田』で働かせてください」
甲斐氏が突然、向かいのソファーに母と並んで座っている父へと、深々と頭を下げた。
テーブルの上に置かれた書類のようなもの。それは『履歴書』だった。
それを知った葉子はおろか、隣にいる蒼まで仰天している。
「ギャルソンを募集中でしたよね。お願いいたします」
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