名もなき朝の唄〈湖畔のフレンチレストランで〉

市來茉莉(茉莉恵)

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【後日談2】トロワ・メートル

30.シュガーベイビーラブ

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「チーフ、お師匠さん。本日は配信におつきあい、ありがとうございます」
「は、はい。こちらこそ、初めまして。ハコさんの指導役になった師匠です」

 ついに甲斐チーフをゲストに迎えての配信が始まる。

*ハコパパに負けない渋い声!
*声だけで威厳ある!!
*失礼ですが、お歳はおいくつですか!!

「お歳はと視聴者さんがお聞きですが、さしつかえなければ」
「七十は超えています」

*けっこうお年寄り!? 大丈夫なの?
*北星さんと、ダラシーノにつられて来ちゃったの??

 視聴者からも続々と質問のコメントが入ってくる。
 その中から、葉子がピックアップをして代理で質問をする。

「北星とダラシーノさんに影響されて来てしまったのか、また再度のお勤め大丈夫ですかという質問がいくつか入っています」

「はい。まずサービスの仕事にまた復帰したいという気持ちが強かったこともあります。北海道に来たのは、北星の弔問がまず第一の目的でした。フレンチ十和田さんを訪ねるまでも、ハコさんの唄チャンネルを矢嶋社長から教えていただき、だいぶ前から視聴しておりました。メートル・ドテルだった私の跡を継いでくれたのが北星となります。その彼が置いていった教え子のハコさん。彼女が、上司が生きていた時に本来の目的だった写真を、誰かに見てもらおうと必死だった姿に胸打たれました。さらに、北星の教育が途中で切れてしまっていたようなので、ダラシーノさんが、その続きの教育をお願いしたいとおっしゃてくださったので、その役目を引き受けることにいたしました」

*わー、めっちゃベテランそう!!
*そっか、北星さんの上司だったということは、後輩のダラシーノにとっても元上司ってことになるのか
*ダラシーノの信頼があるからの採用だったんですね

 一度落ち着くと、ずっしりと構えられるのは、さすがベテラン給仕長だった方だと葉子も感嘆する。人の経験とは、こんな時に出てくるのだと思えたのだ。

「先日も、ずいぶん前に北星が飲ませてくれたワインの意味を、どう教えたかったのかをお師匠さんが拾い上げてくださいまして。私の中で『どうしてあのワインは甘かったのに辛口だったのかな』という心の奥に印象だけが残っていたその意味を、お師匠さんが的確に教えてくださいました。生きていたら、北星が教えてくれていたということが実感できるものでした」

*それってどんなこと? ワインも興味ある。またレストランコーナーでやってほしい
*ワインも知りたいです! お師匠さんコーナーも作ってください!!

 そんなコメントが入ってきて、葉子は影からスマートフォンを甲斐チーフに手渡して『見てください!』という仕草を送った。それが通じた甲斐チーフもコメントを見て、気恥ずかしそうに照れて白髪をかいている。

「そうですね。ダラシーノさんに伝えたら企画してくれると思います。チーフはワインの知識が豊富なので、ほんっとに毎日が充実しています」

*今日はダラシーノいないの? いつものでっかい声ないじゃん?
*いつもならここで『お任せください!!!! 僕が絶対に企画しま~あっす!!』ってでっかい声入りそうなのに。

 そんなコメントが入っているよと、今度は甲斐チーフがスマートフォンを返してくれて、コメントを確認した葉子と一緒に笑った。

「今日はダラシーノさんはまだお仕事中です。私とチーフは、いまは一緒に行動をしているので、お昼休みも一緒なんですよね。あと一ヶ月もすると紅葉の季節になります。そうなりますと、北国は外でのんびり過ごせる気候の日が少なくなりますので、緑があるうちにライブ配信をすることにしました。では本日は、私から一曲、お師匠さんのリクエスト一曲をお届けしたいと思います」

*わー!! 久しぶりの唄だ!!!
*なんだろう。お師匠さん世代だと、どんな唄がでてきそうかな
*七十歳以上だろ? 50年代60年代じゃねーの
*60年代のヒット曲ってなんだろ。石原裕次郎とか?
*小林旭とか
*さだまさしとか
*森進一?とか?
*え、ハコちゃんが演歌とか? 想像できないよ~

 どんどんと視聴者から予測と候補があがってくる。
 そんなコメントをよそに、葉子は本日の一曲を紹介する。

「まずは私から一曲、最近、ずっと練習していた曲です。リクエストから拾わせていただきました」

シュガーベイビーラブ

「お師匠さんはこの曲をご存じですか?」
「確か、The Rubettesルベッツの楽曲でしたよね。日本でもカバーされていて、キャンディーズが歌っていましたよね」
「はい。日本ですと、キャンディーズのカバー版と、Winkと石田耀子さんバージョンのカバー版と種類がいくつかありますね」
「私が若いときも、いまも時々耳にしますね。そちらを歌われるのですね。楽しみです」

*ルベッツのはテレビでも時々流れてくるよな
*どんな曲だったっけ?
*聴くと、ああ、ああ、知ってる知っているってやつだよ。日本でもそんなにカバーされていたんだ。Winkしか知らなかった
*俺、アニメ畑だから、石田耀子バージョン知っている

 有名楽曲なので、その人の世代で知っているカバーもそれぞれのようだった。

「では……。切ない片想い。今回はWinkさんと石田耀子さんバージョンの歌詞でお届けします」


Sugar Baby Love /シュガーベイビーラブ The Rubettes
(カバー/Wink/石田耀子/歌詞:Joe Lemon)


 出だしのイントロをギターでかき鳴らすと、目の前にいる甲斐チーフも微笑みを湛えて、小さく手拍子をしてくれている。

 こちらも『シュガーベイビーラブ』とタイトルと同じ歌詞から始まる。
 日本語カバー版は、女性の切ない片想いを曜日で唄ったもの。
 だが葉子はギターをかき鳴らして、切ない彼女の心を唄いながらも、ルベッツの本来の歌詞を思う。


愛しい、可愛い君。哀しい思いをさせるつもりはなかったんだ。傷つけるつもりも……。


 そんな男性の苦い思いを綴ったものだった。

 甘い恋と愛の狭間で、愛しすぎて哀しい思いも時にある。
 どんなに思っても届かない想いもある。そんな切ない唄――。


いいかい。君が誰かを愛したら。なにも考えずに愛してほしい。


 そんな意味合いの歌詞もある。
 彼がそんなことを思っていたとも言ってくれたとも思わない。
 でも葉子は女性版の歌詞を唄いながらも、本来の歌詞の意味を心に声を張り上げる。

 全力で愛すよ。秀星さんが繋いでくれた人だから。蒼君を全力で。
 そしてあなたが結んでくれた縁で出会えた人も、全力で大事にする!

 そんな想いを込めて――。
 今日も独り善がりの想いをエゴのようでも唄う。

 コメントもちらほら入ってくる。
 知ってる。この曲好き。こんな切ない歌だったんだ――。などなど。
 甲斐チーフも葉子の表現を感じてくれたのか、ちょっとしんみりしたお顔に変わって聴いてくれている。

 ギターで最後の音を鳴らして終えると、甲斐チーフの拍手がいちばんに聞こえてきた。

「凄い! 初めて通しで聴けました。いつも動画で聴いていたけれど、目の前の特等席、いいですね!!」


*師匠羨ましい……
*なんか、ハコちゃん。歌上手くなってきてない?
*ギターもうまくなってるな……ちょっともったいなく思えてきた。
*でもプロになるって大変なんでしょ。私はこのままでいいよ。気楽にハコちゃんに会いたい
*俺も。ハコちゃんも、いまのままのびのびがいいよ。それにレストランとも離れて欲しくない


 久しぶりの配信だったが、視聴者さんたちも心がひとつになっていろいろと会話が弾んでいるのを見るだけで、葉子は嬉しくなる。もう歌手になろうとは思っていないけれど……。

「みなさま、ありがとうございます。プロにはなれなかったけれど、こうして唄うだけでも私は元気になれます。外で唄うとスッキリしますね! このあと仕事がありますけど、頑張ります!」

 さて――と、葉子は甲斐チーフを見つめる。

「次は、チーフのリクエストを唄いたいと思います。チーフなにかありますか」
「そうですね……。亡くなった妻が、入院中に気に入って聴いていたものをお願いしたいと思います。明日、彼女の命日なので」


*お師匠さん、奥さんともう……?
*明日、命日なんですね……😢
*じゃあ、ひとりで北海道に来ているんだ……


 コメント欄もお師匠さんに寄り添うようにしんみりしていた。

「奥様がお好きな歌だったのですね。いますぐ弾けるものであれば」
「ハコさんが何度か、動画配信で唄われているので大丈夫だと思います」

*師匠、話し方が綺麗
*奥さんの思い出の曲……? なんだろう。

「マリーゴールドです。あいみょんさんの……」
「ああ。そうですね。よくリクエストにあがる人気の曲です」
「入院中によく聴いていました。お嫁さんが聴けるように準備してくれて、随分と気分よさそうにしていたので、音楽は凄いなと思っていました」
「そうでしたか……。では。奥様を想って、唄わせていただきます」

 人気曲なので、何回か弾いたこともあり、歌詞も頭に入っている。



マリーゴールド あいみょん



 ブレスと音取りが難しい曲なんだよなと思いながら、葉子は気合いを入れてイントロを鳴らし始める。


 緑色に包まれた、エメラルドのような水辺で。
 遠い日に思いを馳せるような歌詞を歌い上げる。

 やっぱり。それだけで、お師匠さんが涙に暮れていた。
 配信中だから、嗚咽を抑えに抑えて……、顔を覆って。
 これで良かったのかな。葉子はとたんに自信がなくなってきたけれど、唄う力は決して落とすまいと懸命に歌い上げる。

 コメント欄も余計なことを言うまいという空気ができあがっているのか、なにも入ってこない。
 歌い終わると、シンとしていた。



*良い唄ですね。改めて、奥様のご冥福を祈りたいと思います。
元気で日々を暮らしているか案じていると思いますよ。お師匠さん。元気いっぱいに行きましょう! はよ、仕事に戻って来てくださいね。給仕長より 
追記: 奥ちゃん! ええ唄やったわあああ😭ぶぇえぇえ   ダラシーノ



 そんなコメントが静けさの中に入ってきて、葉子はギョッとする。


*ダラシーノだ!!
*え、ダラシーノ……仕事中じゃ?
*そうだった。ダラシーノとハコちゃん結婚したんだった。奥ちゃんってなんだよ!!
*文字で登場しても騒々しい!!


 あっという間にコメント欄がいつもの賑やかさに戻った。
 しかも蒼がダラシーノとして登場すると、ほんとうに賑やかになる。

 それを見て葉子が笑い出したので、目の前の甲斐チーフも涙を拭いて不思議そうに首を傾げている。
 賑わっているコメント欄を、スマートフォンを手渡して見せてあげると甲斐チーフも呆れた顔になっていた。でもすぐに……、楽しそうな笑顔に変わった。

「まったく、篠田ったら。ほんとうに……、いつも明るいというか……。憎めなくて。ほんとうに可愛いヤツなんですよ」

 今度はそんな元部下の優しさに感動したのか、またあっという間に涙顔に崩れてしまった。

 もうこの賑やかさのまま、配信を閉めようと葉子もカメラに再度向かう。

「皆様、ありがとうございました。仕事があるので本日はこのへんで。また後ほど、SNSや概要欄でご挨拶させていただきます。お師匠さんのコーナーも、ダラシーノさんにつくってもらいますね。それではまた!! ありがとうございました」

 手を振りながら、配信を切った。

「はい。終わりました。お疲れ様でした」

 甲斐チーフも、もう晴れやかな笑顔になっている。

「お疲れ様でしたハコさん。あー、ドキドキした。楽しかったです」
「本当ですか。なんか、余計に哀しくさせてしまった気もして……」
「いいえ。泣けて良かったです。一人で泣いているだけじゃダメだったんですね。かといって、レストランはやはり仕事場なのでなかなか。葉子さん、ありがとうございました。あなたたちに会いに来てよかった!」

 深い緑の匂いがする水辺で、甲斐チーフが両腕をあげて、ん~と伸びをした。
 憑きものが取れたように、葉子には見えた。
 配信で映っていたエメラルドの湖面へと葉子は振り返る。


ハコちゃん、お疲れ様。ふたりとも、いい笑顔。


 ポロシャツ姿の秀星がカメラを構えて、こちらにシャッターを押す姿が見えた。
 そのレンズに、葉子は微笑む。


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