僕の主治医さん

鏡野ゆう

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僕の主治医さん 第二部

第五話 それはアヒルじゃなくて……

 約束の時間よりかなり早く着いてしまったので、駅を出たところにあるカフェで時間をつぶそうかなと考えながら改札口を出ると、すでにそこには南山みなみやまさんが立っていた。そして、出てきた私を見つけてニッコリと微笑む。

「こんにちは」
「どうもです。もう来てたんですか? 私の方が絶対に早いと思ってたのに」
「僕も今着いたところですよ。職業病みたいなものなので気にしないでください。不測の事態に備えて早めに出るのが、クセになってしまっているだけですから」

 笑っている南山さんのシャツのポケットから、私のアヒルちゃんが顔を出してこっちを見ていた。

「このとおり北川きたがわ先生のアヒルは元気ですから、御心配なく」

 私の視線に気がついたのか、そう言ってアヒルの頭を指で撫でる南山さん。その場ですぐに返してくれるものだと思って、カバンの中に入れてきた例の馬鹿高いボールペンを出そうとすると、南山さんは「じゃあ、行きましょうか。お腹が空いていると良いんですが」と言ってスタスタと歩き始めてしまった。

「あのボールペン……」

 慌ててその背中を追いかけながら声をかける。

「デートが終わるまでは預かっておきます。せっかく来てくれた先生が、ボールペンを取り戻したとたんに、逃げてしまったら困るので」

 振り返った南山さんはそう言って、少しだけ意地の悪い笑みを浮かべた。

「だったらせめて、こっちのだけでも受け取ってください。もう落ち着かなくて」

 ボールペンが入れてある細長い封筒を差し出す。南山さんは渋々といった感じで封筒を受け取ると、中からボールペンを取り出してアヒルの横に差した。見るからに高級そうなボールペンが横に入ってきて、アヒルが困った顔をしているように見える。

「書きやすかったから渡したのに、気に入ってもらえなくて残念だな」
「書きやすさは抜群でしたよ。問題はそこじゃなくてお値段です。二万円以上するなんて」
「同じ課の先輩から聞いたところによると、五万以上らしいですけどね。……先生、口が開きっぱなしになってますよ」

 慌てて口を閉じる。特に仕掛けがあるようなものではない、普通に文字を書くボールペンでしょ? なんでそんなにお高いの? もしかしてゼロを一つ間違えてない? 五千円でも十分にお高いと思うけど。

「あの」
「なんですか?」
「もしかして南山さんって、ものすごくお金持ちのお坊ちゃんなんですか?」

 その質問に、とんでもないと首を横に振っている。

「うちは普通の公務員家庭ですよ。入省祝いで一生使えるものをと言って、祖父母がプレゼントしてくれたものなので、奮発してくれたんじゃないかな」
「そうなんですか……ボールペンが五万……」
「こういうお祝いの贈り物って、よくあるらしいですよ」
「よくあることなんですか……」

 国家公務員の世界というのは、なんとも恐ろしい世界だ。そんなことを考えていた私に、南山さんはもう一つ大きな爆弾を落としてきた。

「聞くところによるとここのメーカーの万年筆、三十万越えとかあるらしいです。びっくりですよね」
「さ、三十万?!」

 そりゃ、万年筆は高いとは聞いていたけど、三十万?!

「そんなのをプレゼントされても、きっと落ち着かなくて持ち歩けませんよねぇ」
「そのボールペンだって十分に落ち着かないですよ。そんな高級なものを持ち歩いて、肩が凝ったりしないんですか?」
「僕にとって重要なのはそこじゃなくて、祖父母の気持ちですから」
「なるほど……」

 ニッコリと微笑む南山さんを見ながら、心の中で溜め息をついた。やはり私には、アヒルのボールペンがお似合いだ。


+++


 お店のテーブル席に落ち着いてから渡されたメニューを眺めると、思っていたより普通のお値段で日本語で書かれているのを見て一安心。有り得ないような値段の話が出たばかりだったので、本気で心配になっていたのだ。

 世間の皆さんは、お医者さんは漏れなくお金持ちだと思っているらしいけど、それはとんだ誤解だ。少なくとも私達研修医には、まったく当てはまらない。それなりに偉くなればそこそこ小金持ちにはなれるけど、ドラマの世界とは違って、現実は結構厳しいのだ。

「北川先生、眉間にシワができてますよ。もしかして苦手な料理ばかりでしたか?」
「え? あ、ごめんなさい。そうじゃなくて、これって一体どんなお料理かなあって、考えてました」

 心配そうな南山さんの言葉に、慌てて首を振りながらメニューの一つを指でさした。出てきた料理を見たら、なるほどと思えるものなんだろうけど、メニューに書いてあるカタカナだけではよく分からない。

「ああ、それはですねえ」

 私がさしたメニューを見た南山さんが、どんなふうに料理されているものなのか説明してくれるのを聞いて、とにかくお肉の煮込みだってことだけは理解する。

 そして南山さんの話を聞きながら、病状を説明される患者さん達も、きっとこんな気分になるんだろうなって思った。私達はつい医学用語を使って話をしがちだけど、患者さん達は、そんな難しい言葉で説明されても困るよ先生って、言いたいんだろうなと。今日のこの気持ちを忘れずに、患者さんに説明をする時は可能な限り、分かりやすい言葉で話すように心掛けよう。

「こんな小洒落た名前なんてつけず、分かりやすく鹿肉のシチューってストレートに書けば良いのに」

 説明を聞いた後にボソッと呟くと、南山さんが笑いをかみ殺したような顔になる。

「なんですか? なにか御不審な点でも?」
「いえ。言われてみればそうなんだろうなと思って。どうします? 分かったところで、これにしますか? 暑い時期に食べるにはちょっと不向きですが」
「食べる人がいるからメニューに載っているんですよね? せっかくだからこれにします。あとこっちのサラダと」

 南山さんは私とは違うお料理を選んで、それと一緒にワインも注文した。

「記念すべき一回目のデートですから。もちろん電話でも言った通り、退院後初めてのアルコールですよ。勝手に先生の分も頼みましたけど、飲めないってことはないんですよね?」
「そんなことないですよ。最近は忙しくて飲む時間がないだけです」

 お店の人がグラスにワインを注いでテーブルを離れるのを待ってから、お酒を飲む前にと前置きをして、質問を口にした。

「退院後って話が出たのでついでに。具合はどうですか? 傷口はなんともありませんか?」

 私の質問に、一瞬でお医者さんの顔になりましたねと南山さんが笑う。

「そりゃあ、私は南山さんの担当医ですから。それで? どうなんですか?」
「お蔭様で少し痒い程度で、なんともありません。特に熱が出たりとか痛みがあるとかもないかな」
「傷口がんだりはしてないですか? 血がにじんだりとかは?」
「今のところはまったく」

 西入にしいり先生が、最初から最後まで丁寧に私に説明をしながら手術をしたので、大丈夫だとは思っていたけれど、たまに縫合がちゃんとされてなくてんでしまったり、お腹の中にうみが残っていて熱を出したりする例もあるから、盲腸の手術とは言え安心できない。

「まさか傷口を見たいとか言いませんよね?」
「見せてくれるんですか?」

 その問いに、南山さんは悪戯いたずらっぽい笑みを浮かべる。

「僕の家に来てくれるって言うなら、お見せしても良いですけど?」
「……どうしても気になったら、病院に来るように電話します。主治医権限で」
「それは残念。北川先生に来てもらっても大丈夫なように、掃除もちゃんとしたのに」
「私は往診はしませんからね。なにかあったら今度は我慢しないで、すぐに病院に来てください」
「分かりました、先生」

 ちょっとだけ残念そうな笑みを浮かべながら、南山さんはうなづいた。


+++


 それから、デザートのレモンシャーベットを食べるまでの時間は、あっという間だった。とは言っても、時間的には私史上一番長いランチになったわけで、気がつけば二時間が経とうとしていた。こんなにノンビリと誰かとお喋りしながら食事をしたのって、いつ以来だろう。

「気に入りましたか?」
「とっても美味しかったです。場所と名前を覚えておかなくちゃ」

 お店を出てからお代を返す返さないでちょっともめたけど、そこはさすが交渉術に長けている外務官僚さん。私の言い分は、あの曲者くせものなニコニコ顔で「僕の顔を立てると思って」と押し切られてしまった。

「あの、ところで南山さん」
「なんでしょう」
「そろそろアヒルを……」

 駅に向かって歩きながら、顔を合わせてからずっと気になっていた、アヒルのことを指さす。

「ああ、これですね。もう少しお預かりしていても良いですか?」
「えぇ?!」

 ここにきて、まさかの返してもらえない事態とか?!

「今日は食事だけでしたけど、二回目のデートは、二人で何処かに遊びに行けたら良いなって思ってます。もちろん、北川先生の都合がつけばの話ですけどね。で、アヒルはその時まで、僕が責任を持ってお世話します」

 そう言いながら、お爺さんからの贈り物のあのボールペンを、ポケットから引き抜いた。

「いやいやいや、それは結構ですから!! それはお爺様からの大事なプレゼントなんですから、交換とか有り得ませんから!!」
「ですよね。そう言われると思って別のを用意しました」
「……え?」

 そして何処から出してきたのか、南山さんの手には、なにやら可愛らしいものがついているボールペンが。もしかして南山さんの特技って、手品?

「どうぞ」

 そう言って差し出されたので思わず受け取ってしまったけど、どう見てもこれはアヒルじゃない。

「あの、これアヒルじゃなくてペンギン……」
「二万円という値段がお気に召さないようだったので、それにしてみました。あちこち探したんですけど、アヒルは見つからなくて一番近いのがペンギンだったので、それでお願いします」

 お願いしますと言われても……。

「いやほら、私がほしいのは、そのポケットにあるアヒルでして」
「ですからこれは、もう少しお預かります。次のデートの約束をとりつけられるまで」
「えええー」

 そういうわけで、馬鹿みたいに高価なボールペンは無事に返せたのに、私の手元に戻ってきたのはアヒルではなく、なぜかペンギンのボールペンだった。
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