僕の主治医さん

鏡野ゆう

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僕の主治医さん 第一部

第四話 ピヨピヨさんと愉快な仲間達

 西入にしいり先生と東出ひがしで先生に連行されていった外務省集団が、それでおとなしくなったのかといえば大間違い。誰かが余計な知恵を授けたせいか、見舞客と称しては毎日のように、面会時間を守って、南山みなみやまさんがいる病室に、やってくるようになっていた。

 その余計な知恵のさずけ主は、どう考えても、うちの理事長先生だ。

 理事長先生が、裏で外務省の偉い人達と取引をしたのではないかというのが、私の予想。だって、大部屋に入る予定だった南山さんの病室が、いつの間にやら二人部屋、しかもベッド一つがあいている部屋に落ち着いてしまっているし、普段なら病院の規律が乱れることが大嫌いな“あの”事務長が、なぜか超ご機嫌だ。そんな様子からして、なんらかの取引があったに違いないのだ。

 そして理事長先生の後ろ盾を得たせいなのか、背広集団はやりたい放題で、そのフロア限定ではあったものの、病院の秩序は現在進行形で乱れまくり。もちろん私がそれを見つければ、理事長や事務長の意向なんて無視して、いつものように嫌味連発で彼らを追い出すんだけれども。

北川きたがわ君も大変だねえ」

 西入先生がバニラアイスをご馳走してくれるというので、喜んでホイホイとついていけば、ここ数日の南山さん一派との攻防戦のあらましを聞き出したかったらしく、根掘り葉掘り色々な質問をされた。もちろん医師として、南山さんの術後の経過についても質問はあったけど、メインはどちらかと言えば、そっちじゃなくてこっちだ。

「最近じゃ変な知恵をつけて、一人が詰め所に立って、私が来るのを見張ってるんですよ」
「おやまあ」

 先生は呑気に笑っているけど、これは笑い事じゃない。

 私の顔を見ると「ピヨピヨさんが来た~!」と言いながら足早に病室に戻り、その後を追うようにして病室に入れば、雑談をしている患者と見舞客と言うにはちょっと人数が多すぎる集団が、すました顔をして座っている。足元のカバンからパソコンのマウスが飛び出ていたり、南山さんの枕の下から印刷物がのぞいていたりするのだから、なにをやっていたかなんてお見通しなのに。

 最近では看護師や他の医師からも、四〇三号室は外務省別室になったらしい、とまで言われているのだから、本当に笑い事じゃない。

「笑い事じゃありませんよ。しかもその見張りの人、臼井うすいさんのことをナンパする気満々なんです……っていうか、現在進行形でナンパしてるんですよ。臼井さんも、仕事中なのに話しかけられて困ってます」
「臼井さんにカレシができるのは、喜ばしいことじゃないか」
「それとこれとは話が別です」

 そりゃ臼井さんだって、相手が外務省官僚ともなれば悪い気はしないだろうけど、それだって時と場所によりけりって話だ。なにせこちらは、患者さん達の命をあずかっているのだから。

「で、なんでピヨピヨさんなわけ?」
「なんでも、ガミガミ言うから最初はガミガミさんだったらしいんですけどね、名前が雛子ひなこだってわかったとたんに、ヒヨコさんとか言い出して、いつの間にかピヨピヨさんになってしまったんです。外務省官僚がそろって私のことを、ピヨピヨさんって呼ぶんですよ、もう異次元の世界です」

 ガミガミさんより可愛いから良いじゃないかと言われても、ぜんぜん嬉しくない。しかも最近じゃ、小児科の子供達にまで「ピヨピヨ先生」が広まっているのだ。誰が拡散したか、犯人捜しをしなければと密かに思っている。

「ところで南山さんは、昨日で脱ジュースだっけ?」
「今日の朝から重湯おもゆです。そろそろ固形部を食べたいって、愚痴ってましたけどね」

 おとなしくしない患者さんなんて、ずっとジュースで十分ですと言ったら、少し悲しそうな顔をしていたっけ。

「南山さんはともかく、お見舞いに来る人達は最悪です。出禁にしてほしいぐらいですよ」
「経過は良好だし、あと数日の我慢じゃないか。それがすぎれば静かな病院に戻るよ」
「だと良いんですけど」

 たしかに南山さんの術後の経過は良好だ。腹膜炎一歩手前というやつでラッキーだったのもあるけれど、僕の腕が良かったのかな~とは西入先生の言葉。先生の鼻高々な言葉は横に置いておいて、盲腸だって、腹膜炎になれば酷い人の場合は、一ヶ月以上の入院になる場合もあるのだから、本当に南山さんは運が良い。

「意外と寂しくなったりしてね。たまには、こういう愉快な入院患者さんがいる方が退屈しないよ」
「私は退屈な方が良いですよ。うちがヒマってことは、みんなが健康だってことだし」
「新しい解釈だねえ。だけど事務長が泣きそうな言葉だよ」
「じゃあ、今日の偵察に行ってきますね。アイスクリーム、ごちそうさまでした」
「あまりエキサイトしないように」
「それはあちらの人達に言ってください。最近じゃ、南山さんの具合より、私の血圧の方が心配です」

 アイスのお礼を言うと、カフェを出て南山さんのいる病室に向かう。私と外務省の人達の攻防戦はピヨピヨ以上に知れ渡っているみたいで、行く先々の病室であれこれ近況を尋ねられて困ってしまう。そのお陰で、たくさんの患者さんと話すきっかけができたのも事実ではあるけれど。

「今日は遅いおつきだ、ピヨピヨさん」

 エレベーターを降りたところの詰め所にいたのは、いつもの外務省の人。私の顔を見て、大袈裟おおげさにピヨピヨさん襲来~と言いながら病室に戻っていく。最初のうちは走って戻っていたのが、臼井さんに廊下を走らないでくださいと叱られてからは、速足はやあしていどに落ち着いている。

「また来ているの?」
「みたいですよ。でもね、今日は北川先生はまだかな~とか言ってたから、先生が来るのを待ってたのかも」

 臼井さんがおかしそうに笑った。

「臼井さんも、邪魔ならガツンと言ってやってね。理事長や事務長の意向より、現場の迷惑なんだから」
「ま、可愛いお兄さんなんで、適当に目の保養だと思っておきます」
「ちょっと、もしかして凋落ちょうらくされたとか言わないよね?!」

 臼井さんの、ブリザード級な氷の視線を知っている身としては、その呑気な態度が信じらない。

「まさかまさか。なにを言われても、私や北川先生の仕事の邪魔をする人の言うことなんて、聞く価値もありませんで通してますよ。大丈夫です、あくまでも見なくても平気な、気分転換な目の保養ですから」
「なら良いんだけど」
「あ、ほら、なんだかこっち見てますよ」

 臼井さんの視線の先は南山さんの病室。さっきまでここにいたお兄さんが、部屋から顔をのぞかせていた。

「いつもより長い時間の滞在だから、本当に北川先生のこと待ってたんじゃないですか?」
「さっさと帰れば良いのに」
「先生、ちょっとしたアイドルあつかいとか。ピヨピヨさんなんて可愛いあだ名まで、つけられちゃってるし」
「……じゃあ、しっかりピヨピヨさんの雷を落としてくる」

 溜め息をつきながら病室に向かう。病室に入ればいつもの面々が、窓側に並べたパイプ椅子に座ってこっちを見ていた。そのパイプ椅子だって、何処から持ってきたんだっていうぐらいの数が、いつの間にか置かれていたのだ。机が現れないのが不思議なぐらいで、規律もなにもあったものじゃない。もうここで仕事してくださいと言っているようなものだ。

「おはようございます、南山さん」
「おはようございます、北川先生」

 それでも、南山さんがまだ申し訳ないという態度でいるから、許せているのだ。それに比べて、椅子に座っている面々ときたら……。

上野うえのさん、カバンからマウスが飛び出てますよ」

 そう指摘すると、一番左側に座っていた人が、慌てた様子で椅子の下に置いてあるカバンに手をのばした。

「上野、ピヨピヨさんに名前を憶えられたな。あ、じゃあ俺は?」

 そう言ったのは、さっきまで詰め所で見張りをしていたお兄さん。

下田しもださんですよね、たしか。仕事中の看護師にちょっかいを出すのは、いい加減にやめてください」
「え、じゃあ俺のことも?」
「自分のことはどうでしょう?」

 ……人の話を聞けと叫びたい。黙ったまま南山さんに視線を向けると、申し訳なさそうな顔をして笑っている。

「あのですね、みなさん。いい加減にしてくださいね? 南山さんはまだ固形の食事ができないんですよ。このまま、お友達がおかゆ止まりの生活が続いても良いんですか?」
「次からはおかゆ、食べられるんですか?」
「南山さん……」

 嬉しそうな声に拍子抜けする。もう怒っているのがバカバカしいと言うかなんと言うか。これで国家公務員の集団というのだから信じられない。そりゃあ医者だって、西入先生みたいにちょっと変わった人もいるにはいるけれど……。

「ってことは、もう少しで退院?」
「自分が医者じゃなかったら追い出したいですよ、まったく……」

 実際のところ、カテーテルも抜いて無事にお通じもあったみたいだし、経過は良好なのだから退院まであと少しだ。だからと言って、こんな風に仕事をして良いというわけじゃない。目の前にいる人達は都合よく忘れているようだから何度でも言うけど、ここは外務省分室ではなく病院なのだから。

「あら、南山、ピヨピヨさんに嫌われたな」
「誰のせいですか」
責任転嫁せきにんてんかするのはやめましょう、お前だって嬉々として仕事をしているくせに」
「南山だけがピヨピヨさんに優しくされるのは不公平だからな。これで全員が平等になった」

「はいはい、静かに。それで仕事の打ち合わせは終わったんでしょう? もう帰ってください」
「せっかくピヨピヨさんが来るの待ってたのに」

 全員が同じようなことを、それぞれの言葉で言い始めたのでちょっとしたカオスだ。この人達を統率している局長さんを、心から尊敬してしまう。

「もう私の顔は見たから、これで気がすんだでしょう? さっさと帰りましょう。警備員を呼びますよ」

 私の言葉が合図だったのか、背広集団が椅子ら立ち上がって帰り支度を始めた。

 とにかく、全員が病室から出てエレベーターに乗るまでは安心できないので、彼らが南山さんに言葉をかけて部屋から出ていった後も、病室から廊下に出て監視することにした。

 集団は、詰め所にいた臼井さんをはじめとする看護師達に挨拶をしながらエレベーターに乗り込み、扉が閉まる寸前には、こちらに向かって全員でニコニコしながら手を振ってきた。やれやれ……。 
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