帝国海軍の猫大佐

鏡野ゆう

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第一部 航海その1

第十四話 洋上補給 2

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『今日はなかなかの訓練日和びよりだな』
『天候が良くてなによりだ』

 猫大佐と猫元帥は仲良く窓辺にならんで座ると、尻尾をふりながら下の様子をながめていた。下では、訓練をかねた物資の受け渡しが続いている。

『のとりの次の予定は?』
『来週から南シナ海でおこなわれる、アメリカ海軍との合同演習に参加するらしい。半年ぶりの海外演習のせいか、艦内の人間どもが落ち着かなくて困る』
『しかたないな。それが船乗りというものだ』
『だが、落ち着かないのにも限度というものがあるだろうが』

 猫元帥の溜め息まじりの愚痴りに猫大佐が笑う。それを横目で見ながら、たまに野良猫が公園で並んで日向ひなたぼっこをしている姿を見かけるが、もしかしてあいつらも、こんなふうに会話をしているんだろうかと思った。

『そういうお前のほうはどうなのだ、灰色の』
『この洋上補給の訓練が終わったら帰港する予定だ。しばらくは任務と訓練を兼ねて、母港の近くで出たり入ったりが続くだろうな』
『最近は近海でも騒々しくなっているからな。わだつみ殿達も落ち着かんだろうて』
『まったくだ』

―― わだつみ? ――

 二人というか二匹というか、その会話を聞きながら、階級だけではなく名前で呼ばれている猫神もいるんだなと、心の中でつぶやく。

―― そう言えば猫大佐の本名は聞いてないよな。サバトラはあだ名みたいだし……一体どんな名前なんだろうな ――

「艦長、三時方向より船舶が、当艦とのとりに接近中です」

 そんなことを考えていると、レーダーの監視を任されていた先輩の航海士が声をあげた。

「シグナルは出しているか?」
波多野はたの、お前は目が良い。外に出て確認しろ」
「わかりました」

 山部やまべ一尉の命令で外に出て双眼鏡をのぞく。かなり距離はあるが、先輩航海士が言った方角に、白い影が見えた。

「どうだ?」

 艦橋から出てきた艦長が俺に声をかけてくる。

「見えました。かなり小さい船です……クルーザーかそれよりも小さな船のようですね。漁船ではありません。それは間違いありません」

 艦長は、手に持っていた双眼鏡で俺が見ている方向を見た。だがすぐに顔をしかめると、双眼鏡から顔を離して俺を見た。

「お前、あれが見えているのか、すごいな」
「視力は2.0なので」
「なるほど。漁船ではないんだな?」
「はい」

 艦長はもう一度、双眼鏡をのぞく。そしてため息をついた。

「ってことはあれか。困ったもんだな……」
「あれ、とは?」
藤原ふじわら、相手に呼びかけをして、こちらに近づかないように警告を出せ」
「了解しました」

 俺の質問には答えず、艦長は艦橋内にいた藤原三佐に指示を出した。

「あの、艦長?」
「……まったく、どこで嗅ぎつけた」

 いらだたしげな艦長の様子を見て、ピンとくるものがある。

「もしかして、追っかけですか?」
「まっすぐこちらに向かってくるとなれば、そうとしか思えんな」

 艦長は腹立たし気に舌打ちをした。

「漁協のほうには、今日この海域で訓練をすることは通達してある。組合に入っていない漁船の可能性もあるが、お前が漁船でないと判断したのなら、マニアが船を出したと考えるのが妥当だろう。あるいは政治的団体が借り上げた船か」

 毎日のようにやってきては入出港の写真を撮るマニアは、いわゆる普通のマニアだ。だが、ごくまれにものすごいコアというかなんというか、はた迷惑なマニアが存在した。恐らく今、このふねに向かってくる小型船舶がそれ。彼らは写真を撮るだけのために、小さな船で航海中の護衛艦に接近してくることがあった。

 もちろん政治的集団にもそういうやからはいるが、彼らはどちらかというと入出港時に接近してくることが多く、こういう場所で遭遇することはめったにない。

「こっちは補給中で思うように動けないというのに、まったく困ったもんだな」

 海は広いんだから、そう簡単に船同士がぶつかることはないと思われがちだ。だが実際は車ほどではないにしろ、あちらこちらで衝突事故が起きている。こちらは大型船舶。急には止まれないし急には曲がれない。あちらから突っ込んでこられたら避けようがなかった。

「艦長、訓練を中断しますか?」

 藤原三佐の横に立っていた船務長の小野おの一尉が、艦長に声をかける。

「藤原、相手は応答したのか?」
「していますが、こんな具合ですよ」

 三佐がスピーカーをONにしたとたん、脳天気にこちらに話しかける声が艦橋に響き渡った。

「テンションたかっ」

 あまりのテンションの高さに、その場にいた全員が顔を見合わせる。どうやら、みむろから呼びかけられて喜んでいるらしい。興奮して叫んでいるせいか、スピーカーから流れてくる音が割れ、なにを言っているのかさっぱり聞き取れない。

「これはダメかもしれませんね。訓練はいったん中断したほうが良さそうです」
「補給品のやり取りを中断させます」

 三佐の言葉に、小野一尉は通信マイクとは別の受話器を手にとって、のとりと話を始めた。のとりでもすぐに伝達がなされたようで、運び出されようとしていたカーゴの動きが止まり、輸送艦の中へと戻っていく。

「つないでいるもやいも念のためにはずしますか?」
「……藤原、マイクをかせ」
「はい」

 艦長が垂れ流しはじめた不穏な空気に、そばに立っていた三佐と一尉が顔を見合わせた。

「やべえ、艦長、ガチギレだ……波多野、耳をふさいでおいたほうが良いかもしれないぞ」
「えええ、まじっすか?」

 その場にいた二曹の先輩に言われ、おそるおそる艦長の様子をうかがう。

「こちらは海上自衛隊、護衛艦みむろ。私は艦長の大友おおともです。聞こえていますか?」

 その口調は、艦長が垂れ流している不穏な空気とは正反対の、実に穏やかなものだった。だがその口調を聞いたとたん、藤原三佐と小野一尉、そして山部一尉がギョッとした顔になったのが、ここからでもわかった。あの三人が、あんな顔をするのはただごとではない。

「耳、まじでふさいだほうがよいですか?」
「ヤバいと思う。準備だけはしておけ」

 相手はあいかわらず、興奮した様子で早口でなにやら叫んでいる。さっきよりはマシになったものの、やはりなにを言っているのかさっぱりわからない。

―― あそこまで興奮することか……? ――

 本当にマニアの考えることはよくわからない。

「よく聞いてください。こちらは現在、輸送艦と訓練中です。航跡波こうせきはも発生しており、小型船舶での接近は非常に危険です。それ以上は近づかないようにお願いします」

 だが返ってきたのは、こちらの言い分を聞いているようには思えない早口の言葉だった。

「もう一度繰り返します。これ以上は当艦に接近しないように」

 そう言って艦長は、レーダーを見ている先輩航海士のほうを見た。先輩は首を横にふる。つまり相手は停船するつもりがないということだ。

「ったく……」
もやいをはずす作業にかかれ。どうやらアホが突っ込んでくるらしい」

 小野一尉が電話で下に指示を出した。甲板の動きがあわただしくなり、二隻をつないでいたロープがはずされていく。

「……あ」

 そこで小さく声をあげてしまった。あれをはずしてしまったら、猫元帥はどうやってあっちのふねに帰るんだ? そう思いながら猫大佐と猫元帥のほうに視線を向ける。だが大佐も元帥も慌てた様子はなく、尻尾をゆらゆらさせながら下を見ているだけだった。

「その船の責任者は誰だ! 乗っているならいい加減にふざけた態度はやめて通信に出んか!」

 艦長の怒鳴り声が艦橋内で響き渡る。突然のことに、俺も先輩達もその場で飛びあがった。さすがに相手も艦長の怒鳴り声にビビったらしく、おしゃべりがピタっと止まる。

「そちらに退避するつもりがないのであれば、こちらはそれなりの対処をしなければならない。もちろん、その後には航路データをつけて、しかるべきところに申し出ることになるがよろしいな?!」

 相手があれこれ言い訳を始めたが、あとの祭というやつだ。艦長が激怒するのも無理はない。このまま衝突した場合、大破して沈むのは間違いなく小型船舶側のほうだ。あの人達は、自分から危険なことに突っ込んでこようとしているのが理解できないのだろうか。

「艦長、小型船舶がスピードを落としました。このまま停船すると思われます。それと、後ろから海保が来てます」
「海保? 追いかけていたのか、あの船を」
「いいえ、近くを航行中だったのが進路をこちらに向けたんです。おそらく今の通信を拾ったのでは? 艦長の声、めちゃくちゃ響いてましたから」

 艦長が大きく溜め息をついた。

「もう今年の怒鳴る分は全部使い切った。あとの怒鳴りは藤原と清原きよはらに任せる」

 俺からすれば、一言二言しか怒鳴っていないじゃないかと思うのだが、艦長はもう一年分を使い切ってしまったらしい。

「今月じゃなく今年の分て、容量めっちゃ少な……」

 そうこうしているうちに海保の巡視船が小型船舶に横づけをし、二人の海上保安官が船に乗り移るのが双眼鏡ごしに見えた。

「艦長、海保から通信。やはりマニアだったらしく、テロの心配はないとのこと。そのまま訓練を続行されたしとのことです」
「そうか。やれやれ、帰ってからの仕事が一つ増えたな」

『さて、一件落着したところで、吾輩わがはいも最後のロープが残っているうちに戻るとしよう』

 猫元帥が大きくのびをした。そして振り返って俺を見た。

『若いの、邪魔したな。せいぜい立派な護衛艦乗りになってくれ。次に会うのを楽しみにしている』

 それに対して返事をするわけにもいかず、軽く咳ばらいをしてから挨拶がわりに帽子のツバに手をやる。そんな俺の挨拶に満足したのか、猫元帥はニャッと短い鳴き声をあげた。

 それから猫元帥は視線を別の方向に顔を向ける。そこには、艦長の大友一佐が首をぐりぐりと回しながら立っていた。

『それでは艦長、吾輩わがはいはこれで失礼する。今回は立て続けに厄介な客人が来たようだが、以後は貴艦きかん御安航ごあんこうを祈っている』

 元帥はそう言ってうやうやしく頭を下げた。すると艦長は、そんな猫元帥のおじぎに合わせるようなタイミングで、帽子のツバに手をあてて軽くうなづいた。

―― ……え?  ――

 偶然にしてはあまりにもピッタリなタイミングに驚いて、俺は思わず艦橋内を見渡す。藤原三佐、山部一尉、そして小野一尉と目が合った。三人はなんともいえない顔をして俺を見ていた。

―― え、なんだよ、その顔…… ――

『では、これにて失礼する』

 そんな俺達の様子を気にすることなく、猫元帥は艦橋の横から下へと移動していった。そして最後までつながっていたロープを伝って補給艦へと戻っていく。

「あの?」

 山部一尉がいきなり俺の頭をぐりぐりとなでまわす。

「だからー、頑張って偉くなって、内部選考で幹部になれよって話しただろ?」
「はい?!」
「どうやら見込みがあるって認められたみたいだしなあ? まさかの最速記録だよ、お前。すごいな、新記録保持者だ」
「あの、そこが基準なんですか?!」
「おう、そこが基準だ。知らなかったのか? ま、がんばれ」

 山部一尉がニタニタしながらそうささやいた。
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