26 / 34
本編
第二十六話 朝の一コマ
しおりを挟む
「おはよう」
片目を開けたと同時に、但馬さんの声が頭の上でした。目をそっちに向けると、但馬さんがいつもの五割増しの甘いスマイルを浮かべて、私のことを見つめている。こんなふうに感じるのは、きっと昨日のことがあったからかも。
「えっと、おはようございます」
「大丈夫?」
「……なにが?」
「んー、いろいろと」
「但馬さんは?」
「大丈夫すぎて、すぐにでも離陸できそうな気分かな」
たしかに但馬さんの笑顔は甘いだけではなく、いつもより楽しそうだ。
「すぐに離陸できそうかどうかはわからないけど、私も大丈夫だと思う」
「そっか。それならいいんだ。なにせ初めての相手となんて、それこそ初めてだったから」
「但馬さんの体験談なんて、聞きたくないですからね」
但馬さんの年齢からして、私のほかに付き合った人が存在しても不思議じゃない。そこは認めるしとやかく言うつもりはないけど、その話を聞きたいかとなれば話は別だ。
「そう? ずっと前のことだけど」
「過去のことは過去のこと。大事なのは今です」
「たしかに。俺も過去のことより、今のほなみちゃんのほうが大事だよ」
そう言った但馬さんに、しっかりと抱きしめられた。お互いの肌と肌がちょくせつ触れ合うのがくすぐったい。そこで、ふと大切なことを思い出した。
「あれ? 但馬さん、今日のお仕事は?」
「今日も普通にあるよ」
「え、じゃあ、そろそろ時間?!」
外はまだ暗いようだけど、いま何時だろう?と慌てて時計を探す。
「そうだなあ……あと二十分ぐらいは、お布団の中でほなみちゃんとこうやっていられるかな」
そう言って体を起こすと、私のことを見おろした。
「?」
「あと二十分もあることだし、もう一度、飛んでみる?」
「え?!」
きっとその時の私は、ものすごく変な顔をしたんだと思う。但馬さんは私の顔を見て、声をあげて笑った。
「やめておいたほうがよさそうだね。じゃあ、ちょっと早いけど起きようか。朝ご飯、多分なにかあると思うよ? ああ、その前にシャワー浴びたほうがいいかな」
そう言いながら、但馬さんはベッドから出た。そしてエアコンのスイッチをいれる。
「ほなみちゃんは、部屋があたたまっててからシャワーを浴びたらいいよ。俺は出る準備があるから、先にいってくる。……それとも一緒にシャワーを使うかい?」
振り返った但馬さんが、悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「え?!」
「それも、やめておいたほうがよさそうだね。じゃあそれは、また次の機会ってことで」
そう言って笑いながら、部屋を出ていく。
「なんだか起きてから〝え〟しか言ってない気がしてきた……」
ベッドの下に落ちていた、借りたTシャツを拾い上げて身につけた。ベッドに座って、但馬さんがシャワーを浴びている音に耳をすませる。シャワーの音を聴いただけなのに、なぜか昨日の夜までは知らなかった但馬さんの体が、脳裏にポンッと浮かんだ。
「うわっ、はずかしすぎっ、なんてこと考えてるのっ、ストップストップ!」
脳裏に浮かびあがる映像を慌てて打ち消す。自分でも顔が赤くなるのがわかる。
「こういう時は余計なことを考えないように、なにか別のことをするしかないよね!」
自分に言い聞かせると、そのままキッチンへと向かった。余計なことを考えないようにするのは、体を動かしていたほうがいい。まずは、朝ご飯になにができるかチェックしてみよう。そう考えて勝手に冷蔵庫の中を調べさせてもらう。
「食パンに卵にチーズ、納豆に……チョコに海苔の瓶詰……あとは牛乳に野菜ジュース……?」
もしかして但馬さん、朝ご飯しかここで食べてないんじゃ?と思うような内容だ。これならたしかに〝朝ご飯、多分なにかあると思うよ〟な状態かも。
「あ、タマゴトースト、作れるじゃん?」
そう気づいて、準備にとりかかった。まずはお鍋にお水を入れて、コンロにかける。そして卵をその中に放り込んだ。但馬さんはいつもタマゴトーストを頼むんだから、今日だってタマゴトーストでも文句は言わないよね?
「あれ、ほなみちゃん、ゆっくりしててくれたらいいのに。朝飯ぐらい俺が用意するから」
お風呂から出てきた但馬さんが、キッチンでゴソゴソしている私を見て目を丸くする。
「だって目が覚めちゃいましたから。二度寝なんてしたら、お昼まで寝ちゃいそうだし」
「別に、俺が帰ってくるまでいてくれてもいいんだよ? ああでもそうなると、昼飯の用意ができないか」
冷蔵庫の中の状態を思い出しのか、申し訳なさそうに微笑んだ。
「たしかに但馬さんちの冷蔵庫の中身だと、お昼ご飯は難しそうですね。冷凍庫は見てませんけど」
「冷凍庫には、氷とアイスぐらいしか入ってないよ」
「但馬さん、もしかして甘党?」
私の指摘に、少しだけ恥ずかしそうに笑う。
「そうかもね。でも……今はこっちの甘いもののほうが気になるかな」
そう言って私を後ろから抱きしめると、耳の下にキスをする。
「!!」
いきなりのことに、頭のてっぺんからつま先までゾワゾワとなった。でも、イヤじゃないゾワゾワだ。
「心配ないよ。別にキスマークをつけるつもりでやったわけじゃないから」
「なにも言ってないじゃないですか!」
「あれ? だったらつけてもいいってこと?」
「よくないです!」
「だよね」
但馬さんの体温と石鹸の匂いにつつまれながら、お鍋の中の卵をじっと見つめる。昨日まで、自分がこんな朝をすごすなんて考えもしなかった。
「それで、なにを作るつもりでいるんだい?」
私がこんなにドキドキしているのに、但馬さんはまったく気にする素振りも見せず、普段通りの口調で話しかけてくる。だから私も、精一杯さりげない口調で答えることにした。
「もちろんタマゴトーストですよ。但馬さんの朝ご飯といったら、これしかないじゃないですか。もちろん、お店のとまったく同じってわけにはいきませんけどね」
「じゃあ俺は、コーヒーの用意をしようか。ああ、ほなみちゃんはお茶のほうがいいのかな?」
コーヒー以外になにか買っておけばよかったねと、申し訳なさそうに言った。
「牛乳があるので、コーヒーで大丈夫ですよ」
「了解した。あと、その卵は固ゆで?」
「はい。あと少なくとも五分はかかるかな」
なるほどと但馬さんがうなづく。
「その後は?」
「カラをむいて、軽くつぶしてからマヨネーズと塩コショウで味つけをします。その間に、パンを焼けばいいですよね」
「それも了解した。じゃ、シャワーを浴びておいで。タマゴのカラむきぐらいなら、俺でも問題なくできそうだから」
「え、でも、あとちょっとだし」
但馬さんがおかしそうに笑った。
「ほなみちゃん、俺はこれから仕事に行かなくちゃならない。その可愛らしいお尻と足を出したまま目の前でうろうろされたら、誘惑がいっぱいで困るんだけどな」
「あ、しまった!!」
言われて気がついた。Tシャツのままただったことをすっかり忘れていた!
「理解してくれたようでなにより。じゃあそういうわけだから、シャワーへどうぞ」
「急いで浴びてきます!」
「ゆっくりでいいよ。俺は卵を監視しながら、コーヒーの用意をのんびりしてるから」
+++++
朝ご飯を食べた後、但馬さんが職場に行く前に私を自宅まで送ってくれるというので、少し早めに部屋を出た。
「朝早くに追い出すみたいでごめん。次の時は、きちんとそのへんのことを考えてから誘うよ」
「大丈夫ですよ。次に誘われた時は、ご飯の買い出しをしてからお邪魔しますから!」
「つまりそれは、俺が帰ってくるまで待っててくれると?」
但馬さんは、私の申し出に嬉しそうに微笑む。
「ただし、夕ご飯の準備は期待しないでくださいね。私もそこまで料理が得意ってわけじゃないので」
「栄養士の資格をとるぐらいだから、得意だと思ってたよ。タマゴトーストも美味しかったし」
「栄養素の知識があるのと、料理の腕はまた別物ですよ。それにタマゴトーストぐらい、誰でも作れるでしょ?」
そりゃあ、調理実習的なものもあるにはある。だけどそれは栄養士として必要な基礎的なものばかりで、料理の上達には、あまり役に立ってくれそうにないものばかりだった。
「でも、あまりにもお粗末なのも困りものですよね。これからは母親に、簡単にものから教えてもらうようにします。私が作ったものを食べて、但馬さんがおなか壊しちゃったら困るし」
自分の食べたいものを作るのと、但馬さんにご飯を作ってあげるのとはわけが違う。タマゴスートーストはお店のより美味しいって言ってくれたけど、それだけを作り続けるわけにはいかないし。これからは自分が学んでいる栄養学の知識を最大限に利用して、美味しいものを作れるように頑張らなければ。
「そう言えばほなみちゃんのお母さんって、たしか……学校の先生だったっけ?」
「はい。私が生まれるまでは小学校の先生をしてました。今は退職して、専業主婦してますけどね」
「そっか。……お母さん、俺と付き合うことに関してなにか言ってた?」
「べつになにも。素敵な笑顔の優しそうな人ね、ぐらいです」
「そっか」
どうしてそんなことを急に言い出したのか分からなくて、但馬さんの顔を見上げる。
「どうして?」
「ん? いや。なにも言われてないなら、それでいいんだ。なんていうか、自衛官と付き合うことに対して、いい感情を持たない人もいるからね」
「そうなんですか? うちの母親も父親も、なにも言ってませんよ。父親は、但馬さんの仕事をちゃんと理解してあげなさいとは言ってましたけど」
それに、と付け加える。
「父は消防士ですし、姉達の旦那さんは二人とも警察官です。仕事の内容は違うけど、皆それぞれ但馬さんと同じで、国民の生命と財産を守るお仕事です。但馬さんが自衛官だからって、いい感情を持たないなんてことはないですよ」
「そう言ってくれるのは嬉しいよ」
但馬さんはそれ以上はなにも言わなかった。だけどその表情から、きっと今まで色々と言われてきたんだろうなというのを、ひしひしと感じる。
―― ああ、それでお母さんが先生だってのを気にしてたのか…… ――
なんとなく、但馬さんが言いたかったことが分かったような気がした。
「少なくともうちの家族は、但馬さんにいい感情を持ってますから安心してください。それと、私は但馬さんにいい感情以上のものを持ってますよ?」
「いい感情以上のもの?」
但馬さんが私のほうを見る。
「はい。肩こりひどくなってないかなとか、頭痛に襲われてないかなとか。あと、変な外国の飛行機に脅されてないかなとか。もうこれはいい感情以上のものですよね?」
私の言葉に、但馬さんは声をあげて笑った。
「期待していたのと違うけど、たしかにこんな近くで、自分のことを気にかけてくれる人がいるってのは嬉しいな」
「でしょ?」
そうこうしているうちに、我が家のある団地が見えてきた。
「じゃあ、今日はここまでってことで。階段下までじゃなくて申し訳ないけど」
「すぐそこだから大丈夫ですよ。但馬さんも今日のお仕事、頑張ってくださいね!」
「ありがとう。仕事が終わったらメールを入れておくよ。次にみたい映画の相談もあるしね」
「はい。じゃあ、行ってらっしゃい!」
「うん。行ってきます」
そう言って但馬さんは私に背中を向け、もと来た道を引き返していく。その背中を少しの間だけ見送って、私も階段へと走った。階段を駆け上がりながら少しだけ憂鬱な気分になる。
「二人とも寝ててくれたら良いんだけどなあ……」
今の今まで忘れていたけど、どんな顔をして〝ただいま〟って言ったら良いのやら。こうなったらなにも言わずに、さっさと自分の部屋に引っ込んだほうがよいかもしれない。
「まさか、おねーちゃん達がいたりしないよね……」
たとえいなくても、今日か明日には二人して押し掛けてくるような気がするのは、考えすぎかな……。
片目を開けたと同時に、但馬さんの声が頭の上でした。目をそっちに向けると、但馬さんがいつもの五割増しの甘いスマイルを浮かべて、私のことを見つめている。こんなふうに感じるのは、きっと昨日のことがあったからかも。
「えっと、おはようございます」
「大丈夫?」
「……なにが?」
「んー、いろいろと」
「但馬さんは?」
「大丈夫すぎて、すぐにでも離陸できそうな気分かな」
たしかに但馬さんの笑顔は甘いだけではなく、いつもより楽しそうだ。
「すぐに離陸できそうかどうかはわからないけど、私も大丈夫だと思う」
「そっか。それならいいんだ。なにせ初めての相手となんて、それこそ初めてだったから」
「但馬さんの体験談なんて、聞きたくないですからね」
但馬さんの年齢からして、私のほかに付き合った人が存在しても不思議じゃない。そこは認めるしとやかく言うつもりはないけど、その話を聞きたいかとなれば話は別だ。
「そう? ずっと前のことだけど」
「過去のことは過去のこと。大事なのは今です」
「たしかに。俺も過去のことより、今のほなみちゃんのほうが大事だよ」
そう言った但馬さんに、しっかりと抱きしめられた。お互いの肌と肌がちょくせつ触れ合うのがくすぐったい。そこで、ふと大切なことを思い出した。
「あれ? 但馬さん、今日のお仕事は?」
「今日も普通にあるよ」
「え、じゃあ、そろそろ時間?!」
外はまだ暗いようだけど、いま何時だろう?と慌てて時計を探す。
「そうだなあ……あと二十分ぐらいは、お布団の中でほなみちゃんとこうやっていられるかな」
そう言って体を起こすと、私のことを見おろした。
「?」
「あと二十分もあることだし、もう一度、飛んでみる?」
「え?!」
きっとその時の私は、ものすごく変な顔をしたんだと思う。但馬さんは私の顔を見て、声をあげて笑った。
「やめておいたほうがよさそうだね。じゃあ、ちょっと早いけど起きようか。朝ご飯、多分なにかあると思うよ? ああ、その前にシャワー浴びたほうがいいかな」
そう言いながら、但馬さんはベッドから出た。そしてエアコンのスイッチをいれる。
「ほなみちゃんは、部屋があたたまっててからシャワーを浴びたらいいよ。俺は出る準備があるから、先にいってくる。……それとも一緒にシャワーを使うかい?」
振り返った但馬さんが、悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「え?!」
「それも、やめておいたほうがよさそうだね。じゃあそれは、また次の機会ってことで」
そう言って笑いながら、部屋を出ていく。
「なんだか起きてから〝え〟しか言ってない気がしてきた……」
ベッドの下に落ちていた、借りたTシャツを拾い上げて身につけた。ベッドに座って、但馬さんがシャワーを浴びている音に耳をすませる。シャワーの音を聴いただけなのに、なぜか昨日の夜までは知らなかった但馬さんの体が、脳裏にポンッと浮かんだ。
「うわっ、はずかしすぎっ、なんてこと考えてるのっ、ストップストップ!」
脳裏に浮かびあがる映像を慌てて打ち消す。自分でも顔が赤くなるのがわかる。
「こういう時は余計なことを考えないように、なにか別のことをするしかないよね!」
自分に言い聞かせると、そのままキッチンへと向かった。余計なことを考えないようにするのは、体を動かしていたほうがいい。まずは、朝ご飯になにができるかチェックしてみよう。そう考えて勝手に冷蔵庫の中を調べさせてもらう。
「食パンに卵にチーズ、納豆に……チョコに海苔の瓶詰……あとは牛乳に野菜ジュース……?」
もしかして但馬さん、朝ご飯しかここで食べてないんじゃ?と思うような内容だ。これならたしかに〝朝ご飯、多分なにかあると思うよ〟な状態かも。
「あ、タマゴトースト、作れるじゃん?」
そう気づいて、準備にとりかかった。まずはお鍋にお水を入れて、コンロにかける。そして卵をその中に放り込んだ。但馬さんはいつもタマゴトーストを頼むんだから、今日だってタマゴトーストでも文句は言わないよね?
「あれ、ほなみちゃん、ゆっくりしててくれたらいいのに。朝飯ぐらい俺が用意するから」
お風呂から出てきた但馬さんが、キッチンでゴソゴソしている私を見て目を丸くする。
「だって目が覚めちゃいましたから。二度寝なんてしたら、お昼まで寝ちゃいそうだし」
「別に、俺が帰ってくるまでいてくれてもいいんだよ? ああでもそうなると、昼飯の用意ができないか」
冷蔵庫の中の状態を思い出しのか、申し訳なさそうに微笑んだ。
「たしかに但馬さんちの冷蔵庫の中身だと、お昼ご飯は難しそうですね。冷凍庫は見てませんけど」
「冷凍庫には、氷とアイスぐらいしか入ってないよ」
「但馬さん、もしかして甘党?」
私の指摘に、少しだけ恥ずかしそうに笑う。
「そうかもね。でも……今はこっちの甘いもののほうが気になるかな」
そう言って私を後ろから抱きしめると、耳の下にキスをする。
「!!」
いきなりのことに、頭のてっぺんからつま先までゾワゾワとなった。でも、イヤじゃないゾワゾワだ。
「心配ないよ。別にキスマークをつけるつもりでやったわけじゃないから」
「なにも言ってないじゃないですか!」
「あれ? だったらつけてもいいってこと?」
「よくないです!」
「だよね」
但馬さんの体温と石鹸の匂いにつつまれながら、お鍋の中の卵をじっと見つめる。昨日まで、自分がこんな朝をすごすなんて考えもしなかった。
「それで、なにを作るつもりでいるんだい?」
私がこんなにドキドキしているのに、但馬さんはまったく気にする素振りも見せず、普段通りの口調で話しかけてくる。だから私も、精一杯さりげない口調で答えることにした。
「もちろんタマゴトーストですよ。但馬さんの朝ご飯といったら、これしかないじゃないですか。もちろん、お店のとまったく同じってわけにはいきませんけどね」
「じゃあ俺は、コーヒーの用意をしようか。ああ、ほなみちゃんはお茶のほうがいいのかな?」
コーヒー以外になにか買っておけばよかったねと、申し訳なさそうに言った。
「牛乳があるので、コーヒーで大丈夫ですよ」
「了解した。あと、その卵は固ゆで?」
「はい。あと少なくとも五分はかかるかな」
なるほどと但馬さんがうなづく。
「その後は?」
「カラをむいて、軽くつぶしてからマヨネーズと塩コショウで味つけをします。その間に、パンを焼けばいいですよね」
「それも了解した。じゃ、シャワーを浴びておいで。タマゴのカラむきぐらいなら、俺でも問題なくできそうだから」
「え、でも、あとちょっとだし」
但馬さんがおかしそうに笑った。
「ほなみちゃん、俺はこれから仕事に行かなくちゃならない。その可愛らしいお尻と足を出したまま目の前でうろうろされたら、誘惑がいっぱいで困るんだけどな」
「あ、しまった!!」
言われて気がついた。Tシャツのままただったことをすっかり忘れていた!
「理解してくれたようでなにより。じゃあそういうわけだから、シャワーへどうぞ」
「急いで浴びてきます!」
「ゆっくりでいいよ。俺は卵を監視しながら、コーヒーの用意をのんびりしてるから」
+++++
朝ご飯を食べた後、但馬さんが職場に行く前に私を自宅まで送ってくれるというので、少し早めに部屋を出た。
「朝早くに追い出すみたいでごめん。次の時は、きちんとそのへんのことを考えてから誘うよ」
「大丈夫ですよ。次に誘われた時は、ご飯の買い出しをしてからお邪魔しますから!」
「つまりそれは、俺が帰ってくるまで待っててくれると?」
但馬さんは、私の申し出に嬉しそうに微笑む。
「ただし、夕ご飯の準備は期待しないでくださいね。私もそこまで料理が得意ってわけじゃないので」
「栄養士の資格をとるぐらいだから、得意だと思ってたよ。タマゴトーストも美味しかったし」
「栄養素の知識があるのと、料理の腕はまた別物ですよ。それにタマゴトーストぐらい、誰でも作れるでしょ?」
そりゃあ、調理実習的なものもあるにはある。だけどそれは栄養士として必要な基礎的なものばかりで、料理の上達には、あまり役に立ってくれそうにないものばかりだった。
「でも、あまりにもお粗末なのも困りものですよね。これからは母親に、簡単にものから教えてもらうようにします。私が作ったものを食べて、但馬さんがおなか壊しちゃったら困るし」
自分の食べたいものを作るのと、但馬さんにご飯を作ってあげるのとはわけが違う。タマゴスートーストはお店のより美味しいって言ってくれたけど、それだけを作り続けるわけにはいかないし。これからは自分が学んでいる栄養学の知識を最大限に利用して、美味しいものを作れるように頑張らなければ。
「そう言えばほなみちゃんのお母さんって、たしか……学校の先生だったっけ?」
「はい。私が生まれるまでは小学校の先生をしてました。今は退職して、専業主婦してますけどね」
「そっか。……お母さん、俺と付き合うことに関してなにか言ってた?」
「べつになにも。素敵な笑顔の優しそうな人ね、ぐらいです」
「そっか」
どうしてそんなことを急に言い出したのか分からなくて、但馬さんの顔を見上げる。
「どうして?」
「ん? いや。なにも言われてないなら、それでいいんだ。なんていうか、自衛官と付き合うことに対して、いい感情を持たない人もいるからね」
「そうなんですか? うちの母親も父親も、なにも言ってませんよ。父親は、但馬さんの仕事をちゃんと理解してあげなさいとは言ってましたけど」
それに、と付け加える。
「父は消防士ですし、姉達の旦那さんは二人とも警察官です。仕事の内容は違うけど、皆それぞれ但馬さんと同じで、国民の生命と財産を守るお仕事です。但馬さんが自衛官だからって、いい感情を持たないなんてことはないですよ」
「そう言ってくれるのは嬉しいよ」
但馬さんはそれ以上はなにも言わなかった。だけどその表情から、きっと今まで色々と言われてきたんだろうなというのを、ひしひしと感じる。
―― ああ、それでお母さんが先生だってのを気にしてたのか…… ――
なんとなく、但馬さんが言いたかったことが分かったような気がした。
「少なくともうちの家族は、但馬さんにいい感情を持ってますから安心してください。それと、私は但馬さんにいい感情以上のものを持ってますよ?」
「いい感情以上のもの?」
但馬さんが私のほうを見る。
「はい。肩こりひどくなってないかなとか、頭痛に襲われてないかなとか。あと、変な外国の飛行機に脅されてないかなとか。もうこれはいい感情以上のものですよね?」
私の言葉に、但馬さんは声をあげて笑った。
「期待していたのと違うけど、たしかにこんな近くで、自分のことを気にかけてくれる人がいるってのは嬉しいな」
「でしょ?」
そうこうしているうちに、我が家のある団地が見えてきた。
「じゃあ、今日はここまでってことで。階段下までじゃなくて申し訳ないけど」
「すぐそこだから大丈夫ですよ。但馬さんも今日のお仕事、頑張ってくださいね!」
「ありがとう。仕事が終わったらメールを入れておくよ。次にみたい映画の相談もあるしね」
「はい。じゃあ、行ってらっしゃい!」
「うん。行ってきます」
そう言って但馬さんは私に背中を向け、もと来た道を引き返していく。その背中を少しの間だけ見送って、私も階段へと走った。階段を駆け上がりながら少しだけ憂鬱な気分になる。
「二人とも寝ててくれたら良いんだけどなあ……」
今の今まで忘れていたけど、どんな顔をして〝ただいま〟って言ったら良いのやら。こうなったらなにも言わずに、さっさと自分の部屋に引っ込んだほうがよいかもしれない。
「まさか、おねーちゃん達がいたりしないよね……」
たとえいなくても、今日か明日には二人して押し掛けてくるような気がするのは、考えすぎかな……。
26
あなたにおすすめの小説
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
ヤクザに医官はおりません
ユーリ(佐伯瑠璃)
ライト文芸
彼は私の知らない組織の人間でした
会社の飲み会の隣の席のグループが怪しい。
シャバだの、残弾なしだの、会話が物騒すぎる。刈り上げ、角刈り、丸刈り、眉毛シャキーン。
無駄にムキムキした体に、堅い言葉遣い。
反社会組織の集まりか!
ヤ◯ザに見初められたら逃げられない?
勘違いから始まる異文化交流のお話です。
※もちろんフィクションです。
小説家になろう、カクヨムに投稿しています。
龍王の番〜双子の運命の分かれ道・人生が狂った者たちの結末〜
クラゲ散歩
ファンタジー
ある小さな村に、双子の女の子が生まれた。
生まれて間もない時に、いきなり家に誰かが入ってきた。高貴なオーラを身にまとった、龍国の王ザナが側近二人を連れ現れた。
母親の横で、お湯に入りスヤスヤと眠っている子に「この娘は、私の○○の番だ。名をアリサと名付けよ。
そして18歳になったら、私の妻として迎えよう。それまでは、不自由のないようにこちらで準備をする。」と言い残し去って行った。
それから〜18年後
約束通り。贈られてきた豪華な花嫁衣装に身を包み。
アリサと両親は、龍の背中に乗りこみ。
いざ〜龍国へ出発した。
あれれ?アリサと両親だけだと数が合わないよね??
確か双子だったよね?
もう一人の女の子は〜どうしたのよ〜!
物語に登場する人物達の視点です。
ボクが追放されたら飢餓に陥るけど良いですか?
音爽(ネソウ)
ファンタジー
美味しい果実より食えない石ころが欲しいなんて、人間て変わってますね。
役に立たないから出ていけ?
わかりました、緑の加護はゴッソリ持っていきます!
さようなら!
5月4日、ファンタジー1位!HOTランキング1位獲得!!ありがとうございました!
娼館で元夫と再会しました
無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。
しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。
連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。
「シーク様…」
どうして貴方がここに?
元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!
苦手な冷徹専務が義兄になったかと思ったら極あま顔で迫ってくるんですが、なんででしょう?~偽家族恋愛~
霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
「こちら、再婚相手の息子の仁さん」
母に紹介され、なにかの間違いだと思った。
だってそこにいたのは、私が敵視している専務だったから。
それだけでもかなりな不安案件なのに。
私の住んでいるマンションに下着泥が出た話題から、さらに。
「そうだ、仁のマンションに引っ越せばいい」
なーんて義父になる人が言い出して。
結局、反対できないまま専務と同居する羽目に。
前途多難な同居生活。
相変わらず専務はなに考えているかわからない。
……かと思えば。
「兄妹ならするだろ、これくらい」
当たり前のように落とされる、額へのキス。
いったい、どうなってんのー!?
三ツ森涼夏
24歳
大手菓子メーカー『おろち製菓』営業戦略部勤務
背が低く、振り返ったら忘れられるくらい、特徴のない顔がコンプレックス。
小1の時に両親が離婚して以来、母親を支えてきた頑張り屋さん。
たまにその頑張りが空回りすることも?
恋愛、苦手というより、嫌い。
淋しい、をちゃんと言えずにきた人。
×
八雲仁
30歳
大手菓子メーカー『おろち製菓』専務
背が高く、眼鏡のイケメン。
ただし、いつも無表情。
集中すると周りが見えなくなる。
そのことで周囲には誤解を与えがちだが、弁明する気はない。
小さい頃に母親が他界し、それ以来、ひとりで淋しさを抱えてきた人。
ふたりはちゃんと義兄妹になれるのか、それとも……!?
*****
千里専務のその後→『絶対零度の、ハーフ御曹司の愛ブルーの瞳をゲーヲタの私に溶かせとか言っています?……』
*****
表紙画像 湯弐様 pixiv ID3989101
友人(勇者)に恋人も幼馴染も取られたけど悔しくない。 だって俺は転生者だから。
石のやっさん
ファンタジー
パーティでお荷物扱いされていた魔法戦士のセレスは、とうとう勇者でありパーティーリーダーのリヒトにクビを宣告されてしまう。幼馴染も恋人も全部リヒトの物で、居場所がどこにもない状態だった。
だが、此の状態は彼にとっては『本当の幸せ』を掴む事に必要だった
何故なら、彼は『転生者』だから…
今度は違う切り口からのアプローチ。
追放の話しの一話は、前作とかなり似ていますが2話からは、かなり変わります。
こうご期待。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる