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【後日談2】トロワ・メートル
9.ハコちゃん直属
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突然の『面接申し込み』に父が戸惑っている。
「え、いや、はい? あの、ギャルソンを、ですか?」
きっとメートル・ドテルを勤め上げたプロ中のプロだったろうに『今更、ギャルソンから?』と父は驚いているのだろう。
「一度、退いた隠居じじいです。働けるだけでも御の字ですから、コミ・ド・ランで充分です」
「ホールのサービスについては、その、篠田に一任しておりますから」
葉子の隣で唖然としていた蒼も、やっと我に返ったのか、お師匠さんが座っている目の前へと詰め寄っていく。
「甲斐さん! なんのつもりですか! ここ、北海道ですよ!?」
「わかってる。七飯町の大沼だろ。確かに俺はいまここにいる」
「大分で、息子さんのそばで暮らしているのでしょう!? ご家族にはどう話されているんですかっ」
「あ……しまった」
『でしょう、でしょう!? まずはそこから。なにを言い出すんですか』と、蒼はご隠居様の突発的判断でやってきたと一蹴しようとしている。
だが、ご隠居の『しまった』は別のことのようで、甲斐氏が急に、蒼へと姿勢を綺麗に改めた。
「ああ、しまった、しまった。申し訳ありません。篠田給仕長が面接されているんですよね。だから、家族がどうかとお聞きなのですよね?」
「はぃい!? なにその気になってるんですか。面接以前のお話をしているんです!! ご家族に許しをもらってから、お申し込みください」
「父さんの好きにしろ、と言われています。もう一度フレンチレストランで働きたいと思っていましたので。ですが、お客様第一のお仕事。年寄りを手伝いでも雇ってくれるところなど、なかなかありません」
奥様はどう思われているのかと、葉子は疑問に思ったが、蒼はそこで黙り込んでしまった。
「深雪さん。申し訳ないです。そこに座ってもいいですか。十和田シェフ、面接のお供をお願いいたします」
父も『え、マジ』と漏らしたが、母は真顔ですっと立ち上がって、蒼と入れ替わり葉子の隣へと控えた。母が座っていたそこに、制服の上にエプロンをしたままの蒼が座る。隣にはまだコックコート姿の父が。そのまま蒼はテーブルに置かれたままの履歴書をおもむろに手に取った。
そのままじっと履歴書を読み込んでいる。ほんとうに面接をしている時の篠田給仕長の横顔になっていて、葉子は息を呑む。
真剣に向き合って面接をして、お師匠さんに納得してもらって帰すつもりなのだろうか。
「奥様、亡くなられて三年でしたっけ。訃報のお葉書をいただいた時は、自分はまだ神戸にいましたね。奥様にも大変お世話になりました」
それを聞いて葉子は、お師匠さんが既に奥様を看取ったことを知る。だから蒼が奥様のことを尋ねなかったのだ。
「その節は矢嶋シャンテの従業員一同揃ってのお気遣い、ありがとうございました。その時も篠田給仕長が気を遣ってくださったんですよね」
「秀星さんと同じ年でしたね」
「そうです。桐生が先で、半年後に妻が。でも、ここ二年、私もあなたたちを見守ることで、心の均衡を保っていたのです」
秀星の死去を知り、その後に奥様も間を置かずに見送った。時期が重なっていると知った葉子は、甲斐氏もどれだけの哀しみに浸かる日々だっただろうかと、我がことのように感じてしまった。
「妻はもう長くはないとわかっていたので心積もりもある程度は整っていたと言えますが、桐生は突然でしたでしょう。もちろん家族のことで私はいっぱいいっぱい。秀星のことですぐに動くことができませんでした。それでも、矢嶋さんから伝え聞く大沼のレストランのこと。秀星の写真を大事にしようと、権利を引き継ぐ手続きを取った十和田シェフ。誰かに見てもらおうと、ひたむきな葉子さんの動画活動。お二人を秀星の後を継ぐように支えたいと北海道に移住したという篠田。あなたたちも、身近だった男の死を思い、亡き男を一日たりとも忘れずに日々を重ねていた。そう、私もおなじように、妻と死を想い、あなたたちも寄り添って、涙を飲みながら過ごしている。だから、私も……。そんな力をいただいておりました。ですから、おそらく、いまの私は、北海道へ移住しようと決めた篠田給仕長とおなじ心境なのでしょうね」
ここに来るまでに至った気持ちを語るお師匠さんを、蒼はやはり篠田給仕長の仕事の目で厳しく見つめていた。
「では、採用したとして。お住まいはどうされるつもりですか」
「桐生が住んでいたようなアパートがあればそこでと思っています」
「大分の海辺と違って、こちらの冬は気候が厳しいですよ」
「楽しみにしているのですけれどね」
そこで、蒼が履歴書を片手にじっと黙っている。やがて、その履歴書を、面接を任せてはいるものの隣で落ち着きなく黙っている父へと手渡した。父もすぐに甲斐氏の履歴を確認している。
「わかりました。矢嶋社長には、なにも伝えずに?」
「もちろんです。こちらのお店の責任者に判断をしていただくつもりです」
「経歴はばっちりです。ですが年齢的なことが不安点ですね」
「呆けているとか、判断力が鈍くなっているとか、ですか」
「いいえ。体力面です。こちらのレストランは、大所帯の矢嶋シャンテと異なり、ギャルソン・セルヴーズひとりひとりが様々な役割を兼任しております。ランチは週3回、その日は昼の部と夜の部の間に2時間休憩を挟みますが、長時間の立ち仕事になります」
さすがに甲斐氏が黙ってしまった。
年齢はおそらく七十代か。体力勝負であるサービスの職務を全うできるかという自信は、さすがにあるとは甲斐氏も言えないようだった。
「条件があります。一つは、ここ北海道で勤めることについて、再度ご家族の了承を得ること。二つ目は、三ヶ月ごとの期限を区切っての契約とします」
蒼が『採用』するような条件を出してきた。
でもその条件をクリアしないと採用ではないので、まだ甲斐氏も喜びの表情は浮かべていない。
「最後、三つ目、せっかくの経歴です『シェフ・ド・ラン』をお願いしたいと思っています」
神楽君がやっと昇格した『シェフ・ド・ラン』をいきなり任せると蒼が言い出した。
だが甲斐氏は、あの矢嶋シャンテでメートル・ドテルを務めていたベテランの男。なにを任せてもこなせるはずだった。
さらに蒼が、いつにない真剣さで師匠へと視線をまっすぐに向け、はっきりと告げた。
「ただし。そこにいるセルヴーズの『十和田葉子』直属のシェフ・ド・ランになってもらいます」
葉子の直属のチーフとなるシェフ・ド・ラン!? 葉子はおろか、父も甲斐氏も『え!?』と驚き固まっている。
今度は葉子が唖然としている。
蒼君、いったいなにを考えているのと問い詰めたい。
「え、いや、はい? あの、ギャルソンを、ですか?」
きっとメートル・ドテルを勤め上げたプロ中のプロだったろうに『今更、ギャルソンから?』と父は驚いているのだろう。
「一度、退いた隠居じじいです。働けるだけでも御の字ですから、コミ・ド・ランで充分です」
「ホールのサービスについては、その、篠田に一任しておりますから」
葉子の隣で唖然としていた蒼も、やっと我に返ったのか、お師匠さんが座っている目の前へと詰め寄っていく。
「甲斐さん! なんのつもりですか! ここ、北海道ですよ!?」
「わかってる。七飯町の大沼だろ。確かに俺はいまここにいる」
「大分で、息子さんのそばで暮らしているのでしょう!? ご家族にはどう話されているんですかっ」
「あ……しまった」
『でしょう、でしょう!? まずはそこから。なにを言い出すんですか』と、蒼はご隠居様の突発的判断でやってきたと一蹴しようとしている。
だが、ご隠居の『しまった』は別のことのようで、甲斐氏が急に、蒼へと姿勢を綺麗に改めた。
「ああ、しまった、しまった。申し訳ありません。篠田給仕長が面接されているんですよね。だから、家族がどうかとお聞きなのですよね?」
「はぃい!? なにその気になってるんですか。面接以前のお話をしているんです!! ご家族に許しをもらってから、お申し込みください」
「父さんの好きにしろ、と言われています。もう一度フレンチレストランで働きたいと思っていましたので。ですが、お客様第一のお仕事。年寄りを手伝いでも雇ってくれるところなど、なかなかありません」
奥様はどう思われているのかと、葉子は疑問に思ったが、蒼はそこで黙り込んでしまった。
「深雪さん。申し訳ないです。そこに座ってもいいですか。十和田シェフ、面接のお供をお願いいたします」
父も『え、マジ』と漏らしたが、母は真顔ですっと立ち上がって、蒼と入れ替わり葉子の隣へと控えた。母が座っていたそこに、制服の上にエプロンをしたままの蒼が座る。隣にはまだコックコート姿の父が。そのまま蒼はテーブルに置かれたままの履歴書をおもむろに手に取った。
そのままじっと履歴書を読み込んでいる。ほんとうに面接をしている時の篠田給仕長の横顔になっていて、葉子は息を呑む。
真剣に向き合って面接をして、お師匠さんに納得してもらって帰すつもりなのだろうか。
「奥様、亡くなられて三年でしたっけ。訃報のお葉書をいただいた時は、自分はまだ神戸にいましたね。奥様にも大変お世話になりました」
それを聞いて葉子は、お師匠さんが既に奥様を看取ったことを知る。だから蒼が奥様のことを尋ねなかったのだ。
「その節は矢嶋シャンテの従業員一同揃ってのお気遣い、ありがとうございました。その時も篠田給仕長が気を遣ってくださったんですよね」
「秀星さんと同じ年でしたね」
「そうです。桐生が先で、半年後に妻が。でも、ここ二年、私もあなたたちを見守ることで、心の均衡を保っていたのです」
秀星の死去を知り、その後に奥様も間を置かずに見送った。時期が重なっていると知った葉子は、甲斐氏もどれだけの哀しみに浸かる日々だっただろうかと、我がことのように感じてしまった。
「妻はもう長くはないとわかっていたので心積もりもある程度は整っていたと言えますが、桐生は突然でしたでしょう。もちろん家族のことで私はいっぱいいっぱい。秀星のことですぐに動くことができませんでした。それでも、矢嶋さんから伝え聞く大沼のレストランのこと。秀星の写真を大事にしようと、権利を引き継ぐ手続きを取った十和田シェフ。誰かに見てもらおうと、ひたむきな葉子さんの動画活動。お二人を秀星の後を継ぐように支えたいと北海道に移住したという篠田。あなたたちも、身近だった男の死を思い、亡き男を一日たりとも忘れずに日々を重ねていた。そう、私もおなじように、妻と死を想い、あなたたちも寄り添って、涙を飲みながら過ごしている。だから、私も……。そんな力をいただいておりました。ですから、おそらく、いまの私は、北海道へ移住しようと決めた篠田給仕長とおなじ心境なのでしょうね」
ここに来るまでに至った気持ちを語るお師匠さんを、蒼はやはり篠田給仕長の仕事の目で厳しく見つめていた。
「では、採用したとして。お住まいはどうされるつもりですか」
「桐生が住んでいたようなアパートがあればそこでと思っています」
「大分の海辺と違って、こちらの冬は気候が厳しいですよ」
「楽しみにしているのですけれどね」
そこで、蒼が履歴書を片手にじっと黙っている。やがて、その履歴書を、面接を任せてはいるものの隣で落ち着きなく黙っている父へと手渡した。父もすぐに甲斐氏の履歴を確認している。
「わかりました。矢嶋社長には、なにも伝えずに?」
「もちろんです。こちらのお店の責任者に判断をしていただくつもりです」
「経歴はばっちりです。ですが年齢的なことが不安点ですね」
「呆けているとか、判断力が鈍くなっているとか、ですか」
「いいえ。体力面です。こちらのレストランは、大所帯の矢嶋シャンテと異なり、ギャルソン・セルヴーズひとりひとりが様々な役割を兼任しております。ランチは週3回、その日は昼の部と夜の部の間に2時間休憩を挟みますが、長時間の立ち仕事になります」
さすがに甲斐氏が黙ってしまった。
年齢はおそらく七十代か。体力勝負であるサービスの職務を全うできるかという自信は、さすがにあるとは甲斐氏も言えないようだった。
「条件があります。一つは、ここ北海道で勤めることについて、再度ご家族の了承を得ること。二つ目は、三ヶ月ごとの期限を区切っての契約とします」
蒼が『採用』するような条件を出してきた。
でもその条件をクリアしないと採用ではないので、まだ甲斐氏も喜びの表情は浮かべていない。
「最後、三つ目、せっかくの経歴です『シェフ・ド・ラン』をお願いしたいと思っています」
神楽君がやっと昇格した『シェフ・ド・ラン』をいきなり任せると蒼が言い出した。
だが甲斐氏は、あの矢嶋シャンテでメートル・ドテルを務めていたベテランの男。なにを任せてもこなせるはずだった。
さらに蒼が、いつにない真剣さで師匠へと視線をまっすぐに向け、はっきりと告げた。
「ただし。そこにいるセルヴーズの『十和田葉子』直属のシェフ・ド・ランになってもらいます」
葉子の直属のチーフとなるシェフ・ド・ラン!? 葉子はおろか、父も甲斐氏も『え!?』と驚き固まっている。
今度は葉子が唖然としている。
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