貴方の腕に囚われて

鏡野ゆう

文字の大きさ
25 / 42
本編

第二十五話 二尉殿、不在中 その3 side - 大森

しおりを挟む
「……これで何人目だ?」
「二十人目です」
「それはまた……。しかし、糧食班の班員相手に情けないぞ、お前達。今まで何をやってきたんだ。こんな体たらくな状態を見たら、小隊長が情けなくて泣くぞ」

 溜め息をつきながら額に『反省中』と赤文字のスタンプをおされた部下を見下ろした。泣く前に全員締められるかもな、色々な意味で……。

 森永もりなが二尉がレンジャー課程のために不在になって、二ヶ月が経とうとしていた。自分が不在の間、足を骨折した音無おとなし三曹が無茶をしないように見守ってやって欲しいと言われ、彼女をそれとなく気にかけていたのだが、ちょっとばかりイタズラ心を出したのがまずかった。

 梅雨の長雨で屋内でできる訓練が限られている中、音無をターゲットにして小隊の面々にストーキングをさせていたのだが、それをどうしたことか彼女に気づかれた。だいたいターゲットに気づかれること自体が問題なんだが、まあそこは後々の再訓練の課題として横に置いておく。

 とにかく貼りつくのをやめない俺達に業を煮やした音無は、本格的な反撃を開始した。それがこの、隊員達の額にデカデカとおされたスタンプだ。無茶をしないように見守るはずの俺達が、結果的に彼女に無茶をさせているというこの現状は実に頭が痛い。

「どう考えてもこっちが不利ですよ。音無三曹は怪我をしているし女性ですから。それに屋内で他の隊員の目もあるので、こっちは手荒な反撃ができません」
「あっちだって怪我をしているんだ、動きにハンデがあるだろ。他人の目があるという点では、お互い様なんじゃないのか?」

 とは言え、骨折してから二ヶ月。本格的な夏を前にして怪我の回復具合は良好らしく、日に日に音無の動きはアクティブなものになっている。最近では隊員達が見かけるのは、片足とびで元気よく逃げていく彼女の背中ばかりだそうだ。これはもしかして、全員が顔にスタンプをおされる日も近いか?

「三曹、絶対に大森おおもり二曹と山本やまもと二曹の顔に、十個ぐらいスタンプをおすって張り切ってましたよ」

 やれやれ、相手は俺達をる気満々だ。

「お前達、何としてもスタンプを奪取だぞ」
「でも自分は今日スタンプをおされたので、少なくとも24時間は生き返っての参戦はできないって、音無三曹が言ってました。スタンプをおされて24時間以内の奴が参戦しているのを見つけたら、今度は鍋蓋でぶん殴るって」
「なに勝手にルールを決めてるんだ、あいつは……」

 そりゃまあ多勢に無勢なんだから、そのぐらいのハンデが無ければ、あっちだってやっていられないだろう。しかし、ちょっと容赦がなさすぎないか? 鍋蓋でぶん殴るだって?

「これで小隊が全滅したら、全員で初級偵察課程をやり直さなきゃならなくなるな……」

 これは笑いごとではなくなってきたな、そろそろ本腰を入れなきゃダメか? いや、糧食班の隊員を相手に、それはいくらなんでも大人げないような気もするな。さて、どうしたものか。

「大森……」

 そこへ山本がやってきた。ん? 奴の額が赤いのは何故だ。

「……山本、それはもしかして」
「俺、今日は参加していなかったんだけどな。何故か小隊の人間だから問答無用だと言われて、額におしていきやがった」
「おいおいおい」

 長期戦にもつれこんでからは、もう何でもありだな音無め。

「どうするんだ、これ。落としどころはあるのか?」

 額をこすりながら山本がこっちを見る。その眼はお前のせいだから何とかしろと言っている。たしかに思いついたのは俺だ。だが、お前だって楽しんでいたじゃないか。嬉々として参戦していたくせに、面倒事はすべてこっちに押しつけるつもりか?

「俺もそこまで考えてなかったな。二尉が戻ってきたら任務終了ぐらいに考えていた。まさか駐屯地内で、音無にゲリラ戦を挑まれるとは思ってなかったからなあ。明日は音無、病院に行くんだよな? 一時休戦を申し出るか?」
「あいつがそれを受け入れるかね?」
「今の小隊の状況からして、多少の譲歩はしてでも、停戦協定を結んだ方が得策だと思うが?」

 そう言いながらやって来たのは、右頬に反省中の文字をつけた小池こいけ曹長だ。音無め、とうとう小隊付きの先任曹長にまでスタンプをおしやがった。

「とうとう小池曹長も反省中になりましたか」
「まったく。音無三曹があそこまでジャジャ馬だとは思わなかったな。いい加減にしないと、このスタンプのせいで不審に思う幹部が出てくるんじゃないか?」

 それでも小池曹長はそれなりに楽しんでいるらしく、半笑いを浮かべた。

 駐屯地内で行われているこのゲリラ戦は、今のところ上の耳には入っていないはずだ。衛生科の江崎えざき三曹や女性隊員の生温かい視線から察するに、下っ端連中は少なからずギャラリーになっているヤツもいるようだが。

「しかし楽しそうですね、曹長」
「音無が女なのがもったいないと思ってな。相手の後ろから忍びよる技術は、なかなかなものだと感心しているところだ。もしかして誰かに仕込まれでもしたかな?」
「まさかうちの小隊長仕込みとか?」
「それも有り得るか。デートはもっぱら行軍と実戦訓練だっていう噂は本当かもしれん。あと作戦参謀な。誰かが知恵を授けている可能性もある」

 さすがあの森永二尉の選んだ相手だと曹長は感心しているが、そうも言っていられない。このままだと、うちの小隊は全滅だ。

「音無に作戦参謀がいるかどうかは分かりませんが、とにかく一旦停戦を申し入れてきます」
「お前は無傷で終わらせるつもりなのか」

 山本がそれはずるくないか?と言ってきた。

「そうは言っていないじゃないか。要はタイミングだろ?」

 夕飯の時にでも話を持ちかけてみるか。さすがにあそこでは、スタンプをおされることはないだろうから。


+++++


「おい、音無、話がある」

 食堂がまだ隊員達であふれ返っているうちにと、カウンターの向こう側にいた音無に声をかけた。

「おや大森二曹。とうとう自分でスタンプをおされに来たんですかー?」

 そう言ってエプロンのポケットかられいのスタンプを出すと、ニヤニヤしながらこっちにかざして見せる。おい、なんでそんなところにまで持ち込んでいやがるんだ。

「そんなわけあるか。停戦の話し合いだよ」
「はーん? 自分が無傷のうちに停戦とか、ちょっとズルいんじゃないですかねー?」

 嫌味な顔をしてスタンプを振り回している。その場にいた班員はそれとなくこっちに背中を向けている、ということは我関せずを突き通すつもりらしい。

「それは単なる偶然だ。そろそろギプスもはずれる頃だろ。ってことはこっちに任務も終了ってことだ」
「あ、そう」

 そして相変わらずな胡散臭うさんくさげな表情でこっちを見つめている。

「小隊付の陸曹長にまでスタンプをおしたんだ、もう気が済んだだろ?」
「なに言ってるんですか。この騒動の諸悪の根源である大森二曹長のおでこに十個ぐらいおさない限り、私の気は済みませんよ?」

 おいおい。

「……とにかくだ、こっちも外での訓練を優先したい。そろそろお遊びはおしまいにしないと」
「ほーほーほー……」

 何やら思案しながらこっちにやって来た。今では松葉杖も片側だけになっているので、動きは怪我をする前とほとんど変わらないように思う。音無は、調理室と食堂の境になっている出入口で立ち止まった。

「つまりはー、この勝負、私の勝ちってことで良いですかねえ?」
「勝ち負けの問題なのか」
「えーと、ここ二ヶ月で私がスタンプをおした人数は、重複した分までカウントすると小隊人数を越えます。つまるところ、小隊は全滅ってことで私の勝ちでは?」

 やれやれ、まったく。

「分かった分かった、そっちの勝ちってことで手を打つ」
「それとこの勝敗の結果は、戻ってきた二尉に報告することも条件の一つに」
「……おい」
「なんです? なにか問題でも? 私としてはあと一ヶ月続けて、あと二回ほど小隊を全滅に追い込んでも良いんですよ?」

 そう言ってニヤニヤする顔は、訓練中にこっちの裏をかいてニヤニヤしていた森永二尉に似ていなくもない。似た者同士ってやつか、厄介なことだ。

「悪人みたいな顔になってるぞ」
「気分は悪人のそれですから」
「……分かった、好きにしろ」
「よっしゃ。報告は大森二曹から二尉にきちんとしてくださいね。あとで確かめますから、でたらめを報告しないように。じゃあついでに」

 そう言うと、目にもとまらぬ速さと言うやつで、俺の額に何か押しつけてきた。慌てて手を額にやると、指先に赤いインクがついた。やられた!!

「おまえ!!」
「これで取り敢えずミッションコンプリート!! やったー!!」

 そう言いながら調理室の奥へと逃げていく。俺達がそっちに立ち入れないことを知っていての行動だ。そして少し離れたところで振り返ってこっちを見た。

「では大森二曹、つつしんで停戦の提案をお受けします。額におすはずだったスタンプ、一個だけで勘弁してあげたんだから、感謝してくださいよね」

 口調はそこそこ丁寧なものだったが、その顔はまさに悪徳政治家顔負けのものだった。

「とうとうやられたか。うちの小隊は間違いなく全滅だな」
「まったくとんだジャジャ馬だ。とれたか?」

 額をこすりながら、笑っている山本に確認する。

「赤いままだが反省中の文字は消えたな。あとで顔洗って来い、すぐに取れるから」

 テーブルについていた小隊のメンバーも、こっちを見て呑気に笑っている。お前達、笑ってる場合じゃないってことを分かってるのか? 俺達の小隊は、糧食班のジャジャ馬一人相手に壊滅したんだぞ?

「お前達、笑ってる場合じゃないぞ。この結果は森永二尉の耳に入ることになるんだからな」

 途端に全員の笑いが引っ込んだ。つまり、二尉が戻ったら地獄の再訓練が始まるということだ。怪我人相手に手加減していたことを差し引いても、間違いなく再訓練だ。残暑の厳しい中での地獄の訓練とはなかなかどうして、心躍るものがあるじゃないか。

「今のうちにがまえだけはしておけよ?」

 なにせうちの小隊長殿は、化け物じみた体力の持ち主だからな。

「まったく、イタズラを仕掛けた相手が悪かったとしか言いようがないな。さて、今回のことに巻き込まれた俺達としては、大森から酒の一杯でもおごってもらわないと気が済まないぞ」
「なに言ってるんだ。退屈しのぎにはちょうど良いと嬉々として乗ってきたくせに。運命共同体だ、森永二尉が戻ってくるまで、全員で首を洗って待つこと。以上だ」

 不満げな隊員達の声があがったが知ったことか。

 少なくとも本日付けで、俺達偵察小隊と音無三曹との間では、暫定的ではあるが停戦合意がなされた。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

白衣の下 第二章 妻を亡くした黒崎先生、田舎暮らしを満喫していたやさき、1人娘がやばい男に入れ込んだ。先生どうする⁈

高野マキ
恋愛
その後の先生 相変わらずの破茶滅茶ぶり、そんな先生を慕う人々、先生を愛してやまない人々とのホッコリしたエピソードの数々‥‥‥ 先生無茶振りやめてください‼️

彼と私と空と雲

鏡野ゆう
恋愛
某テレビ局に勤める槇村優は高所恐怖症で大の飛行機嫌い。そんな彼女が行かなければならなくなった取材先は何と航空自衛隊。そこで彼女達を待っていた案内人は戦闘機パイロットの葛城二尉だった。 飛行機嫌いの眼鏡っ子な女子と飛ぶのが大好きな空自パイロットさんのお話です。 【恋と愛とで抱きしめて】の関連作品でもあります。 【まずは美味しくご馳走様♪編】【番外小話 水遊び企画2015】【盛り上げるの頑張ってます編】【今年は一緒に飛びません編】【小ネタ】

黒瀬部長は部下を溺愛したい

桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。 人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど! 好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。 部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。 スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。

【完結済】25億で極道に売られた女。姐になります!

satomi
恋愛
昼夜問わずに働く18才の主人公南ユキ。 働けども働けどもその収入は両親に搾取されるだけ…。睡眠時間だって2時間程度しかないのに、それでもまだ働き口を増やせと言う両親。 早朝のバイトで頭は朦朧としていたけれど、そんな時にうちにやってきたのは白虎商事CEOの白川大雄さん。ポーンっと25億で私を買っていった。 そんな大雄さん、白虎商事のCEOとは別に白虎組組長の顔を持っていて、私に『姐』になれとのこと。 大丈夫なのかなぁ?

いい加減こっち見ろよ!〜見た目だけだとフラれ続ける私は、どうやら幼馴染の執着愛に気づいていなかったようです。〜

こころ ゆい
恋愛
保育士の八重と外科医の一生は、小学生の頃からの幼馴染。 傍から見れば、儚く清楚に見えるらしい八重は、実は外見にそぐわぬ性格をしていた。 そのせいで、見た目につられて告白してくる男性たちは、ことごとく彼女の中身を知って離れていく。 フラれる度に、やけ食いややけ酒に付き合ってもらっている一生は優しいが、懲りずに同じような恋愛を繰り返す八重に呆れている....と思っていたら? 「....八重の可愛さは、そんなもんじゃないんです。....誰も気付かなくていい。俺だけが知ってればいい」 ーーどうやら、かなり愛されていたようです? ※じれじれ・執着・溺愛 ラブストーリー。🌱 ※この物語は、全て作者の想像で描かれたフィクションです。実際の場所・建物・人物とは関係ありません。🌱 ※HOTランキング入りしました。(最高47位でした)全ては、読者の皆様のおかげです。心より感謝申し上げます。今後も精進して参ります。🌱

拝啓 愛しの部長様

鏡野ゆう
恋愛
МCNホールディングス(仮称)でコンビニスイーツの商品開発に携わる部署にいる海藤部長と宮内愛海ちゃんの恋花です。 小説家になろうで書かれているトムトムさんのお話『本日のスイーツ』と一部でコラボしています。http://ncode.syosetu.com/n2978bz/

サイコパス社長の執着溺愛は異常です

鳴宮鶉子
恋愛
サイコパス社長の執着溺愛は異常です

俺の彼女は中の人

鏡野ゆう
恋愛
海上自衛官の佐伯圭祐はバツイチ、前妻からたまに送られてくる息子の写真を楽しみにしつつも仕事一辺倒な自称海の男。そんな彼が久し振りの陸で出会ったのは何とも奇妙な生き物……いや着ぐるみだった。自称海の男と中の人の恋愛小話、の筈。 【恋と愛とで抱きしめて】の関連作品でもあります。 【本編】【番外小話】【小ネタ】

処理中です...