名もなき朝の唄〈湖畔のフレンチレストランで〉

市來茉莉(茉莉恵)

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【後日談2】トロワ・メートル

33.冬がはじまるよ

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「それにしても、再生回数すごいな。ワイン講座人気になりそうだなあ」

 フレンチ十和田、本日も閉店を迎え、賄い夕食も終わり、片付けも終了。葉子がロッカーで着替えを済ませて給仕長室へ行くと、蒼がデスクで唸っていた。
 いつもの業務用のデスクトップのパソコンモニターに映っているのは、ハコチャンネルとは別に開設した『フレンチ十和田チャンネル』だった。
 そこには、甲斐チーフがワインボトルなどを見せながら、声だけでレクチャーをしている動画が表示されていた。

 蒼も私服に着替え終えていた。葉子を待っているついでに、開設したチャンネルのチェックをしているようで、葉子もそっと、いつもの丸椅子に腰をかけて一緒に眺めた。

「コメントも多いね。ワインに興味ある人がいっぱいいるんだね」
「甲斐さんの教え方が、わかりやすいというコメントも多いね。落ち着いた声と慣れた喋り方が、すごく聞きやすいというのもあるんだと思う」
「チーフもすごいやり甲斐があるみたい。私もレクチャーの時、わかりやすくてスッと入ってくること多いもん」

 あれから、蒼の企画で『フレンチ十和田 元メートル・ドテル・お師匠さんのワイン講座』というコーナーが立ち上がった。
 甲斐チーフも、すっかりその気で、本当に講師のようにしてホワイトボードを前にレクチャーを繰り広げる。ライブ配信にも抵抗がなくなり、視聴者のコメントを拾いながら、リアルタイムで質問に答えるなどのスタイルが受けたようで、人気のコーナーになっていた。

 二人でコメントを一緒に確認をしていると、ドアが開いたままの給仕長室の入り口に、噂の甲斐チーフが現れた。こちらも私服に着替えていたが、その片手にはなにかを書き上げたルーズリーフが一枚。それが蒼へと差し出される。

「篠田給仕長。次は、ワインの旧世界、新世界。ワインボトルの形状で産地を見分けるなどを配信したいのですが、いかがでしょう」
「お、いいですね。ワインを知りたいという一般の方々にも面白いと思いますよ。いつにしますか……」
「この日の、閉店後――はいかがでしょう。男性視聴者が多いようで、お仕事を終えて帰宅、食事を終えてプライベートタイムを迎えるのが、ちょうど、レストラン閉店時間後が多いようだから。視聴者数が取れると思うんだよな……」
「それはそうですけれど。お身体、大丈夫ですか。そろそろ気温が一桁台の季節なので、初めての冬だから、無理はしないでほしいんですよ。閉店をしたら、甲斐さんも休養が必要ですよ。ランチタイムがない日の日中の撮影で充分だと思います。ライブ配信と言っても、リアルタイムで覧られなかった人々は、あとで再生して見ますから。最後は評価ボタンの結果と再生回数がどうかになるんです」

 この頃になると、朝晩の冷え込みは氷点下になることも多く、蒼はいままで以上に甲斐チーフの体調に気を遣っている。だからなのか、張り切っている姿を知ると、それとなく抑える対応をするようになっていた。

「そうかあ……。すぐに覧てほしいんだよなあ。コメントにもすぐに返答したい」
「それ、ライブの虜になっちゃっていますね」
「結構はまってびっくりしているんだよ。動画配信なんて、若者が楽しむものだと思っていたのになあ」

 甲斐チーフは、もうすっかり動画配信に夢中だった。
 反応をもらえることが張り合いになっているのだろう。

 お師匠さんが張り切っていたら、蒼がきちんとセーブする。そんな連携も見て取れた。
 むしろ甲斐チーフのほうが歯止めがきかない時が多いように、葉子には見える。
 がむしゃらにやりたいという熱意に溢れていた。そこを今度は、蒼が見定めてコントロールしている。
 大分のご家族から預かっているお父さん、お祖父ちゃんだから。大事にお返しする日まで、何事もないように細心の注意を払っている。

 葉子も、父も母も、甲斐チーフの日々の暮らしをサポートしていた。
 葉子の大事な先生としても、フレンチ十和田を助けてくれるベテランの先輩としても。いまはもうフレンチ十和田にはなくてはならない存在になっているから。

 新しいレクチャー配信をいつやろうかと、蒼と甲斐チーフが話し終えるのを葉子も待っている。

 その時、ふと見つめた窓の外に、ふわりと綿のような白いものが舞い降りてきたのを、葉子は見つける。

「あ、雪……」

 蒼も甲斐チーフも懸命に交わしていた会話を止めてしまった。

「ついに来たか。今年も」
「初めての冬が来るんだな。私の場合」
「俺は三度目ですね~。それでも、ほんっとに甘く見ないでくださいよ! なにかあったら、すぐに俺に連絡、葉子に連絡、レストランに連絡、パパか深雪さんに連絡、グラ君でもいいんですからね。とにかく、関係者にすぐ連絡!!」
「あああ、もう、うるさいな。わかってる。ちゃんと迷惑はかけないように過ごすから、しつこいな~」

 なんかもう、二人が父と息子みたいだなあと、葉子も笑っていた。

 最近はなんとなく……。秀星がいた日々を甲斐チーフに重ねている時がある。
 家族ではないけれど、もう毎日一緒の、家族のような人。
 そんな人がまた出来たように思えていた。

 休日は一緒に出かけたり、一緒に買い物に行ったり、食事をしたり。
 蒼と新婚でも、甲斐チーフがいると、親戚のおじさんが一緒についてきて色々と教えてくれ、日常に豊かさを添えてくれる。そんな気持ちになれる。
 北海道の暮らしを一緒に楽しむ。そんな和やかな日を送っていた。もう当たり前のように。

 そんなお師匠さん、初めて北国の冬を迎える。
 その時にはもう、三ヶ月節目の契約更新もされていた。


 目標は再来年、札幌で行われるソムリエ試験。それまで、チーフがついていてくれる。そんな安心感に包まれていた。




 春までは溶けない根雪が積もり、大沼は真っ白な冬景色の日々を迎えていた。
 その日も、神楽君と江藤君がレストラン玄関前の雪かきをしてくれる。
 葉子と甲斐チーフが、その分、テーブルを整える作業を担当していた。

「いやあ、本当に湖が凍ってびっくりなんですけれど。大沼がずうっと向こうまで真っ白ですね。駒ヶ岳も!」
「もう春まで溶けないので、毎日が真っ白ですよ」
「冬も雄大なロケーションが、レストランのホールから見えるだなんて贅沢ですね」
「そろそろ白鳥も飛来してきますから、白鳥台セバットまで見に行きましょう」
「楽しみです」

 北国の冬景色が新鮮なご様子で、ここのところの甲斐チーフは、雪が降る度にうきうきしている。

 十二月。クリスマスを目の前にして、矢嶋社長がやってきた。
 二ヶ月に一度の視察とは別だった。先月来たばかりなのに、だった。

 蒼も、父もなにも聞いていないようで『なにかあったのだろうか』と、そわそわしていた。




 その矢嶋社長が函館経由で、大沼に到着する。
 もうすっかり慣れたようで、雪の時期でもへっちゃらでやってくる。

「いや~、今年も来ましたね。根雪の季節」

 根雪の意味がわかるなら、もう矢嶋社長も北国初心者ではなくなってしまったなと、葉子は迎え入れる。コートの選び方も靴の選び方も慣れていて、もう迎えがなくても、お一人ですいすいと大沼に来られるようになっていた。

 そんな矢嶋社長を従業員玄関で、出迎える。
 少しだけ小雪を頭にのせて来た社長が、風除室で払いのける。そこで雪を払ってから中に入るという習慣も身につけられていて、すっかり北国上級者になっている。

 羽織られてきたコートを社長がそこで脱いだので、葉子が預かった。
 一緒に室内へと入り、まずはディナー前のホールへと案内する。

「おお、クリスマスツリーを出したのですね」
「はい。クリスマスディナーの予約も開始いたしました。ツアーのオプションにしてくださって、函館旅行の方からも予約が入り始めています」
「よしよし。こちらも順調だな」
「矢嶋社長のおかげです。都市部から少し離れた場所にあるレストランなのに、客足が途絶えないような企画をしてくださいまして、ありがとうございます」

 矢嶋社長が経営する傘下に入ったが、それからこちら売り上げが増え、さらに安定していた。
 矢嶋シャンテの観光向けレストランとしての『テスト経営』だとよく言われているが、その成果が出ていると、父からも蒼からも聞かされている。
 やり手の社長との縁を結んでくれたのも、秀星だ。

「こちらこそ、秀星がここを見つけてくれたおかげで、新しい仕事へのヒントをいつももらっておりますよ。特に葉子さんの動画配信、あれは、私にはない発想でしたからね」
「いえ、そんな。唄っていただけです」
「唄で惹きつけ、写真を魅せて、そこからレストランへと結ぶ。これは葉子さんがしてくださったのですよ」
「それは、たまたま……。それよりかは、レストラン関係の配信については、篠田給仕長が企画してくれたものばかりですから」
「ま、こちらへ派遣したのも、篠田にその采配ができるからこそですよ。正解でした。彼を大沼へと送り出して」

 なんだか今日は、いつも葉子と和やかに近況を伝え合うご挨拶じゃないという違和感が湧いてきた。

「よろしければ、ヴァンショーはいかがですか。甲斐チーフとレシピを考えてみました」
「ああ、いいですねえ。ホットワインですね。それはウェルカムで出されるのですか」
「許されるなら、北国らしいアペリティフということで出してみたいです。到着された時に、外の冷気でお身体を冷やされて来店されるでしょうから。食前に温まっていただくのはどうかと提案してみました。でもアペリティフに、ヴァンショーなんて聞いたことないですよね」
「ものは試しですね。そちらを、到着のひと息にください。判断いたします」
「ありがとうございます」

 まずは、ゆったりとひと息ついていただこうと、いつも試食の時に座られているテーブルへと案内をする。
 ディナーのお客様が来店する前の、静かな店内だった。だが厨房はもう忙しく準備に入っていた。
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