シャウトの仕方ない日常

鏡野ゆう

文字の大きさ
15 / 77
本編 1

第十五話 レッドアローズ

しおりを挟む
「おめでとう。おそらく10週目というところかな」

 目の前に座っているのは、嫁ちゃん実家の近所にある産婦人科の先生だ。嫁ちゃんの実家とは昔からのつき合いがあり、親戚の女性陣の九割近くがここで世話になっているということだ。もちろんチビスケの時もこちらでお世話になった。しかし相変わらず年齢不詳の先生やな、数年前とまったく変わってへんやん。一体いくつなんやろう。

「おめでとう、真由美まゆみちゃん、影山かげやまさん。二人目ですよ」
「おお、二人目確定か。やったな嫁ちゃん!」

 嫁ちゃんの横で、ガッツポーズをしてからバンザイすると、先生と嫁ちゃんに笑われた。

「出産はどっちになるかな」

 嫁ちゃん実家で留守番をしているチビスケを迎えに行く途中、嫁ちゃんがつぶやく。

達矢たつや君の異動、そろそろだよね? こっちにいるのは三年ってことだったから」
「そうなんやけどな。今のところなんも言われてへんねん。後藤田ごとうだが錬成を始めたばかりやしな」
「そうなの? 長引く可能性もあり?」
「その可能性は限りなく低いけどなあ。こればっかりはなんとも言えんわ」

 後継ライダーの指導は、現五番機ライダーの俺の大事な任務だ。万が一、後藤田がモノにならなければ、新たに五番機候補のライダーを決めなければならなくなる。まあそんなことはないとは思うが、少なくとも、後継パイロットに決まった後藤田が錬成を終えて、正規の五番機ライダーとして認められるまでは、こちらに留まらなくてはならないのは間違いない。

「でも、あっちに戻ってからやったら、それはそれで大変やで? ほんまのこと言うと、こっちに残ったほうがええんやないかって思うんやけどな。前の時も、出産はあの先生んとこで世話になったし、お義母かあさんとお義父とうさんの近くにおったほうが、真由美も落ち着くやろ?」
「そりゃあ、そうさせてくれたら嬉しいよ。でもそんなことをしたら、誰が達矢君のおにぎり作るの? さすがにこっちから、定期便でおにぎりを運んでもらうわけにはいかないじゃない?」
「まあそうなんやけどな」

 嫁ちゃんのおにぎりがなくても、ちゃんと飛ぶでと言えないところが我ながらふがいない。インフルエンザでの一週間の不在でも大変だったのに、それが月単位となったら一体どうなることやら。俺、その間にほんまにパイロットやめるかもしれへん。

「もし達矢君が問題ないなら、出産はこっちでして、前みたいにお母さんに築城ついきに来てもらいたいなって思ってるんだけど。どうかな?」
「そうなんか? 俺はかまへんけど、前みたいになったら、お義母かあさんが大変やないか?」
「二度目だし私もそれなりに経験値つんだから、前みたいな長期逗留ちょうきとうりゅうにはならないと思う。だから、達矢君の仕事に支障が出ることはないと思うけど」

 嫁ちゃんは、義母との一時的同居に、俺が居心地悪い思いをするのではないかと心配しているようだが、問題なのはそこじゃない。

「いやいや。俺は、お義母かあさんには、真由美がいてほしいだけおってもらったらええと思ってるで? せやけど問題なんはそこやのうて、お義母かあさんが大変やないかってことや。前の時も何度かこっちに戻ってたやん? お義父とうさんが心配やからって」

 実家の近くには、嫁ちゃん兄夫婦もいれば親戚もいる。お義父とうさんもいい年した大人なんだからと言われていても、心配するのがお義母かあさんだった。東松島ひがしまつしまと築城は、俺達のようなパイロットでもない限り、ちょっと行ってくるね的な距離じゃない。しかもあの時は、こっちの都合で来てもらっているのだから、せめて交通費だけでもと言って渡そうとしたら、お金は私達にじゃなく子供のために使いなさいと言われて、受け取ってもらえなかったし。

「もうこの際や、お義父とうさんにも来てもらったらどうや?」
「それは私がイヤ」
「あ、そう……」

 男親っちゅうのは、なんとも切ない存在やで、ほんま。

「この先いろいろと、考えなきゃいけいなこと山積みだね。でもまずは、両方の両親に報告することからだよ」
「ああ、そうやった。まだなんも知らんのやもんな。お義母かあさん達にとっては何人目の孫やっけ? 六人目か」
「達矢君のところもでしょ?」
「うちにとっては四人目の孫か。こっちもえらいこっちゃやで。まーた大騒ぎして大変なことになりそうや」

 自分の実家に知らせるのは今から憂鬱ゆううつだ。

「かんにんな、やかましいオカーチャンで」

 とにかく、口から生まれたんじゃないかってぐらいやかましいのが、うちの母親だった。父親が寡黙かもくなせいか、よけいにそれが際立っている。母親いわく〝オトーチャンがしゃべらへんからウチがその分も補ってるんやで〟ということだったが、別に補わなくても問題ないと思うんだがな。父親とは、今のままでも十分に意思の疎通ができているんだし。

「真由美ちゃんのところは、いいおしゅうとさんとおしゅうとめさんで良かったねって、皆に言われてるよ。私もそう思ってる」
「でも典型的な大阪のオバチャンで、超絶やかましいからなあ……」
「私は好きだけどな、お義母かあさんのにぎやかなおしゃべり」
「あれはちょっと、にぎやかすぎやで」

 電話をしたら、きっと機関銃のように際限なく質問が飛んでくるに決まっている。メールで知らせるか……? ダメだ、メールなんてまどろっこしいと言って、絶対に電話をかけてくるに違いない。

「なあ」
「なあに?」
「うちの親には、生まれるまで知らせへんってのあかんかな」
「ダメに決まってるでしょ? 今日、家に帰ったらちゃんと電話してあげてください」
「……はい」


+++++


―― 今度は男やろうか、女やろうか、どっちやろな…… ――

 翌日、一昨日の訓練の様子を録画した映像を見ながらも、頭の中は生まれてくる子供のことで占められていた。

―― 今度は女の子でもええやんな。……ああでも、男兄弟ってのもええよなあ……いやしかしそれやと、俺んちみたいに家がカオスになるか?  ――

 毎日のように、母親が仁王立ちになって俺達兄弟をしかりつけていたことを思い出して、顔をしかめる。

―― いやいや。生まれたばかりで大変なんは、女も男も関係あらへんやん。俺、ちゃんと嫁ちゃんと育児ができるやろうか? ――

 ここから築城に戻れば、再び防空任務に戻ることになる。ブルーのように全国展開をすることはないが、それでも帰宅が遅くなることはしょっちゅうだった。

『せやから、そこは、ギュンと引いて、一気にドーンやで!』
『あかんあかん、そんなヘロヘロ旋回、笑うわ。もっとこう、ビジッ、バシッとメリハリつけな!』
『ここはな、オール君がグルングルンパッやから、こっちはそのタイミングでクルンでドーンやからな』

「しかしなんつーか、自分でしゃべっておいてアレやけど、ほんま擬音が多いな」

 画面に気持ちを戻してつぶやいた。もともと、関西人の会話には擬音が多いとは言われていたが、そんなの都市伝説だと思っていた。だが、こうやってあらためて自分のしゃべりを聞いていると、たしかに多い。

「ギュンでドンとか、後藤田、これでほんまに理解できてるんやろうか」
「できてると思いますよ」

 いきなり後ろから声をかけられて、椅子から数センチ飛び上がった。振り返ると葛城かつらぎが立っていた。

「なんや葛城、驚くやん」
「二十分ほど前からここに立っていたんですが、まったく気づいてもらえそうにないので、あきらめて声をかけました」

 そう言ってニッコリとほほえむ。

「そうなんか?」
「三佐、画面に顔を向けながら、ニタニタと百面相してましたよ。なにを考えていたんですか?」
「ん? この訓練のことやで? 明日の飛行訓練では、後藤田をどう指導したらええかを考えとったんや」
「まあ、そういうことにしておきます」

 信じてないな、その顔。まあ、考えていたのは訓練とはまったく関係のないことなんだから、葛城のカンは正しいが。

「それで? 二十分も待ってたぐらいなんやから、なんや大事な用事なんやろうな?」
「面白い映像を手に入れたので、見ませんかって誘いにきました」
「面白い映像?」

 葛城は手に持っていたCDを軽く振ってみせる。

「先週、父が空幕長のお供で英国に出張したんですよ。その時に撮ってきたものです。昨日の昼に帰国したらしいんですが、連絡機で自分宛にこれを送ってきまして」
「英国ってことは……レッドアローズか」
「はい。きっといい刺激になるだろうと」

 レッドアローズとは、英国空軍に所属するアクロバットチームだ。9機編隊で、欧州スタイルと呼ばれるダイナミックなアクロを披露する。その飛行技術は非常に高く、そのレベルの高さから、ヨーロッパのアクロチームの御三家の一つと呼ばれていた。

「はーん。ここしばらく天気がぐずついていたのは、オヤジさんが日本にいなかったせいなんやな」
「そうかもしれません。で、どうですか?」
「そりゃ見るに決まってるやん。俺らとは違ったスタイルのアクロやもんな。他の連中にも声かけたらどうや? どうせなら会議室の大きな画面で見たいやん?」
「もちろんそのつもりです」

 そして十五分後には、全員がブリーフィングに使う会議室に集合していた。テレビの大画面では、赤い機体が次々と離陸している様子が流れている。

「オヤジさん、よく一緒に飛びたいって言わへんかったな」
「言ったに決まってるじゃないですか。どういうわけか9番機の後ろに座っているの、うちの父親なんですよ。困ったもんですよ。遊びに行ったわけじゃないのに、空幕長をほったらかして、自分はちゃっかり乗せてもらってるんですから」

 葛城が呆れたように笑った。

「はあーー……ほんま、大したオヤジさんやで」
「元気すぎて困ってますよ。そのうち防空任務に戻せって言いだすんじゃないかと、本気で心配してます。これ、榎本えのもと司令がブルーで飛べたんなら、自分もいけるはずだと言い出してのことなんですよ。本当に呆れます」
「あの元気さやったら、いけるんちゃう?」

 俺の言葉に葛城はとんでもないと目をむく。

「勘弁してください。年寄りにこれ以上あれこれ口出しされたら、たまったもんじゃありませんから。もう少し大人しくすることを覚えてもらわないと、父の下にいる八神やがみ二佐が、そのうち過労で倒れてしまいます」

 そうこうしているうちに、全機が空に上がり編隊を組んだ。話によると、レッドは常に9機で編隊を組んでアクロをするわけではなく、4機編隊、3機編隊、2機編隊と三つのグループにわかれてアクロを披露するとのことだった。その理由は、展示飛行の間に空白の時間をつくることなく、地上で見ている人達にアクロを披露するためらしい。その立て続けにおこなわれるアクロにも驚かされるが、9機編隊でのループもまた見ものだった。その動きは実に優雅で、まるで一羽の大きな鳥が、羽をひろげて飛んでいるように見える。

「9機でダイアモンドループなんて恐れ入るわ。まったく乱れてへんやん」

 隊長の指示で一旦停止をして、スロー再生させながら、全員で食い入るようにそのシーンを見詰めた。自分達のアクロのスタイルとはまた違ったスタイルの曲技飛行。実に興味深い。

「三佐、やってみたいんじゃないですか?」
「アホぬかせ。6機でも頭おかしいって思うのに、なんで9機で飛ばんならんねん。あかんあかん、俺には今のブルーが限界や。試したことないから知らんけど」
「父はここにいるライダーなら、三人増えてもいけるんじゃないかって言ってましたよ」
「その三人のうちの一人に自分を入れろって言うんちゃうんか?」
「あー……そうかもしれません」

 葛城の返事に、その場にいた全員が笑った。パイロットというのは何歳になっても飛びたいものらしい。飛びたない俺からしたらほんま、信じられへんことや。
しおりを挟む
感想 50

あなたにおすすめの小説

【完結】20年後の真実

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。 マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。 それから20年。 マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。 そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。 おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。 全4話書き上げ済み。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

妻への最後の手紙

中七七三
ライト文芸
生きることに疲れた夫が妻へ送った最後の手紙の話。

今日も青空、イルカ日和

鏡野ゆう
ライト文芸
浜路るいは航空自衛隊第四航空団飛行群第11飛行隊、通称ブルーインパルスの整備小隊の整備員。そんな彼女が色々な意味で少しだけ気になっているのは着隊一年足らずのドルフィンライダー(予定)白勢一等空尉。そしてどうやら彼は彼女が整備している機体に乗ることになりそうで……? 空を泳ぐイルカ達と、ドルフィンライダーとドルフィンキーパーの恋の小話。 【本編】+【小話】+【小ネタ】 ※第1回ライト文芸大賞で読者賞をいただきました。ありがとうございます。※ こちらには ユーリ(佐伯瑠璃)さん作『その手で、愛して。ー 空飛ぶイルカの恋物語 ー』 https://www.alphapolis.co.jp/novel/515275725/999154031 ユーリ(佐伯瑠璃)さん作『ウィングマンのキルコール』 https://www.alphapolis.co.jp/novel/515275725/972154025 饕餮さん作『私の彼は、空飛ぶイルカに乗っている』 https://www.alphapolis.co.jp/novel/274274583/812151114 白い黒猫さん作『イルカフェ今日も営業中』 https://ncode.syosetu.com/n7277er/ に出てくる人物が少しだけ顔を出します。それぞれ許可をいただいています。 ※小説家になろう、カクヨムでも公開中※

十年目の結婚記念日

あさの紅茶
ライト文芸
結婚して十年目。 特別なことはなにもしない。 だけどふと思い立った妻は手紙をしたためることに……。 妻と夫の愛する気持ち。 短編です。 ********** このお話は他のサイトにも掲載しています

報酬はその笑顔で

鏡野ゆう
ライト文芸
彼女がその人と初めて会ったのは夏休みのバイト先でのことだった。 自分に正直で真っ直ぐな女子大生さんと、にこにこスマイルのパイロットさんとのお話。 『貴方は翼を失くさない』で榎本さんの部下として登場した飛行教導群のパイロット、但馬一尉のお話です。 ※小説家になろう、カクヨムでも公開中※

✿ 私は彼のことが好きなのに、彼は私なんかよりずっと若くてきれいでスタイルの良い女が好きらしい 

設楽理沙
ライト文芸
累計ポイント110万ポイント超えました。皆さま、ありがとうございます。❀ 結婚後、2か月足らずで夫の心変わりを知ることに。 結婚前から他の女性と付き合っていたんだって。 それならそうと、ちゃんと話してくれていれば、結婚なんて しなかった。 呆れた私はすぐに家を出て自立の道を探すことにした。 それなのに、私と別れたくないなんて信じられない 世迷言を言ってくる夫。 だめだめ、信用できないからね~。 さようなら。 *******.✿..✿.******* ◇|日比野滉星《ひびのこうせい》32才   会社員 ◇ 日比野ひまり 32才 ◇ 石田唯    29才          滉星の同僚 ◇新堂冬也    25才 ひまりの転職先の先輩(鉄道会社) 2025.4.11 完結 25649字 

ヤクザに医官はおりません

ユーリ(佐伯瑠璃)
ライト文芸
彼は私の知らない組織の人間でした 会社の飲み会の隣の席のグループが怪しい。 シャバだの、残弾なしだの、会話が物騒すぎる。刈り上げ、角刈り、丸刈り、眉毛シャキーン。 無駄にムキムキした体に、堅い言葉遣い。 反社会組織の集まりか! ヤ◯ザに見初められたら逃げられない? 勘違いから始まる異文化交流のお話です。 ※もちろんフィクションです。 小説家になろう、カクヨムに投稿しています。

処理中です...