シャウトの仕方ない日常

鏡野ゆう

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本編 5

第五十話 飛ばんでええと思ったら

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「今日も飛びたないでー……」

 今日は築城ついきに戻って初めて任務で飛ぶ日。天気予報では曇りだったが、なぜか朝から雲一つない晴天だ。

「久しぶりにリアルタイムで聴いてると、何とも言えない気分になりますねえ」

 俺がブツブツ言っている横で、午前中の二本目に一緒に飛ぶことになっている夏目なつめが笑った。

「笑いごとやあらへんねん。ほんま飛びたないねん。どないやねん、なんでまたここやねん」
「空自もパイロットは不足気味ですからね。現役で飛べる間は使い倒すでしょ」
「聞いてるだけで出がらしになりそうや」
「たまにお湯でふやかしましょう」
「わいは乾燥ワカメちゃうで」

 ブルー卒業後の人事異動に憤慨ふんがいしながら廊下を歩く。そんな俺達に、隊長の杉田すぎた二佐からお声がかかった。正確には、前から歩いてきた隊長と俺の目が合っただけなんだが。

「なんですやろ」
「え、影山かげやまさん、隊長の声、聞こえました?」
「目が言うてるやん。ちょっと話があるて。めっちゃ主張してはるで隊長」
「……まったくわかりません」

 夏目のぼやきは横に置く。

「今日も飛びたくないのか、影山」
「もちろん絶好調で飛びたないですわー」
「そうか。だったら今からランウェイ25のはしまで行ってこい」
「あのう、いくつか文章が抜けてまっせ、隊長」
「……そうか?」

 理由はわからないが、どうやら今から、滑走路の端まで行かなくてはならないようだ。ランウェイ25と言えば、海側に突き出た滑走路。そう言えば、俺が松島に行っている間に、少しだけ距離がのびたとか言っていたな。それを見てこいということだろうか。

「もちろん手ぶらでは行かせない。持っていくものを用意した」

 そう言うと、横の部屋に入っていく。

「持っていくもんてなんや?」
「もしかして俺もですかね?」
「僚機やし、そうなんちゃう?」

 俺達が廊下でためらっていると、部屋に入った隊長が顔を出した。

「なにをしている。夏目、お前もだ」
「あ、やっぱり」

 二人で部屋に入った。

「……なんやこれ」

 机の上に、大きな白い三角形の物体が一つと、上に二つの突起がある黒い物体が二つ置かれている。

「まさかこれ、おにぎりのかぶりもの?」

 てっぺんから縦に塗られた黒い部分は、どう考えても海苔のりだ。真ん中は顔が出るように丸い窓になっている。

「どうだ? 顔を隠すのはもってこいだろ」
「どうだって……いやまあ、おにぎりはわいのエネルギー源やけど、これはちょっと。それに真ん中、顔が丸見えで隠れてませんやん?」
「やはりまずいか」
「航空祭で影山さんがかぶるのには、もってこいですよね」

 夏目が無責任なことを言っている。

「ではこれは航空祭でかぶれ」
「ちょ、もう決定事項ですかいな」

 航空祭はまだまだ先だというのに。というか、なんでおにぎり。

「では、今日はこっちだな」

 その横に置いてあったのは黒い物体。よく見れば突起部分が耳になっている猫のかぶりものだ。しかも、ご丁寧に猫の手グローブまで用意されている。

「黒猫?」
「黒ヒョウだぞ」
「あー……」

 うちの飛行隊のエンブレムが黒ヒョウだったことを思い出す。だが、どこから見ても猫だ。

「あの、なんで二つあるんですかね?」
「……」

 夏目の疑問に、隊長は沈黙をもって答えた。

「え、まさか俺にもかぶれと?!」
「僚機だからな」
「えー……めちゃくちゃ暑そうなのに。かぶらない選択肢はないんですか」
「お前達は広報ではないからな。保安上の観点から、顔は出さないほうが良い」

 珍しく隊長の言葉が長い。つまりこれは、重要なポイントということだ。

「ああ、マニアさん達の撮影ポイントが近いんですか」
「そういうことだ」
「行かない選択肢は」
「ない」

 どうやら例のごとく、拒否権はないらしい。

「あの、ちなみにこれ、誰が作ったんですやろ?」
「お前を追いかけるようにして、松島から送られてきたぞ?」
「あー……誰やわかった気ぃしますわ」

 まちがいなく青井あおいだ。横断幕やらかぶりものやら。まったく。総括班長てそんなにヒマな仕事やないのに。

「お礼、言うておいたほうがええんですかなあ」
「それ相応のコーヒー豆を送っておいた」
「それはそれはおおきにですわ」

 きっと隊長おすすめの高級コーヒー豆に違いない。

「今日の一本目は俺が飛ぶ。しっかり見ておけ」
「了解ですわー」

 返事をしつつ、なーんやイヤな予感がせんでもないなと思った。隊長の表情は相変わらずだが、絶対になにか企んでるに違いない。そんなことを考えつつ、猫のかぶりものを手にした。青井が作ったものだ。絶対にピッタリだろうと思いつつかぶってみる。目の部分からの視界も良好だしフィット感もなかなか良い感じだ。

―― さすが班長やで ――

 夏目のほうに体を向けた。

「どや?」
「かわいいですけどね……」
「ほれ、自分もかぶってみい」
「えー……」

 夏目は渋々といった感じで猫の頭をつかみ、かぶった。

「どや」
「まあ視界は良好ですけどね……黒いから絶対に夏には不向きですよ、これ」

 隊長の前で二人でポーズをつけてみる。その表情からして、なかなかお気に召したらしい。いや、だからといってこれからずっと、かぶりものパイロット担当にされたら、それはそれで困るんだが。

「ところで影山さん、この猫の手、つけたら原チャリでも自転車でも、ハンドルが握れないんじゃ?」

 夏目が猫の手を取り上げる。遠くからでも猫の手とわかる大きさだ。たしかにこれだとハンドルは握れそうにない。だが、それなりに距離がある滑走路のはしまで行くのに、徒歩というわけにはいかなかった。

「わいが自転車こぐから、自分、後ろの荷物カゴに乗ったらええやん」
「三輪自転車とは言え、あのカゴに大人が乗るのは、ちょっと無理がないですか?」
「こぐ時だけはずしていけば良いだろ。二人乗りをせずにちゃんと行け」
「というわけや」
「了解しましたー」

 そんなわけで俺達は、黒猫、ではなく黒ヒョウのかぶりものをかぶったまま、ランウェイ25の先端まで行くことになった。かぶりものをかぶったまま自転車置き場に行く途中、遭遇した隊員達がもれなくギョッした顔をするのが何ともゆかいだ。

「あ、いたいた!! 影山さん! 夏目さん!」

 廊下を歩く俺達に声をかけたのは、基地広報の岡崎おかざきだった。

「にゃんや?」
「ちょ、笑わせないでくださいよ! 関西弁の猫になってるじゃないですか」
「猫ちゃうで、パンサーや」
「ああ、パンサーね。どこから見ても黒猫ですけど」

 岡崎が笑いながらこっちを見ている。

「ほんでなんや? 早う行かへんと、隊長が飛ばれへんてかんかんになるんやけど」
「杉田二佐がかんかんになってるところなんて、見たことないですよ。実はですね、外に出るなら、これを背中に貼ってもらおうと思いまして」

 そう言って、細長い紙をひろげた。

『自衛官 募集中』
『君もパイロットにならないか?』

 大きな太い文字で書かれている。これなら、望遠レンズでのぞいているマニアさん達にも見えるだろう。

「せっかくですしね。ついでに広報活動もお願いします」
「わいらがどこに行くかわかって言うてるん?」
「もちろんですよ。あそこ、マニアさん達の撮影スポットが近いですからね。きっと写真を撮ってもらえると思いますよ。できるだけ背中が目立つようにお願いします。あ、影山さん達もカメラ、持ちました? ついでだから、SNSで使えそうな写真もお願いします」
「あれこれ注文が多すぎや。自分が行ったらええやん」
「俺も忙しいので」
「わいかて忙しいんやけどなあ……」

 そんなわけで、さらに背中にポスターを貼られ、カメラまで押しつけられた。

「わいら、便利屋ちゃうんやけど」
「よろしくお願いしますね!」

 ま、飛ばんでええなら、なんでもええんやけどな。


+++


 頭すれすれの高度をF-2が離陸していく。問題ない高さと分かっていても、カメラをかまえながら思わず首をすくめた。

「隊長、めっちゃためてから飛んだで」
「今の、ローアングルテイクオフですかね?」

 杉田隊長が元ブルーの5番機だったことは知られている。ローアングルキューバンほどの角度ではないにしろ、なかなかの角度でそのまま上昇した。そして上がりきると急旋回をする。もともとF-2はイーグルより小回りがきく機体だが、杉田隊長が操縦桿を握ると、実にそれが際立った。

「あかんわー……」

 カメラで隊長のF-2を追いかけながらつぶやく。

「なにがです?」
「今の、俺に見せつけてるやん。絶対に午後から一緒に飛べ言われるわー」

 さっきのイヤな予感は当たりらしい。

「良いじゃないですか、隊長と飛べるなんて。影山さんぐらいですよ。本気の隊長についていけるの。俺達まだ、隊長の本気には置いてけぼりですから」
「本気出すん、航空祭の展示飛行だけにしてほしいわー。かなんわー、あかんわー」

 午後からは、マニアさん達がお祭り騒ぎになるかもしれないな。

「今日はかぶりもので広報活動もしたし、もう飛ばんでもええと思ってたやんけどなあ」
「なに言ってるんですか。今日は築城復帰の一発目なんだから。マニアさん達も楽しみにしてるんですよ? だから絶対に飛ばないと」
「飛びたないわー……ずっとここで広報でええわー」
「何言ってるんですか。ほらほら、そろそろお手振りして戻りますよー」

 マニアさん達がいるであろう方向に向くと、両手をあげて万歳をしながら手をふった。たぶん誰かが写真を撮ってくれているだろう。夜には写真がネットに流れて、班長からかぶりものの出来栄えを自慢する、電話がかかってくるかもしれない。
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