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空と彼女と不埒なパイロット

第五話 どう考えても不埒です

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「おい藤崎」

 夕方。予想外の来客に時間をとられてしまってアラート待機に向けての準備が遅れ気味になっていたので、待機中にしておくべき事を頭の中で整理しながら足早に歩いていると社一尉に声をかけられた。

「なんでしょう」

 当然のことながら私は昨夜から今朝にかけてのトンでも出来事に対して腹を立てているので、返事は階級が上の者に対する口調ギリギリのラインでつっけんどんなものになる。いくらホテルを出た後に約束だからと回らないお寿司屋さんで美味しいイクラの軍艦巻きと馬鹿みたいな豪華な納豆巻きをおごってくれても、それとこれとは別の話なのだ。

 だけど一尉の方はまったく気にしていない様子。それどころかここ最近の中では一番の上機嫌な顔をしている。そりゃそうだよね、本人曰く一年半のたまりにたまったものを夜から朝にかけて吐き出してスッキリしちゃったんだもの、上機嫌で当然だ。そのお蔭で私の方は寝不足だしあちらこちらが痛いけど。

「ちょっと話がある」
「なんでしょうか、ここで聞きますが」
「いいからこっちに来いって」

 腕を掴まれて人気のない一室に引っ張り込まれると、入った途端に壁に押しつけられ腕の中に閉じ込められた。

「おい」
「ですから、なんでしょうか」

 なんだか急に不機嫌そうな顔になって嫌な予感しかしない。まさか武勇伝の中にあった基地内でいたすを実践しようかって話じゃないよね?

「また白ヤギだか黒ヤギだかにしつこく誘われたんだって?」
「それ、ヤギじゃなくて青いヤナギの青柳さんのことですか?」
「どーでもいいんだよ、どんな漢字を書くかなんてことは。朝からここに来てたって話じゃないか」

 やっぱり青柳先輩のことだ。そのせいで仕事が押し気味で急いでいるというのにまったく一尉ときたら。

「先輩ならさっき顔を出されましたよ。なんかこっちに来たついでとかどうとか言って」
「陸の孤島と言われている百里に来るついでって何なんだよ」
「知りませんよ、そんなこと。私達には分からない事情があるんじゃないですか? それより一尉、私、話をしている時間なんてないんですが」

 時間が押していることを分からせようと自分の腕時計の文字盤の上を指で叩く。

「で?」

 人の話を聞いちゃいないんだから、まったく。

「で、とは?」
「だから返事だよ」
「私はロケットより戦闘機の方が好きなのでお構いなくとお断りしましたが」
「そうか」

 あからさまにホッとした顔をされてちょっとイラッとなったので、更に先輩からされた話を暴露することにした。

「そしたらロケットじゃなくて有人シャトルの研究開発に来ないかと誘われました」
「なんだって?」
「戦闘機とシャトルでは共通する分野もあるのでどうだろうということらしいです。まあ特別国家公務員を職場でスカウトするなと榎本一佐に追い立てられちゃってましたが、って……何してるんですか社さん」

 いきなり人の作業着のジッパーをおろし始めたので慌てて手を掴んで制止する。やっぱり武勇伝の再臨とか?!

「うるさい」

 乱暴に手がふり払われウエストの辺りまで上の部分が下ろされた。そして下に着ているTシャツの裾がめくり上げられる。一尉はそこに現れたものを見て満足げな笑みを浮かべた。そこには昨日の晩から今朝にかけて一尉がつけたキスマークがまだ残っている。

「やめて下さいよ、こんなところで!」
「じゃあ別の場所でならいいのか」
「よくないです! いたっ」

 一尉は体を屈めると胸元に唇を寄せてかなりの強さで噛み痕を残した。

「なんなんですか!」
「マーキング」
「は?!」

 しれっと答え、自分が残した痕を満足げに見下ろしていた。

「もう一箇所ぐらい増やしておいても良いかもな」
「ちょ、ふぎゃっ」

 今度は首の付け根を強く吸われて思わず色気のない変な悲鳴が口から飛び出す。

「噛むのが気に入らないようだからキスマークで我慢しておいてやる。うん、いい感じについた。まあ虫除けとしてはこんなものか」

 そう言いながら自分が吸った場所を指でなぞる。

「噛み痕だろうがキスマークだろうが、これ以上増やすことなんてないでしょ! しかもそこ、髪を上げてるから見えちゃう場所じゃないですか、どうしてくれるんですか!」
「見えるところにつけないと意味がないだろうが」

 もう一尉ったら本当に無茶苦茶だ。

「まったくもう! 先輩はもう来ないですよ、榎本一佐が俺の目の黒いうちは基地の敷地は跨がせないと意気込んでましたから。だから一尉がしたことは全く無意味!!」
「白ヤギみたいなのが他にもいるかもしれないからそれに対する牽制も含めてだ。ヤギとは学生時代に付き合ってたんだよな?」
「ですから青柳ですって。で、付き合ってたって話は誰から聞いたんですか」

 私の質問に一瞬目が泳いだ。ああ、分かった、その情報源は間違いなく榎本一佐だ。まったくもう、こっちの子弟ときたら油断も隙もあったものじゃないんだから。

「大学の時に一年ぐらいなんですけど。言っときますけど今は未練なんてこれっぽっちも残っていない無関係状態ですからね。お互いに航空力学以外の話になると頓珍漢な会話しか続かないと気づいてこれはダメだと判断して別れたんですから」
「なるほど」

 その時、部屋のドアがバンッと開いた。慌てて作業着の前をかき合わせる。

「誰かいるのか、節電しないと上から……あ」

 顔を覗かせたのは一尉と一緒に飛んでいる羽佐間一尉。目が合いお互いにしばらく固まってしまった。穴があったら入りたいというか、この諸悪の根源である一尉のことを地中深く埋めてしまいたいというか、とにかくそういう実力行使的な衝動に思いっ切り駆られる。

「いや、その、お邪魔しましたお二人さん、どうぞごゆっくり」

 どうもどうもと変な笑いを浮かべながら羽佐間さんはそのまま廊下へと出ていった。

「違うんです、羽佐間一尉!」
「何が違うんだ、邪魔したのは本当のことだろ」

 不満げな一尉を突き飛ばすようにして振り払うと羽佐間一尉の後を追う。部屋から出ようとして作業着がまだ大きくはだけているのを思い出して廊下に顔だけ出した。

「羽佐間一尉!」

 こちらを振り返る羽佐間一尉の顔は心なしか楽しそうだ。

「藤崎さん邪魔してゴメンな、俺は退散するから心置きなく続きを楽しんでくれ。社の方の時間なら心配ないよ、まだ勤務時間にはなってないしこっちのブリーフィングも一時間後だからね、アデュ~♪」
「誤解です! 違うんですってば!」
「おう、次から邪魔すんなよ、いてっ」

 後ろから顔をのぞかせた一尉が余計なことを言うので肘鉄を食らわせて黙らせた。

「社さんは黙ってて!」

 羽佐間一尉は一尉に、良からぬ意味としか受け取れないような内容のハンドサインを送ってからニヤリと笑うと、口笛を吹きながら行ってしまった。

「はぅぁ……まったく何てこったいですよ! あの様子からして社さんが何かしていたって丸分かりじゃないですか!」
「正確には俺と藤崎がだけどな。羽佐間は言いふらすようなことはしないから安心しろ」
「そういう問題じゃないです!」

 急いで身なりを整えると、何故か床に落ちていたキャップを拾い上げる。身体を起こした途端に再び一尉に捕まった。そして唇を塞がれる。

「や……っ」

 ディープキスを職場でするとは! しかもせっかく上げたジッパーを再び引き下ろしてTシャツの下に手を潜り込ませ、一尉が噛んだせいでまだ痛む胸の先端を確かめるように撫でてくる。気がついたらすっかり相手のペースに引き込まれてまともに立っていられなくなってしまった。

 腹の立つことに唇が離れた途端にふらついた私を、一尉は満足げな薄笑いを浮かべて見下ろしているし! まったく、無駄にテクニックがあるというのも考えものだ。

「ここ職場ですよ、職場! いつぞや護衛艦内でいたしていた二人の海上自衛官が懲戒処分になった事件を忘れたんですか!」
「忘れちゃいないさ。これ以上はさすがにここでは無理だな。続きは勤務あけまでお預けだ」

 勤務あけまでって。

「さて、今日は何事もなく夜が終わってくれれば良いんだがな。どうした藤崎、もしかして途中でやめたのが不満なのか? だったら何処かで続きするか?」

 そう言いながら一尉はワザとらしく腕時計を見た。

「急いで人気のない場所を見つければ何回かぐらいはできるかもしれないぞ」
「しなくて結構です! それになんで複数回なんですか!!」

 こちらの基地は那覇基地に比べればスクランブルの回数は圧倒的に少ない。だから夜のアラート待機もそこまでピリピリした空気にはならないけれど、それでも皆無じゃないしパイロット達はいつでも離陸できるようにと任務に就いている時間はフライトスーツと耐Gスーツを身につけて部屋で待機することになっている。社一尉はこんなところでこんなことをしている場合じゃないのだ。

「まったく不埒極まりないですよ!」

 まったくもうただれた生活は禁止という約束があるんだからその点はしっかりと守ってもらわなくちゃ困る。作業着のジッパーを上げて乱れた髪を手櫛で整えた。そんな私のことを一尉は横に立って黙って見下ろしている。

「なんですか、何か言いたいことでも?」

 何か言いたげな顔をしていたので質問した。

「なんていうか、昨日の合コンに行った時の藤崎よりも今の藤崎の方が俺は好みだなと思って」
「すっぴんに近いし髪だってセットが簡単なようにって短く切っただけなのに?」
「ああ。俺は今の藤崎の方が色々な意味でそそられる」

 思わず一尉の下半身に目を向けてしまったのは仕方がないと思ってほしい。きっとギョッとした顔になっていたのだろう、一尉がおかしそうに笑った。

「心配ない。昨晩も、いや今朝もか。とにかく溜め込んだものをかなり吐き出させてもらったんだ、勤務時間中ぐらいは我慢できるだろう」
「待って下さい。あれだけして勤務時間ぐらいしか我慢がきかないんですか? いくらなんでもそれってあんまりじゃ?」
「仕方がないだろ、一年半だぞ?」
「ドン引きですよ、社さん。どんだけ精力過多なんですか」

 やっぱり爛れた生活だ、私には到底理解できない。

「アラート待機あけは私、まっすぐ自宅に戻って睡眠をとりますからね。緊急事態が起きない限り私は絶対に帰宅して寝るんですから。そこに社さんのいるスペースはありません!」

 絶対にありませんからと更に強調して繰り返して言ったら一尉は顔をしかめた。

「何も言ってないじゃないか」
「いいえ。ここで宣言しておかないと社さんのことです、何をしでかすか分かったもんじゃありません。しっかり睡眠をとっておかないと寝不足のままでタロウちゃんの整備をして何か見落としたら大変です。だから絶対に帰りますから、一人で。大事なのは社さんじゃなくタロウちゃんです」

 これは九割がた私の本音だ。そのことは社さんにも伝わったらしい。

「分かった分かった、タロウが優先な」
「その通りです」
「まったくメカオタクというやつは。分かった、じゃあ続きは次の休暇の時にでも」

 そう言って一尉は私が拾い上げた帽子を奪い取ってから私の頭にかぶせた。

「なにが次の休暇ですか。あれだけしたら向こう一ヶ月ぐらいガス欠で弾切れでしょ普通」
「ご冗談を」
「本気ですが何か?」

 一尉が飛行隊の人達が待機している部屋へと立ち去るのを見送りながらブツブツと呟いた。まったくもう、基地内であんなことをするなんて信じられない、一尉のエロとアホが可愛いタロウちゃんにうつったらどうしてくれるんだか。

「まったくアホのエロパイロットめ、そのうちギャフンと言わせてやる」

 整備中、スパナを握りしめながら思わずそんな言葉が口から飛び出してしまって、榎本一佐だけではなく他の同僚達を怯えさせてしまったのは言うまでもない。


+++++


 そして夜間のアラート待機あけ、私は一尉に捕まることなく無事に基地のゲートを出ることに成功した。読みたい本はあったけれど今日はしっかりと睡眠をとって、一尉のせいで削られてしまった睡眠時間を取り戻さなければ。

 そんなことを考えながら歩いていたせいか、前から自分に向かってくる人がいることに気が付かなかった。

「失礼ですけど藤崎さんって貴女?」
「はい?」

 気が付けば目の前に立っていたのは凄く綺麗なお姉さん。何て言うかシックな服を着ているのに雰囲気がとても艶やか。

「貴女、あの基地にいる藤崎さん?」
「藤崎は私ですが」

 他にも藤崎という苗字の者がいるかもと言いかけたところでパンッという派手な音と共に頬に痛みが走った。

「?!」
「こんな地味な相手だなんて。せいぜい逃げられないようにすることね」
「はい?」

 そのお姉さんはいきなりのことで唖然としている私を睨むと、そのままクリルと背中を向けてカツカツとヒールの音を響かせながら立ち去った。

「……なに? なんなの?」

 前日からの睡眠不足もあってか夜勤明けのぼんやりした頭の私には、衝撃的ではあったけど何が起こったのかイマイチ理解できない出来事だった。
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