拝啓 愛しの部長様

鏡野ゆう

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第四章 海藤ベイビーがやってきたの巻

第二十六話 本物はNG

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「ただいま出張から戻って参りましたー」

 午後になって吉村さんが両手に紙袋を持って部屋に入ってきた。彼は先週から北陸方面に出張してました。なんでも次に考えている和風スイーツでコラボする和菓子屋さんとの打ち合わせをするのと、それを兼ねて来年に予定されているご当地弁当企画の下見に行ってきたとか。本人はカニのシーズンに行きたかったよーと嘆いていたけど、こればっかりは仕方がないよね、仕事なんだから。

「お土産は地元の銘菓を取り揃えてきたけど何かの参考になるかな」
「駅弁の写真は撮ってきました?」
「ばっちりだよ、写真だけじゃなく味見もしてきた。お陰でお腹周りが更に怪しくなった」

 そんな言葉に皆で笑いながらお土産のお菓子を空いている机の上に拡げた。なんだか和洋折衷で色々あるよ。当分はおやつの時間に困らなさそう。

「宮内さん、蟹風味のお煎餅を買ってきたんだけど、どうかな」

 吉村さんが箱の中に入っていたお煎餅の入った袋を渡してくれた。今の私がカニカマ中毒になっているのは皆知っているので、その辺からチョイスしてきてくれたらしい。

「へえ、蟹風味ってちょっと贅沢ですねー。いただきますぅ」

 海老煎はよく聞くけど蟹煎ってなかなかないよね。どんな感じなのかなーと袋を一つ手にとって開けてみた。蟹の香りがふわりと漂う。

「およ、なかなかしっかり……」

 隣で他のお菓子を物色していた千夏ちゃんがこちらを覗き込む。

「……愛海? どうした?」
「千夏ちゃん……あげる……」
「え?」
「……ごめんなさい、ちょっと失礼します」

 足早に部屋を出るとトイレに駆け込んだ。途中で長野部長とすれ違ったような気がしたんだけど、それどころじゃなくてとにかく個室に入るとバタンとドアを閉めてかがみこんだ。

「うー……カニカマと大して変わらない匂いなのになんでぇ……」

 本物の蟹さんからしたらカニカマと俺様を一緒にするなーって話だけど、もしかして私って安上がりできてるのかな? 胃の中が空っぽになっても気持ち悪くてその場で動けない。うわーん、今まで会社でこんなことなかったのにぃ。もしかしてカニカマばかり食べていたから本物の蟹さんの呪いでも受けた? 後ろでノックの音がする。

「入ってますぅ」
「愛海、開けろ」
「部長?」
「女子トイレに俺が長く居座る訳にはいかないから早く開けてくれ」
「はいぃ……」

 開けると心配そうな顔をした部長が立っていた。ふにゃーと意味不明な言葉を発しながら抱きついたら、よしよしって頭を撫でながら抱きしめてくれた。

「蟹煎餅……食べ損ねました……」
「吉村が謝ってたぞ、すまないって」
「別に吉村さんが悪い訳じゃないんですよ? 私だって匂いを嗅ぐまでは食べる気満々だったわけだし。だから怒らないであげてくださいね?」
「落ち着いたらまた買ってきて貰え。暫くあいつは北陸への出張があるだろうし」

 せっかくの蟹煎餅……食べたかったよう……。

「なんだか戻るの恥ずかしいです……」
「しばらく医務室で休んでたらどうだ」
「……仕事ぉ」
「お前がいなくてもちゃんと回せるだろ、あいつらだって子どもの集団じゃないんだから」

 部長は慰めるように背中を撫でてくれるけど、なんだか皆に申し訳ない気持ちでいっぱいだよ。他にも妊娠している人がいるって話は聞くけど、こんなのは私だけだし。

「でも自分が役立たずになった気分です」
「夏の商品は一段落したんだ、少しぐらい休んでいても誰も何も言わんさ。そんな青白い顔して仕事している方が皆の邪魔になるだろ」
「それはそうかもしれないですけど……」
「それに心配で俺もおちおち仕事をしてられない。だから休め」

 洗面所で口をゆすいで部長に連れられてトイレから出ると千夏ちゃんが待っていてくれた。

「大丈夫?」
「うん、ごめんねえ……」
「いやいや、妊婦さんって大変だなって思っただけだから。医務室で休んでた方がいいよ、顔色悪いし」
「やりかけの仕事がね……」
「うん、大丈夫。もともと私がこっちに異動してきたのは産休に入る愛海の交替要員になる為なんだから。後のことは千夏ちゃんにどーんと任せておきなさいって」
「ありがとー。千夏ちゃん愛してるぅ」

 そう言って抱きついたら千夏ちゃんは困ったように笑った。

「私、部長に睨まれるのだけは勘弁してほしいなあ……」
「え?」

 振り返ると部長は何とも言えない顔でこっちを見下ろしている。まさか女の子相手に嫉妬したりなんてしないよね? 同期の千夏ちゃんとはもともと仲良しだし。

「ぶちょー、千夏ちゃんにヤキモチなんてやきませんよねー?」
「それより医務室へ行くんだろ?」
「ほらね? 部長は愛海を一人占めしたくてしかたがないのよ」
「いらんこと言うな、瀬能」
「はいはい。じゃあ愛海、気分が良くなるまでは休んでなよ? 今が一番大事な時なんだからさ」
「ありがと」

 部長は医務室まで抱いて運ぶって言われたんだけど、そんなことしたら重症みたいだし恥ずかしいからやめて欲しいってお願いしので渋々ながら諦めてくれた(渋々だよ渋々)。そして途中で出来るだけ社員とすれ違わないようなルートを選んでくれたみたいで、擦れ違ったのはお掃除に来ていた清掃会社のオバチャンぐらいで、青い顔してた私を心配してくれてポケットに入れていたレモン味の飴ちゃんをくれた。そう言えばオバチャン、大阪の人だっけ。本当にいろんなところに入れてるんだね、飴ちゃん。

「つわりはどうしようもないものね、少し休んだら気分も良くなるわ」

 嘱託で週に何度か来ている先生に慰められながらベッドに横になる。そして上から部長が薄い毛布をかけてくれたのとほぼ同時に眠ってしまって、次に目が覚めた時は既に終業時間直前だった。

「うそー……」

 こんな時間まで寝ちゃっただなんて何しに会社に来たんだか分かんないよ。まさかこんなにぐっすり寝ちゃうなんて時計を見て軽いショック状態。家で睡眠時間が足りてないってことは無いのに信じられない。だけど寝ようと思えばまた寝られちゃいそうな感じだし、やっぱりエネルギーを全部お腹に送っちゃってるのかな今の私って。

「こんなことしてたら首になっちゃうよお……」

 なんて呟きながらも起きる気になれないって一体どうなってるんだろ。これって妊娠のせい? それとも遅れてきた五月病? それとも怠け病? さっき貰った飴ちゃんを口に入れながら溜息をついてしまった。


+++++


「別に仕事を続ける必要は無いんだぞ?」

 帰りの車の中でそう言われた。今日のことで更に心配になっちゃったらしい。妊娠が分かって入籍をした時に言われたことの繰り返しで、家族を養えるだけの稼ぎはあるんだから無理して働かなくてもいいぞって言われていたんだよね。だけど仕事を続けたいって言ったのは私の方なんだ。だって今の職場とっても楽しいし。

「でもせっかく入りたいって思ってた会社に入れたんだもの。仕事は続けたいです」

 それに自分達で企画した商品が全国で話題になったり、人様の恋の手助けをしたって話を聞くと凄く嬉しいし。だから出来ることなら子供が生まれた後も続けたい。とにかく、このつわりの時期を乗り切るまで耐えるしかないよね。

「お前が続けたいって言うなら俺は何も言わないが。……しかし相変わらずカニカマは平気なんだな」

 私が助手席でおやつ用に持ってきていたカニカマを食べているのを見て部長が笑う。吐いたせいでお腹の中が空っぽになっちゃったからお腹が空いて大変。帰るまでもつかな。

「んー、そうなんですよ。お煎餅と何が違うのか分かんない」

 なんでもカニカマと蟹煎餅の匂いの違いはなんだったんだと密かに話題になっていて、一度調べてみようかって話になったとか。皆、仕事しようよ仕事。私は密かに本物の蟹さんの呪いだと信じてるけど。

「この時期が終わるまでは皆が差し入れてくれたお菓子は我慢してカニカマで過ごします。何処に地雷が潜んでいるか分かんないし」
「ま、それが一番だな。今日の晩飯はどうする? 俺が何か作ろうか?」
「いいですよ、今のところお味噌汁以外は何ともないし、夕飯の用意ぐらいはちゃんとします」
「そうか」
「そうだ、神戸のお義母さんに明太子をつかったがんもどきを教えてもらったんですよ。部長が好きだから、匂いとか平気なら一度作ってみたらって」

 最近はファックスで海藤家の懐かしのお手軽レシピなんてのを教えてもらってる。私が仕事をしているのを知っているのでだいたい二十分程度で出来るものが中心で、お陰様で私のレパートリーは結婚前からすると物凄く広がった。美味しくできたら実家のお義姉さんにも教えてあげよっと。

「懐かしいな。たまに食べたくなるんだ、あれ」
「明太子も家にあるから今日、作りましょうか?」
「俺も手伝うよ」

 意外と部長って手先が器用だからこういう時に助かるんだよね。あ、ついでに頼んじゃおうかな、あれ。

「あのね……明日のお弁当用に海老と枝豆のしんじょうも作りたいんだけど……」
「分かった、海老のセワタを取れってことだな。奥様の仰せのままに」
「やった♪ あ、そうだ、途中でスーパーも寄って欲しいんですけど」
「何か欲しいものがあるのか?」
「今日、お掃除のオバチャンに飴を貰ったじゃないですか。あれ、気に入ったので探してみようかなって」
「ああ、あの飴か。大阪のオバチャンは本当にいつでも飴を持ってるんだなあ、あれには驚いた」

 実はあの時、部長も飴ちゃんを貰ってたんだよね。車に乗った時にまだ持ってるって言ったので強奪して今は私のバッグの中に入ってる。

「ですよねー。私、あれってテレビが勝手に言ってる都市伝説だと思ってた」

 そして立ち寄ったいつものスーパーで飴ちゃんをゲットした私、カニカマを買おうとしたら冷蔵庫にまだたくさんあるから駄目って部長に言われちゃった。帰るまで我慢しろだって。いつもはこっちが辟易とするぐらいに甘やかしてくれるのにこんな時だけは厳しいんだから……ぶーぶー。
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