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本編
第九話 ひっそりこっそり人間観察
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それからというもの、私の人間観察という名の極秘捜査が始まった。おとり捜査とか聞き込みとかそういうのじゃなくて、日常でのお客さんとの会話とかお買い物をしている時とか、そんな日常生活の中でのちょっとばかりディープな人間観察だから、真田さんの言いつけに従ってないなんてことはないでしょ?
私、大人しくている方だよね、階段から突き落とされてムカついているわりには。ま、最終的に階段の滑り止めが犯人でしたって可能性も無きにしも非ずなんだけどさ。
ただ問題なのはそういう目で見るから誰も彼もが怪しく見えてきちゃうってこと。何処でどんなことをして階段で突き飛ばすほどの恨みを買っちゃったんだろうって考えちゃうよ。もしかしてスーパーでオバちゃんが買おうとしていた残り一つの三色団子を手にしちゃったとか? うっかりお店でお客さんの嫌いなお花を入れちゃったとか? それとも学校の行き帰りで肩がぶつかったとか横断歩道で何気なく超負けず嫌いな人を追い越しちゃったとか……とにかくそんな程度のことしか思い浮かばない。
「はあ……なんだか人間観察も疲れる……」
「何が疲れるって?」
「ぎゃあああっ?!」
窓にハロウィン用のジェルシールを貼り終えて出来栄えを確認しながら溜め息をついていたらいきなり後ろで真田さんの声がして飛び上がった。何なの、その不意打ち! いつもはちゃんと声をかけてくれるのに!!
「真田さん、びっくりするじゃない!! ……なに笑ってるの」
「だって芽衣さん、いま二十センチぐらい飛び上がって漫画みたいだったから。しかも髪の毛が逆立ってた」
そう言って私の頭のてっぺんで逆立っているらしい髪の毛をつんつん触りながら真田さんは笑いを噛み殺している。
「もう酷いなあ……まだ半分は怪我人なのに」
お巡りさんが一般市民をそんな風に驚かせて良いわけ? これで私が足を滑らせて引っ繰り返ってまた怪我でもしたらどうするつもりなんだか。
「ごめんごめん、まさか気がついていないとは思ってなかったんだよ。ほら、ガラスにこっちの姿がうつってるからさ」
確かにガラス窓には私とその後ろに立っている真田さんの姿がうつっている。今ははっきりと見えてるけど、さっきはハロウィンのジェルシートを貼るのに一生懸命で声をかけられるまで全然目に入ってなかったよ真田さんのこと。こんなに大きな人なのに何で気がつかなかったのか不思議。
「その顔だと本当に気がついてなかったって感じだね」
「うん、ぜーんぜん目に入ってなかった」
「それはちょっとショックだ」
私の言葉に苦笑いする真田さん。
「そうなの?」
「うん。まあシールを貼るのに夢中だったのは分かってたけどね。だけど芽衣さん、そんなに根を詰めていると頭が痛くなるから無理しちゃ駄目だ。お母さんからまだ痛み止めの薬を飲んでいるって聞いたよ?」
「もう、お母さんてば真田さんに何でも喋り過ぎだよ……」
お母さんてば派出所がお向かいさんなのを良いことに、よりによって私に対する愚痴を雑談と称して真田さんに喋りまくっているみたいなのよね。んで、真面目な真田さんはそれを聞いて次の日にはお店の手伝いをしている私のところにやってきて軽くお説教をしていくという……。
公衆の面前で制服のお巡りさんにお説教をされるって松岡生花店にとっては物凄くイメージダウンなんじゃないの?って思ってるんだけど、お母さんも真田さんもそんなこと全然気にしてないみたい。最近じゃ怪我のことだけじゃなくてまったく関係ないことまで愚痴ってるからお説教の範囲が拡がってきて大変だよ。そりゃ真田さんは年上だし人生の先輩ではあるけどさ、いくらなんでもお母さんあれこれ喋り過ぎ。
「それは芽衣さんが大人しくしてないからじゃないか」
「だからって何で真田さんに泣きつくかなあ」
「泣きついてないよ、単に世間話をしてるだけ。芽衣さんに注意しにくるのは俺が勝手にしてることだからお母さんは関係ないよ」
「どうだか。最近、お母さんと真田さんがタッグを組んでいる気がしてきた」
飴とムチってならまだ分かるけどどう考えても穏やかながらもムチとムチなんだよね。
「たまには飴が欲しいよ……」
「ん? ハロウィンのお菓子のこと? 芽衣さんも子供たちと回るかい?」
私の飴発言を勘違いした真田さんが首を傾げた。そうそう、ご近所の養護施設でハロウィンのイベントをするって話が町内にも伝わって町内の子供会でも一度やってみませんかって話になった。で、真田さんは安全の為に仮装した子供達の行列に着いていく事になったらしい。ああ、もちろん真田さんはお化けの仮装じゃなくて本当のお巡りさんの格好で。
「私はお菓子をもらわなきゃ悪戯するような年じゃないですよーだ」
「ふぅん。悪戯はしないみたいだけど、人の忠告を無視して良からぬことはしてそうだよね」
ギクッ!
「な、なんのことかな。私は普段からすっごく良い子ですよ」
お店もちゃんと手伝ってるしお客さんにも愛想よくしているし。芽衣ちゃんは本当に良い子よねってお婆ちゃん達にも評判なんですけど? 私の答えに真田さんはふーんと呟きながらニヤニヤしている。何だかそれってかなり失礼じゃない?
「あら、芽衣ちゃん、ごきげんよう。怪我の具合はどう?」
そこへタイミングよく桜木茶舗の大奥さんが通りかかった。名前が桜子さんってことで、それにちなんで毎年桜の季節になると活花用に桜の枝を何本か頼まれるのがご縁で親しくなったお婆ちゃま、いやいや、まだおばさまって言った方が良いかな、見た感じもお若いし。
「はい、お蔭さまで」
「そう、良かった。あまり無理しちゃ駄目よ」
「大丈夫です! 私、元気だけが取り柄だから!」
桜子さんは可笑しそうに笑うと真田さんの方に視線をうつした。
「お向かいさんのよしみで気をつけてあげてくださいね。芽衣ちゃんてば元気すぎるから」
「みたいですねえ」
ちょっともしもし? みたいですねってどういうこと? そんな二人のやり取りをちょっと膨れて聞きながら最後のカボチャのジェルシールを貼った。うむ、これでハロウィンの準備は完了。駅ビルの雑貨屋さんで見つけたこのジェルシール、なかなか可愛くて重宝しちゃう。好評ならクリスマスも同じような感じで飾ってみようかなとちょっと気の早いことを考えた。あ、それより附属病院の小児病棟さんから頼まれているクリスマス用のリースを作るのが先かな。
「ところで芽衣さん」
「なんすか」
しばらくしてその場に残った真田さんに声をかけられたので不機嫌な声で返事をすると、ちょっと困ったような顔をしながら笑っている。
「そんなに膨れることないだろ? 皆、芽衣さんの怪我を心配してくれているんだから」
「それとこれとは別問題っす。んで? なんすか?」
真田さんに話の続きを促す。
「……あのさ、俺はここにきてまだ日が浅いからよく分からないんだけど、今のは桜木茶舗の大奥さんだよね」
「ですよ」
「なんで屋号が桜木なんだい? 確か葛木さんだよね、あそこのお宅」
「ああ、それですか。大旦那さんがね、大奥さんのこと好きすぎて屋号を変えちゃったんですって」
「それってどういうこと?」
元々はあそこは葛木茶舗っていう屋号だったらしいんだよね。物心つく頃には既に桜木茶舗で、私も商店街の中にある写真屋さんに飾ってあったこの辺一帯の古い写真に葛木茶舗っていう屋号で写ってるのを見つけてそれを知ったクチなんだけど。
「えっとですね、大旦那さんが桜子さんと結婚した時に、桜子さんの名前と自分の苗字を合体させたお店の名前に変えちゃったらしいですよ。だから新しく引っ越してきた人なんかはあそこが桜木さんってお宅だって勘違いしちゃうんですよね」
「へえ、そうだったのか」
「昔からの屋号を変えちゃうぐらいですからね、昔を知ってるお爺ちゃんお婆ちゃんの話によるとそりゃもう超ラブラブで凄かったらしいです」
「……超ラブラブ」
「うん、すっごいラブラブ」
昔の人だから今みたいにあけすけなことはしていなかったらしいけど、二人で歩いているのを見かけるとピンク色の空気がダダ漏れだったって笑うのは大旦那さんとは親友同士な櫻花庵のおじさん。ちなみに櫻花庵の櫻は桜子さんとはまったく無関係の櫻だ。
「さっきは桜子さん一人でしたけど、だいたいお出掛けする時はご夫婦揃ってということが多いから今でも十分にラブラブなんですけどね」
「なんていうか、ここの商店街の住人って夫婦円満な人が多くてあれだよね、目のやり場に困るっていうか」
つまりはピンク色の空気をダダ漏れさせながら歩いている夫婦が多いってことね。
「円満なだけじゃなくて、ここの地域に引っ越してくると独身さんは高確率で将来の相方を見つけることになるそうですよ」
「そうなのかい?」
「だって真田さんが来る前にいた田辺さんもここでお嫁さん見つけたし」
「へえ……」
真田さんは半信半疑な顔をしてこちらを見ている。そりゃまあお巡りさんからしたら非科学的なことだよね。だけどこれって意外と当たっていると思うんだ。ここらへんの噂では近所の氏神様が縁結びを始めたんじゃないかって話。あそこの神社、もともとは武運長久の神様だったはずなんだけど最近の神様は多種多芸の時代なのかな…。
「うちのお母さんもここでお父さんと知り合ったし」
「なるほどねえ……」
あ、ってことは。
「真田さんも新しいカノジョさんが見つかるかも!」
「ええ?」
「可能性は大有りでしょ? カノジョさんと別れちゃってるんだし。そういう傷心な人ほどご利益絶大なんだって。あ、カノジョさんとよりを戻せる可能性もありかな?」
「いやあ、それは無いな」
うーんと考え込んでしまう真田さん。
もうちょっと神様のご利益について知っていることを力説しようとしたところでお客さんがやってきた。今日は妻の誕生日なんですけどどんな花が良いですか?って。ほら、こういうのって絶対に神様のご利益だと思わない? そのご利益でうちもお花が売れて商売繁盛で大助かり。神様万歳だよね。お客さんが来店したので真田さんは邪魔にならないように派出所に退散することにしたみたいで、くれぐれも無理はしないようにねと言い残してお店から離れていった。
「ああ、ところで芽衣さん」
「はい?」
道の真ん中ぐらいまで行ったところで真田さんが急に立ち止まって振り返る。
「危ないことじゃないから今まで黙ってたけど人間観察もほどほどにね」
げっ、すっかりバレてた!! 恐るべしお巡りさんの観察力……。
私、大人しくている方だよね、階段から突き落とされてムカついているわりには。ま、最終的に階段の滑り止めが犯人でしたって可能性も無きにしも非ずなんだけどさ。
ただ問題なのはそういう目で見るから誰も彼もが怪しく見えてきちゃうってこと。何処でどんなことをして階段で突き飛ばすほどの恨みを買っちゃったんだろうって考えちゃうよ。もしかしてスーパーでオバちゃんが買おうとしていた残り一つの三色団子を手にしちゃったとか? うっかりお店でお客さんの嫌いなお花を入れちゃったとか? それとも学校の行き帰りで肩がぶつかったとか横断歩道で何気なく超負けず嫌いな人を追い越しちゃったとか……とにかくそんな程度のことしか思い浮かばない。
「はあ……なんだか人間観察も疲れる……」
「何が疲れるって?」
「ぎゃあああっ?!」
窓にハロウィン用のジェルシールを貼り終えて出来栄えを確認しながら溜め息をついていたらいきなり後ろで真田さんの声がして飛び上がった。何なの、その不意打ち! いつもはちゃんと声をかけてくれるのに!!
「真田さん、びっくりするじゃない!! ……なに笑ってるの」
「だって芽衣さん、いま二十センチぐらい飛び上がって漫画みたいだったから。しかも髪の毛が逆立ってた」
そう言って私の頭のてっぺんで逆立っているらしい髪の毛をつんつん触りながら真田さんは笑いを噛み殺している。
「もう酷いなあ……まだ半分は怪我人なのに」
お巡りさんが一般市民をそんな風に驚かせて良いわけ? これで私が足を滑らせて引っ繰り返ってまた怪我でもしたらどうするつもりなんだか。
「ごめんごめん、まさか気がついていないとは思ってなかったんだよ。ほら、ガラスにこっちの姿がうつってるからさ」
確かにガラス窓には私とその後ろに立っている真田さんの姿がうつっている。今ははっきりと見えてるけど、さっきはハロウィンのジェルシートを貼るのに一生懸命で声をかけられるまで全然目に入ってなかったよ真田さんのこと。こんなに大きな人なのに何で気がつかなかったのか不思議。
「その顔だと本当に気がついてなかったって感じだね」
「うん、ぜーんぜん目に入ってなかった」
「それはちょっとショックだ」
私の言葉に苦笑いする真田さん。
「そうなの?」
「うん。まあシールを貼るのに夢中だったのは分かってたけどね。だけど芽衣さん、そんなに根を詰めていると頭が痛くなるから無理しちゃ駄目だ。お母さんからまだ痛み止めの薬を飲んでいるって聞いたよ?」
「もう、お母さんてば真田さんに何でも喋り過ぎだよ……」
お母さんてば派出所がお向かいさんなのを良いことに、よりによって私に対する愚痴を雑談と称して真田さんに喋りまくっているみたいなのよね。んで、真面目な真田さんはそれを聞いて次の日にはお店の手伝いをしている私のところにやってきて軽くお説教をしていくという……。
公衆の面前で制服のお巡りさんにお説教をされるって松岡生花店にとっては物凄くイメージダウンなんじゃないの?って思ってるんだけど、お母さんも真田さんもそんなこと全然気にしてないみたい。最近じゃ怪我のことだけじゃなくてまったく関係ないことまで愚痴ってるからお説教の範囲が拡がってきて大変だよ。そりゃ真田さんは年上だし人生の先輩ではあるけどさ、いくらなんでもお母さんあれこれ喋り過ぎ。
「それは芽衣さんが大人しくしてないからじゃないか」
「だからって何で真田さんに泣きつくかなあ」
「泣きついてないよ、単に世間話をしてるだけ。芽衣さんに注意しにくるのは俺が勝手にしてることだからお母さんは関係ないよ」
「どうだか。最近、お母さんと真田さんがタッグを組んでいる気がしてきた」
飴とムチってならまだ分かるけどどう考えても穏やかながらもムチとムチなんだよね。
「たまには飴が欲しいよ……」
「ん? ハロウィンのお菓子のこと? 芽衣さんも子供たちと回るかい?」
私の飴発言を勘違いした真田さんが首を傾げた。そうそう、ご近所の養護施設でハロウィンのイベントをするって話が町内にも伝わって町内の子供会でも一度やってみませんかって話になった。で、真田さんは安全の為に仮装した子供達の行列に着いていく事になったらしい。ああ、もちろん真田さんはお化けの仮装じゃなくて本当のお巡りさんの格好で。
「私はお菓子をもらわなきゃ悪戯するような年じゃないですよーだ」
「ふぅん。悪戯はしないみたいだけど、人の忠告を無視して良からぬことはしてそうだよね」
ギクッ!
「な、なんのことかな。私は普段からすっごく良い子ですよ」
お店もちゃんと手伝ってるしお客さんにも愛想よくしているし。芽衣ちゃんは本当に良い子よねってお婆ちゃん達にも評判なんですけど? 私の答えに真田さんはふーんと呟きながらニヤニヤしている。何だかそれってかなり失礼じゃない?
「あら、芽衣ちゃん、ごきげんよう。怪我の具合はどう?」
そこへタイミングよく桜木茶舗の大奥さんが通りかかった。名前が桜子さんってことで、それにちなんで毎年桜の季節になると活花用に桜の枝を何本か頼まれるのがご縁で親しくなったお婆ちゃま、いやいや、まだおばさまって言った方が良いかな、見た感じもお若いし。
「はい、お蔭さまで」
「そう、良かった。あまり無理しちゃ駄目よ」
「大丈夫です! 私、元気だけが取り柄だから!」
桜子さんは可笑しそうに笑うと真田さんの方に視線をうつした。
「お向かいさんのよしみで気をつけてあげてくださいね。芽衣ちゃんてば元気すぎるから」
「みたいですねえ」
ちょっともしもし? みたいですねってどういうこと? そんな二人のやり取りをちょっと膨れて聞きながら最後のカボチャのジェルシールを貼った。うむ、これでハロウィンの準備は完了。駅ビルの雑貨屋さんで見つけたこのジェルシール、なかなか可愛くて重宝しちゃう。好評ならクリスマスも同じような感じで飾ってみようかなとちょっと気の早いことを考えた。あ、それより附属病院の小児病棟さんから頼まれているクリスマス用のリースを作るのが先かな。
「ところで芽衣さん」
「なんすか」
しばらくしてその場に残った真田さんに声をかけられたので不機嫌な声で返事をすると、ちょっと困ったような顔をしながら笑っている。
「そんなに膨れることないだろ? 皆、芽衣さんの怪我を心配してくれているんだから」
「それとこれとは別問題っす。んで? なんすか?」
真田さんに話の続きを促す。
「……あのさ、俺はここにきてまだ日が浅いからよく分からないんだけど、今のは桜木茶舗の大奥さんだよね」
「ですよ」
「なんで屋号が桜木なんだい? 確か葛木さんだよね、あそこのお宅」
「ああ、それですか。大旦那さんがね、大奥さんのこと好きすぎて屋号を変えちゃったんですって」
「それってどういうこと?」
元々はあそこは葛木茶舗っていう屋号だったらしいんだよね。物心つく頃には既に桜木茶舗で、私も商店街の中にある写真屋さんに飾ってあったこの辺一帯の古い写真に葛木茶舗っていう屋号で写ってるのを見つけてそれを知ったクチなんだけど。
「えっとですね、大旦那さんが桜子さんと結婚した時に、桜子さんの名前と自分の苗字を合体させたお店の名前に変えちゃったらしいですよ。だから新しく引っ越してきた人なんかはあそこが桜木さんってお宅だって勘違いしちゃうんですよね」
「へえ、そうだったのか」
「昔からの屋号を変えちゃうぐらいですからね、昔を知ってるお爺ちゃんお婆ちゃんの話によるとそりゃもう超ラブラブで凄かったらしいです」
「……超ラブラブ」
「うん、すっごいラブラブ」
昔の人だから今みたいにあけすけなことはしていなかったらしいけど、二人で歩いているのを見かけるとピンク色の空気がダダ漏れだったって笑うのは大旦那さんとは親友同士な櫻花庵のおじさん。ちなみに櫻花庵の櫻は桜子さんとはまったく無関係の櫻だ。
「さっきは桜子さん一人でしたけど、だいたいお出掛けする時はご夫婦揃ってということが多いから今でも十分にラブラブなんですけどね」
「なんていうか、ここの商店街の住人って夫婦円満な人が多くてあれだよね、目のやり場に困るっていうか」
つまりはピンク色の空気をダダ漏れさせながら歩いている夫婦が多いってことね。
「円満なだけじゃなくて、ここの地域に引っ越してくると独身さんは高確率で将来の相方を見つけることになるそうですよ」
「そうなのかい?」
「だって真田さんが来る前にいた田辺さんもここでお嫁さん見つけたし」
「へえ……」
真田さんは半信半疑な顔をしてこちらを見ている。そりゃまあお巡りさんからしたら非科学的なことだよね。だけどこれって意外と当たっていると思うんだ。ここらへんの噂では近所の氏神様が縁結びを始めたんじゃないかって話。あそこの神社、もともとは武運長久の神様だったはずなんだけど最近の神様は多種多芸の時代なのかな…。
「うちのお母さんもここでお父さんと知り合ったし」
「なるほどねえ……」
あ、ってことは。
「真田さんも新しいカノジョさんが見つかるかも!」
「ええ?」
「可能性は大有りでしょ? カノジョさんと別れちゃってるんだし。そういう傷心な人ほどご利益絶大なんだって。あ、カノジョさんとよりを戻せる可能性もありかな?」
「いやあ、それは無いな」
うーんと考え込んでしまう真田さん。
もうちょっと神様のご利益について知っていることを力説しようとしたところでお客さんがやってきた。今日は妻の誕生日なんですけどどんな花が良いですか?って。ほら、こういうのって絶対に神様のご利益だと思わない? そのご利益でうちもお花が売れて商売繁盛で大助かり。神様万歳だよね。お客さんが来店したので真田さんは邪魔にならないように派出所に退散することにしたみたいで、くれぐれも無理はしないようにねと言い残してお店から離れていった。
「ああ、ところで芽衣さん」
「はい?」
道の真ん中ぐらいまで行ったところで真田さんが急に立ち止まって振り返る。
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